小さな娼婦編 第41話

 先に動いたのは雷砂だった。

 ロウを再び剣へ変え、少女に鋭い剣戟を放つ。

 対する少女には武器がない。

 さっきまで守ってくれた蜘蛛の体も無く、勝負はあっけなくつくかに思えた。


 しかし、少女は慌てる様子もなく、雷砂の攻撃にあわせて手を振るう。

 鋭い音を立てて雷砂の攻撃は弾かれ、雷砂は目を丸くして少女の手元を見つめた。

 そこにあったのは長く硬質な鋭い爪。

 一瞬で異様なまでに伸びたそれを武器に、少女は雷砂に相対する。



 「爪でオレの剣をはじくのか。すごいな」



 素直に感心しながら、雷砂は笑う。心底、楽しそうに。

 雷砂の剣は、魔物の固い表皮でも易々と切り裂く特別な刃だ。

 それをこうも容易く弾くとは、彼女の爪はどれだけの硬度を保っているのだろう。

 その爪は、どれだけ雷砂の攻撃を受け続けられるのだろうか。


 わくわくした思いに引きずられるように、雷砂は剣を振るう。少しずつ、スピードを上げながら。

 最初は余裕げに雷砂の剣を捌いていた少女だが、段々と早くなる剣戟に徐々に焦りの表情を浮かべ始める。



 「ちょ、は、早いよ!しかも、固ぁい!!ら、雷砂ぁ」



 少し泣きの入った声があがるが、スイッチの入った雷砂の耳には届いていない。

 ちょっと涙目になりながら、必死の形相で剣を受けていたが、固いはずの爪にも限界はおとずれた。


 パキィィン……


 澄んだ音を立てて、爪が半ばから断ち折られる。

 その勢いのままに、雷砂の剣が少女に迫るが、彼女はそれをギリギリでかわして後ろへ飛んだ。



 「一体何回耐えたんだ?すごいなぁ、お前の爪」


 「え?そう?すごいかな?えへへへへ」



 一気にあいた距離を挟んで、雷砂は素直に賞賛する。

 それを受けた少女が頬を薄紅に染めて無邪気に笑った。


 そんな彼女を見つめながら、雷砂は再び拳をぐっと握った。

 力が有り余りすぎて手加減があまり効かない。

 力があふれているせいなのか、気持ちもやけに昂揚している。

 武器を持ったままだと、うっかり勢い余って少女をまっぷたつにしてしまいそうだった。

 雷砂はちょっとだけ困った顔で、右手の中に収まった愛剣を見る。



 「武器は、持ってない方がいいかもな。ロウ、悪いけど、後はオレだけで戦うよ。また、後で」



 そんな雷砂の言葉に、手の中の武器が淡く輝いて消えた。

 これでよし、と再び少女に目を戻して、雷砂は「ん?」と首を傾げた。


 いつの間にか、少女の下半身が再び蜘蛛になっていた。

 しかもさっきの蜘蛛より凶悪な様相である。

 大きいし、なんだか固そうだ。

 更に8本ある足の内の2本の爪はまるで鎌のような形状に変形し、硬質な輝きを放っている。



 (えーっと……)


 「なんか、さっきと大分違うよな?」


 「雷砂の魔力が美味しくてすごかったから、うーんと、えっと、ばーじょんあっぷ?」



 雷砂の問いに、少女も可愛らしく首を傾げつつ答える。



 「すごいね、雷砂の魔力!!」


 「えっと、ありがと?」



 きらきらした目でなんだか誉められ、雷砂は釈然としないまま礼の言葉を唇に乗せた。

 そうしてから、少しだけ笑う。

 これって敵同士が、戦いの最中にする会話じゃないよな、と思いながら。



 「あー、まぁ、取りあえず……そろそろ再開するか?」


 「いいよ!すっごく強くなったから、びっくりだよ、きっと」



 にひっと笑い、少女が突進してきた。

 確かに、さっきよりスピードはアップしている。

 だが、蜘蛛のバージョンアップなど目じゃないほどに、過剰な力に溢れている雷砂の目には、その動きがスローモーションの様に見えた。


 二つの鎌が、時間差で襲いかかってくる。

 それを二本まとめて掴んでへし折ると、少女の口が驚きにぽかんと開いた。

 それを見て、にやりと笑う。



 「その、強くなった力の源は誰の力だ?」



 問いかけながら、蜘蛛の腹の下へ潜り込む。



 「オレの、力だろ?」



 危機感を感じた蜘蛛の体が反射的に逃げようとするのを、雷砂は残った足の1本を掴んで止めた。



 「なぁ、よく考えてみろ」



 逃げようとする蜘蛛と、それを止めようとする雷砂。

 そんな引っ張り合いに飽きた雷砂は、蜘蛛の足を1本1本潰していく。

 時にへし折り、時に握りつぶしながら。



 「オレの力を半分やそこら使って強くなったところで」



 足を失った蜘蛛はもう動けない。

 雷砂は右の拳を固く握り込んだ。



 「本物のオレに、勝てるはずない。違うか?」



 言い放ち、雷砂は笑う。

 そして思い切り拳を振り抜いた。


 ぞぶりと小さな拳は蜘蛛の巨体に吸い込まれ、その厚い肉壁を完膚無きまでにぶち破る。


 蜘蛛の体がはじけた瞬間、白い少女の狼狽えたような顔が見えた。

 崩れていく蜘蛛の体を踏み台に、再び逃れようとした少女の体を、今度は雷砂の腕がしっかりと捕らえた。


 少女の視界がぐるんと回る。

 そして次の瞬間には強かに地面に叩きつけられていた。


 痛みに一瞬目を閉じた隙に、首に押し当てられた暖かい手のひらの感触。

 目を開けると、目の前にぴたりと拳が突きつけられていた。

 拳の先に見えるのは雷砂の顔だ。



 「オレの、勝ちだ」



 そう言って、雷砂が笑った。



 「うん……負けちゃった」



 答えて、へにょりと笑う。力なく。


 楽しい時間はもう終わり。

 負けたからには殺されるのだろう、多分。


 弱ければ死ぬのは自然の摂理だ。

 魔物としての本能もきちんと残っている少女にとって、それはしごく当たり前の事だった。


 だから本当は、自分を作ったあの人が死の間際に言った言葉を、はっきり言って理解出来ていなかった。

 今の、今まで。


 勝てなかったら終わり。

 それは魔物としての常識だ。

 父親とも呼べる男が、勝てなかったら雷砂に伝えろと教えてくれた言葉は、そんな魔物としての常識からは外れたものだった。

 だけど。


 少女は見つめる。

 雷砂の顔を。

 得意そうに笑って、彼女を見つめるその瞳を。


 もっとずっと、雷砂の顔を見ていたかった。

 ここで終わってしまうのはイヤだった。

 その側にいて、もっと雷砂と遊んでいたかった。


 少女の端正な顔が、泣きそうに歪む。

 それを見た雷砂が、少し、困った顔をした。


 その言葉を言ってしまえば、雷砂はもっと困るかもしれない。

 でも、言わずにはいられなかった。

 そうすることで、少しでも希望を繋げるのなら。

 だから、少女は唇を開く。

 雷砂を、まっすぐに見上げて。



 「死にたく、ない。死にたくないよ、雷砂……」



 父に教えられたとおり、父の与えてくれたその言葉を紡ぐ。

 赤い瞳から、涙が一筋、静かにこぼれた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る