小さな娼婦編 第4話

 暗闇の中、ただ一人残された異形はすべての魔力を吸い尽くされて消えてしまった父親が身にまとっていた服にくるまり、地面にうずくまっていた。

 一人になった寂しさに耐えながら、まだ形すら明確に定まりきらない未成熟な生き物は思う。

 もっともっと魔力を喰わなければ、と。

 父親が求めたように強くなるため。いずれ彼女に会いに来る雷砂らいさという遊び相手と存分に遊び尽くすために。

 赤く光る瞳を輝かせ、父親の服を握りしめたまま、暗闇の中を動き始める。自分以外の生き物を、己の命の源となる魔力をただ探し求めて。





 暗い道を、雷砂は少女の手を引いてゆっくり歩いていた。

 5歳の年の差のせいもあって、2人で並ぶと少しだけアレサの方が背が高い。

 少女はそれを気にするようにやや背を丸め、少し前を歩く雷砂の横顔をほんのりと頬を染めて見つめるのだった。

 そうやってしばらく歩いて、前の方に見えてきたかすかな明かりを指さして、



 「雷砂、あそこが私の家だよ」



 そう言うのを聞いて、雷砂は小さく頷くとその明かりに向かって進んだ。

 母親が寝ているかもしれないからと、アレサはそうっと家の扉を開けて中に入り込み、次いで雷砂を招き入れる。

 すると、奥の部屋から母親の声が聞こえてきた。



 「アレサ、帰ってきたの?」



 どうやら飛び出していった娘が心配でおちおち眠っていられなかったようだ。

 声に続いて、病み疲れた女性が壁に手を突いて体を支えながら姿を現した。

 まだ十分に若く美しいはずの女性は、病にやつれて痛々しいほどに痩せていた。

 その体がふらりとよろめくのを見て、雷砂は素早く駆け寄りしっかりと支えてやる。

 驚いたのはアレサの母親だ。

 娘を出迎えに出たら、見知らぬ子供に抱き留められたのだから。



 「大丈夫?」



 目を見開いてこちらを見つめる女性に、雷砂は気遣わしそうに声をかける。

 だが、アレサの母親は驚いて声も出ないようだ。

 目に映る、幼いながらも類稀なる美貌に飲まれたようにぼうっとしている。

 雷砂は困ったように笑い、



 「アレサ、取りあえず寝台へ連れて行こう。話はそれからだ」


 「あ、うん。こっち」



 雷砂の求めに応じて、アレサが母親の部屋へと先導する。

 雷砂は、固まってしまったアレサの母親を軽々と抱き上げて、その後ろに続いた。

 寝ないでアレサの帰りを待っていたのだろう。

 冷え切って寒々としたベッドにほっそりとした体を横たえ、薄い毛布で覆ってやる。

 少しでも早く暖かくなるようにと、腕や足をさすっていると、



 「あの、あなたは一体?もしかしてアレサの友達ですか?」



 そんな戸惑ったような声が耳朶を打ち、なんと説明しようか困り顔のアレサが口を開くよりも早く、



 「そうだよ。アレサの友達だ」



 にっこり微笑んでそう答えた。



 「そうですか、アレサの」



 嬉しそうな母親の声に、アレサはほんの少し唇を尖らせる。



 「なぁに、お母さん。私にだって友達の1人や2人くらいいるわよ」


 「そうは言っても、あなた、一度もお友達を連れてきた事なんて無いじゃない」


 「そりゃ、まあ、そうだけど」



 微笑ましい母娘のやりとりを聞きながら、雷砂はそっと手を伸ばし、アレサの母親の額に触れた。



 「熱があるね。いつから?」


 「微熱は、このところずっと。でも、アレサの買ってきてくれる薬のおかげで随分良くなってきているんですよ?」



 彼女はどこか諦めたような笑みとともに、穏やかに答えた。

 雷砂はそのまま流れるような動作で脈をとり、彼女の瞳や口の中をのぞき込みながら、



 「アレサ、お母さんが飲んでる薬を持ってきてくれる?」



 言葉少なにそう指示を出す。アレサが慌てて駆け出すのを見送って、



 「ちょっと胸の音も聞かせてもらうよ?」



 言いながら、やせ細ってもなおボリュームのある彼女の胸元へ耳を押し当てた。



 「胸の音をって、それじゃあ聞こえないでしょう?」



 アレサの母親は苦笑混じりにそう返す。

 今まで何度も医師の診断を受けたから分かるのだ。

 医師が胸の音を聞くときは、それ用の器具を使うことくらいは知っていた。

 雷砂は、そんな彼女の顔を横目で見上げて微笑む。



 「大丈夫。聞こえるよ。オレの耳は特別製なんだ。じゃあ、息を吸って?」



 自信にあふれた雷砂の言葉に、アレサの母親は半信半疑ながらも言うとおりに息を吸ったり吐いたりする。

 目を閉じ、その音に耳を澄ませる雷砂。

 かすかにきこえる音の中に濁った音を聞き分けて、雷砂はほんの少し眉を寄せた。



 「少し、雑音が混じるみたいだな。息苦しさは?」


 「たまにだけれど、あるわ」


 「痰に血が混じる事はある?」


 「それも時々」


 「うん。ありがとう。大体分かった」



 頷き、さてどうするかとこれからの治療方針について考え始める雷砂の横顔を見ながら、アレサの母親は目を見張り、心底驚いたような声を出す。



 「あなた、まだ小さいのに、まるでお医者さんみたいねぇ」



 呆れたような感心したようなそんな声に、雷砂は苦笑を返す。

 もっと幼い頃から規格外だった雷砂にとって、大人達のそんな反応は日常茶飯事だった。



 「医者ではないけど、薬師の知り合いがいて色々教えてもらったんだ。薬草に関しては結構自信があるよ」



 二人がそんな会話を交わしているところへ、母親の薬を持ったアレサが戻ってきた。



 「雷砂、これがお母さんの薬よ」


 「ん。ありがとう、アレサ。ちょっと貸して?」



 アレサから薬の入った袋を受け取り、中から包みを取り出して封を開けた。

 まずは匂いから。

 鼻を寄せすぎて吸い込んでしまわない様に気をつけながら、そっとその匂いを嗅いで、何の成分が入っているのか嗅ぎ分ける。

 次いで薬を指先でつまみ上げ、指の腹ですりつぶすと、それをそっと己の舌先に乗せた。

 匂いでは判じきれなかった薬草を舌で判じ、雷砂は小さく頷いた。



 「ふうん。悪くは無いけど足りないな。悪化させないだけの薬効はありそうだけど、これじゃあ良くはなっていかない」


 「え?この薬じゃ治らないの?」


 「治すには、もっと効能の強い薬草を2、3種類足してやる必要がありそうだ」


 「そんな・・・・・・」



 アレサは雷砂の言葉にうなだれた。

 更に新たな薬草を求める金など、どこを探してもないのだ。

 これから先の食料すら事欠く状況なのに、高価な薬草など、買えるわけもない。

 そんなアレサの気持ちを読みとったかのように、雷砂は微笑んで彼女の頭をそっと撫でた。



 「大丈夫だよ、アレサ。薬草ならオレの領分だ。そっちはオレに任せてくれればいい。当座の食べ物も何とかするから、アレサは落ち着いて職探しをすればいいよ」


 「でも、なんのお返しも出来ないのに」


 「報酬が欲しくてする事じゃないし、オレがしたいと思ったからするだけなんだ。アレサが気にすることは無いさ。ところで、アレサ。この薬、後どれくらいあるんだ?」


 「えっと、それと同じ包みがあと10個くらいかな」


 「ふうん。もう少し用意しといた方が良さそうだな」


 「うん。でも、薬を買うだけのお金は……」


 「大丈夫だ。材料のほとんどはこの辺りでも手にはいると思うし、2、3入手が難しい薬草があるから、それは明日にでも薬屋で探してみる。費用は、まあ、後払いでいいから。アレサは安心して仕事を探しなよ」



 そう言って雷砂は笑う。

 今あるこの薬が、その辺りで手に入る材料だけで出来たものだと伝えるのはやめておいた。

 そんなものに高価な金を払っていたと知れば、アレサがもっと落ち込んでしまいそうだったから。


 まあ、薬というものは材料は安くても、的確な効果を出すものを作り出す技術が高い訳だから、彼女の払った金も単純に無駄だったとは言い切れないのだが、彼女が理解出来るように一から説明するのには時間がかかりすぎる。

 雷砂は、宿で自分を待っているだろうセイラの顔を思い浮かべて、あえて口をつぐんだのだった。


 アレサはそんな太っ腹な雷砂の提案にどうするのが正解なのか決めかねて、困ったような表情でただ雷砂を見つめる。

 そんな娘に、母親が問う。



 「ねえ、アレサ。雷砂君って何者なの?」


 「あ、お母さん。雷砂は女の子だよ」


 「え、女の子?あんなに、その、格好いいのに?そう、女の子なの」

 


 雷砂が女でも男でも関わり無いだろうと思うのだが、ほんのりとがっかりしたように肩を落とすアレサの母親。微妙な女心である。

 だが、気を取り直したように顔を上げると、



 「じゃあ、雷砂ちゃん、ね。ねえ、アレサ。雷砂ちゃんって」


 「お母さん……ちゃんづけは、ちょっと。雷砂、嫌がると思うよ」


 「え?そうかしら?だって女の子でしょう?」


 「女の子だけど、雷砂はちょっと違うというか、規格外というか……とにかく、ちゃんづけはやめた方がいいと思うの」


 「そう……難しいのね?」


 「うん。難しいんだよ」



 母親にそう答えながら、アレサの気持ちも複雑だった。

 少年だと思って己を売る覚悟をし、その後少女だと分かって淡い想いが消えるかと思いきや、その想いはまだ消えずに胸の真ん中にある。消えるどころか、親身に助けてくれる雷砂の優しさや頼りがいのあるところを目にして、どんどん膨らんでいるのが現状だ。



 (どうしよう)



 戸惑った様に思いながら雷砂を見つめるだけで、何だか胸が締め付けられるようで苦しい。心臓も、いつもより早い鼓動を刻んでいる。

 アレサの視線に気づいた雷砂が、彼女を見返して笑う。

 その笑顔のあまりのまぶしさに、アレサは再び思う。本当に、どうしよう、と。


 雷砂は女の子だし、恋人もいる(らしい)。

 雷砂の恋人なのだからとても素敵な人なんだろうし、自分が割り込む余地など無いだろう。

 それに女の子同士なのだ。

 女の子に好かれても、雷砂は困ってしまうに違いない。


 この時点でのアレサは、セイラと面識はあるものの、彼女が雷砂の恋人だとは夢にも思ってなかった。

 それが後に判明し、彼女の心に少なくない影響を与えることになるのはまだ先の事。

 今のアレサは、恋とは言い切れぬ、だが確実に育つ思いにただ戸惑う事しかできない。


 これが本当に恋なのだとしたら、アレサにとって雷砂は初恋の相手だとも言えた。

 今まで恋をする間もなく過ごしてきたアレサは、その眼差しに年頃の少女らしい熱を込め雷砂を見つめる。

 雷砂の、その横顔すらもまぶしく感じられ、アレサは何とも複雑な表情でそっと目を細めるのだった。

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