街灯の下のヒーロー 4/5 ~悠最強説~(若干の暴力描写あり)
悠が詩織を連れてきたのは駅から少し離れた小川の脇を通る道だった。川から四メールほど高い両脇にずっと続いている遊歩道だが、ある橋と橋の間は片脇だけ低くなって、川に入って遊べるよう、幅も広くなっている。悠はそこに向かって走っているらしい。
「あの低くなってる所?」
「そう! 私前に、あそこで男子高校生が集団でケンカしてるの何度か見た事あるから!」
「啓ちゃんケンカしに来たって事?」
「たぶんね。言って心配されるのが嫌だから、隠してたんだよ。あっ! ほらいたよ!!」
悠に少し遅れて詩織が橋にたどり着くと、男子高校生らしい集団が見え、その中に確かに啓一がいた。啓一は一人で七人の相手と対峙している。
「啓ちゃん……」
止めに入るべきかどうか分からない。詩織は悠の方を向いた。悠はわき目も振らずに啓一を見つめている。
七人のうちリーダーらしい一人が一歩前に出た。そのリーダーらしい高校生と啓一は徐々に間合いを詰めていく。
詩織達は一番近くの橋の対岸側にある電信柱の影に隠れて見守った。だいぶ暗くなってきたので、啓一達にはまず気付かれないだろう。
ついに啓一とリーダーがケンカを始めた。どちらかが一方的に強いわけでもなく、もみ合いになっている。詩織は手で顔の下半分を隠して、肩を縮こまらせた。悠の方をちらりと見ると、真剣な顔で黙って啓一達を見つめたままだ。
「……」
「悠……どうしよう……」
もみ合いが続き、二人に疲れが見え始めた時、リーダーの高校生が後ろの仲間達に声をかけた。すると、今まで後ろで見ているだけだった高校生達は、リーダーに加勢して啓一を袋叩きにし始めた。
「ねえ悠……ねえ、どうしよう……」
もう悠にすがるしかない。自分があそこに飛び込んで解決できるとはとても思えない。詩織があたふたしていると、悠が詩織の方を向いて言った。
「詩織が『助けてあげて』って言ったら、私助ける」
悠の発言の意図はよく分からない。だが今は細かい事を考えている時間はない。
「助けてあげて……啓ちゃん」
詩織がそう言うが早いか、悠は首にかけていたタオルを右手の平に巻き付けて走り出した。橋を渡って坂を駆け下り、突進していく。悠が「おい!」と鋭い大声を上げると、二人の高校生が振り返った。
次の瞬間、悠の右拳が片方の高校生の頭を弾き飛ばした。すさまじい威力で、その頭がまるでバネで体に止められたボールであるかのように「ガクン!」と振れた。
詩織と亮太は息を呑んだ。相手は総勢七人もいるのに、悠の攻撃には微塵のためらいも感じられない。
殴られた高校生は後ろに吹き飛んで倒れ込んだ。平衡感覚を失っているらしく、立ち上がれないでいる。それに気付いた高校生達は大声を張り上げながら悠の方に詰め寄ってきたが、悠は全くお構いなしで二人目を殴り飛ばした。その瞬間、残りの五人が一気に悠に飛びかかった。
「―――!!」
詩織は声にならない小さな悲鳴を上げて目をつむったが、亮太は手に汗握りながらも、視線は悠に釘付けだった。神社で悠が三人のチンピラにビビらなかったのは、緊張感に気付かなかったからではないかもしれない。
「ねえ! お前ら、祭りにいた奴らだろ?」
いきなり後ろから声を掛けられ、驚いた詩織は肩を震わせて振り返った。神社で悠に注意されていたあの不良の女の子だ。
「お前らもあれ見物に来たの? 知り合いでもいんの?」
返事に困っている詩織を見て女の子は話を続けた。
「あいつら、うちの高校のゴミなんだけど、一人であいつらにケンカ売った奴がいるって聞いてさ。面白そうだからあたし来たんだ。あれ、メッチャ面白い事になってんね」
女の子が笑いながら顎で示した方に詩織がもう一度目をやると、悠が見事な大立ち回りを演じていた。
相手は七人いるにもかかわらず、悠は一発も攻撃を受けていない。予知能力でもあるみたいだ。ヒョイヒョイと高校生達をかわし、右の拳でバンバン殴りつけ、あっという間に七人全員のしてしまった。
亮太はそれを見ながら懐かしい気分になっていた。昔、亮太の目には悠は今みたいにかっこよく、強く、頼りになるお姉さんとして映っていた。ずっと一緒にいるうちに、以前漠然と抱いていた憧れをいつの間にか忘れてしまっていた。それがよみがえってきたのだ。
「スゲーじゃん。あいつ、お前の友達?」
女の子の問いに詩織は無言でゆっくりうなずいた。
リーダーがフラフラと立ち上がろうとした時、悠は彼の胸ぐらをひっつかんで強引に引き上げ、何か言って聞かせると、乱暴に突き飛ばした。リーダーは悠に向かって負け犬のように吠えると、向こうへ歩きはじめ、仲間達もそれを追いかけていった。
女の子は、魔女のようなかすれた甲高い声でケタケタ笑った。
「調子こいて女一人にボコボコにされて、あいつらマジゴミだな。あー、メッチャ面白かったわ。来て正解だった。ねえ、あたしもう帰っけど、お前らあっち行ってやったら?」
女の子が言い終わる前に詩織は亮太の手を引っ張り、悠と啓一の元へと急いだ。
「悠さん……スゲェな……嘘でしょ……」
ズタズタの服を着て座り込んでいる啓一が悠を見上げていた。
「あいつら、ただのヤンキーじゃねぇんだよ? あいつらが殴り込みにくるって聞いたら、その高校の奴らみーんな逃げちまうんだから」
悠は馬鹿にして「ふん」と鼻で笑った。
「ただのヤンキーだよ。あんなの」
「マジかよ……」
啓一からすれば、悠は突如現れたヒーローだ。もう辺りはすっかり暗くなっていて、悠はずっと上にある街灯の明かりに照らされ、足元には長い影が出来ている。
「あ、詩織達来るね。啓一君、ちゃんと説明してあげな。詩織、本当に本当に心配してたから」
「あぁ……うん……」
「啓ちゃん!」
詩織は二人に駆け寄ってきて、啓一の前に両膝をついた。
「大丈夫?」
啓一はうなずいた。どうやら大したケガもしていない。もうここにいるのは自分と啓一と悠、亮太だけだ。そう気付いた瞬間、ずっと張りつめていた詩織の緊張の糸は、プツリと切れた。
「……ん~……」
詩織は目をつむって声を殺して泣き出した。走った後に自然に息が切れるのと同じように、体が自然に泣いている。
泣いた理由は、啓一が無事で嬉しかったと言うより、今まで怖かったと言った方が正確だろう。
「啓一君、女の子泣かせちゃダメじゃん。ほら、泣かせたままでいいの?」
対処に困っていた啓一は、悠に促されて詩織に言った。
「泣くなよ!」
詩織は一旦目を開けて啓一を見たが、またすぐに泣き出した。
「泣くなっつってんだよ!」
「啓一君、詩織ね、私に『啓ちゃん助けてあげて』って頼んでくれたんだよ。他人の私にそれを頼むって、案外勇気がいるんだよ?」
これがさっきの発言の意図だったわけだ。詩織は今までずっと悠に頼りきりで、自分で何もできずにいたが、最後の最後一番大事な所で、詩織に華を持たせてくれたのだ。かなり強引、無理やりではあるが。
「ほら、詩織に説明してあげな」
啓一は少し迷いながらも、詩織に眼差しを向けて話し始めた。朝会ったときの詩織に対する態度とはまるで違い、恥ずかしそうでもないし、気まずそうでもない。遠慮もしていない。
「詩織さ……多分俺の父さんと母さんに何か言われたんだろ? それで心配して、俺に張りついてようとしたんだろ?」
詩織は鼻をすすり、しゃくりあげながらうなずいた。
「だってさ……叔父さんと叔母さんがさ、啓ちゃん……何か……隠してるって……。あとさ……啓ちゃんの友達がさ……覚醒剤……やってさ……捕まったって……」
「そんな事まで話したのかよ!! あいつら……馬鹿じゃねぇの?! マジでクソだな!!」
「こらこら」
悠になだめられ、啓一はまた落ち着いて話し始めた。
「詩織……俺、ヤクなんかやってないよ。むしろ……っつーかなんつーか、俺の友達、さっきの奴らにそそのかされてヤクやったらしいんだよ」
「それで……ケンカ……売ったって事?」
「……うん」
「ねえ啓一君、それ警察に言った?」
「言ってないっす。証拠とかないんで」
亮太は悠の脇で、三人を順繰りに見ていた。亮太には三人の話はさっぱり分からなかったが、自分の見た事のない「大人の世界」を目の当たりにして、「恐怖」「誇り」「警戒」「興味」「安心」ありとあらゆる感情がまぜこぜになって、心の中で虹色に輝いていた。
「俺さ、説得力ないかもだけど、別にワルじゃねんだよ。こんな成りだけど、中身はヤンキーってほどでもねーし。万引きとかカツアゲも最近はやってねーし。親とかにも反抗してっけど、心の底ではちゃんと感謝ってか……悪いなって思ってるし。でもやっぱイラつくし、うぜーし。それで迷惑かけてんのも本当は分かってんだけど……」
詩織は何度も何度もうなずいた。
「叔父さん達にさ……言っとくから」
「ハァ?! 言うんじゃねーよこんな事!! 絶対言うなよ?!」
詩織はまた何度もうなずいた。啓一は首をポリポリかいて、悠を見上げた。
「結局さ……悠さん、一体何者なの?」
「え? 普通の若い女の子だよ」
力が抜けたような啓一の笑い声が響いた。
「普通の若い女の子、男七人にケンカで勝てねーから! しかも右手だけで!」
「ふふ、私昔ボクシングやってたからね。結構強かったんだよ? 同世代の子には負けた事ないもん」
啓一だけでなく詩織と亮太も初耳だ。だがさっきの大立ち回りを見れば、疑う余地は全くない……というか、逆に本当にそれだけが理由なのかと疑いたくなる。
「やっぱしか。最初会った時から何か……オーラみたいの感じたんだよな……」
悠は「あっははは!」と啓一のリスペクトを軽く笑い飛ばした。
「啓一君を大勢で袋叩きにしてたから、本気になっちゃったんだよね。元々、ああいうヤンキーも、私大嫌いだし」
「あぁ……あのリーダーみたいな奴とタイマンって事になってたんすけど、あいつ、六人も連れてきやがったんすよ。多分そうなるだろうなって思ってたけど」
「それでも一人で来たの? 啓一君、なかなか度胸あるじゃん」
啓一はバツが悪そうに笑って、また首をかいた。
「正直……俺も友達連れてくるつもりだったんすよ。でも、みーんなビビっちゃって。一人で勝てるわけないけど、逃げんのはかっこ悪すぎっから……」
やっと泣き止んだ詩織が、息を整えながら啓一ににっこり笑いかけた。
「友達のためだったんだよね。啓ちゃんさ、かっこいいと思うよ。これは叔父さん達に言う」
鼻声の詩織はまた涙を滲ませている。
「言うなっつってんだよ!」
「嫌。これは言う。もう言うから。啓ちゃんが何言っても」
啓一は小さく舌打ちした。だがイラついているというわけでもなさそうだ。啓一はため息をついた後、また悠の方を向いた。
「ねえ悠さん、悠さんから見て、俺ってヤンキー?」
悠は躊躇なくうなずいた。
「マジか……」
「でも、嫌いではないよ」
啓一は悠の方を見ずに静かに笑った。
四人ともお祭りに戻るような気分ではなく、言葉を交わさずに自然と帰路についた。
*
啓一と亮太は駅までの通り道にある児童公園で二人きりになっていた。悠と詩織は近くにあるドラッグストアに、消毒液やばんそうこうを買いに行っている。
ペンキがはげかけてパリパリになっている古い木のベンチの上で、啓一は亮太の頭にポンと手を置いた。
「亮太、お前、悠さんと一緒に住んでんだろ?」
「うん」
「マジいいよな。悠さん、超カッケーよな」
「うん」
「なあ、悠さん優しいだろ?」
「んー、ううん」
「ハァ? なんでだよ」
「おれがたまねぎ食べないと怒るし、お肉も柔らかいヤツがいいって言っても、いつもパサパサのやつしか買ってくれないもん」
「ハァ? 悠さん優しいだろ」
ハァ? はこっちのセリフだ。聞いておいてこちらの教えた客観的事実は無視か。でも舌打ちはしねーよ。お前とは違うんだ。
と思いつつ、それでもイラついた亮太は語気を強めた。
「優しくないよ!」
啓一は「ヘヘッ」と馬鹿にするように高い声で笑った。亮太はますますイラつき、完全にご機嫌斜めモードになった。
「じゃあ、もし俺が悠さんの彼氏になったら、たまねぎも肉も一緒に頼んでやるよ」
悠の彼氏になるだと? こんなヤツに悠をとられてたまるか! 亮太はさらにイラついた。
「無理だよ。悠ヤンキー嫌いだよ」
啓一は「はあ」とため息をついて首をかいた。
「そうなんだよなあ…なあ亮太、お前悠さんに俺と付き合ってあげてって頼んでくれよ」
ハァア?! 誰が頼むか! 亮太は舌に渾身の力をこめて言い放った。
「ぃやだ」
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