Annihilation 2(消滅 2)

 マテリアライズ化した朔月華が、一体何を糧としているのか徐々に判明してゆく過程で、マサトの中では少なくない焦燥と畏怖、葛藤の混在した感情が渦巻いていた。

 特に「モード多門」を解放した時に感じた、己の魂を削り取られてゆく様な感覚には、本能的な“死”への恐怖を感じずにはいられなかったのだ。


「モード増長っ! 解放っ!」


 そんな想いを振り切る様に、マサトは高らかにそう叫んで次のモードを解放する。


 ―――カンッ!


 朔月華の鍔元に埋め込まれた、大きな宝玉を守護する様に位置している4つの宝珠、その最後の1つが輝きと共にその「瞳」を見開いた。


 ―――その時、彼は唐突に理解したのだ……。


 ―――今、己の中で何が起こっているのか……を。


 これまでモードを解放する毎にマサトの中で取り行われていた現象。その事に付いて、今この時になって突然、冷静に分析する事が出来たのだった。

 ……いや……そうでは無い。

 冷静に分析が出来たのではなく、自身の中で何が進行中なのかと言う方が正しいだろう。

 それは「モード増長」の発動で、今まで抱いていた感情で見え難かったものが見えるようになったと言う訳では無い。逆説的にはそうだと言い切れるが、ただ「冷静になった」と言う意味では断じてなかった。

 そしてその事を、当のマサト本人もハッキリと気付いていたのだった。





「……なんじゃ!?」


「マー坊の感情が……消えた!?」


 それまでマサトから感じていた、所謂“負の感情”が感じられなくなった事を、背後から彼を見つめていたユファとリョーマもつぶさに感じ取っていた。

 だがそれは特に特別な事でも無い。先程まで強く発せられていた「恐れ」「戸惑い」「焦り」と言った感情が、で一瞬のうちにのだ。彼から感じられていた雰囲気が霧散したのだ、マサトの安否を見守っていた彼女達に気付けない道理など無かった。

 そして二人が感じ取った違和感は、正しくリョーマの零した言葉に集約されていたのだった。

 元来感情とは“消え失せる”ものでは無い。徐々に治まって行く、抑えられてゆくと言うのが正しい。どれほど感情を抑制出来る人物であったとしても、今のマサトが行った様な感情の消し方など出来る筈もないのだ。

 しかしユファとリョーマは、正しくマサトの中から「感情」と言う概念が消え失せたと感じていた。

 そして誰よりもその事を確りと把握していたのは、誰でもないマサト本人であった。





 感情が消え失せた世界で、マサトはその恩恵とも言うべき「静まった瞳」で状況を見つめていた。

 怒りも、恐れも、期待も、安堵も、使命も、重圧も、焦りも、希望すら感じられず、ただ現実のみを見つめる瞳。その瞳が捉えるものは、一切の歪み無い真実のみであった。

 ……それは自分自身の事についても……である。


(……なる程な……感情を“失う”と言う事は、こういう事か……)


 俯瞰して全体を把握する様に視野は広まり、波風の立たない感情では自己をより深く見つめる事が出来る。それにより彼は、己の感覚が今まで誤った理解をしていたと言う事に気付いていた。そしてその危機感すらも。


(朔月華の特性は、対象にのみ働くのではないと言う事か……。それに朔月華をここまで解放して維持し続ければ、俺はいずれ死ぬ……か……)


 恐怖や焦り、そして無意味な期待感といった物を全て排したマサトの感情は、己の“死”すらも冷静に分析し受け止めていたのだった。


(その前に動けなくなるか……。持って後5分……だな……先を急ぐか……)


 そして、彼は酷く淡々とそう決断して行動に移した。

 今の自分が死に瀕している……いや、即座にそうならないとしてはいるものの、本来ならば死の恐怖で躊躇する状況である。それに、新たなモードを解放する度に自身の身体には異変が生じている。次はどの様な事象が自身を襲うのか、未知への不安と言うものがあって然るべきなのだ。


(間違いなくこの状態でも、あのエクストラ魔法に対抗出来る……が、今回は全て解放すると決めたからな……。それに試さなければ分からないと言う事もある)


 だがこれも4つ目のモードを解放した事による特恵なのだろう。今の彼にはそんな些事で二の足を踏む様な事は無く、黙々と自身の目的へ向けて“作業”を進めていった。


「モード帝釈……解放」


 ―――ブブンッ!


 ―――ゴゴゴゥッ!


 マサトは高らかに、しかし感情の籠らぬ声で最後のモードを解放した。

 その声に応じて、朔月華の鍔元に光る4つの宝珠、その中心に鎮座する宝玉の瞳が光と共に見開き、同時に彼の身体からは信じられない程の眩い光が発し、その閃光は天をも貫かんばかりだった


(……なる程……恐ろしい話だ……)


 そしてその時に生じた「異変」を、マサトはやはり冷静に受け止めていた。

 本来ならばその事実を知った瞬間、精神の崩壊すら招く恐れのある「現象」。だが幸いだとでもいうのか、精神が平坦な状態を保っているマサトは、その事実でさえ驚きも畏怖すらなく受け止める事が出来ていたのだ。


「マサトッ! お主、大事は無いのかっ!?」


「マー坊っ!? 大丈夫なのかいっ!?」


 最後のモードを解放したマサトが、ゆっくりとした動きで彼女達の方へと振り返り、それを見て取ったユファとリョーマがそう彼に声を掛ける。天をも突く光を発しているマサトを見て、ユファもリョーマでさえ心配と不安の色が隠せないでいた。

 しかしその問い掛けに答える当のマサトは、二人とは余りにも違う、温度差のある平坦な声で答えた。


「ああ……大丈夫だ……。色々とけどな」


「何じゃとっ!?」


「……やはり……」


 マサトの、余りにも起伏の無い話しぶりは、僅かばかりの危機感を感じさせるものでは無かった。だが彼の変貌を間近で目の当たりにしていた二人にとって、その言葉がどの様な事を指しているのか、内容を知る事は出来ずとも事態を把握するには十分だった。


「何を……何を失った……のじゃ……?」


 驚愕を含んだユファの問いかけがマサトへと投げ掛けられる。短い言葉の中に在って、ユファはその重大性を少なからず汲み取っていたのだ。





 マサトの外見は先程から変わった様子はない。少なくとも彼の言うように、朔月華によって何かを奪われたのだとしても、それは目に見える肉体を指していないと言う事はユファにも即座に分かった。

 もしそうであるならば、持っていかれた……奪われたのはマサトの内面に関わるもの、その中には内臓と言った外側から判別し難い物の可能性もあるし、それ以外の可能性もあった。

 ただ、人間を構成する全てに措いて「不要」と言うべき物は存在しない。

 物心両面において、それはゆるぎない事実である。

 肉体を構成する物であれば、骨、筋肉、各器官、神経、体液に至るまで、どれも生き続ける為、そして人として在り続ける為には必要不可欠なものである。

 そしそれは、形を成さないものに至っても同様である。

 思考、精神、感情、生命力、魔力、その他の人に備わっている能力は、人が人であり続ける為に必要であり、そして暴走しない為のストッパーであり、生き続ける為の指針を示すものでもある。

 それ等の内、どれが欠けても何かしらの不備が生じる。生じる様に人間は構成されているのだ。

 外見上の変化を感じ取れなかったユファは、そこに思いを巡らせてそうマサトに問いかけたのだった





 マサトを案じるユファに対して、先程からリョーマは幾分冷静であった。

 それはリョーマが、彼女よりも事情を知っているに他ならないからだが、それはある意味で当然と言える。

 それは取りも直さず、リョーマが「深淵の御三家」の一つ、アカツキ家の嫡男であり現当主であるからだった。

 マサトの使うエクストラ魔法「朔月華」は、深淵の御三家であるアカツキ家、ミカヅキ家、ヨイヤミ家で生まれた、次代の「アクティブガーディアン」を担う者に引き継がれる魔法である。当然各家でも情報は共有しており、ある程度の事情をリョーマが知っていても一向におかしくない話であった。

 ただ朔月華には解明されていない部分が多いのも事実であり、千年もの間戦乱が無かった世界では実際に使う機会も無かった為、不明な部分はブラックボックスと化して推測するに留められてきたのだった。


「色々と聞きたい事があるかもしれないけど、今は時間がない。俺は数分後に動けなくなるだろうからな」


 ユファの問いかけに、マサトは醒め切った声でそう答えた。

 マサトの物言いは至って普通であったにも拘らず、それを受けたユファはその言葉から冷たい印象しか受けなかった。それはマサトの言葉から、一切の感情が汲み取れなかったからに他ならない。

 

「……あ……」


「それじゃあ、早く片付けないとだねー」


 何かを言おうとしたユファだったがそれは言葉を成さず、代わりにリョーマがそう言ってマサトへと答えた。マサトはリョーマの言葉に頷いて返事すると、再び海の方へと向き直り迫り来る竜巻へと相対したのだった。

 テディオ=コゼロークの放ったエクストラ魔法「トランスフィック・ツイスター」は、周囲の海水を巻き上げて今や前代未聞の巨大竜巻へと変貌を遂げていた。

 しかし、それこそがエクストラ魔法の真の姿。決戦兵器としての本領なのである。

 膨大な魔力を術者より与えられる代わりに、その威力は一つの都市を、或いは国家をただの一撃で打ち滅ぼす事が出来るのだ。

 視界一杯に映る、海水を巻き上げて近づいて来る竜巻を、それでもマサトは眉一つ動かさずに見つめていた。

 

 ―――チャリ……。


 そしてゆっくりと朔月華を上段へと構えるマサト。


 ―――ボボウッ!


 その途端、マサトへと更なる力が集約されてゆく。力の集約は周囲への余波となり、彼を見守っていたユファとリョーマに圧力となって襲い掛かっていた。


「くっ……!」


「こ……これほど……っ!」


 二人は手を顔の前へと翳して、その突風にも似た圧から耐えていた。

 目を眇めてマサトを見続ける二人の前で、彼は高らかに技の名称を唱えた。


「ミカヅキ流奥義……秘剣……月割」


 だがその声には抑揚が無い。敵の攻撃を打ち破ると言う力強さも、この街を護ると言う気負いも、万一の事を振り切る様な必死さも無い。ただ淡々と平静に、今から行う事を告げている様な声音であった。

 しかし確実に術の発動準備は進んでいた。

 マサトの宣言に応じるかの様に、朔月華の刀身が淡く紫色の光を纏い始める。まるで力を溜め込んでいるかの様な変化を、ユファとリョーマも息を呑んで見守っている。

 そんな二人の視線を受けつつ、朔月華の変化は更に続いていた。

 まるで朔月華自体がその刀身を伸ばすかのように、纏っていた紫光が天へと向かってゆく。切っ先が確認出来ない程、何処までも何処までも上空へと伸びる紫の光。だがその色はどんどんと、更に深い紫を増してゆく。

 

「……ふっ!」


 ―――サンッ!


 大上段に位置していた朔月華が、マサトの一呼吸で目にも止まらぬ速さを以て最下段まで振り下ろされた。

 彼の腕の動きに合わせて、長く伸びた紫光もそれに追随する。

 本来、質量を持たない紫の光は、何の抵抗を受ける事も無い。だが光の通過する先には巨大なエクストラ魔法が展開されており、同様に魔法で発現しているであろう紫光にとって障害物となり得る存在である筈だった。

 だがマサトの剣を振り下ろす速度に澱みなど見受けられなかった。それはまるで、やはり何の抵抗も受けていない風であった。


 ―――残心を取ったまま動かないマサト。


 ―――息を呑んでマサトを見守るユファとリョーマ。


 二人には即座の変化を見受けられず、ただ事の成り行きを待つより他が無い様に思われた。

 しかしそのは、そう時を待たずして誰の目にも明らかな事象となって現わされてゆく。


「……あれは……? 大気が……斬り裂かれたの……か……?」


 その異変に気付いたユファが、その一点を凝視しながらそう零し、それに釣られるかのようにリョーマが彼女の視線を追い掛ける。

 

 ―――そこには……。


 ―――エクストラ魔法によって生み出された巨大な竜巻と……。


 ―――その竜巻を、天と海を繋ぐ正中線に沿って分割した空間が見て取れた……。


 綺麗に割り裂かれたエクストラ魔法「トランスフィック・ツイスター」は、その直後にはまるでその姿を2つへと分裂させたかのように映った。だが実際にはマサトの振り下ろした朔月華によって、魔法で造り出していた運動エネルギーを瞬時に止められ、僅かな時間を惰性で回転していたにすぎなかったのだ。そしてその様形は、一瞬で双子の竜巻が発生したと錯覚させたのだった。


「魔力形成を……断ち切った……? いや……消し去ったと言うのか……!?」


 ―――シュアァッ!


 ユファがそう呟いた直後、竜巻を2つに分けた正中線より光が一気に拡散し、そこに在った左右2対の竜巻を“消し去った”のだった。

 防御障壁で防いだ訳では無く、同等の力を持つ魔法をぶつけて対消滅を狙った訳でもない。

 比喩でも誇張ですらなく、マサトが空間に引いた線が魔法で造られた竜巻を消滅させたのだった。

 それまで、全ての物をその巨大な渦巻きで天上へと引き上げていた力が無くなり、宙に留まる力を失ったあらゆる物が重力に逆らう事無く降り注ぐ。


 汲み上げられていた大量の海水は、まるで雨の様に海上へと突き刺さり。


 逃げ遅れた海洋生物たちが、本来いるべき場所へと強制的に戻されている。


 海中で眠っていた藻屑たちが、一時の帰還を切り上げられて寝床へと帰っていった。


 造られた竜巻が消え失せて、上空には元来の蒼さが戻り、眩い陽光が何事も無かったかのように海面へと降り注いでいた。

 

 その様はまるで絵画の様に美しく、地獄絵図の様に壮絶であった。

 そしてそんな光景を、ユファとリョーマは瞬きする事も忘れて見入っていた。

 マサトの放ったエクストラ魔法は、破壊や蹂躙と言った言葉では到底表す事が出来ない。そんな感情を抱く事さえ許さない、一瞬の滅却を行うものだったからだ。

 力に任せた攻撃ならば、それに対抗する事が出来る。その力を目の当たりにして、立ち向かう勇気も、敵わなかった時の怒りと絶望も、戦く恐怖も感じる事が出来る。

 しかし“消滅”……瞬時に消し去るとなるとそれらが当て嵌まる事は無い。何故ならば、それらの感情を抱く以前に消え去ってしまうのだ。喜怒哀楽を表す暇すら与えられないと言って良かった。





 ユファは以前に一度、マサトが朔月華を振るう様を見ている。破壊されたイスト自治領郊外で、十二聖天が一天を司るチェニー=ピクシスを相手に、マサトは朔月華を顕現させて彼女を退けたのだった。

 その時の威力もエクストラ魔法としてはなんら遜色がなく、ユファから見てもそれがマサトの持つエクストラ魔法だと疑う事は無かった。

 

 ―――ただしそれは、ユファが見てきたエクストラ魔法と比べて……である。


 だからこそその時、何も疑問に思う事は無かったのだ。彼女がそれまでに見た事のある魔法と大きく違わなかった事が、その場で疑問を持つ事に結びつかせずにいたのだった。

 だがそれも仕方のない事である。

 それは、最後にマサトが放ったエクストラ魔法は、本来の能力と大きくかけ離れた物となっていたからだった。

 魔力体力ともに尽き意識も朦朧としていた状態で、最後の一撃を放つ事が出来たのは彼の力によるものでは無かったからだ。本来ならば完全に尽きていた魔力を与え、マサトの気持ちに答える為合力したのは朔月華ではなく、彼の妹であるミカヅキ=ノイエの残留思念に依るものだったのだ。

 戦線を離脱しようとしていたチェニー=ピクシス目掛けて放たれたのは、ミカヅキ=ノイエがマサトの為に残した膨大な魔力であり、彼の望むままにその姿を変えた言わばノイエの魔法そのものだったのだ。





 脅威と言って良い光景を前にして、ユファとリョーマは動く意志さえ奪われて呆けていた。だがそれもそう長い時間では無かった。


 ―――……ドサッ……。


 渾身の一撃を放ち、全ての力を使い果たしたマサトがその場へと倒れ込む。すでに具現化していた朔月華は消え失せ、彼の手には残っていない。


「マ……マサトッ!」


「マー坊っ!」


 彼の倒れ込んだ音で、我に返ったユファとリョーマが同時に叫び彼へと駆け寄った。

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