納豆仙人 5/5 ~ジャン坊に協力してもらう~

 悠は亮太をいつもより早い時間に無理やり起こした。眠気で若干不機嫌な状態で外に出てきた亮太に、庭で待ち構えていた詩織が手を振った。


「りょうたほら、今日これ学校に持っていって」


 詩織は亮太に、あるアイテムをわたした。亮太はわけが分からずきょとんとしている。


「りょうた、昨日私と詩織で作戦考えたんだよ。他の人には絶っっ対言っちゃだめだよ! 絶対だよ! 教えるからよく聞きな」

 悠は亮太に作戦を教えた。亮太は作戦に納得したのかよく分からなかったが「分かった」と言って学校に歩いていった。


 今日は水曜。岡本食堂は定休日だ。悠は家で待機し、詩織は午前中だけ大学の授業を受けて帰ってきた。二人は小学校の授業が終わる少し前にアパートの庭に出た。


「ジャン坊! りょうた、学校行くの嫌な時いっつもお前と遊んでたもんなあ。りょうたの楽しい時間独り占めにして! ずるいぞ!」

 悠に顔をワシャワシャなでられてジャン坊は気持ちよさそうに目をつむっている。ひとしきりジャン坊をかわいがって、悠はよっこいしょと立ち上がった。

「私さぁ、詩織が考えた作戦だからもっとこう、教育的にっていうか、根本的に解決できるような作戦だと思ってたよ。」

「無理だよそれは。先生の卵なんて言ったってさ、私まだ学生だもん。学校の先生に気付いてもらうのが一番だよきっと」

 悠は軽く笑った。

「でもこれ、気付いてもらうだけの作戦じゃないでしょ。それなら直接言えばいいんだから」

「うん。だってさ、私もりょうたをいじめる子、ちょっと許せないから」

「軽い仕返しだよねこれ。ぶっとばすのと実はあんまり変わんないんじゃ」

 詩織の方も軽く笑って言った。

「ふふふ、いいじゃん! これくらい」

「うん。私もいいと思ってるよ? よしジャン坊、散歩行くぞ!」

 『散歩』という言葉に反応して、ジャン坊は嬉しそうに「ぼうっ!」吠えると、リードをつけてもらうためにお座りした。

「よしよし。かわいい子だよお前は。詩織、リード持つ?」

「いいっ!」



                  *



 二人はゆっくり歩いてジャン坊の体力を温存しながら、小学校の正門前にやってきた。もう授業は終わっているらしく、校庭では二十人程度の子供達があちこちで遊んでいる。


「りょうたいる?」

 悠は詩織に聞いた。

「うーん……あ、あそこだよきっと!」

 詩織が指さした方向に亮太がいた。ジャン坊のゴムボールを上に放りながら歩いている。ちゃんと作戦を覚えているらしい。悠は誰にも聞こえないくらい小さい声でつぶやいた。

「さぁ来いさぁ来い……」


 二人はいじめっ子の登場を待つ。すぐに思惑通り、何人かの子供達が亮太のそばに寄ってきた。軽く亮太を突っついたり、肩をはたいたりしている。悠は詩織にささやいた。

「あの子達かな」

「そうだよきっと。あ、ほら! ボール取り上げた!」

 亮太からボールを取り上げた子は、亮太に取り返されないように別の子にパスし、そのままパス回しが始まった。

「絶対あいつらだ! 今に見てろよクソガキども……」

 そう言いつつ、悠は内心ハラハラだ。


 一番体の大きい子がボールを受け取り、亮太の目の前でちらつかせた。亮太がボールを取り返そうとして二人でもみ合いになり、亮太は引きずられた後、押し倒された。

「あ!」

「今だりょうた! 言え!」

 詩織と悠が小さい声でそう言ったまさにその時、亮太が叫んだ。


「じゃんぼーーーーーっ!!」


 正門前で悠の足元に座っていたジャン坊が亮太の声に反応して、立ち上がってしっぽを振り始めた。そのジャン坊を見て、亮太が再び叫ぶ。


「とんでけえぇぇぇ!!」


「ぼうっ!!」


 ジャン坊の大きな大きな、大きな大きな大きな声は、ミサイルのようにいじめっ子達を打ち抜いた後、校舎の壁に着弾して校庭中に響き渡った。

 子供達がそれに反応してジャン坊の方を見るのと同時に、ジャン坊は砂埃を立てて走り出した。

 子供達の間には戦慄が走った。自分達の倍はあろうかという巨体にオオカミのような顔をした犬が、一直線にこちらへ突進してきたのだ。子供達は全員本気の悲鳴を上げて、まさに蜘蛛の子を散らしたように逃げ出した。

 ジャン坊は「飛んでけ」の合言葉で、ボールを追いかけていたので、まだボールを持ったままの一番体の大きい子(ジャン坊含めず)を追いかけ始めた。

 その子は自分が恐ろしい巨大犬のターゲットになっていると気付き、泣き声を上げながら必死に走っている。パニックに陥っていて、ジャン坊が狙っているのが自分の握っているボールだとは全く気付いていないようだ。

 悠はニヤニヤしながらそれを眺めていた。おそらく今までクラスにたてつくものはいなかったであろうあの子にとって、自分よりずっと大きくて強い存在に追いかけられるのは初めての経験だろう。当然、ショックも大きいはずだ。


 小学一年生の足が犬に敵うはずもなく、ジャン坊はあっという間に追いついた。その子はジャン坊の方を振り返ろうとして足をもつれさせ、どてっ! と転び、持っていたボールを落としてしまった。

 ジャン坊はボールが欲しかっただけなので、落ちているボールをくわえると、傍らに倒れているその子には目もくれず、さっさと亮太の方へ行ってしまった。


 悠はまだニヤニヤしながらそれを眺めていたが、詩織の方は二階にある職員室の窓を見ていた。校庭での騒ぎに気付き、先生が二人、職員室を飛び出すのが見えた。

「よし! 悠、行こう」



 先生達が校庭に出てくるのとほぼ同時に、悠は亮太とジャン坊の元へ、詩織は倒れた子の元へ駆け寄った。出てきたのは亮太の担任の若い女の先生と、がっしりした体つきの中年の男の先生だ。担任の先生の方は、亮太のところへ走ってきた。

「亮太君、大丈夫?」

「うん」

 先生は次に悠に向かって言った。

「このワンちゃんはお宅の子ですか?」

「そうです、ごめんなさい。私、りょうたと同じアパートに住んでて、仲良しなんですけど、今日はこの子の散歩がてらりょうたを迎えにきたんです。私が油断してたらこっちの方へ走って行っちゃって。でも、誰かを噛んだりはしてません」


 倒れた子が男の先生と詩織に連れられてやってきた。担任の先生はすぐに駆け寄った。

「海斗君、大丈夫?」

 海斗君は泣きながら自分の膝小僧を指さした。なるほど。砂が少々ついているだけですりむいてすらいない。

「うあぁあっはぁぁ~、あぁ~っはぁあ~、おいがげられだぁ~」

 悠がすかさず先生に言った。

「りょうたがうちの犬のおもちゃを学校に持ってきちゃってたんですけど、海斗君達それを取り上げて遊んでたみたいで。うちの犬はそれが欲しくて、遊びのつもりで追いかけちゃったんです」

「海斗君、何か取り上げたの?」

「うああぅあ! ぢがう! がりだの~」

 泣きながら先生に言い訳する海斗君に亮太が強く言い返した。

「取ったよ!」

「ぁあぁ~! がりだだげぇ!」

 最後の一押し。詩織が口を挟んだ。

「でもさ、りょうたを引きずって押し倒してたのはお姉さんも見たよ? ちょっと乱暴だったんじゃない?」

「……二人とも、中で先生とお話ししようか。おいで」


 そう言うと担任の先生は二人を連れて校舎の方へ向かった。男の先生が悠と詩織に少し怖い声で言った。


「犬を校庭に放さないように気を付けてくださいね。今回は運よく! 無事でしたけど、もし子供に何かあったら大変ですから。それにお二人とも、場合によっては保護者の方からお金を請求される事もあるんですよ。」

「はい。どうもすいませんでした」

 二人が頭を下げている横で、ジャン坊は寂しそうに亮太を見送っていた。



                  *



 その後、いじめは先生の知るところとなり、消しゴム二つとソフビ人形「納豆仙人」は亮太の元へ帰ってきた。いじめのきっかけについては、よく分からないそうだ。いつの間にかいじめが始まり、なんとなくそれが継続していたらしい。


 亮太は帰ってきた納豆仙人で、また悠と詩織と一緒に散々遊んだ。納豆仙人を握りしめたまま疲れて眠ってしまった亮太を眺めながら、詩織は悠にささやいた。

「やっぱり、子供だね。かわいい。りょうた」

「うん」

「でもさ」

「ん?」


 詩織は満面の笑みで亮太の寝顔を眺めながら言った。

「納豆仙人、絶対かっこ悪いよね」

 悠も満面の笑みを浮かべて亮太の寝顔を眺めながら答えた。

「うん。絶対かっこ悪い」




第七話 納豆仙人 - 完

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