納豆仙人 2/5 ~納豆仙人ゲット!~
「ねえ詩織ほら!」
夜、悠の家に来た詩織に、亮太は得意そうにびゅんびゅんごまを回して見せた。今日、図工の授業で作ったらしい。
「お! 上手に作ってあるね。あのさ、コマにどんな模様描いた?」
亮太はコマを止めて詩織に手渡した。
「点々と、あと線引いた。四角も描いたけど、これは失敗した」
コマには中央から四方八方にカラーマジックで線が引かれ、四角い模様の間に所狭しと点々が打たれている。
「え、この四角い模様失敗なの? でも回したときすごく綺麗だったけどなあ。私も回していい?」
「いいよ」
詩織は紐の両端を持って、いきなりグイッと引っ張った。
「あれ? 回らない…どうやるんだっけ?」
亮太が詩織からコマを取り上げて、お手本を見せた。手慣れたもので、ほいほいとスピードよくコマを回している。
亮太は楽しそうだし、よく笑うし、特に問題なさそうだ。詩織は余計な心配を避けるため、悠に今朝の事を話さなかった。
「りょうた、詩織がいるうちに、宿題見てもらいな」
食事の後片付けをしている悠が台所から呼びかけた。小学校で教える内容くらいなら悠にも分かるが、詩織の方が先生の卵だけあって教えるのはずっと上手い。
「うん」
亮太は悠の足元にあるランドセルの所までやってくると、ふたを開けて豪快にひっくり返し、ノートとドリルと筆箱を取り出した。亮太が足元にぐちゃっと広がった教科書やものさし、他のノートをほったらかして詩織の方へ戻っていくのを見て、悠は声を荒げた。
「ちょっとりょうた! 自分で片づけな!」
「分かってるよ!」
悠は鼻でため息をつき、片付けに戻った。食事は洗濯物と違って、詩織も入れてこれまでの三倍だ。まあ、食事自体は楽しくなったから文句はないが、片づけるのはやはり面倒くさい。
悠が皿洗いに集中していると、背後で詩織がポツリと言った。
「あれ、消しゴムは?」
「え?」と悠が振り返ると、亮太はまたノートを指でこすっている。
「学校に忘れた」
悠は亮太の所にすっ飛んでいった。
「また消しゴムだけ忘れたの? 私が貸したやつだよね?!」
「だって忘れたの!」
何の言い訳にもなっていない。悠はイラッときた。
「明日は忘れないで持って帰ってきなよ?! 私だってあれないと困るんだから!」
亮太は悠の方を見もせずにむすっとしている。詩織が亮太に自分の消しゴムを手渡した。
「学校に行けばあるんだよね? 今日は私の使っていいよ」
*
土曜日、今日は半年に一度の「地域子ども会」が学校で催される日だ。PTAや地域の大人の人達が、教室で映画を見せてくれたり、校庭で色んな遊びを教えてくれる。ところが
「悠も詩織も来なくていい。おれ一人で行く」
朝、亮太は悠と詩織にそう言い放った。二週間以上前から三人で行くと約束して楽しみにしていたのに、この豹変ぶりはどういう事だろう。二人が「なんで?」と理由を聞いても「一人がいいの!」の一点張りだった。
「りょうた、なんで一緒に来てほしくなかったんだろ」
亮太を送り出した後、悠が呟いた。詩織がマグカップのお茶を飲みながら「うーん」とうなった。
「ひょっとしたらさ、反抗期かもよきっと。小学生にもあるんだよ反抗期って」
「そうなの? 一人で行きたいってのが?」
「お友達に、親と一緒にいる所見られたくないんだよきっと」
「私達親じゃないのに?」
「親かどうかよりさ……周りの子に、自分一人でちゃんとできるって思われたいんだよきっと。大人に付き添われるなんてダサい! みたいなさ」
悠は「あはは」と軽く笑った。
「一人でできるぅ? あれもこれも全部私とか詩織がやってやってるのに? 消しゴム何回も忘れて貸してもらってるくせに」
「ふふふ、そうだよね。だってさ、まだ一年生だし」
「なーんで消しゴムだけ忘れんのかなあ。筆箱はちゃんと持って帰ってくるくせに」
昨日は亮太の言い訳にイライラしてしまったが、時間が経ってみると、器用な忘れ方をする亮太はちょっとかわいい。
「消しゴムだけ出して友達と遊んでるんだよきっと。昔男の子がやってなかった? 机の上で消しゴム出して、定規ではじいたりとか。他にも消しゴム使って男の子色々遊んでた記憶があるな……」
「私、自分がそうやって遊んでた」
「え、ホント? 男の子と?」
「うーん…。私のクラスは女の子も混じって一緒に遊んでたよ」
詩織は驚いてみせた。
「ええっ! 男の子と一緒に遊んでたの?! でもさ、私そういう事ほとんどなかった。これさ、世代間ギャップだよきっと」
「ちょっと、やめて。五年しか違わないでしょ」
詩織はさらにわざとらしく驚いてみせた。
「えぇっ五年『しか』?! だってさ、十年の半分もあるよ?!」
「そういう考え方するな!」
楽しくおしゃべりしていた悠が、ふと台所に目をやると、口を縛ったゴミ袋が目に入った。今朝出すつもりで昨夜用意していた燃えるゴミだ。生ゴミもたっぷり入っている。今日忘れたら一週間あそこに置きっぱなしになってしまう。
「やば…今日ゴミの日だった。私、ちょっと出してくる。収集車まだ来てないといいけど」
ゴミ袋を持って玄関から通路へ出た途端、悠の目にとまったのは
「あれ、りょうた! なんでまだいるの? 子ども会もう始まってるでしょ?」
眼下の庭でジャン坊とボールで遊ぶ亮太だった。亮太は背中から声をかけられ、はっと悠の方を振り返った。
「今から行くとこ」
そう言うと亮太はすぐに走り出した。それをジャン坊が寂しそうに見送っている。ジャン坊と夢中になって遊んでいたらしい。予定を忘れるほど夢中になってしまうとは。仲良しぶりは実に微笑ましいが、やはり子供。こんな風に目の前のことに夢中になって、予定を忘れるようでは「一人でちゃんとできる」とは言い難い。
*
子ども会の解散は夕方五時だったため、悠と詩織は一応四時半に学校に迎えにやって来た。五時解散と言っても、亮太の友達が大勢集まっている。しばらく校庭で遊んだりするだろうと二人とも思っていたのだが、学校につくともう亮太は校門のすぐそばで二人を待っていた。
「あれ? りょうた、もう終わったの?」
「うん」
悠も詩織も校庭を覗き込んだ。バラバラと人がいて、解散しているようにも見えるし、まだ何かやっているようにも見える。
「あのさ、まだ人いるけど、もういいの? 帰る?」
「うん」
亮太はなんだか元気がなかった。悠は、一日中遊んで疲れたのだろうと大して気に留めなかったが、詩織は昨日の朝の事もあり、少し気になった。
だが、元気がない理由に思い当たる節もない。とにかく亮太が元気になるように、詩織は悠と亮太を誘ってスーパーに向かった。
「私、チョコレートは常に家に置いておきたいんだよね」
詩織はそう言ってお菓子コーナーに二人を連れてきた。半分本当で、半分嘘だ。詩織は亮太の興味を引きそうなお菓子を選んで見せた。
「これ知ってる? 中にヌガーが入ってて美味しいんだよ」
「うん」
素っ気ない返事だ。これではダメらしい。詩織は必死にお菓子を探すうちに、やっといいものを見つけた。
「りょうた、これは知ってる?」
詩織が亮太に見せたそれは、最近小学生の間でとても流行っているゲームのキャラクターが箱にプリントされているラムネだった。おまけで十二種類のソフビ人形のうちのどれかが入っている。実際はラムネがおまけみたいなものだ。
「あ……」
亮太は箱を手に取った。これだ!
「よし! じゃあさ、今日は私が一個買ってあげる」
亮太はすぐに箱を選び始めた。
「りょうた、ちょっとだけ振ってみな」
悠がそう言うと、亮太は箱を一つ一つ振って確かめ、レアなソフビ人形が入っていそうな箱を一つ選んで詩織の持っているカゴに入れた。
スーパーから出ると亮太は詩織が持っているレジ袋から、チョコやほうれん草、鶏むね肉をかき分けて、ラムネの箱を取り出した。
すぐに開けようとして悠に「帰ってから!」と注意された亮太は、箱を両手で持って、箱の側面に書いてある説明や写真やイラストを見ながら歩き出した。
悠と詩織に挟まれて歩きながら亮太はずっと箱を眺めていた。家に着く頃にはもう暗くなっていたが、亮太は闇に目を凝らしながら箱を眺めていた。
「家に帰ってからにしな。目ぇ悪くなるよ」
悠はそう注意しながら、詩織と顔を見合わせて笑っていた。さっきまで元気がなかったのに今はもう、ちっぽけなお菓子の箱に夢中になっている。本当に子供だ。
家に帰って箱を開けると、亮太は大声を上げた。
「あー!! これ全然出ないやつ!」
「見せて見せて。」
亮太の声に反応して詩織と悠が寄ってきた。亮太は手に入れたレアソフビ人形を得意げに二人の顔の前にかざした。二人にはなんて事のない……というより、少しかっこ悪いんじゃないかと思うような、太っちょのお爺さんのソフビ人形だった。
髪の毛は長くて、くしゃくしゃに絡まっているし、汚れにしか見えない細かい謎の粒々がくっついている。こんな物で大喜びするなんて、やっぱり子供だ。
亮太はその日の夜、ずっとその人形で遊んでいた。悠と詩織に「敵の役をやってくれ」とか「家具を動かして基地を作ってくれ」とか次々要求し、二人の方も楽しそうな亮太につられて一緒に楽しんだ。
*
次の日、亮太の様子確認する為に、詩織は朝早くから庭で亮太を待っていた。亮太が階段を下りて庭に出てきた所で、すかさず声をかけた。
「りょうた、おはよう」
「おはよ!」
「行ってらっしゃい」
「いってきまーす!」
亮太は挨拶もいい加減に済ませて、背中のランドセルをガチャガチャ揺らしながら走って行く。元気いっぱいだ。詩織は亮太を見送った後安心して大学へと向かった。
悠は、仕事へ出る前に亮太の脱ぎ散らかしたパジャマや食べ残しを片づけながら、部屋中行ったり来たりしていた。これは今までの二倍ではなくて、今までは全くなかったものだ。
そう言えば、亮太が昨日大喜びで遊んでいたソフビ人形がどこにも見当たらない。学校にまで持って行ったのだろうか。先生に見つかったら怒られるに決まっているのに。どうしても友達に自慢したいのだろう。つくづく子供だ。
思っていたより時間がかかり、悠は岡本食堂まで全力疾走で出勤することになった。息を切らせながら店に入ると、大将はカウンターの近くに設置してあるテレビを見ていた。
「おはようございまーす」
「おう、おはよう。悠、ちょっとこれ見てみろよ」
大将が見ているのは朝の情報バラエティ番組だ。昔と今の子供のおもちゃを並べて、何だか色々話している。
「大将、子供のおもちゃに興味あるんですか?」
「いや、興味があるっていうか、今の子供のおもちゃって、大人も買うらしくてよ。さっき言ってたんけど……あ、ほら! あの人形みたいなやつ!」
テレビには詩織が昨日亮太に買ってやったソフビ人形のシリーズがずらりと並んでいた。一段高い所に二つ並べられているうちの片方は、亮太のと同じだ。
「上に並んでる二つは、大人のマニアが五千円とかで取引してるんだってよ!」
「えぇ五千円! あんなかっこ悪いやつが?!」
「そうだよなぁ! あれ、かっこ悪いよなぁ!」
大将も全力で「かっこ悪い」に同意した。
その頃、詩織も大学の教室に先生と同時にギリギリで飛び込んでいた。滑り込みセーフだ。今日は現役の小学校の先生を招いて、講話を聞かせてもらう日だが、授業が始まってもお喋りしている学生や、パンをかじっている学生がいていつまでも騒がしい。まるで子供だ。
先生に軽くお説教された後、やっと小学校の先生の講話が始まった。
「教員に必要とされる能力の一つに、『児童の変化に気づく能力』というものがあります。これは、お勉強できるようになったねとか、そういう変化の事ではありません。朝、児童に会って挨拶した時、いつもと同じように元気かどうか気付かなければいけません」
詩織は亮太が昨日、元気がなかった事にも気付けたし、今日会った時は元気だった。
―― 私、この能力はあるな。パンをかじってるような学生と一緒にしてもらっちゃあ…
「児童に元気がなければ、体調が悪いのかもしれない。しかしもっと恐ろしいのは、虐待を受けている場合です。児童は親をかばっていたり、そもそも虐待を受けているという自覚がない事があります。そうすると自分からは教員に話しません。これに気付ける力を教員が持っているかどうかが、児童の身の安全まで左右するわけです」
―― !
詩織の心に不安がよぎった。悠が亮太を虐待しているとはさすがに思わないが、亮太がなぜ元気がなかったのかは分からないままだ。
「もちろん、元気がない理由は他にも様々な可能性があります。例えば最近話題の……」
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