第五章 獣人の王子
第88話 呪いの紋
冒険者ギルドの前で待ち伏せするようにして来たのは筋肉男のアレクである。
以前に、奴隷獣人の扱いが優しすぎる、とワタルに文句を付けてきたことがある男だ。
シルコのことを奴隷獣人だと勘違いしていたのだが、今のメンバーには明らかに奴隷に見える者はいない筈である。
「何か用か?こっちには用は無いぞ」
ワタルの厳しい口調にコモドが反応して前に出る。
一触即発の気配である。
「また揉め事を起こす気なの?」
その時に止めに入ったルレインも剣呑な雰囲気で口を開く。
ワタル達の物言いに少し驚いた様な顔を見せたアレクは、両方の手のひらを前に出しながら告げる。
「いや、揉めるつもりは無いんだ。ちょっと聞いて貰いたい話がある。道端では都合が悪いから、少し付き合って貰えないか?」
「変な所に連れて行って、襲う気じゃ無いでしょうね」
と、警戒したラナリアが言う。
「いや、全くそんなつもりは無い。この前の事は謝る。俺の声のかけ方が悪かった。誤解なんだ……「朝焼け亭」は知っているだろう。あそこで話を聞いてくれないか」
「朝焼け亭か……」
どっちにしろ行こうと思っていた場所である。
注意深くアレクを観察していたワタルだったが、特に敵意や悪意は感じなかった。
獣人奴隷を席に座らせていた事が気に入らない、と文句を言って来た男が、獣人御用達の宿を指定して来る事に違和感を覚えたが、特に問題は無さそうだと判断した。
メンバーを見回すが、特に反対は無い様である。
皆、アレクに悪意が無いことを感じているのだろう。
「分かった。行こうか」
馬車を朝焼け亭に向ける。
「俺は歩いて行くよ。まだ信用出来ないだろう?」
アレクは歩いて来る様だ。
確かに乗せてやる義理は無い。
それに、ルレインとコモドは別にしても、ワタル達は基本的にはビビリなので、味方かどうか分からない相手と顔を付き合わせるのは苦手である。
いくら強くなっても、これは性分なので仕方ないのだ。
さて、朝焼け亭に入ると犬の半獣人の支配人が迎えてくれた。
「あれ、アレクは一緒じゃなかったのか?」
支配人がこんな事を言うのは、アレクの件に一枚噛んでいるからだろう。
この支配人、名前をグルトという。
アレクとは古くからの知り合いらしい。
グルトの案内で、宿屋の食堂の奥にある個室に通されるワタル達。
飲み物と軽い菓子類が出される。
シルコとエスエスが喜んで食べている。
手を付けようとしないコモドに、ワタルが食べる様に勧めると
「はっ、有難く」
と言って、パクパク食べている。
「トカちゃん、食べ過ぎ」
などとシルコに怒られている。
ドラゴノイドも甘い物が好きらしい。
「別に食べたい物は遠慮せずに食べて良いんだけどなぁ」
と、ワタルは言うのだが、コモド自身の納得の行くようにして貰うしかない、と半分諦めている感じである。
そんなワタル達の様子を、支配人のグルトは微笑みを湛えて眺めている。
そんな事をしているうちにアレクが到着した。
「お待たせした。御足労願って感謝する」
頭を下げるアレク。
以前の態度とは別人のようである。
「私はBランク冒険者のアレクという。先ずは以前のギルドでの件について謝罪したい」
席に着いたアレクが切り出した。
「私は本当は獣人奴隷の制度に反対する立場の者だ。奴隷を椅子に座らせるな、などというのは私の本意では無い。ただ、言い訳の様だがあの場では仕方無かったのだ。私がああしなければ、もっと凶悪な連中や貴族絡みの連中とトラブルになっていただろう」
「じゃあ、貴方が助けてくれた、という事が言いたいのですか?」
珍しくエスエスが口を挟む。
「いや、恩を着せるつもりでは無い。貴方達の実力なら要らぬ世話だった。私の洞察力の無さが原因だが、あの時、貴方達があまりにも弱そうに見えたのだ。奴隷を大事にしている者達に酷い目にあって欲しく無かったのだ」
「分かったよ。弱く見られるのはいつもの事だ。まあ、実際にはアレクよりも、その後のルレインの方が怖かったからね」
ニヤッとしながらルレインを見るワタル。
「だからあれは芝居だって言ったでしょ。分かってるくせに……」
ルレインが文句を言っている。
「とにかく、悪気が無かった事は理解したよ。あの時の事は水に流そうじゃないか。エスエスもシルコもそれで良いだろ?」
「分かりました」
「分かったわ」
ワタルの意見に2人は同意した。
これで一件落着、と思われたのだが……
「ところで、あの時の奴隷獣人はどうしたんだ?まさか解放したのか?」
当然、アレクはシルコの変化に気が付かない。
「私は最初から奴隷じゃ無かったのよ」
そう言うシルコを見て、アレクは絶句している。
「ま、まさか君が……あの時の……」
「そうよ。不完全な奴隷紋を付けられたせいで獣人の姿をしてたけど、本当は半獣人なのよ。その奴隷紋を外したから元の姿に戻ったのよ」
「そ、そんな事があるのか……」
アレクは驚いているだけでなく、何やら思案している様子である。
グルトも考え込んでいる。
「そのシルコさんの奴隷紋は奴隷商人が外したのか?奴隷商人を探している様だったが……」
グルトがシルコに尋ねる。
「そうよ。まあ、いろいろあったけどね。でも、不完全な奴隷紋だったから上手く外れなくて、ワタルが手を貸してやっと外れたのよ。今思えば、奴隷紋って言うよりも呪いみたいな物だったかもね」
「そんな事が……呪いの解除が可能なのか……」
また、グルトが考え込む。
「いや、俺1人では無理だったろう。コモドの時はラナリアと2人がかりだったし……」
ワタルがそう言うと
「なに!コモド殿もそうなのか?」
と、アレクが食い付く。
「うむ、我はトカゲ獣人の奴隷であったが、主に奴隷紋を解放されて竜人に進化したのだ。この恩は生涯かけても報いきれぬ」
「コモドは大袈裟だなぁ」
コモドの言葉をワタルは軽く流している。
そこへラナリアが突っ込む。
「アタシだって奴隷紋の解除に協力したんだからね。分かってるわよねぇ、コモド」
「む、無論である。姫の御恩も忘れる事は無い」
「えへへ、姫だってぇ」
女性陣に責められるとコモドもタジタジである。
それにしてもラナリアはチョロ過ぎるだろう。
「ワタル殿は奴隷紋や呪いについて詳しいのか?誰か師匠に習ったとか……」
ワタル達の会話を聞いていたアレクが尋ねる。
「いや、そんな事は無いよ。たまたま、奴隷商人がやっているのを見ていたら出来そうだなぁって、やってみたら出来ただけだよ」
「そんな簡単な事では無いはずなんだが……」
首を捻っているアレクにコモドが告げる。
「我の主達の力を其の方らの常識で測るなど無理な事。竜人たる我が守護するに余りある力なり」
コモドの言葉に顔を見合わせるアレクとグルト。
2人は頷き合い、グルトがワタルに話しかける。
「それでな、実はお願いがある。今日来て貰ったのは、戦力としてあんた達のパーティーの力を借りたかったからだが、その話は別にしてちょっと会って貰いたい方がいる。今、お連れするから待ってくれ」
この宿に泊まっている人だろうか。
グルトの言い方からすると、どうも偉い人が来る様なのでちょっとやだなぁ、と思うワタルであった。
でも、断り難い雰囲気になってしまっている。
アレクの頼みなら断ったかも知れないが、宿の支配人のグルトに言われると無下にも出来ない。
急いで部屋を出て行ったアレクが、少しすると1人の獣人を連れて来た。
まだ小さい子供の犬の獣人である。
青味がかった灰色の毛並みが綺麗である。
少し狼の血が入っているのか、子供の割には精悍な印象を受ける。
グルトは跪いて部屋に迎え入れている。
部屋に入ると、その獣人の子供が口を開く。
「僕の名はトーイ。ワタル殿というのは貴方ですね。話はアレクから聞きました。よろしくお願いします」
話しぶりがしっかりしていて、聡明な子供の様だ。
それに、グルトやアレクの態度から身分の高い子供の様だが獣人である。
ワタルには話が全く見えて来ない。
「説明して貰えるかな」
ワタルの問いかけにグルトが答える。
「こちらのトーイ様は、呪いにより獣人の姿をしているが身分の高いお方だ。我々としても奴隷商人や呪術師などに頼んで手を尽くしたのだが、どうしても呪いが解けないのだ。何も聞かずに手を貸してくれないか?出来る限りの礼はする」
土下座をする勢いで頭を下げるグルト。
アレクも、そしてトーイも頭を下げている。
「頭を上げて欲しい。俺で出来ることなら協力するけど、呪いが解けるかどうかは分からない。やったことも無いし自信も無いけど、それで良ければ……」
「お、そうか、そうか、やってくれるか。いやぁ、ありがとう」
ワタルの返事にグルトは大喜びだ。
「高名な呪術師に高い料金を払っても駄目だったんだ。こっちとしては藁にも縋る思いなんだよ」
そこに憤慨したグルトが口を出す。
「藁とは聞き捨てならぬ。主の力はその様な脆弱なものでは無い。任せられよ」
「お前なぁ」
グルトの忠誠心が余計にハードルを上げてワタルを追い込んでいる。
トーイがキラキラした目でワタルを見ている。
もう、出来ませんでした、では済みそうにない。
「ラナリア、協力してくれよ……」
弱気になっているワタルにラナリアはウインクで返事をした。
そしてシルコも協力を申し出る。
「呪いなら私も詳しいわよ。自分の奴隷紋について調べるのに、かなり研究したのよ」
これは頼りになりそうである。
「私達は応援ね」
「そうですね」
エスエスとルレインは戦力外である。
「主達にかかれば容易い事」
一番自信満々なのはコモドである。
分厚い胸板を更に逸らして腕を組み、座っている椅子がひっくり返りそうである。
彼が何かする訳では無いのだが……
「そうと決まれば早速やっちゃおう。解除する呪いの紋を見せてくれ」
ワタルがそう言うと、グルトとアレクは急いでテーブルの上に布を敷き、トーイはその上に仰向けに横になった。
そして、僅かに探る様な目をワタルに向けながら襟元をはだけさせる。
トーイの胸には、禍々しいと言っても良い様な紋が刻まれていた。
「これは……」
「酷い……こんな小さな子に……」
ワタルもシルコも思わず呟いた。
その呪いの紋は、奴隷紋の様な円形では無く歪な形をしていて、墨で書かれた梵字の様にも見える。
微細な魔力が紋の周りを蠢いているのが感じられた。
「知っている紋なのか?」
「ええ、文献で見たことがあるわ。宿主の魔力を吸い取りながら、段々と強力になっていく最悪の呪いの紋よ。7年で命を奪うと言われているわ。トーイ君は何歳なのかしら。この呪いを刻まれてから身体の成長が止まっているんじゃないの?」
シルコの問いかけにグルトが答える。
「その通りだ。トーイ様は10歳になられる。呪いを受けてもうすぐ7年になる。一見してそこまで看破した者は初めてだ。頼む。何とかしてくれ」
グルトはシルコを拝んでしまっている。
トーイも目に涙を浮かべてシルコを見ている。
「呪いの紋は基本的に奴隷紋と同じ構成だから、私やコモドの時と同じ様に外せる筈よ。ただ、この呪いは闇の魔力で守られていて、操作しようとする魔力を吸収すると思うわ。かなり厄介ね」
「まあ、見ていても仕方ない。やるだけやって見よう」
そう言うとワタルは【エルフの杖】を取り出して呪いの紋に魔力を流す。
すると、呪いの紋にくっ付いている闇の魔力が反応して、ワタルの魔力を吸収してしまった。
シルコの言った通り、呪いの解除を妨害する機能が付いている様だ。
「シルコの言う通りだな。困ったな」
「その邪魔な闇の魔力を吸い取っちゃえば良いんじゃないですか」
見学していたエスエスがアイディアを出して来た。
「なるほど、そうか。ラナリア、出来るか?」
「アタシを誰だと思ってるのよ。範囲を限定するのに集中力がいるけど大丈夫よ……たぶん」
そう言うとラナリアは【吸精の杖】を取り出した。
そして、杖の先をトーイの胸の呪いの紋に近付けて集中している。
紋に取り付く闇の魔力だけを吸い取るイメージを膨らませている様だ。
すると、杖の先から黒い霧が発生して、それが細く流れ出す。
霧は呪いの紋を包み込む様に停滞して、輪郭を淡く光らせると、シュッと杖に吸収された。
闇の魔力を【吸精の杖】が吸い取ったのだ。
そのタイミングを逃さず、ワタルが呪いの紋に魔力を流す。
すると、呪いの紋が光を発して浮き上がり、トーイの胸の前に5層のそれぞれ違った形の紋を形成した。
奴隷紋の時は3層だったが、この呪いの紋は5層ある。
それだけ強力な呪いなのだろう。
ほう、と感心する溜息をアレクが発するが、本番はこれからである。
一番上の紋から順番に解除をしなければならない。
ワタルの額から一筋の汗が流れる。
慎重に一番上の紋を、魔力操作で回転させて行く。
ゆっくりと紋が回って行き、ある角度に達すると紋は光の粒になり消えて行った。
休む間も無く2番目の紋を回転させるワタル。
予想していた事だが、最初の紋よりも回転させるのに魔力を多く消費する。
それでも紋は回転を続け、やはり光の粒子となって消えて行った。
3番目は更に重い。
「やっぱり硬いな……」
さすがにワタルも苦しそうである。
そんなワタルの杖を持つ手に、シルコが自分の手をそっと重ねた。
半獣人となったシルコは、獣人の時よりも遥かに魔力の扱いが上手くなっている。
シルコの魔力に後押しされたワタルは、3番目の紋も上手く回転させて解除した。
そして4番目。
更に硬い。
しかし、そこにエスエスとルレイン、コモドも手を重ねて、皆の魔力で呪いの紋を回転させる。
総力戦である。
それをコントロールするワタルの消耗は更に激しい。
それでも何とか紋の回転が所定の位置に達すると、紋は粒子に変わって消えて行った。
いよいよ最後の紋である。
この紋はワタルの魔力で光ってはいるものの、トーイの胸の表面から浮き上がってはいない。
ワタル達の強力な魔力で、紋は少し回転を始めるが簡単には動かない。
トーイの胸の皮膚が紋に引っ張られて痛そうである。
それでも小さい身体で痛みに耐えている様である。
ここは、強引に押し切るしかないと判断したワタルは、更に魔力を込めて無理矢理に最後の紋を回転させる。
「うわぁぁ」
トーイの口から悲鳴が漏れる。
呪いの紋から出血している。
「トーイ様……」
グルトとアレクは拳を握りしめて、手を出すのを控えている。
「やっぱり最後はアタシね……」
ワタルの杖の先にラナリアの杖が重ねられた。
もうドレインは十分と判断したラナリアが、自分の杖で参戦したのだ。
その瞬間、最後の呪いの紋がグンと回転して光の粒子へと変わり、ゆっくりと消えて行った。
トーイの胸は、呪いの紋の形に傷付き血を流している。
その傷にラナリアがそっと杖を近付けると、傷が光に包まれて消えて行った。
と、その時、トーイの身体全体が光に包まれて行く。
その光は眩しい程に強く、そして少しづつ収まって行った。
光が消えた後には、少し背が大きくなった犬の半獣人のトーイの姿があったのだった。
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