暁の神童
“それ”は恐るべき速度で移動を開始した。
先程、大きく高めた魔力を放出して魔法を行使したばかりだと言うのに、その魔力は衰えた様子が無い。恐るべき魔力保有量だと言える。
そして“それ”は、真っ直ぐに東へ、マサト達の元へと向かって来る。魔力感知を行わなくても“それ”の魔力をマサト達はヒシヒシと感じていたのだ。また“それ”は、自身の魔力を隠そうともしていなかった。
「くるぞ!」
「そんな!」
「備えよ!」
三人とも、我知らず声を掛け合い、戦闘態勢を取った。彼の速度は、到底逃げ切れるものではないと即座に判断したのだ。
そしてその通り、瞬く間に“それ”はマサト達の頭上へと出現した。
勿論、瞬間移動で突然出現した訳ではない。彼等の目にそう見えてしまう程の速力を以て飛来したのである。
“それ”が肉眼で確認できた事で、マサト達に更なる緊張感が走った。
冷たく光る紅い眼で見下ろす“それ”は女性の様に見える。美しい金髪、整った顔立ち。
アイシュの様に、健康的な可愛らしさでは無い。
ユファの様に高貴な美しさでは無い。
彼女の“美しさ”は、何処か野性味あふれる、とても危険な香りのする物だった。
その印象通り、彼女の高めている魔力は収まる気配を感じる事が出来ない。すぐにでも一戦交えようと言う、好戦的な雰囲気をビンビン感じさせるものだった。
「……あれ?」
そんな、一触即発な緊張感の最中、不意にアイシュが素っ頓狂な声を上げる。
その、余りにも場違いな声音に、マサトとユファは勿論、上空の彼女も訝し気な目をアイシュに向けた。
「……リョーマ……様……?」
アイシュの口から、マサトにとって聞き覚えのある名前が零れ落ちた。そしてアイシュに向けていた視線を、ユックリと上空の人物に向ける。
確かに、金髪赤眼の少年ならば、マサトも良く記憶している。幼い頃は家の関係で寄り合いがある度に、それこそ良く五人で遊んだ物だった。だが、マサトの記憶にあるその人物は、眼前の上空で留まっている様な人物像と一致しなかったのだ。
マサトの記憶よりも、目の前の人物が
マサトの記憶よりも、目の前の人物が宿す瞳には、紅蓮の炎にも似た真紅が湛えられている。
そして何より、全体の
「んん?」
彼はアイシュの発した「リョーマ様」と言う言葉に反応し、遠くを見る様に目を
つい先程まで、この場にいる全員を、瞬時に焼き殺さんとする殺気を放っていた人物とは到底思えない程、彼の纏っている雰囲気は和やかな物へと変化していた。
「アーちゃん……アーちゃんじゃないか!」
「リョーマ様!」
何とも拍子抜けするほどの変わり様だった。そしてそれは、何も目の前の彼だけでは無い。アイシュの表情も緩み、破顔している。
「アーちゃん、無事だったんだね?」
そして彼はアイシュに駆け寄り、彼女の手を取って無事を喜んだ。だが、彼がアイシュの手を取った瞬間、ほんの一瞬だけ怪訝な顔になった事を、ユファは見逃さなかった。
「リョーマ様も、ご無事で何よりです!」
だが、その事にアイシュが気付いた様子は無かった。そしてそれは、マサトも同様だった。
「リョー兄ちゃんも無事だったんだな!」
「おお!マー坊か!」
マサト達の親しみ具合を見て、ユファはそれ以上先程の事に触れずにおこうと決めた。
恐らくこの「リョーマ」と言う人物は、アイシュの身体に起こった異変を把握している。しかしそれを口にする気配が無い。そしてマサト達は彼に心を許している。
ユファにとって、今彼を警戒するレベルは低い物になったからだった。
「そうか……二人とも無事で何よりだったよ……他は、他の人達は?」
それまで満面の笑みでリョーマと話していたマサトとアイシュだったが、彼のその言葉で表情が凍り付く。
「……助かったのは……俺達だけで……」
絞り出す様に、マサトが答えを返せば、
「父も、母も、おじさんも、おばさんも……ノイエちゃんまで……」
今にも泣き崩れそうな表情で、アイシュはマサトの言葉に続けた。
ユファから見ても、このリョーマと言う男は、マサトとアイシュが絶大な信頼を置いている人物だと、この少ないやり取りでも解った。
「なっ!ノンちゃんまで!?」
流石にその事実を聞いたリョーマは絶句した。
ガルガントス魔導帝国の急襲と、チェニー=ピクシスのエクストラ魔法で、マサトとアイシュの父母と妹のノイエは死亡した。
それと同時に、同じイスト自治領に居を構えているミカヅキ家に連なる人々と、同時にアカツキ家の人々も無事では済まなかったはずだった。
だがあの攻撃では、一歩間違えればマサトとアイシュも巻き込まれていたかもしれない事を考えると、二人が無事だったのは
しかしもし、彼ら二人が巻き込まれ命を落としたとしても、ノイエは生き残るだろうとリョーマは思ったのだ。そして口にはしない物の、リョーマがそう考えている事に、マサト達も異論は無かった。
それ程にノイエの魔法力、そして潜在的な素質はずば抜けていたのだ。
暫し流れる、
「……リョー兄ちゃんの所は……どうだった?」
真っ先に思考を取り戻したマサトがリョーマにそう問いかける。
だがそれは、ある程度予想された事を再確認する作業に他ならない。同じイストに暮らしていた、マサト達の家族は生存者がいないのだ。当然アカツキ家も無事では無いだろう。
「こっちも生き残ったのは俺だけだ。シズの……ヨイヤミの所は解らない」
表情を感じさせない、冷たく凍った顔で、リョーマはそう答えた。
野性味あふれる、どちらかと言えば火のように熱く明るい性格からは、到底考えられない程押し殺した表情だった。
恐らく、悲しみと怒りを必死で抑え込んでいるのだろう。
「……そうか……シズカも……」
シズカとは、ヨイヤミ=シズカ。「深淵の御三家」の一角である「ヨイヤミ家」の嫡子であり、数年前の幼い時期にはマサト、ノイエ、アイシュ、リョーマと共に、良く遊んでいた少女だった。
その彼女も、恐らくは「イストの悲劇」に呑まれてしまったのだ。
再び無言の空気がこの場を支配して、重い雰囲気に包まれる。
しかしこの場の空気を変えたのは、それまで沈黙を守っていたユファだった。
「マサトよ、感傷に浸っている折り申し訳ないのじゃが、そろそろこの御仁を我に紹介して貰えぬだろうか?」
この中で唯一「深淵の御三家」と、縁も
「ああ、悪い。ユファ、彼はアカツキ=リョーマ。深淵の御三家、アカツキ家の現当主だよ」
「もう、滅んじゃった一族のだけど……ね」
先程とは打って変わって、お道化た表情を作りそうマサトに続けたリョーマだったが、どちらかと言うとブラックジョークの色が濃すぎて、マサトもアイシュも、どう表情を作ればいいか困惑した。
「リョー兄ちゃん、こちらはユファ=アナキス。訳あって、行動を共にしているんだ」
苦笑しながらマサトはそうユファを紹介した。瞬間的にユファの正体を言わなかったのには、特に理由は無かったが、当初は両親にもその所在を隠そうとしたマサトだ。ユファの了承なしに正体を明かすのは
「アカツキ=リョーマです。リョーマと呼んでください」
「ユファ=アナキスじゃ。ユファと呼んでくれて結構じゃ」
リョーマは握手をしようと、右手をピクリと動かしたが、その機先を制してユファが深々と頭を下げた。
統一国家とは言え、世界に自治領が散らばる以上、風習や作法がそれぞれ違っていてもおかしくは無い。当然握手が挨拶の基本である自治領もあれば、それを良しとしない自治領も存在する。
リョーマはそれを知識として知っていたので、握手をせずお辞儀で対応したユファに、特に思う所は湧かなかった。
しかしこれは、ユファが意図的にリョーマと握手する事を避けたのだ。彼女は、彼の感性が非常に高いと思っており、接触によって感じられた相手の魔力から、その状態を察する事が出来る様に思えたのだ。
「でも、マサトとアイシュだけでも無事でいてくれて嬉しいよ」
そんなユファの思惑に気付いていないのか、リョーマは話をマサトとアイシュに戻した。
リョーマにしてみれば、現状で目にする彼等が壮健であったからそう言ったのだが、マサト達の表情は冴えない物になってしまった。
「……あの……リョー兄ちゃん……」
「……その……リョーマ様……実は……」
二人は同時に呟いた。しかしここは、マサトがアイシュに話し手を譲った。自身の体に起こった事なのだ。自分で話したいと思うのは当然だろう。
アイシュは、出来る限り客観的になる様、ユックリと顛末を語った。
自分の身に何が起きたか。聖霊化を行使する決断。今に至るまでの自身の状態等。
リョーマは目を瞑り、アイシュの言葉を聞き洩らさない様、耳を傾けていた。
全ての話を聞き終えて、リョーマはユックリと目を開き、優しい眼差しをアイシュに向けた。
「も……申し訳ありません……生きてマー君を守る事も出来ず、この様な姿になってしまいました……」
その優しい緋色の瞳を受けて、アイシュは目に涙を湛えて謝罪した。
ガーディアンガードたる彼女の使命は、アクティブガーディアンたるマサトを守る事。その使命を“生きて”全う出来なかった自分の不甲斐なさを恥じたのだった。
「何故謝るんだい?アーちゃんは立派過ぎる位、務めを果たしているじゃないか。その身を顧みず、ノーマン家の秘術まで使って、今もマー坊を守ってる。君はアカツキ一門の誇りだよ」
ノーマン家は本来、アカツキ一門の筆頭分家である。
ノーマン家当主であったアイシュの父は、アカツキ家総領だったリョーマの父と兄弟であり、弟であったアイシュの父がノーマン家を継いだのだ。つまりリョーマとアイシュは従兄妹同士と言う事になる。
アイシュはリョーマから掛けられた労いの言葉に感極まり、涙を止める事が出来ない様だった。そんなアイシュの肩に、マサトが優しく手を添えた。
「……あ……ありがとう……ございます……リョーマ……様……」
嗚咽で声を詰まらせながら、リョーマの言葉に答えるアイシュ。そんな彼女に、ユックリと頷き答えるリョーマ。
「しかし……そうか……あの秘術を使ったんだね。実験例が無いから不安だったろうに……それにあの秘術は……」
「リョ、リョーマ様!」
そこまで独り言ちたリョーマを、アイシュは慌てて
「あれ?秘密だったの?まだ話してなかったとか?」
しかし彼女の奮戦虚しく、リョーマは更に言葉を続けてしまった。その言葉から、アイシュが行った“魔魂石化”には、マサト達にも知らされていない秘密がまだある様だと察せられた。
「……リョーマ様……」
先程の感涙を湛えた表情と打って変わって、諦めた表情のアイシュが、溜息交じりにそう呟いた。
(ふむ……どうやらこのリョーマと言う男は、隠し事が苦手と見えるの……)
そのやり取りを見ていたユファが、そう心の中で分析を出した。そしてその判断は、見事に的を射ている。
その時、ユファは自ら、自身の秘密を話す様な事はすまいと、心の中で決意したのだった。
「なんだ?秘密って?」
リョーマの言葉に引っ掛かったマサトは、アイシュにそう問いかけた。
「……あのね、マー君。この『魔魂石化』と言う秘術では、“聖霊石化”した者の魂と肉体を、魔力と精神を伴って切り離すの。魂を切り離された肉体は、放っておけばすぐに朽ち果てる。私の場合は消失しちゃったけど、本来は“死”と同じ様に、緩やかに朽ち果てて行くの。つまり、肉体が機能できなくなって朽ち果てる事、それが所謂“死”と言う物なの」
そこまで一気に話して、改めてマサトの目を見据えるアイシュ。
「でも“魂”にはその“肉体的な死”と言う物は当て嵌まらないのよ」
そして、今までにない真剣な眼差しを以て、改めてマサトを見つめそう続けた。
それに対してマサトも、真剣な表情で深く頷いた。
「……なる程……それで……どういう事なんだ?」
だが、真剣に聞くと言う事と、それを理解出来ると言う事は別だと言う事だった。少なくともマサトは先程の話を、殆ど理解していなかった。
「マー坊は相変わらずだな」
それを見たリョーマが、実に楽しそうな表情で割って入った。
昔と変わらないマサトとアイシュのやり取りに、何処か懐かしく微笑ましい物を感じたのだろう。
「つまり、肉体に時間経過や外的要因による終焉、つまり”死“と言う物があっても、魂に自然的な終わりも消滅も無いと言う事だ。魂と言う存在に”死“は適用しないと言う事だな。一般的な”死“と言う物は、肉体の機能停止に伴って、魂が肉体から別離する。その時に意識や自我も伴うんだが、今までの研究では、魂のその後まで突き止められていない。ただ概念的には、魂に”死“と言う物が存在しないと考えられている。それは各自治領を守っている『魔魂石』の存在を見れば明らかだろう?」
そこまで説明されて、マサトにも何となく理解出来た。確かに「魔魂石」と言う物は、魔法士の魂を抜き出して精製された物であり、千年近く前に造られた物であるにも拘らず未だに機能している。そこから照らし合わせれば、魂が死ぬことの無い“永遠のエネルギー体”であると言う事は、答えの一つとして導き出されてもおかしくは無い。
「ノーマン家の秘術は、自身の魂を、自らの肉体より、己の意志で引き離し、その際に自我や意識、魔力を魂に刻み込む。引き離された魂に“死”と言う概念は存在せず、つまり永遠に在り続ける事となるんだ」
リョーマの言葉は、随分と詳しい説明となっていたが、それでもマサトが全て理解するまでに数秒のタイムラグが出来上がった。
そして漸く理解出来たリョーマの言葉に、気になるフレーズを見つけてポツリとつぶやいた。
「……えい……えん……?永遠……って?」
マサトの呟きに、答える者は誰もいなかった。
マサトの聞き違えであったり、理解が間違っていないのであれば、アイシュは自分の肉体を失っただけでは無く、人としての生も失った事になる。
「……それじゃあ……アイシュは……死にたくても死ねない……って事なのか?」
マサトが更に呟いた。しかしそれには、怒りの様な、後悔の様な物が含まれていた。
アイシュが「魔魂石化」を行ったのはアイシュ自身の意志に依るものであり、マサトに責任がある訳では無い。
だが、そんな彼女を守る事も出来ずに、その選択を取らざるを得ない所まで追い込んだのは自分ではないか。マサトはそう考えたのだ。
「魂のみを外的に消失、または昇天させる方法は、今の所まだ見つかっていない。魂には不明な点が多過ぎるからね。過去にそう言った実例も存在しないしな」
今度はリョーマがマサトの呟きに答えた。
その答えに愕然とするマサト。
アイシュは、マサトと共に、彼の人生を歩む事は出来る。
だが、マサトがいずれ自分の人生を全うしたとしても、アイシュはそれ以降も在り続けなければならないのだ。それも……永遠に。
その心情は、到底推し量れるものでは無い。
マサトは絶句してアイシュを見つめる。抱えていた物の大きさに、彼にはアイシュに掛ける言葉が見つからなかったのだ。
マサトにとって衝撃的な、アイシュにとって知られたくなかった事が、リョーマによって暴露されてしまい、誰も何も発する事の出来ない空気がこの場を支配する。
―――ただ一人、この場にそぐわない笑みを、コッソリと浮かべる者を除いて。
―――誰からも表情の見えない様に角度を付けて、ユファは僅かに口角を釣り上げていたのだった。
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