敗北 5/12 ~悠と亮太、詩織、それぞれの夕飯~

 夕飯の前に詩織は悠を置いて行ってしまった。予定があるらしい。悠は亮太と二人きり。夕飯はどうしたらいいだろう。

 冷蔵庫を覗いてもあまり食材がなかった。小さめのナスが一本、古いプチトマト、絹ごし豆腐。その奥に輪ゴムで留めた小さな袋がある。何かと思って取り出してみると、天かすの袋だった。これは少し前に三人でお好み焼きを焼いた残りだ。


 あの日は詩織がお好み焼きを食べたいと、駅近くのお店まで三人で行ったのにお休みだった。詩織はどうしても食べたいと言い、亮太も食べたいと言い、スーパーで買い出しして自分達で作る事になった。

 キャベツ、卵、豚バラ、天かす。それで終わりにしようと思っていたのに、詩織はイカ玉が食べたいだの、山芋を入れようだの言い出し、亮太もつられて、桜えびを散らせとか明太マヨを作れとか言い出して大変だった。

 その後お腹いっぱい食べた。三人とも動けなくなって、食後ずっとダラダラ寝転がっていた。ちなみに作ったのは悠一人。後片づけも。楽しかった。

 でも、あの次の日の朝に亮太がおねしょしたら、面倒くさいって思っていたかもしれない。



                  *



 詩織は黒川君と美紀と三人で、駅近くのお店に来ていた。工作教室の中心メンバーの三人で、来週末の本打ち上げの前の、プチ打ち上げだ。

 詩織が選んだお店は、以前悠と二人で来た和風居酒屋だ。あの時食べた天丼が美味しくて、ずっとまた食べたいと思っていた。でも、今それを前にしても箸は全然進まない。お酒も美味しくない。


―― 悠とりょうた、今頃どうしてるだろ。私だけこんなところに来ちゃって……。


「しー坊、どうかした?」

 黒川君が詩織の表情の暗さに気付いた。でもせっかくの打ち上げで黒川君や美紀に暗い話なんてできない。隠さないと。詩織はすぐに嘘を返した。

「いや、今日ずっと緊張しちゃってさ。何か、抜け殻状態」

 作り笑顔を信じて、黒川君が納得した時だった。

「はい嘘ー!」

 美紀だ。

「絶対なんかあった。そゆ顔してんもん。おい、いそべえ騙されんな。こいつ、そゆの隠す子だから!」

「隠してない隠してない。だってさ…」

「ぜーったい嘘。悠さんしょ。今日なんかいつもと違ったもん。ケンカでもした?」

「ああ悠さん、そう言えば元気なかったかもね。しー坊、やっぱり何かあったの?」

 美紀のせいで空気が一気に詩織の相談モードに入ってしまった。相変わらず自由に適当に、吹っ飛んだ事してくれる。でも、実はそれがたまにありがたい事もある。

「ケンカは、してない……」

「喋っちまえよ! 打ち上げはどうせ来週またあんだかっさ! 詩織呑め! 呑んで吐け!」

「しー坊、気にしないで話せる事は話してよ」

 二人とも優しい。これは、詩織が好かれているからだけではなくて、悠も好かれているからだ。何を、どこから話したらいいだろう。



                  *



 悠と亮太の夕飯は結局そうめんになった。小っちゃなナスの煮浸しを半分こ。プチトマトを添えて。冷奴も半分こ。乗ってるのは鰹節だけ。

「おれナス要らない」

 亮太は普段食べられる物でも、機嫌が悪いと嫌がる事がある。

「……一口だから」

「一口でも要らない」

 カウンターのような亮太の返事に悠はまたイラッとした。でもコンビニでの失敗は繰り返すまい。だまってナスの煮浸しを一口で全部食べた。テーブルの下、悠の膝の上には天かすの袋が乗せてある。怖かったからだ。以前の自分をすぐ忘れて亮太を怒ってしまいそうで。

 前にも亮太と少しだけ険悪になった事があった。翔聖君と遊んだ日だ。あの時、詩織のアドバイスで、亮太を抱っこしてやった。しばらく忘れてしまっていたが、抱っこしてやったあの瞬間は、嬉しさで体がはじけ飛びそうだった。

「ごちそうさま」

 亮太はそうめんだけ食べて、席を立った。今抱っこしてやれば、今日の事を帳消しに出来る。悠は天かすの袋を持って立ち上がると、亮太を追いかけた。

「りょうた、ほら!」

 「ドタッ!」と亮太が転んだ。悠がミスしたのではない。手が脇の下に入った瞬間、亮太が思い切り振りはらって、勢い余った結果だ。つまり、抱っこは拒絶された。

 亮太は悠を無視して奥の部屋に行くと、ベッドにごろりと横になってしまった。

 「歯ぁ磨きな!」と、昨日までなら、悠は言っていただろう。



                  *



「あった。これだね。専門調理師・調理技能士。えっと、試験科目……受験資格……」

 黒川君は詩織の証言を元に、スマホで色々調べてくれていた。

「へえ、悠さん、そん封筒ゴミ箱ん捨てったんだ。詩織それ漁ったの?」

「え、うん…」

「マジで?! 意外とやんじゃんお手柄だよ! ねえ、他になんか捨ててあった? なんか見ちゃいけないもんとかなかった?!」

 美紀は相変わらず吹っ飛んだ、というか、軽い適当な感じだ。その脇にいる黒川君は、スマホを眺めながら必要以上に真剣というか、真面目。

「…ん? ねぇしー坊、悠さんおいくつなんだっけ?」

「二十五」

「二十五……? これ、実務経験八年以上じゃないと受験出来ないみたいだよ。高卒で岡本食堂に就職したら、今年度の内に二十六になるとしても、実務経験七年だよね」

「えぇ? でも詩織が見たんには、『落ちた』って書いてあったんしょ?」

「うん。不合格通知だった…」

 黒川君はスマホをしまうと詩織の方に向き直った。

「じゃあ、とにかく受験はしたんだね。それに落ちたから、落ち込んでたのかもね。しー坊、他には思い当たる節ある?」

 確かに、それだけではない気もする。詩織は黙り込んで考えた。


―― どうしよう……。何も思い浮かばないや。逆の立場だったら、悠は私の事すぐ分かっちゃうだろうな。

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