エピローグ SideS ―その先へ―

 マサトが目を覚ましたのは、ピエナ攻防戦より3日後の事。ピエナ自治領内にある市民病院の一室であった。


「マー君っ!」


 まだ覚醒しきれていないマサトに、アイシュは横たわる彼の身体へと飛びつく様に縋りついた。その瞳には涙が浮かんでおり、彼女はマサトの胸の中で彼の名を連呼していた。

 ゆっくりと動かした右手でアイシュを落ち着かせるようにその頭を撫で、視線だけを周囲へと巡らせる。


「マサト……気分はどうじゃ?」


「おはよう、マー坊」


 すぐ近くには良く見知った顔、ユファとリョーマの姿が確認出来た。更に彼は広範囲を観察する。

 やや広めの部屋は個室では無く相部屋、自分が寝ている物を省けば、他に3つのベッドが確認出来、それぞれにカーテンが引かれている。この病室は満室の様だった。

 マサトはテディオ=コゼロークの放ったエクストラ魔法を未然に防ぎ、この街にその猛威が振るわれる事は無かった筈だった。だがその前の戦闘で少なくない被害が出ており、多数の負傷者を出していたのだ。ピエナ自治領にある病院は、現在もフル稼働していて当然病室も満室状態だったのだ。


「……お……俺は……?」


 朔月華を振るった後、すぐに意識を無くしたマサトに、その後の顛末など知り様も無かった。彼は自分がどうなったのかを彼女達に聞いたのだ。


「マサト……お主は朔月華を使い、敵のエクストラ魔法を消し去った後、そのまま意識を失いここへと運ばれたのじゃ」


「3日間、何の反応も示さないんだから。本当に死んでしまうんじゃないかって心配してたんだよー?」


 マサトの問いに、ユファとリョーマが継いで答えた。その返答だけで、マサトには自分がどんな状態だったのか大体察する事が出来ていた。


「……でも……何だか俺って、いつも気を失ってるな……」


 つい最近にも似た様な状況で目覚めた事を思い出して、マサトは既視感を覚えていたのだ。

 イスト自治領での戦闘後、このピエナ自治領に付いた直後、そしてピエナ自治領での戦闘後……。確かに彼は、事ある毎に倒れてはアイシュやユファに介抱されているのだった。

 自嘲気味に微笑んだマサトに釣られて、ユファとリョーマも僅かに微笑む。


「でもっ! でも今回はいつもと違ったんだもんっ! 本当に心配したんだからねっ!」


 ただアイシュだけは、そんな言葉で納得出来てはいない様だった。


「うむ……アイシュの言う通りじゃった。今回は昏睡状態に近い状態じゃったからの。リョーマ殿の言った通り、そのまま目覚めぬともおかしくない状態だと医者も言っていたのじゃ」


 ユファのこの発言には、マサトも少なくない驚きを覚えていた。もっとも、自分の状態を意識の無い状態で把握する事など出来ない。まさか自分がそこまで危ぶまれていたなど、マサトには知る由もなかったのだ。


「そっか……ほんとにゴメンな……アイシュ……ユファ……リョー兄ちゃん」


 アイシュの頭を撫でながら、ユファ、リョーマへと再度視線を向けるマサト。その言葉に、彼女達は笑顔で頷いた。


「それで……ピエナの状態は? 帝国の動きはどうなってる?」


 一同の雰囲気に落ち着いたものを感じ取ったマサトが、今気になっている事を口にした。ピエナ自治領の被害状況も気になるが、それよりもガルガントス魔導帝国の動向は無視できる訳もない。彼等の立場上、場合によっては即座にこの場から立ち去らねばならないのだ。


「ピエナの街はかなりの被害が出てる……。死者が出てないってのが幸いってところかな? 復興にはまだ時間が掛かるだろうけどね」


 マサト達の預かり知らぬ事ではあるが、リョーマがテディオを追った際に、テディオは様々なトラップでリョーマに攻撃を仕掛けていた。その多くは魔法では無く、家屋を使ったトラップが用いられた。魔法ならば発動範囲を設定していれば、地上に居る一般人を巻き込む様な事も無かった筈だが、建造物の落下などはその限りでは無い。降り注ぐ瓦礫の雨に晒された人々の中に、重軽傷者が多数出てしまったのだった。

 そしてそれらの修復にも時間は掛かる。ピエナの街が以前の様な賑わいを取り戻すには、まだ僅かに時間を要する様であった。


「ガルガントス魔導帝国に今の処動きはない。重要拠点を失陥し、それに対してなんら動きを見せないのはおかしな話じゃが……」


 次いでユファが、帝国の動向についてそう語った。そのまま彼女は腕を組み、深く考えにふけり出したのだった。

 確かに帝国が即座の奪還作戦を起こさないのは、不思議としか言いようがなかった。このピエナ自治領は、決して軽視して良い街では無い。他大陸の窓口として巨大な港群を構えており、多くの物資や人員を有している。今は壊されているものの、セントレア魔導皇国へと続く直通のトンネルも保有しているのだ。侵攻拠点としては重要と言って良い。

 ピエナ自治領がテディオのエクストラ魔法で灰燼とかしていたなら兎も角、殆ど無傷の状態で残されているのであれば、今後も有効活用出来ると言うものであった。


「今すぐにピエナ自治領を再占領するのは難しいんじゃないかな? 少なくとも以前の様に穏便な支配は不可能だと思うよ。なんせこの街に向けてエクストラ魔法を使ったんだからねー」


 ユファの疑問に、リョーマがそう答えるように話し、彼女も小さく頷いた。

 もっともその程度はユファも承知しており、その事をリョーマも踏まえている。これはどちらかと言えば、マサトやアイシュに説明したものだった。

 エクストラ魔法「トランスフィック・ツイスター」が、自然発生した竜巻で無い事は、それを見たものであれば即座に理解で来る筈である。そしてその姿を、多くのピエナ市民が目撃していた筈であった。その時ピエナ市民が感じた恐怖は、時間と共に怒りへと変わってゆくだろう。


「うむ……。住民の反発、不従順、怠業サボタージュ同盟罷業ストライキ……。中には抵抗勢力レジスタンスとなって地下へと潜る輩も現れるじゃろう……。それに乗じて皇国軍が侵攻を開始すれば、帝国としてもこれを防ぐのに少なくない労力を必要とするはずじゃ。今すぐに行動を起こす事は出来ぬのじゃろうな」


 リョーマの話を受け継いで、ユファが更にそう説明した。今すぐにこの街へと帝国軍が殺到する様な事は無い。だが長期の間、空白地として手付かずに置く事も考えられない。遠からず帝国軍の再侵攻は考えられる懸念だった。


「……その皇国軍だけど……今が好機なんじゃないの? 皇国軍が来るような事は無いのかな?」


 それまでマサトに抱き付いていたアイシュだったが、流石に話の内容を無視する事も出来ずに、ユファの話に疑問を呈して来た。

 ガルガントス魔導帝国軍がこの街の占領を躊躇しているならば、それは皇国軍にとって好機と言わざるを得ない。このオストレサル大陸を攻略するにあたって、格好の足掛かりを得る事が出来るのだ。


「……残念ながら来ぬじゃろうな」


 そんなアイシュの疑問に、ユファは自嘲を湛えた笑みでそう答えた。小首を傾げて疑問符を浮かべているマサトとアイシュに、ユファは続けて説明した。


「千年もの間、争いと呼べるものの無かった世界じゃ。軍の動向とその意図を知る頭脳、機を見る眼、作戦を実行する決断力、どれをとっても今の首脳部には備わっていないものじゃ。それに加えて帝国は躊躇なくエクストラ魔法を使用する。この事実を前にして、多大な損害が想像出来るのになんで進軍など考えるじゃろう。恐らくは今しばらく静観の構えを解かぬじゃろうな」


 首脳部に戦争経験がない事は何もユファの責任では無い。それどころか、千年もの間よくも戦争を起こす事無く統治して来たと賞賛されて然るべきである。

 だが現実に戦乱の世となってしまった今となっては、それらは単なる言い訳としかならず、消極的な選択にユファも歯噛みしているのが現状だった。


「このまま皇国側に動きが無いようであれば、再び帝国の支配下に置かれる事は自明の理じゃろう」


 そしてユファはそう言って言葉を締め括ったのだった。

 マサト達は皇都セントレアへと向かわなければならない。この街に留まって帝国と闘うと言った選択肢は無いのだ。

 テディオと戦いこの街を救ったのですら、成り行きと言ってもよい。それを考えれば、間をおかずにマサト達はこの街を後にし、その後攻め寄せて来るであろう帝国軍に対する事は出来ないのだ。

 そしてそれに抗ずる策は、今の処無いのである。残酷な様であっても、それが戦争と言うものであった。


「ところでマー坊、朔月華を使った時なんだけど……何があったんだ?」


 ユファの話が一区切りついたのを見計らって、リョーマがマサトへとそう切り出した。

 それはこの場にいた全員が気になる事であり、全ての視線がマサトに集中した。


「……朔月華は他とは違うエクストラ魔法だ……。何よりもマテリアライズ化させる必要があるし、モードを解放する為にも多くの魔力を必要とする……って聞いてたんだけどな」


 ゆっくりと、頭の中で話を纏めながら、マサトは言葉を紡いでゆく。


「……モード持国を解放した時、魔力の使用量が一気に増えたと思ったんだ。でもそれだけだったら聞いていた通り、別におかしなことじゃない。でも次のモード広目を解放した時、今度は体力をゴッソリと奪われた様な感覚に襲われたんだ……。まさか魔力以外にも奪われるものがあるなんて思ってなかったから、あれにはかなり焦ったよ」


 ゴクリ……と、誰かが息を呑む音がした。しかし誰も口を挟む様な事はしなかった。

 元来魔法の行使に必要なのは、魔法力と魔力である。

 己の魔法力が許す範囲で、使用可能なレベルの魔法を、自身の魔力を使用して行使する。これが魔法を使う一般的な流れだ。そしてそれ以外に必要なものがあると言う話は、今までに誰も聞いた事など無かった筈であった。


「でももっと驚いたのは次のモード、モード多門を解放した時だった……。まるで魂のエネルギーを吸い取られる様な感覚は、今思い出しても冷汗が出る程だよ……」


 そう話すマサトの額には薄っすらと汗が浮かび、体も僅かに震えていた。それに気付いたアイシュが、再びマサトの身体へとしがみ付く。


「た……魂のエネルギーを吸い取るじゃと!? そんな事が可能なのか!?」


 そしてマサトの独白を聞いたユファは、思わずそう言葉を挟んでいた。彼女の長い歴史を紐解いても、“魂のエネルギー”を使用した魔法等聞いた事が無かったのだ。

 理屈として、魂が高エネルギー体であると言う事は理解出来る。事実人を長年にわたり生かし続ける事が可能なのだから、それも強ち間違いでは無いだろう。


「いや……多分それを実行可能にした者なんて、誰もいないと思う……」


 だがマサトの言葉は、ユファの驚きを否定するものだった。

 すぐにその理由を問おうとするユファの機先を制して、マサトが続けて口を開いた。


「4つ目のモード、モード増長を解放した時、俺の感情は全て。感情の無くなった波風立たない世界で、俺は唐突に理解した……。今まで『奪われた』と思った物は、実は朔月華によって『消し去られた』んだって事に……。朔月華の能力は『消滅』だと言う事もすぐに理解した。そしてそれは、敵に対してだけでなく、俺自身にも向けられるものだったんだ」


 またしても訪れる沈黙。それはマサトに続きを促しているものでは無く、驚愕で誰一人口を開けなかったから齎されたものに他ならなかった。


「……ちょ……ちょっとまて、マサト……。しょ……『消滅』……じゃと……? そ……そのような属性などどこにも……」


 その沈黙を破る様に、ユファから絞り出す様な声音が呟かれた。

 魔法には属性がある。木火土金水光闇の7属性が一般に知られており、それ以外の魔法は「異種魔法」として大きく分類されている。

 しかしその異種魔法であっても、深く掘り下げて行けば7属性に起因するものであり、それぞれ相克関係を有している。

 ただこの場合の「相克」とは、一般的な概念である強弱関係を指す訳では無く、互いに打ち消し合おうとする関係を意味する。

 水は火に強い……と言うのは間違いであり、水に対してより強力で大きな力を有する火は、水を蒸発させて消し去る事が出来るのだ。相性はあるものの、単純な強弱関係では語れないと言うのが実状である。

 そんな魔法に措いて、「消滅」と言うカテゴリーはユファの知る限りで存在しない。完全なる「論外」であり、全くの「異種魔法」に他ならなかった。

 呟いたユファだったが、その後の言葉が出てこない。再び訪れた沈黙に、マサトが口を開いて話を続け出した。


「最後のモード……モード帝釈を解放した時、俺は朔月華の能力を大体把握する事が出来た。朔月華が敵を、対象を消滅させるように、こいつは俺自身をも消し去ろうとするんだ」


「マー君……何でそんな……?」


 アイシュが、驚きと悲しみ、恐怖を綯交ないまぜにした表情でそう零した。彼女は、何故そんな事が分かるのかと問おうとして、最後まで言葉に出来なかったのだった。


「……最後の……モード帝釈を解放して消し去られたのは……俺の記憶だ」


 その時その場にいた一同は一斉に息を呑んだ。正しく全員が絶句してしまい、誰もその事について問いただす事が出来ない。


「朔月華は俺の魔力、体力、魂、感情、記憶を糧にして力を行使しているんじゃない。力を行使する代償として、それらが奪われる……と言った方が正しいだろうな」


 どこか諦観した表情で、僅かに笑みすら浮かべながらマサトはそう説明した。自分の身に起こった事であるにも関わらず、そこには恐怖や焦りはやはり存在しなかった。

 彼の醸し出す雰囲気が静謐せいひつだった事が、殊更に3人から言葉を奪っていたのだった。


「消し去られた魔力や体力は休めば元に戻る。……まー、今回みたいに寝込むことになるだろうけどな。でも魂や感情、記憶はもう戻らないと思う……」


 ダメ押しとも取れるその言葉で、アイシュは静かに涙を流してマサトの胸に顔を埋め、ユファは驚きの表情でマサトを見つめた。ただ一人、リョーマはその表情に深刻なものを浮かべてはいるものの、動揺などは感じられなかった。


「……朔月華を作ったのは……『深淵の御三家』に連なっていた5人の研究者だった……」


 そして押し殺した様に、そう口を開いて語り出す。全ての者の視線が、今度はリョーマへと降り注がれていた。


「彼等はそれぞれの時代で傑出した頭脳の持ち主だった……。平和な世に在って常に危機意識を持ち続け、新たな魔法の開発に余念がなかった……。そして不思議な事に、彼等が最期に行き着いたのは、違いなく『マテリアライズ化』に関する研究とその実用化だったんだ……」


 それはマサトやアイシュさえ知らない事実だった。同じ「深淵の御三家」であるにも拘らず、彼等にも知らされていない情報がある事に、マサトもアイシュさえ訝しむ表情を浮かべていた。


「ああ、マー坊とアーちゃんが知らないのは仕方ないからね? アカツキ家には一族の盟主として、色んな情報が集まって来るんだよ。だから一部の情報を知らないって事も仕方ない事なんだ。それに5人の研究者たちが、マテリアライズ化した武具にどんな効力を付与したかって言うのは、結局分からずじまいなんだ。……ただその強力な攻撃力だけはテスト段階で把握する事が出来ていたからねー。各家の高い能力を持つ者に、代々受け継がれて来たんだよ」


 確かにリョーマの言う通り、アカツキ家は他の2家、ミカヅキ家とヨイヤミ家の纏め役と言ったポジションに在り、様々な情報が集まるのもおかしな話では無い。


「……しかしそんな解明されておらぬ様な魔法を受け継ぎ続けるとは……『深淵の御三家』とは何を考えておるのじゃ……」


 そしてリョーマの言葉に、ユファがポツリとそう零したのだった。元来統治者であるユファにしてみても、その様な研究がなされていると言う事を把握出来ていなかった事実に、驚きを隠しきれないと言ったのが本当の処だろう。


「……より強力な魔法の開発……。前大戦後、『真の御三家』に課せられた命題は、兎に角比類なく強力な魔法の開発だったんだ……ユーちゃんは覚えてるよね?」


 リョーマからそう振られたユファだったが、その問いに答える事は出来ずに俯き押し黙ってしまっていた。その態度から、彼女から改めて聞かずとも答えは分かると言うものであった。


「……リョー兄ちゃん……。『真の御三家』って言うのは? 深淵の御三家とは別にそんな一族があるって言うのか?」


 マサトにしてみれば当然の疑問であった。だがその問い掛けに答えたのはリョーマでは無くユファであった。


「……先の大戦後、魔法の軍事目的による研究と使用を禁じた我であったが、周囲の者は一部不安を抱いておっての……。ごく一部の有力武家にのみ、その開発を申し渡したのじゃ。その有力武家とは……常闇家、深淵家、奈落家の三家であり、後に『御三家』と称されたのじゃ……。彼等の目的はただ一つ……我に対するだけの武力を作り出すことじゃった……」


 ユファの告白に、マサトとアイシュは息を呑んで驚きを示していた。彼等が考えていた「御三家」とは深淵の御三家であったのだが、それすらも「真の御三家」の一つだったのだ。更にその「真の御三家」の目的が、ユファの力に対抗する魔法の開発に在ったと言う。これは遠回しに、ユファを戦場で倒せる力を作り出すと言っているに他ならないのだ。


「しかしその三家は、研究に没頭するあまり非合法な手法にも手を出し始めてな……。目に余るその行為に、我は研究の中止と三家の取り潰しを命じたのじゃが……」


 そう語るユファには、苦虫を噛み潰したような表情が浮かんでいる。それを見て取ったマサト達は、余程当時の事は思い出したくもない様な事だったのだろうと察し、何も声を掛ける事は出来なかった。

 その後を継いでリョーマが話し出す。


「でもその三家の内、深淵家はその分家に研究の継続を密かに命じて、当時蓄えていた私財の殆どを譲り渡したんだ。その三家、アカツキ家、ミカヅキ家、ヨイヤミ家は、表向き時の権力者に協力しつつ、密かに研究を続けていたんだよ。そうでなければ、『アクティブガーディアン』なんていう無駄で無意味なポジションに、有能な人材なんか提供しないからね」


 現在の動乱が勃発する前の「アクティブガーディアン」は、確かに意味のないポジションであった。戦乱の無い時代に、慣例としての必要脅威として、有能な魔法士に封印を施して魔法を使えない存在とするのだ。事実基本的には誰も候補として名乗りを上げる事はせず、だからこそ進んで人材を提供してくれる「深淵の御三家」を、イスト自治政府も重宝していたしその為に交付金も割り当てていたのだった。


「その『真の御三家』が行っていた研究の成果が……朔月華って訳か……」


 そこまで聞いたマサトがそう呟いた。そしてそれと同時に、空恐ろしい程の執念を朔月華に感じ出していた。

 千年にわたる研究とは、一体どれほどの執着に依るものなのか、マサトには到底想像できるものでは無かった。

 そして自身の朔月華が、本来はユファに対する兵器だと知って少なくない動揺を抱いていたのだった。

 それをつぶさに感じ取ったのか、アイシュがマサトの纏う病衣をギュッと強く握った。彼女もまた、マサトの持つ朔月華の隠された秘密に恐怖を抱いている様であった。


「よもやこのような魔法を完成させていたとはな……。確かに『消滅』等と言う魔法に対する方を、我は即座に思い浮かばん。たとえ万全の我が今こやつと相対しても、到底無事に済ませる自信など無い事は確かじゃ……」


 ユファは疲れた様な自嘲気味の笑顔でマサトにそう零した。マサトが朔月華を持つ結果となったのは、巡り巡ればユファの指示によるものだからだ。


「でも大丈夫っ! マー君はユファと戦う様な事なんて無いからっ! ね、マー君?」


 沈んだ空気を吹き飛ばす様に、アイシュが殊の外明るくそう言った。


「あ……ああ、そうだな! 俺がユファと戦う事なんかあり得ないだろう!」


 その意図を汲み取ったマサトも、アイシュ同様明るい声でそう答えた。


「ふん……。今のお主となら、朔月華を使われても我が負ける事などありはせぬ」


 そしてユファも、彼女本来の自信を伺わせる笑みでそう答えたのだった。




 その数日後……。マサト達は皇都セントレアを目指して、ピエナ自治領を発った船上の人となっていた。

 未だピエナに対して帝国の再侵攻は行われていないが、彼等が早々に出発を決めたのは、それとは別に帝国の策動を告げるニュースが飛び込んで来たからだった。

 マサト達が目指す次の大陸「スルフェスト大陸」とは別に、オストレサル大陸と隣接する大陸「ノルテパナギア大陸」へと帝国が侵攻を開始、多数の自治領を壊滅せしめたと言うのだ。

 ノルテパナギア大陸から、中央大陸であり皇都セントレアのあるセントアレグリア大陸へは海峡を渡る橋が掛けられており、帝国の進行が加速すると容易に想像出来たのだった。マサト達にはこれ以上足踏みしている時間など存在していなかったのだ。


「北大陸の事も気になるが、まずは我等が無事にセントレアへと辿り着く事が至上目的じゃな。当然追っ手も差し向けられるじゃろうしな」


 北大陸とは、中央大陸の北に位置しているノルテパナギア大陸を指す略称である。マサト達の目指すスルフェスト大陸は南大陸と呼ばれている。

 甲板に出て潮風を受けている一行は、まだ見ぬ大陸を見つめる様に船の行く先を見つめていた。




 千年の静寂から解き放たれた世界は、余りにも謎を内包していた。

 そしてその謎は、マサト達の訪れる先で様々な脅威となり立ち塞がっている。

 だがマサト達に立ち止まる考えなど微塵も無かった。

 ユファはこの世界の統治者として、ガルガントス魔導帝国の暴挙を野放しには出来ない。

 マサト達は生まれ故郷であるイスト自治領を帝国に滅ぼされた恨みがあり、それを無しとする事など到底出来るものではないのだ。

 だが彼等の想いは一つであり、その為には皇都セントレアへと向かわなければならなかったのだった。




 動乱止まぬ世界で、マサト達は新たな波乱を感じながらも先へと進み続けるのだった。


 了

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