戦国武将 小刀作兵衛

 拙者、戦国大名、山名豊久に使える武将、小刀作兵衛と申す。なんてカッコつけちゃったけど、この時代に戦国大名とか戦国武将なんて言葉はないんだよね。なんで拙者がこの言葉を知っているかというと、この前、歴女殿と名乗られる方に出会ったのじゃ。そのお方に教えてもらった。

 歴女殿、歴史という学問が好きで、特に拙者の生きている時代が好きなんだそうじゃ。そして「戦国武将の子供が欲しい」と言って、拙者と契りまで結んでしまった。

 その歴女殿が持ってきていた典籍の中に『戦国人名事典』というのがあって、拙者の名が載っていたのじゃ。同僚の小林権兵衛殿は載っていなかった。これは自慢じゃ。

 だが、それを読むと四年後に拙者は羽柴筑前守という武将に城を囲まれ飢え死にしてしまうようなのじゃ。飢え死にで身罷るとは情けない。拙者は考えた。主君山名豊久は暗君、小林殿と謀って城から追放し、羽柴筑前守につけば飢え死にしなくて済む。そのことを歴女殿に伝えると「歴史が変わってしまうからやめて」と言われた。「拙者が飢え死にしてもいいのか」と聞くと「お胤はいただきました」と言う。拙者はその場で歴女殿を斬り捨てた。そして歴女殿が乗ってきた『たいむましん』を『取扱説明書』というものを読んで運転して歴女殿の住んでいた、『現代』へやってきた。するとすぐに拙者の周りに人だかりができた。殺されると思った拙者はこの者たちを斬り殺した。「けいさつを呼べ」という声が聞こえ、拙者は同一の制服を着た、割と強そうな男たちと対峙した。「刀を捨てなさい」という声に、「刀は命、捨てられん」と拙者は言って、けいさつを何人か斬ってやった。すると奴らは種子島の小さいやつを天に向けて撃った。「拙者をなめるなよ、種子島ごときに負けるか!」拙者はけいさつたちに突っ込んだ。一斉に種子島が撃たれる。拙者は全身に鉄の玉を受けて死んだ。死の直前『戦国人名事典』を開くと、拙者の名前の説明書きには『主君追放の準備をしていた矢先逐電。その後行方知れず』と書いてあった。拙者はここにいる……。

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