第2章 第4話
住居の中は少し薄暗く、シンファの所とは違い、何部屋かに分かれているようだった。
「叔父上、起きてくれ。話がある」
入口をくぐった勢いのまま、ずかずかと部屋の中央まで進み、奥の部屋へ声をかける。
奥で、人の動く気配がした。
しばらくすると、一人の男が姿を現した。シンファの母の兄でありこの集落の長、ジルヴァンである。
壮年というにはまだ若い。
濃い金色の髪と同じ色の髭を顎の下に蓄え、ギュッと引き結んだ口元が少し頑固そうに見えた。
今まで寝ていたのか、髪が乱れている。それを手ぐしで直しながら、不機嫌そうにじろりとシンファを見た。
「まだ朝には早すぎると思うが、わしの思い違いかな?」
嫌味のような問いかけに、
「いや、私の認識でも、朝はまだまだ先だよ、叔父上。ただ、緊急の用事でね。報告と相談があって来た」
悪びれず答える。
「拾いものか?」
「そうだ。今日の見回りは私の担当だったが、その途中で見つけた。
草原のど真ん中で親もなく、ホーン・タイガーに喰われそうになっていた」
「それはそれは。運のいい子供だな。お前が通りかからなければ、今頃骨も残っていなかったに違いない。それで、落とし主は?意地汚い胃袋の中でその子を待っているのか?」
暗に、子供の両親は先に喰われて死んだのかと聞かれ、シンファは首を横に振る。
「いいや。さっきも言ったが、この子は親もなく一人草原にいた。供は忠実なオオカミが一頭だけだ。辺りを探ったが、この子と近しい者の匂いも、血の匂いもしなかった」
「捨て子か?しかし、よりにもよってこの草原を選んで捨てるとは、ひどい親だな」
あきれたような叔父の言葉に、シンファは心の底から同意して頷く。
「全く同感だ。可愛げは足りないかもしれないが、賢くていい子だ。獣の餌にしていい子じゃない」
思わず憤慨して声が高くなる。
自分でもそのことに気が付き、はっとして叔父を見ると、彼は面白がるようにニヤニヤしながら彼女を見ていた。
「結構気に入っているようだな、その子供が。引き取り手が見つからなければお前が面倒をみてみるか?まあ、まずはその子供の親族がいないか、引き取る気はないのか、確認するところからはじめないといかんだろうが」
親族―その言葉を聞いて、叔父に知恵を借りたいことがあったことを思い出す。
「叔父上。叔父上は確か、色々な国の言葉を知っていたと思うのだが、誰かの話す言葉を聞いて、その言葉の国を言い当てることは出来るだろうか?」
「まぁ、知っている言葉なら言い当てることも出来るだろうが……。なんだ?こんな時に。謎かけでもするつもりなのか?」
「謎かけというか何と言うか……この子供はどうやらこの辺りの生まれでは無いようなんだ。こちらの言葉は理解しているようなんだが、話す言葉はまるで聞いたことの無い言葉でな。叔父上なら知っているかと思って押しかけた次第だ」
「まるで聞いたことの無い言葉、か。この草原に立ち入る客人の護衛を生業に育ったお前でも聞いたことが無いというと、この大陸の言葉では無いかもしれんなぁ」
そう言って、まじまじと己が姪の腕の中で縮こまっている子供を見つめた。
金色の髪に白い肌、左右色違いの瞳……珍しい色合いではあるが、この大陸の人族の中にいても特におかしくは無い容貌だ。
今までに目を通した文献から創造するならば、北の大陸ではこの大陸より色彩の薄い人間が生まれることが多く、逆に南の大陸では色素の濃い人間が多いという。
東は黒い髪に瞳の人間ばかりというし、残るは西だが……
『ちびすけ、私の言葉、分かるか?』
何とか覚えていた単語を組み合わせて、ひどい発音ながらも西の大陸の言葉で話しかけてみる。
だが、じーっと目をそらさずに観察してみても、幼いその面に理解の色が浮かぶ事は無かった。
むしろ、あまりに見つめられて怖くなったのか、それまで以上に自分を抱いている人の胸にしがみつき、何とか隠れようとしている様子がありありと分かる。
その様子にジルヴァンは内心少し落ち込んだ。
最近、部族の子供にも何かと怖がられる事が多い。
整いすぎて若く見られがちの面相が気に入らず、髭を生やして威厳をと考えたのだが、周りにはいまひとつ評判が悪い。
特に女子供には。
毎日手入れを欠かしたことの無いお気に入りの髭を撫で回しながら、渋い顔をしてうなっている叔父に、シンファ思わずため息を一つ。
「叔父上、そんなに睨むな。
ため息混じり、あきれ混じりにそう告げながら、怖がっている
そのあまりの言い様に、落ち込んだ様子のジルヴァンの様子はあえて気づかない振りをして。
「……で、さっきの変な言葉はなんだったんだ?」
身もふたも無い言葉にジルヴァンはがっくりと肩を落とした。
そんな叔父の様子を面白そうに見ながら、
「ってのはもちろん冗談だが。発音は妙だったが、確か西の言葉だったか?前に西の大陸の部族の客人がそんな言葉を話していたな」
「まぁな。その子供には通じなかったようだが」
「あぁ。雷砂の話す言葉は、西の言葉ともまるで違う。なんだか不思議な響きで……。まぁ、取りあえず聞いてみてくれるか?叔父上。……雷砂」
それまでのきびきびした口調と一転して、柔らかい口調で腕の中の子供に呼びかける。
雷砂はその呼びかけに答えて顔を上げ、シンファの言葉に小さく、だがはっきりと頷いた。そして。
『○△△×□○×△……』
なにやら言葉を発したが、それはジルヴァンも初めて聞く言葉だった。
この大陸の言葉とも、西の大陸の言葉とも違う。
ジルヴァンは顎鬚を触りながら小さく唸った。
「どうだ?叔父上」
「なんというか……確かにお前の言うとおり、不思議な響きだな」
「だろう?」
「もう一度、聞かせてもらえるかな?あー、雷砂……だったか?」
名前を呼ばれ、びっくりしたように色違いの瞳がジルヴァンを見た。
その瞬間、魅せられたかの様にその1対の輝きに惹きつけられる。そんな自分に気がついてかすかに目を見開いた。
まだほんの子供なのに、その瞳の持つ光は力強く魅力的で、だが同時に不安そうで頼りなく、守ってやらねばと思わせる何かがあった。
ジルヴァンは思う。
この子が持つ瞳の強い輝きは天性のもの。いずれ成長すればさらに輝きを増すに違いない、と。
じっと無垢な瞳を覗き込む。
澄んだ瞳は美しく、幼いながらも整った顔立ちと相まって、思わず頭を垂れてしまいそうな気高さすら感じさせた。
しかし、そう感じる傍らで、彼は肌があわ立つような感覚も味わっていた。
己よりもはるかに強い存在を前にして感じる高揚感と恐れにも似た感情にその身をかすかに震わせる。
彼は、雷砂の瞳の輝きのその奥に隠れた何か途方も無い力を感じていた。
人族の身が持つには強すぎる力のその片鱗を。
『○△△×□○×△……』
もう一度、雷砂が口を開く。子供らしい少し舌足らずな口調で。
瞳を閉じ、その響きを頭の中で吟味する。
しかし、それと同じ言語を書物で見た記憶も、耳で聞いた記憶も、残念ながら導き出すことは出来なかった。
よほど遠い国から来たのか、それとも……。
不意に頭に浮かんだ『異世界』という言葉に、ジルヴァンは口元に苦い笑みを浮かべた。
確かに異世界の存在を肯定する学者もいるし、こことは違う世界について書かれた書物もある。
しかし、ジルヴァンは異世界論の信者ではなかった。
西の大陸には、異界へ通じる門があると聞くが、それも己が目で確かめた訳ではない。
絶対に無い、あるわけ無いと否定するつもりも無かったが、諸手をあげて肯定する気も更々無い。
ジルヴァンは自分で見聞きし、触れ、感じた事は信じるが、他人の語る夢物語の様な話には疑問を差し挟まずにはいられない、頑固な現実主義者だった。
「叔父上?」
呼ばれてハッと顔を上げる。
どうやら思考の渦に飲み込まれていたようだ。
シンファが問いかけるような眼差しでこちらを見ていた。
軽く咳払いをし、考えをまとめる。
何と答えるべきか。雷砂という子供をこれからどうするべきか。
個人的には、その子供に興味があった。しかし、族長という立場としては興味本位では決められない。
人族の、しかも普通の出自ではないであろう存在を部族に受け入れてはたしていいものなのかどうか。
しかし……ジルヴァンは、先ほど見た瞳の輝きを思い出す。
無垢で澄んだ瞳の奥にはとてつもない力の奔流があった。
恐らくただの人間では気がつけまい。戦うことに特化した獣人の身であったが故に気がつくことが出来たのだろう。
恐らく本人も己の体に宿る力に気がついていない筈だ。
獣人族の中にあっても雷砂の秘められた能力に気づけるものはそういないに違いない。
現に、次期族長として、皆にその力を認められているシンファにしても、腕に抱く子供の体に潜む強い力に気がついている様子も無い。
獣人族は力の強い者を尊ぶ。
しかし、ジルヴァンは長年の経験から、強すぎる力は時に毒にもなりうるのだということも知っていた。
雷砂を受け入れることは、果たして部族にとって吉となるのか、凶となるのか……。
『△○○……?』
色違いの瞳が不安そうにこちらを見上げていた。その瞳と目を合わせた瞬間、ジルヴァンは心を決めていた。
雷砂の頭をそっと撫で、微笑みかける。
「心配することはない。お前の身はわが部族が引き受けよう。出来うる限りの知識と技を教え、お前が一人でも生きていける術を与える事を約束する。雷砂、お前が幸福に生きていけるよう、尽力すると誓おう」
心を込めて、言葉を紡いだ。真摯に、誠実に。
言葉の意味が分かったのか、分からないのか……両の瞳を真ん丸く見開いてこちらを見上げる様は、なんとも言えず愛らしかった。
いずれはこの部族の誰よりも強大な存在になるであろう幼子だが……今は小さく、己の身を守る術も知らない。
無垢で小さな、守るべき者。
ジルヴァンはかつて、一度だけその腕に抱いた小さな息子の事をふと思い出していた。
彼の息子は今はもういない。
息子はとうの昔に失われ、そして今日、新たな守るべき存在を得た。
素直に、目の前の存在を愛おしいと感じている自分に気がつき、ジルヴァンは晴れかやな笑みをその顔に浮かべた。
そうして雷砂は受け入れられた。この世界に、確かな居場所を得た。
その日、何の前触れも無く異なる世界へ投げ落とされた幼子は、頼れる庇護者と一族を得て、新たな世界へ一歩を踏み出したのだった。
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