水魔の村編 第35話

 ジルゼの傷は、致命傷の様に見えた。

 だが、村長の時とは違い、まだ間に合うかもしれない。

 彼は身を持ってセイラを助けてくれたのだ。出来ることなら死なせたくは無かった。



 「ロウ、ジルゼを癒せ!」



 反射的に指示を出していた。

 風のような早さで巨狼が駆け、ジルゼの背を舐める様子が遠目にも見えた。

 雷砂らいさはほっと息をつく。

 ロウの行為は、ジルゼの命がまだ繋がっていることを雷砂に明確に伝えてくれた。



 「良かった、間に合ったか」



 思わず呟いたその時、背後にわいた気配に気づいた時にはもう遅かった。



 「人の、心配をしてる場合なのかな?」



 その声に反応して振り向こうとした時、冷たい金属が自分の身体を貫くのを感じた。



 「ぐっ」



 小さくうめき、その瞬間唇から鮮血が溢れた。



 「あ、ちょっと臓器を傷つけちゃったかな?まあ、死ななきゃいいか」



 背後から聞こえる軽い口調。

 雷砂は身体から力が抜けて、地面が急速に近づいて来るのを感じた。



 「大切な武器を手放すなんて、早計だったねぇ?」



 笑い混じりのそんな声。反論したくとも声が出ず、雷砂は自分の身体が地面にぶつかる衝撃を感じた。

 その衝撃に、肺が息を外へと送り出し、かすかな声が唇から漏れた。



 「ロ……ウ……」



 漏れた言葉はただの二文字。だが、それだけで十分だった。

 主の危機と声に反応した銀の獣は瞬時に反応した。


 まずは治療に専念するためにも主の脅威を排除する。

 その判断を元に動いた銀の光が、雷砂の血に塗れた剣を持ったままニヤつく男の首を切り裂き、その体をはね飛ばした。


 そしてすぐさま狼耳の少女の姿に転身し、傷口周りの布を裂くと、その傷口に丁寧に下を這わせ始めた。何度も、何度も。

 まずは背中を。それから主の身体を裏返し、薄い胸に開いたままの傷も同じように癒した。


 本当なら、それまでに負った傷も癒したいところだが、敵に手傷は負わせたがまだ生きている。

 ゆっくり傷を癒す時間はないと判断したロウは、主の頬を両手で包み、その唇に己の唇を重ね合わせ、覚醒を促すようにふうっと息を吹き込んだ。


 それが合図だった。


 雷砂の瞳がカッと開き、その身体が軽やかに起きあがる。

 雷砂は自分の身体を確認し、一番大きな傷が癒されていることを確かめてから、傍らのロウの頭を感謝の気持ちを込めてそっと撫でた。

 口の中に溜まっていた血を地面に吐き出して、少し離れた所に膝をつく青年を見て、にやりと笑って見せた。



 「雷砂は、不死身だな。おれの勝ちだと思ったのに」



 青年の息は荒く、顔色が悪い。

 流れる血も、止まることなく流れ続けている。

 彼は明らかに、さっきまでの力を失っていた。



 「そういうお前は随分ひ弱だな?」


 「そりゃあ、おれはただの写し身にすぎないからね。与えられた力を使い切れば、後はただ消えるだけだよ。それが分かっていたから、雷砂の弱点を狙って勝負をかけたけど、その銀色のは色々計算外だったよ」



 もうちょっとだったのになぁと、青年は青白い顔で笑った。



 「もう諦めるのか?」


 「諦めたい訳じゃないけど、もうそれほど力も残ってない。こんな状態で雷砂をどうにかできると思うほど、君を甘くは見てないよ」


 「逃げないのか?」



 雷砂の問いに、青年は小さく肩をすくめる。そんな動作でさえ、辛そうに。



 「逃げてもどうせ、そう長くは持たないしね。どうせなら、雷砂の手で終わりにしてもらう方がいい」


 「なるほど、な」


 「おれを殺せば霧も晴れるよ」



 力なく笑う青年に、雷砂はゆっくりと歩み寄る。

 その右手には、いつの間にか、剣に姿を変えたロウが収まっていた。



 「それにしても、思ったより雷砂がここに来るのが遅かったのも敗因だったな。霧を維持するのも大変なんだぜ?大がかりな仕掛けにしすぎたよ。そのせいで、力を使いすぎた。雷砂を罠にはめても、倒すだけの力を残してなければ何の意味もないのになぁ。兄弟達は、そこんところを上手くやれば良いけど」


 「お前の兄弟達は、どこにいる?」


 「知らないよ。まあ、知ってても教えないけどさ」


 「そうか」



 頷き、雷砂は剣を振りかぶった。



 「さ、ひと思いにやっちゃってよ」



 青年が、晴れやかに微笑み、雷砂はその微笑みに向かって剣を振り下ろした。

 だが、すでに身体の限界が来ていたのだろう。

 刃がその身に触れる前に青年の身体は霞の様に消え、宙に溶けた。まるでその存在そのものが、最初から無かったように。


 雷砂はそれを見届けて、剣にもたれ掛かるようにしながら、ゆっくりと地面に座り込む。

 傷は塞いだものの、かなりの量の血を失った。

 身体はもう、限界を超えていた。


 気がつけば、右手の剣は再び姿を変え、狼耳の少女が心配そうに雷砂の顔をのぞき込んでいる。

 雷砂はロウを安心させるように微笑んで、その髪をそっと撫で下ろした。


 雷砂は支えるように寄り添う少女の肩に頭を預けながら、目線だけ動かして周囲を見る。


 あの青年の言っていたことは本当だった。

 彼の存在が消え、力の源を失った魔素の霧はすっかり姿を消し、山の木々の向こうに美しい夕日が沈んでいく様子が目に鮮やかに映った。


 雷砂は微笑み、もう安心だと吐息を漏らす。

 そして、ロウにもたれ掛かったまま、静かにその意識を手放した。


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