第12話 侵入2

 非常灯の青い光がわずかに照らす廊下を、足音を忍ばせて二人は歩く。ピカピカに磨かれた床は二人の足元を器用に映して、それが一層二人を落ち着かなくさせた。まるで、床の下からも誰かに監視されていて、そいつに泳がされているような気分になるのだ。


「ここは、多分右ね」


 高校一年生の時、真一たちはこの研究所の見学に訪れていた。その時貰った地図付き案内表を、未だに唯が所持していたのには真一も驚いた。


「なんでまた、この地図を取っておいたんだ?まさかこんな日が来るなんて予見していたわけでもないだろ?」

「うん、でも研究所の内部には興味があったの。きっと私たちが見せてもらえるような場所なんて、ほんの一部なんだろうけど。でも、とりあえず一番大きな部屋まで行ってみようよ。そこにはコンピュータもあるでしょ?そのパスがあれば、使えそうじゃない。それで花帆の居場所調べよう」


 唯は、かなり難しそうなことを随分と簡単そうに言う。機会にめっぽう強い彼女は、コンピュータさえ自分の手元にあればなんとかなると信じているのだろうか。


「あれ、またここにも認証ゲートなの?」


 唯の地図のおかげで最短ルートで進んで来られた真一たちだが、予定にはなかった認証ゲートに足止めを食らった。


「進むごとにいくつかゲートがあるようね」

「…これは、入口のゲートとそう変わりないみたいだな。もう一回コードをかざすか?」


 唯は暫く心配そうに逡巡していたが、

「そうだね、とりあえず、またやってみようか」と言った。


 真一がコードを再びかざした途端、けたたましい警報音とともに電光板が真っ赤になった。


『認証エラー:指紋・毛細血管ともに不一致.セイイチ・サカベではありません。侵入者と断定、侵入者と断定…』


 赤い電光掲示と警報は続く。唯と真一は走り出した。


「何よ、何で駄目だったわけ?あのコードが偽物だってわかったの?」

「いや、そうじゃない。今の奴は多分、コードを読み取った瞬間、同時に指紋や指先の毛細血管も同時に認証していたんだ。それがダメだって言って、今認証エラーが出ちまった」

「何よそれ!」

「こっちが聞きたいよ!」


 全速力で逃げる二人だが、唯の方が足が速い。研究所見学の際にも見なかった研究室の奥の方で、騒ぎを聞きつけた一人の宿直が「関係者以外立ち入り禁止区域【2】」の扉を開けて出てきたところに、ちょうど唯がかち合ってしまった。


「あ、侵入者か?ちょっと待ちなさい!」


「ちょっと、こっち!」


 唯は慌てて真一の手を掴み、方向転換する。


「おい、こっちは地図には載ってないんだろ、大丈夫かよ」

「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ、いいからとりあえずここ!」


 角を曲がった先に並んだ二つ目のドアに、真一と唯は転がり込んだ。


「ごほっ…うわ、なに、ここ?」

「物置、みたいだな…掃除用具庫か?」


 窓から差し込む月明かりを反射して、舞い上がる埃がきらきらとまるでスポットライトみたいだ。真一はふと、ゾウの歩く草原は夜にしたいと思った。


「ねえ、あんた、先に行ってよ」

 唯は迷いなくそう言った。


「私がおとりになるから、坂部はあの立ち入り禁止区域の2ってとこに向かって」

「え、さっきの宿直が出てきたところか?」

「そう。他の区域じゃなくてあそこに宿直がいたってことは、多分あそこがこの研究所で一番重要な何かを守ってるところなんだよ。人がずっといるのなら、多分そこだ」

「でも、新村は…」

「私はいいの、あんたより足早いし、なにより顔を見られているから。今ならうまくすれば、侵入者は私一人ってことにできるかもしれない。はやく、もう時間がないよ」

「いや、お前ひとりおいて行けっていうのかよ」

「いいから!」


 声を殺した唯が、しかし真一の脳に突き刺すように声を発した。


「いいから早く行ってよ。私、最近花帆の夢を見るの。毎日じゃないんだけど、しかもよく覚えていないんだけど、とにかくあの子、夢の中で辛そうにしているの。ずっと泣いてるの。でも私、助けてあげられないの。それどころか、夢では全然動けないし声も出ない…」


 そう言いながら唯は見る見る涙ぐんでいき、本当に喉が詰まって声が出なくなってきた。


「…こんな夢、見ているのも、助けられない自分も、もう嫌だ」


 唯も、同じ夢を見ていた。



「絶対に、芹沢のこと見つけ出すから」


 真一はめいっぱいの真剣さを込めて、唯と約束する。涙目ではあったが強い眼差しで、唯も頷く。


「じゃね」


 一言だけ告げて、唯は扉を勢いよく開けた。ばんっ、という音があたりに響き、続いて唯が走り去る足音が遠ざかっていく。残された真一は、周囲の音を注意深く聞き、静かになるのを待ってから急いで外に出た。

 女の子をおとりにするとは我ながらみっともない、花帆を見つけ出すという本来の目的を達成しない限り、返上できない汚名だな。


 遠くの足音と怒声が反響する廊下を走りながら、真一はひとりごちた。

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僕たちはまた、アフリカゾウの夢を見る 神奈沢 薫 @kaworu

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