第27話:約束/父としての
「すまないな。混乱しているだろうに、こんな部屋に閉じ込めて」
「いえ。私は大丈夫です。お気になさらずに」
口ではそう言えても、アイの心の中は穏やかではないだろう。俺が夜に、彼女が昨日から入れられた監視部屋に訪れると、アイは無理をするように笑顔を見せた。
ゼミの仲間も訪れてくれているらしいが、アイにとっては状況を理解こそできないだろう。なぜ、自分が監視されなければならないのか。彼女にとっては無意識の内の行動だったのだから。
「それに、授業は出させてもらっていますし……」
「すまない。早く疑惑を晴らしたいのだが……」
どうにか学校長に計らって、授業とゼミに関してはいつも通りに参加させてもらえるようにしている。しかし、それはあくまで俺が監視しているからだ。それ以外に彼女の自由はない。
学校長などの取り決めの中で、アイには外部からのハッキングの誘導係の疑惑有りとされた。とはいえ、まだ疑問点が多いために確証はなく、とりあえずは保留であるが。
何よりアイ自身に記憶はなく、また夢遊病の現象に酷似した動きをしたのが謎を深めさせている。彼女には最も親しい遠見を通じて、彼女自身がどのようになっていたかは伝わっているはずだ。
「本当に、記憶はないんだな?」
「……はい。正直、困惑はしているんです。遠見ちゃんに夢遊病じゃないか、と言われた時には冗談だと思っていたのに……」
アイに関しては、身体測定などのデータを始め調査をしたが、怪しい点は見られなかった。あるとしたら、それこそ夢遊病か、マインドコントロールをされているのか。
馬鹿げた話かもしれないが、夢遊病で殺人を犯した者がいるのは事実だ。それに、俺は彼女が日本へ着くまでの道筋を見ていない。その間に、何かされた可能性は捨てきれないのだ。
「俺は、お前を疑うつもりはない。だが、確証が得られない限りは、この状況を変えるのは難しい……」
「そう、ですか……」
ルビィとキノナリがハッキングの件については尽力してくれているが、どうにも芳しくないようだ。彼女達が何かしらの穴でも見つけてくれたら、アイの無実を証明できるかもしれないが……。
アイが使用したコンピューターには何も残っていなかった。いや、むしろ起動した形跡すらなかったのだ。おかしい。確かに俺達は、彼女の使用していたコンピューターのモニターが光ったのを確認したはずだった。中身の履歴が消えているなら納得できるが、起動記録すらないとなると、謎は更に深まってしまう。
「努力はする。だから、しばらくは我慢してほしい」
「はい……あ、あの!」
俺がそう言って立ち上がると、アイが縋るような声を出してくる。恐らくは彼の事だろう。
「オットーについては解らない。だが、君の小父だ。顔は見せに来てくれるはずだ」
希望的観測を残す。彼女の支えでもあるオットーが来ていないのは知っていたが、俺の一言でここまでアイが落胆するとは思ってもいなかった。それほど、彼女の心はオットーの物なんだろう。
俺は一つ嘘を吐いていた。オットーについては解らない、わけではない。俺は彼に呼び出されていた。今時珍しい手紙で、あるポイントへ来てくれと。
◇◇Skip◇◇
携帯端末を置いて、俺は武蔵島の森が群生しているポイントへ移動する。ギアスーツのエネルギー源である、バイオスフォトンを生成し回収しているブロックだ。試験的に様々な植物が植えられており、木々は様々な葉を枝に付けている。
その木々の合間に、その男はいたのだ。
「オットー・A・イグリス」
金髪で顎には、ほんの少しの髭を残している、一見軽薄そうな男がそこに佇んでいた。男の右手には何かが握られているが、どうにも銃みたいな黒塗りの物は持っていなかった。
俺はいつもの口調で、厳しく行く事にする。彼への疑念は解けていないのだから。
「ネットに繋がる物は置いてきましたか?」
「置いてきた。しかし、なぜそのような事を?」
「一応、です」
オットーは穏やかな表情を浮かべながら、殺意などを向けずに俺を見てくる。むしろ、何かに怯えているように思えるのは、俺の目の錯覚だろうか。
俺が警戒心を未だに抱く中、オットーは俺にその手に持っていた物を手渡してくる。小さな、しかしスティック状になっているデータを保存しておく端末だ。しかし、その形状は二世代前の物に見える。
「これを、あなたの妻であるツバキ・シナプスに渡してほしいのです」
「これをか? 中に何が入っている?」
「ツバキ博士であれば理解できる物を。それ以外の凡人では、恐らくデータの羅列にしか見えないでしょう」
私も理解していません、とオットーは不甲斐なく呟いた。
ツバキは多岐に渡る科学者だ。ギアスーツの技術も会得しているし、専門こそ生物学だがそれ以外にも色々手を出している。彼女を天才と呼ぶ輩がいるのも納得できるハイブリッド妻だ。
しかし、なぜオットーがそれを俺に手渡すのか。彼自身がツバキに面会すればいいはずだ。ツバキは断らないだろう。
「私は、特別な出で立ちでして、このデータを博士に託す事もままならない身です」
「だから、俺に手渡したと?」
「えぇ。あなたを通じて、確実に届けてもらいたい!」
オットーは熱意を込めるかのように俺の手を握る。暑い。しかし、その手は確かに震えていた。
人の身に何かがあるなんて当たり前だ。だからそれを詮索するのは間違いだろう。俺は疑いを残しながらも、そのデータを受け取った。
「郵便では……」
「海賊などがいます。彼らに渡れば、そのデータは高級なジャンクになってしまう」
「……そうか」
ルビィやキノナリに調べてもらってから、ツバキの元へ一度戻るとしよう。元々、アイについての現状も調べる予定だったのだ。いい機会だ。
オットーは俺がデータを受け取った事に安堵したのか、俯いてぶつぶつと懺悔をするように呟く。
「私は父親失格です。血が繋がっていないとはいえ、彼女を溺愛し過ぎた」
「確かに、アイはあんたを異常なほどに支持している印象を覚える」
「私は、あくまで彼女を育てて愛しただけなのです。ですが、誰一人も愛した事がない私にとって、彼女を愛する事への加減が解らなかった……彼女が、自立をしてもらうために武蔵島に留学をさせたのに、私は彼女に会いたいあまりに、再び彼女に会ってしまったのです」
オットーの言い分は、俺には計り知れない。人の教育にとやかく言うつもりもないし、アイは確かに父離れは出来ていないだろうが、友人にも恵まれているように人間は出来ている。
「彼女は、友人に恵まれています。大丈夫。それに、父親からすればできれば娘は離れてほしくないものだ」
カエデがいずれ、自分達から離れると思うと心が痛む。彼女がそれで幸せならいいが、その幸せを共有できるかと言えばそうではないだろう。
彼女は彼女の物語がある。だから口を出してはいけない。それは解っているのに、父と言うのは度し難い者で感情的に物を見てしまうのかもしれない。
「アイの事は任せてくれ、オットー・A・イグリス」
「……はい」
オットーと俺は、約束を取り交わす。この瞬間だけでも、たとえ彼が敵であったとしても、同じ父親としての共有ができたはずだと信じて。
俺は翌日、ツバキの元へ向かう事となる。オットーを信じて、父である彼を信じて、俺は武蔵島を離れた。
◇◇Shift◇◇
監視室で私は小父さんと再会する。小父さんは涙を流しそうな表情をしながら入って来たから、私は驚いたけれど、小父さんは声をかけようとする私を手で制する。
「始めよう……祖国のために……」
「えっ? 何を、始めるんですか……?」
うわ言のように呟く小父さんに一抹の恐怖を覚えて、私は彼に再び声をかけようと――――
「……すまない、アイ……」
「――――
機能停止。No.101、アイ・A・イグリス。記憶データの優先順位を一時的に低下。行動、本能、意識をNo.021、オットー・A・イグリスに譲渡します。
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