第7章 第13話

 キアルは1人、家にいた。

 母親は、いない。居るのは、キアル1人だけ。


 ぼんやりとベッドの上に座り、窓の外を見る。

 そこから母親と2人で作った小さな畑を見るともなしに見つめた。

 まだ小さくて、キアルが外に働きに出ることが出来なかった幼い頃、2人で耕し、作った畑。


 それからずっと、畑の世話はキアルの仕事だった。

 畑の横にある樹も、そのころ植えた。

 この地域では一般的な、比較的手間のかからない果樹だ。

 とはいえ、実を付け始めるまでにはそれなりの年月がかかるもので、今だに果実を実らせたことは無かった。


 今年も、母親と2人でまだ実のならぬ樹を見上げたものだ。来年こそは、実を付けるといいね、と。

 だが来年、もしあの樹が果実をつけても、そこに母はいないのだ。

 その事が、切なかった。


 村はずれに居たはずだったのに、いつの間にか村に戻されていて、雷砂の知り合いの女性に、一緒にいこうと言われたのを振り払い、家に戻ってきた。

 村に魔法の炎が迫り、みんな死ぬんだろうと思ったから。出来れば死ぬ瞬間は家が良いと、そう思ったから。


 だが、炎は消えて、キアルはまだ生きている。

 死んでも構わないと思った。でも、自ら死を選ぶほど、死にたいわけでもない。

 それに、自分が死ねなかったのは残念だが、村のみんなが助かったのは素直に良かったと思えた。

 村には世話になった人もたくさん居るし、なにより大好きな少女が居る。

 彼女が焼け死ぬようなことがなくて良かったと、心から思った。


 そんな事を考えながら、畑を見る。ぼんやりと。

 ふと、今朝の事を思い出した。鬼気迫る、母の様子、その行為を。

 果樹の傍らに置かれた大きな石を見る。

 いつか、困ったらここを掘れと、母は言った。一体、母はあれほど必死に何を埋めていたのか。それが、とても気になった。


 ベッドを離れ、外へ向かう。玄関先に置いてある、古びたシャベルを持って。

 真上の石はどうやっても動かせず、仕方なく横から掘り進めた。


 一心不乱に掘って、掘って、掘って……

 シャベルの先が何かに当たったと思ったときには、日は大分西に傾いていた。

 出てきたのは飾り気のない木の箱だ。


 土を払い、そっと開けてみた。

 そこには色々なものが入っていた。

 きれいな宝石のついた装飾具を中心に、売ればそれなりの値が付くであろう道具類の数々。

 1人残されるであろう息子の為に、母がどこからか盗ってきたのであろうもの。

 だが、そんな物達より何よりも、キアルの目を引く物があった。

 それは、木で作られた小さな玩具。幼い頃のキアルだったら、喜んで遊びそうなおもちゃ。


 震える手を、それに伸ばす。

 金に換えやすい装飾品や道具類をかき集める中、母は何を思いこの玩具を手に取ったのだろう。

 キアルが喜ぶと思って。キアルを、喜ばせたいと思って。きっと彼女は微笑みながら、これを手に取ったに違いない。

 キアルはそんな母の想いと共に、それを胸に抱いた。


 彼女の中ではいつだって、キアルは頑是無い子供だった。抱きしめ、守り、愛すべき存在。

 だが、キアルは早く大人になりたかった。早く大人になって、母に苦労のない生活を過ごさせてやりたいと努力した。


 でも、間に合わなかった。

 もう、母は居ない。キアルの為に鬼になり、そして死んでしまった。

 涙が、こぼれた。

 二度と、母には会えない。その事がストンと胸に落ちてきて、それがどうしようもなく悲しかった。







 家の中ではなく、裏手の畑の方から気配がしたのでそちらへ向かうと、樹の根本に膝をついているキアルの姿が見えた。

 驚かせないように、ゆっくりと近づく。

 地面を掘り返していたのだろうか。キアルは泥だらけで、同じく土にまみれた木箱とシャベルが置かれていた。


 近くに行くと、キアルが泣いているのが分かった。

 一瞬、それ以上近づくのを躊躇ちゅうちょする。来るなと、はねつけられるのが怖かった。

 自分は、それだけの事をキアルにしたから。彼の母の命を、救うことが出来なかった。例えそれが、仕方のない事だったとしても。


 だが、そんな思いをかみしめながら、あえて足を踏み出しキアルの横に立つ。彼には罵る権利があるし、そうさせてやるべきだと思ったから。

 キアルは、隣に立つ雷砂らいさを驚いたように見上げた。

 だがすぐに、うつむいて、



 「母さんは、おれの為に鬼になった。おれのせいで死んだんだな」



 ぽつりと、呟くように言った。

 雷砂は思わずキアルの頭に手を伸ばし、躊躇するようにその手少しさまよわせた後、拒絶されても構うもんかと思い切って手のひらを柔らかな髪の毛の上に乗せた。


 「そう思う、お前の気持ちは分かる。けどな、キアル。お前の母親は、シェンナは自分で望んで鬼になった。そして、己の思いを果たし、人の心のあるうちに死にたいと望んで死んでいった。きっと彼女は、お前が彼女の死に責任を感じることは望んでないんじゃないかな」



 ゆっくりと、頭をなでた。

 恐れていた拒絶はない。

 キアルはぼんやりと、土に汚れた木箱を見つめ、その胸に木で作られたおもちゃを抱きしめていた。



 「そう、かな」


 「オレはそう思う。なあ、キアル。シェンナの本当の望みを、お前も一緒に聞いただろう?」



 問いかけに、少年の頭が小さく上下する。



 「シェンナは、お前の幸せが望みだと言った。母親の最後の望みだ。叶えてやれよ?」



 少年の、肩が震えた。

 雷砂は微笑み、優しく彼の頭をなで続ける。



 「幸せに、なれ。キアル」


 「……うん」


 「オレも、ミルも、お前が笑っている方が嬉しい」


 「……っ。ありがとう……雷砂」



 泣き笑いのように、キアルが笑う。

 そんなキアルを見つめ、雷砂もゆっくりと微笑みを深めた。







 村から脅威が去ったことは、翌日正式に村長の口から語られた。


 事件の原因が1体の魔鬼まきであったことも、そのせいで商人達4人が犠牲となり、巻き添えになったキアルの母が亡くなったことも、その場で語られた。


 雷砂は村長にだけは、ほぼ全ての出来事を語ったが、2人で相談してキアルの母親・シェンナは魔鬼の犠牲者として処理することにした。

 これからこの村で1人で生きていかなくてはならないキアルの今後を考えて。


 脅威を取り除いた者は誰かーその事は特に語られなかったが、村人の誰もが確信を持ったように、雷砂の周りに押し寄せた。口々に礼の言葉を述べながら。

 正確には自分だけの力でどうにかなったわけではないので、雷砂は困ったようにイルサーダを見たが、かの神龍人は口元にひとさし指を立て「黙っていて下さいね」のジェスチャーを返し、知らんぷりを決め込むのだった。


 折りよく、村長の話を聞く為に村人を集めた広場には、不安を抱えた商人達も少なからず集まっており、村長はその場で祭をどうするかの話し合いを行うことにした。

 村人の意見としては、開催を希望する声が圧倒的多数だったが、さて商人達はどうなのかと村長が水を向けると、意外なことに商人の大半が、危険が去ったなら、と祭まで村に残ってくれることになった。


 そんなこんなで祭の開催も決定し、盛り上がった村人の何人かが酒を持ち出したことで、予期せぬ大宴会が始まった。

 老若男女入り乱れての宴会は、結局深夜まで続き、祭りまで日がないというのに準備の役に立たない者を大量生産することとなるのであった。


 そんな宴の現場で、



 「お主は変わらぬのぉ、イルサーダ」


 「あなたは、なんというか、じじぃになりましたねぇ、サイ・クー」



 そんな再会があったことを雷砂が知ることになるのは後日、祭りの後での事となるのだった。 


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