第8話 さらば可笑しき探偵よ

 それは単なる浮気調査だと思っていた。まさか、こんな事態になろうとは予測もしなかった。

 俺は叔父が経営する探偵事務所で働いている。『マーロウ探偵局たんていきょく』いかにもレイモンド・チャンドラーの崇拝者すうはいしゃだと知れてしまう名前である。実際、トレンチコートにボルサリーノのフェドラを被った叔父は、いかにも『名探偵』という格好なので、尾行には目立ち過ぎて使えない。

 大学を卒業した後、俺は就職したのだがサラリーマンの水が合わず即退職、ブラブラしていたら叔父に仕事を手伝ってくれと頼まれて、身内だからと気軽な気持ちで始めて、早三年経つ。案外、探偵業が性に合っているのかも知れない。


 古びた雑居ビルの四階にある『マーロウ探偵局』はオフィスと叔父の局長室と簡易ベッドが置かれた仮眠室の三部屋しかない。オフィスに入ると局長室に呼ばれた。

「叔父さん、何ですか?」

「うむ。局長きょくちょうと呼びなさい」

 こういうことにはやたらと小煩い、格好つけの叔父なのだ。

「局長、新しい依頼ですか」

「うむ。この女性を三日間尾行びこうしてくれ」

 写真を一枚渡された。見た感じ、二十代後半くらい、かなり美人だった。

「浮気調査ですか?」

「まあ、そんなものだが……ちょっと違う」

「はあ?」

「とにかく、その女性を明日から尾行してくれ」

 俺に調査ファイルを渡すと、叔父はパイプに火を付けて旨そうに吹かしている。時々思う、この人は探偵の役をやりたくて探偵になったのではないかと――。


 さっそく、翌日から尾行びこうを始めた。

 ファイルには何も詳しいことは載っていない。女性の写真と三日間尾行するルートだけだった。不思議な依頼だと思いながら俺は尾行を始める。それは女性の後を付けて、どんな所へ立ち寄ったかを記載するだけの尾行なのだ。


 一日目はビジネス街だった。

 髪をシニヨンに結い紺のスーツと低めのパンプスを履いた女性の後を気づかれないようにつけて行く、ビルの中に入ったらエレベーターで何階まで上がったか確認してから俺は下で待っている。その日は五つのビルを訪問して三十分から一時間くらいで降りて来た。営業の仕事でもしているのだろう。――楽な尾行だが面白味おもしろみもない。


 次の日はショッピングセンターでの尾行だ。

 人が多いので気づかれにくいが、人混みで見失わないように用心だ。彼女は七、八軒のお店を回って服や靴、バッグなどを買っていった。  

 婦人服店の試着室は男の俺には近づけない。探偵といえど、一般市民だからヘンなことをしたら警察に捕まってしまう。カメラを持っていたら盗撮魔とうさつまと間違われて通報され兼ねない。今回の尾行で分かったことは、彼女のファッションセンスと気前のいい金の使いっぷり、金持ちのお嬢様なのかと思った。


 その次の尾行ルートは意外な場所である。

 今日の彼女はフェミニンなピンクのワンピースにセミロングの髪をふんわりとカールさせてチャーミングだった。ここは遊園地だし、これはデートに違いない! 

 いつ相手の男が現れるかと尾行しながら待っていたが、一向にデートの相手が来ない。彼女はジェットコースター、大観覧車、メリーゴーランドと一人で楽しそうに乗っている。普通、遊園地なんか独りぼっちで来るか? おかしな女だと思いながらも三日間尾行したせいか、なぜか彼女に親近感を覚える俺だった――。

 彼女がトイレに入っていった、男子禁制の場所なので近くの木陰で待っている。十五分経っても出て来ない、遅いなあ……二十分、三十分、いくら何でも遅過ぎる! 待てよ、トイレから出て来たのは高校生の女の子が二人と、幼児を連れた母親と五十過ぎの肥ったおばさんに、サングラスと帽子を被った女性と……!? 

 あっ! 気がついて俺は焦った。

 どうやら変装して尾行を巻かれてしまったようだ。しくじった。――まさか変装するとは思わなかった。

 ガッカリした俺の肩を誰かが叩いた。振り返るとサングラスと帽子の女が立っている。

「き、君は?」

「探偵さん、お疲れさま」

 サングラスを外して彼女が微笑みかけた。

「尾行してるの気付いてた?」

「もちろん。私が尾行をお願いしたんだもの」

「はぁ~?」

 自分の尾行を頼むってどういうことだ?

「彼の尾行技術は合格かな?」

 突然男の声が、 

「叔父さん、いや所長!」

「マーロウ探偵事務所を彼女に譲ることにしたんだ」

「ええーっ」

「若いが彼女はアメリカ帰りの優秀な探偵だ。お前の新しいボスになる人だ」

「それで俺に尾行させてテストしてたって訳か?」

「そうよ。まずは合格点をあげましょう」

「私は引退して探偵小説を書くことにする」

 どうやら叔父の最終目的は、最初からそっちにあったような気がする。

「新しい名前はミス・マーブル探偵社たんていしゃにしましょう」

「アガサ・クリスティgood!」

 そう叔父が応えて、意気投合する。

 この二人に同じ匂いを感じたが、美人所長と探偵業っていうのも悪くないかと、俺はクールに笑った。

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