本音は言えない 5/7 ~詩織、企画を立ち上げる~

 次の日、悠は亮太が家を出る時にドアの外でわざと大声を上げて見送った。

「いってらっしゃーーい!!」

 言ってすぐ七号室のドアを見る。間違いなく聴こえているはずだが、いくら待っても山崎さんは出てこなかった。


 少し心配だ。悠が怒鳴りつけてしまった後から、山崎さんは全く文句を言ってこない。それに加えて、火事が起こった日につかまれた腕の感触も忘れられなかった。昨日の悲鳴は、恐らく山崎さんだ。悠は詩織に連絡して相談する事にした。



                  *



「山崎さんの事が心配なの?」

 夜、悠の家にきた詩織はそう聞いた。

「うん。私が怒鳴ってから、あの人出て来て注意しなくなっちゃったでしょ? 本当はすごく嫌な思いしたのかも。それに、火事が起こったあの日、山崎さん私の腕をつかんでたんだけど、そっくりだった。怪談聞かされて怖がってるりょうたと。『構って欲しい病』って言うと、ちょっと違うのかもしれないけど。昨日も、お部屋で叫び声あげてて……誰かが何かしてあげた方が…」

「引っ越すんじゃない?」

 詩織は喰い気味に言い返してきた。声色も口調も、かなり嫌味っぽい。

「引っ越してさ、新しい怒鳴らないご近所さんが出来れば解決じゃない?」

 二人の間に微妙な空気が流れた。詩織は誰かに引っ越して欲しくない。悠は引越しは止めないけど山崎さんが心配。山崎さんが引っ越せば解決するのかもしれない。それは山崎さんにとって解決でも悠にとって解決になるのだろうか?

 繋がっているようで繋がっていない、けれども微妙に繋がっているこれらの要素を悠は頭の中で必死にすり合わせた。

「……分かった。こうしよう。私は山崎さんに安心してもらうために。詩織は引越しを阻止するために。私達にできる事考えよう。でも、もし山崎さんが引越しするとしても、私は止めないからね?」

「うん。それでいい。あのさ、実は私、前から考えてた事が」


---  あああっ! ---


 七号室からだ。二人とも黙って七号室側の壁を見つめ、固唾をのんで「聴き」守った。もう何も聴こえない。二人が顔を見合わせると、そこにはさっきとは違う緊張感が満ちていた。

「昨日もこうだったの?」

 悠は黙ってうなずくと、ささやいた。

「続き聞かせて」



                  *



 次の日、詩織は悠が帰るまで亮太の相手をするために、悠の家にやってきた。部屋に入ってすぐ、詩織は亮太に紙と鉛筆を渡した。

「あのさ、りょうたにお願いがあるの。この紙に鉛筆で、このアパートの人みんなでバーベキューしてる絵を描いてくれない?」

 バーベキューという言葉に亮太はすぐに反応した。

「バーベキューするの?!」

「うん。それをみんなに教えてあげるために絵を描かなきゃいけないんだけどさ、私、絵下手なんだ。だからさ、りょうたに助けて欲しいの」

 亮太はやる気満々で答えた。

「いいよ。どんな風に描けばいい?」


 悠が帰ってくるころには絵も描き終わり、詩織が文章を入れて、チラシが完成していた。亮太は悠が帰ってくるなり完成したチラシを見せて自慢した。悠が褒めてやると、亮太は嬉しそうに笑いながら「お年寄りの横田さんはしわが難しかった」とか「悠の顔がなかなか似なかった」とか、描くときの苦労話を聞かせてくれた。


 その後亮太は詩織と一緒に宿題とお絵かきをしていた。悠は離れたところでノートをつけていたが、亮太は悠の所には一度も来なかった。



                  *



 大家さんに庭でバーベキューをする了承をもらうと、悠と詩織はチラシを配り始めた。相手の反応を見るために一人一人、インターホンを押して出て来てもらう。西園寺さんは帰っていなかったが、横田さんは奥さんが出て来てくれて「ぜひ参加させて頂きます」と言ってくれた。次は山崎さんだ。

 悠が七号室のインターホンを押すと、山崎さんはすぐに出てきた。顔はいつも通りの不機嫌顔だ。

「何? 何の用?」

「今度の週末、お庭でバーベキューするんです。このアパートの皆さんをお誘いしてて、山崎さんもよかったらいらっしゃいませんか?」

 山崎さんは悠に渡されたチラシを眉間にしわを寄せたまま眺めている。

「この暑いのに、外でバーベキュー? 私、煙いの嫌いなのよね」

 まずい。山崎さんが来てくれなかったら、今回のバーベキューは目的を果たせなくなってしまう。悠の奥から詩織が慌ててフォローした。

「あの、天気予報では当日暑さが和らぐそうです。日傘もうちわも用意するので、暑いのも煙いのも何とかなりますよきっと」

「あっそ。ま、考えとくわ」

 山崎さんはそう言うとすぐにドアを閉めてしまった。


 時間を空けてもう一度西園寺さんを訪ねると、帰ってきていた。チラシを渡して説明すると「多分行けると思います」と答えてくれた。相変わらずボソボソ声で、嬉しいのか何なのかよく分からないが、こっちとしては来てくれるならそれでいい。

 これで山崎さんが来てくれれば、アパートの住人全員が集まる事になる。



                  *



 バーべキュー前夜、悠は持っていたボールペンを置き、ノートを閉じた。

「終わったぁっ!」

 ノートがやっと今日に追いついたのだ。亮太の構って欲しい病やバーベキューの準備等でなかなか進まず、ずっと遅れていたのだが、詩織の助けもあってバーベキュー前に何とか一段落つける事ができた。これからはその日の分をつければいいので、幾分かは楽になる。

「あのさ、山崎さん来るかな?」

 テーブルの向かいにいる詩織が頬杖をついて聞いた。

「どうだろ。もし出てこなかったら、一度だけインターホン押そうか」

「あれからさ、悲鳴まだ聴こえる?」

「悲鳴は最近聴こえないけど、毎日夜遅くまで物音がする。前はそんなことなかったのにね。眠れないのかも」

「山崎さんってさ、ホントは寂しがってる人なのかな」

 悠はお茶を一口飲んでうなずいた。

「私はそう思うよ」

「悠さ、腕をつかまれた時亮太とそっくりって言ってたよね? いつもうるさく注意するのはさ、ホントは誰かと喋りたいからなの?」

「うん、たぶんね。で、いつものように私に注意したら怒鳴られて。ひるまず言い返したけどそれも、怖かったからかも。悪い事しちゃったんだよね私…」

 懺悔する悠の前で、詩織はテーブルに両肘をついて手のひらをさすりながら明後日の方を見ている。

「…分かんないよ?」

 あっけらかんとした詩織のセリフに、悠は拍子抜けしてしまった。

「ただのビビリの嫌味っぽいおばちゃんかもよ? とにかくさ、何も分かんない。知らないんだよ。私達二人は別だけどさ、このアパートの人達お互いの事ほとんど何も知らない。それが普通なんだろうけどさ。西園寺さんの事だってさ、ついこの前までなんにも知らなかったし。悠もついこの間までそうだったでしょ?」

「うん。りょうたの名前も知らなかったし、詩織の事も何も知らなくて、正直あんまり好きじゃなかった」

「ええ! でもさ、私も悠の事好きじゃなかったよ」

「うん。気付いてた」

「だよね。だってさ、私、気付かせようとしてたもん」

 悠は声を上げて笑ったが、詩織が人差し指を立てるのを見てすぐに口を閉じた。奥の部屋で亮太が寝ている。

「山崎さんってさ、どんな人かな?」

 詩織の問いに、悠は改めて自分の知っている情報を頭の中に並べてみた。

「全然分かんない。一人暮らしだけど、家族とか親族とかどうなってるんだろ」

「何で一人なんだろうね。旦那さんに先立たれたとか、あるいは離婚……ひょっとしたらそもそも未婚? 子供は?」

「明日来たら聞いてみる?」

「え、悠、興味あるの?」

「うーん、特にない。詩織は?」

「ない」

 今度は二人とも声を出して笑ったが、奥の部屋のベッドで寝ている亮太がもぞもぞと動いたのが見えたので、慌てて口を閉じた。

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