強襲

 斜面を北に向けて数百メートル。疲労でもつれる足を叱咤し、マサトはユファが見つけたと言う旧街道へと続くに辿り着いた。

 マサトが見下ろす数十メートル下には、人為的に作られたと確かに解る街道が真っ直ぐ西へと向かっている。

 一千五百メートル級の山脈であるこのオーラクルム山脈を、まるで東西に分断するかの様な街道は、交通路の為にトンネルが設けられるまでこの山脈を超える為の主要道路として、近隣の住民や商人達が多数往来し賑わった。

 山を大きく切り崩して作られており、崖の高さは最大で百数十メートル、道幅は最大で五十メートル程もあり、かなり大型の荷車でも問題なく通行可能だ。

 トンネルが開通して以降、魔獣も出現するこの街道を使用する者は殆どいなくなり、放置され荒れ放題となった道のそこかしこには大小様々な落石が無数に点在し、雑草は勿論大きく育った樹木も見て取れる。

 斜面は多少ある物の、山頂を経由するルートと比べれば遥かに緩やかで時間短縮になる事は明らかだった。

 だが、山を大きく削り取り左右が高い崖となっているこの街道には、初夏の日差しでさえ陽光が届きにくく薄暗い。切り立った崖を魔法無しで駆け上る事は到底不可能で、東西を分断する一本道。直上からの攻撃と、前後からの挟み撃ちに対しては殆ど対処のしようが無い。


「用心のしようがねーな」


 マサトは街道を見下ろしながら、苦笑いと共にそう呟いた。

 彼の言う事はもっともで、先程の魔獣プリバシャルに上空から襲われれば、否応なく交戦を余儀なくされる。道の前後に待ち伏せを配されていれば前後からの挟撃に晒されて苦戦は免れないだろう。


「うむ。しかしあのまま斜面を登り続けるよりは随分とましに思えるがの。それに魔獣が襲い来る確立など、どちらも差して変わらぬであろう?」


 そう言ってユファは上空を見上げた。マサト達もそれに倣う。

 遥か上空で、無数の点が巨大な輪を描いて旋回している。

 マサト達からは個々の形を把握する事すら困難な距離だが、魔獣であるプリバシャルにはハッキリと彼等が捉えられている事だろう。

 快晴の青空に異物とも言える巨大な黒が蠢いている。一体何匹いるのか、到底把握できない程だ。

 すでにアイシュが攻撃を受けている。それでなくても見通しの良い山の斜面を歩き続けてきたのだ。間違いなく捕捉されていると言うのが三人共通の認識だった。


「……そうだな」


 何事も無く済む訳は無いと覚悟しつつ、マサト達は街道へと降り立つ為に崖を下りだした。




 ユファの言う通り、街道を征く事は、あらゆる意味で山頂を目指すよりも最適だった。

 街道自体が放置されてどれ程の年月が過ぎているのか定かではないが、全く使用されなかったと言う事は無い様で、山脈を貫くトンネルが完成して数百年だと言うのに、荒廃はそれほど酷くなかった。

 至る所に落石が転がり草木が生い茂っているが、歩く事に困難を感じると言う程でも無い。

 また、直射日光を浴びる事無く進めると言うのも大きな利点だった。強い陽光は長時間浴び続けるだけで体力を消耗していく。

 巨大な谷を形成している様なこの街道では、そういった“太陽の攻撃”を受ける心配は無さそうだった。

 先程とは打って変わった進行速度で山道を征くマサト。


「……見られてるな」


 不意に、マサトは周囲に顔を巡らせてそう呟いた。

 彼は明確に視線の存在を把握している訳では無い。言うなれば“何となく”視線を感じていると言うレベルだ。

 だが三日月流剣術の数ある技を身に付け、相当の場数を乗り越えてきたマサトには、「索敵」を使用せずともを感じる事が出来る。

 ただそれがどういった意味の視線なのかは解らない。


「見られてるって……伏兵?」


 アイシュも周囲を見回し、不安そうな言葉を零した。

 しかし周囲にある障害物の影響で、視界が悪くどこに何が存在しているのか把握は出来ない。

 マサトは立ち止まって意識の領域を拡大する。三日月流剣術の技法「索敵」を使用したのだ。

 周囲百メートルに不審な生物の存在は無い。彼は更に意識領域を拡大した。

 そして今出来る限界まで拡大した意識領域に、はハッキリと知覚された。

 前方約五百メートル。街道の左右から迫り出している巨大な岩の上に、複数のプリバシャルを確認した。

 

「……いた」


 「索敵」を解いてそちらの方に眼をやり指差すマサト。彼女達の視線もそちらに向けられる。

 街道を五百メートル程登った所に、左右両側の崖から大きく迫り出した巨岩が、まるでアーチの様に互いへ寄りかかってバランスを取っている。恐らく硬度の高い岩石であり、その巨大さから破壊を諦めそのまま捨て置かれたのだろう。

 ただその岩石が成形するアーチは、幅二十五メートルはある。それまでの道幅からすれば半分程になるが、それでも通行に支障をきたす様な程では無い。

 中々に壮観な巨岩の形作るそのアーチは、ひょっとしたらこの街道の名所として賑わっていたかもしれない。だが今の状況では歓迎できる場所では無かった。


「あれ……ユファの言ってた魔獣……?プリバシャルだっけ?」


 街道から高さ百十数メートルはある岩石の頂上、そこに数匹のプリバシャルが羽根を休める様に停まっている。

 遠巻きに見ればただの鳥に見える。勿論その大きさは尋常ではないが。

 だがこの距離ならばハッキリと見て取る事が出来る。

 その顔は人、それも女性を模したそれであり、ボサボサではあるが長い頭髪も確認出来る。胴体は羽毛に覆われている物の、やはり女性の体に他ならない。スラリと長い足を体の前面で折り曲げて、まるで座っている様にも見えた。ただ脹脛ふくらはぎから爪先にかけては猛禽類の足となっており、急な斜面となっている岩石をしっかりと鷲掴みしている。両手に当たる部分の巨大な羽根は、目一杯広げれば五メートルにはなるのだろうか。

 ここからではその表情を窺い知る事は不可能だが、こちらを凝視している事だけはハッキリと解った。

 

「……ああ……間違いないな」


 アイシュの問いに答えたのはマサトだった。ここから見えるだけでは左右の岩石に数匹ずつが停まっているのを確認出来る程度だが、それが全てとは到底思えない。先程山の斜面で見た数は、何百と言う数だったはずだ。

 

「目を付けられておるのは間違いないの。じゃが進む以外に手はあるまい」


 今まで来た道を戻る事等論外だ。当然進むしかない。

 だが再び崖を登り、急な斜面を山頂目指して登ると言う事も非現実過ぎる。

 ユファの言葉にマサトとアイシュも頷き、警戒を高めながら歩を進めた。

 そしていよいよアーチの真下へと差し掛かった時、事態は一気に急変する。

 彼等の上空で、突然魔力が高まったのだ。


「来るぞ!マサト!アイシュ!」


「うん!」


「わかった!」


 真っ先にそれを感じ取ったユファは、実体化を完了させて檄を飛ばした。それにマサト達も即座に呼応し、アイシュも実体化を済ませる。

 三人が見上げた上空には、具現化された二つの巨石が道幅一杯に落ちて来る。

 左右の巨岩と、互いの岩面に岩肌を擦らせながら、彼等を押し潰すかの如く、僅かな隙間すら作る事無くずり落ちて来る巨石。


「灼弾!」


「グラウペルブリッド!」


 ユファとアイシュが、左右の巨岩に向けてそれぞれ魔法を放つ。

 ユファの掌からは無数の炎を纏った弾丸が、アイシュの掌からは鋭利な先端を持つ無数の氷塊が標的に向かい射出された。

 狙いは寸分違わず命中し、巨大な二つの岩を粉々に打ち砕いた。


「極北の光を織り込めし聖布!アークティッククロス!」


 巨石の破壊を確認したアイシュが、すぐさま魔法を発動した。

 詠唱と同時に輝きだした右手を、完了と同時に天へとかざし、そのままスッと横になぞった。アイシュの掌がなぞった中空に、青く透き通った光の膜がマサト達を覆う様に形成される。まるで輝く青い布の様なその膜は、傘の様にマサト達の上方で留まった。

 そこへ先程彼女達が破壊した巨石の破片が降り注ぐ。

 

 シャインッ!


 その布膜に触れた瓦礫は、まるで鈴の音を思わせる、美しく澄んだ音を残して氷粒と化し霧散する。

 ——レベル五の盾魔法。その中でも高位に位置する防御魔法だ。

 物理防御力は見た目の通り高くない。だがそれは、物理攻撃をこの布膜にの話だ。

 一見薄い布膜であるが、そこに込められている魔力は尋常では無い。そして発現している効果も恐るべきものだった。

 この布膜に触れようとする攻撃は、それが物理だろうが魔法だろうとも、直前で瞬時に凍結し氷粒と化して霧散してしまう。その力は魔法力に比例するのだが、アイシュの魔法力ならば同じレベル五魔法でも大抵が防がれてしまうだろう。


 ゴゥッ!

 

 巨石が霧散したとほぼ同時に、今度は巨大な風の塊、いや巨大な鎌鼬がマサト達に襲い来る。

 上空では十匹程のプリバシャルが円陣を組んで留まっている。恐らくは魔獣十匹からなる結合魔法を放ったのだ。

 魔力の出力や波長を擦り合わせる事が必要な結合魔法。二人で行うにも容易では無いその魔法を、十体で行使する所は流石に魔獣の成せる技なのだろう。

 それに攻撃のタイミングも、憎らしい程に絶妙だ。最初の攻撃が防がれる前提で追い打ちを放つなど、確かに魔獣ガリナセルバンには見られない知能の高さが見て取れた。


 シャイーンッ……!


 だがそれすらもアイシュが作り出した布膜を突破する事は出来なかった。

 巨大な鎌鼬も、布膜に触れた瞬間氷粒となり霧散する。


(この魔法!)


 それまで布膜を注視していたユファが即座に行動を開始する。


「灼弾!」


 鎌鼬が霧散した事を確認してすぐ、ユファが布膜の魔法を放った。

 通常、防御障壁に表裏は無い。外からの攻撃を防ぐと言う事は、内側からも攻撃が不可能と言う事になる。

 だがこの魔法に限って言えば表裏が存在すると言える。

 この魔法は、魔力をきめ細かな網目状の布膜に展開し、魔力特性の付与に重点を置いて展開している。これにより対物理能力は劣るが、布膜に触れようとする物をその魔法特性で退ける効果を持つ。更に網目状の布膜は内側から放たれる魔法を透過させる事が出来るのだ。

 滞空するプリバシャルの集団を狙ったユファの魔法は、魔法を放ち終わって動きを止めていた魔獣に襲い掛かった。

 彼女の攻撃をかわす事が出来たのは僅かに二匹。その他のプリバシャルは炎弾が直撃し、瞬時に炎の塊となって墜落していく。

 叫声を発して落ちて行く魔獣の群れ。それを見た他のプリバシャルはその場から飛び立ち去っていった。

 

「忌々しい奴らじゃ。此方の力量を図っておるつもりか」


 飛び去っていく魔獣達に目を向けながらユファが毒づく。

 確かにあれだけの数が全てとは思えない。事実プリバシャルが飛び去って行く遥か上空には、まだまだ数えきれない程の凶翼鳥が旋回を続けている。

 

「それよりもアイシュよ、流石の魔法じゃの。恐れ入ったぞ」


 ユファがアイシュに労いの言葉を掛けた。しかしその言葉には感嘆の念も含まれている。

 アイシュが事も無げに使った防御障壁は、知っていれば誰でも使えると言う物では無い。

 繊細かつ重厚。まさしくその二つが合わさった魔法だったのだ。


「ウフフッ、ありがと。でもあの特性に気付くなんて、ユファの方こそ流石だわ」


「フフフ……伊達に長くは生きておらぬ」


 息の合った二人の戦闘に舌を巻きながら、マサトは彼女達に頼もしさを感じていた。

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