第11話 罪なる天使の翼 レネクスside

自分が死んで、悪魔に転生したとき。


真っ先に探した彼女の姿は、どこにもなかった。


いつか、逢えるのではないかと――そんな願いを抱きながら、悪魔として生きる。

人間から悪魔になったレネクスは他の悪魔たちとは違い、悪魔の魂を食らうことによって寿命を延ばし、力を得た。

もう一度彼女に逢うまでは――そのためだけに、ただ、生きた。


逢えたときは、次こそは間違えないと、……次こそは守るのだと。

――そう決めていた。


しかし漸く逢えた彼女は前世のことを覚えてはいなかった。

覚えていたのは自分だけ。

“彼女”に出逢えたという確証もない。

なかったが、“彼女”なのだと、確信に近いものを感じた。


……目の前の彼女を守ることが、自分にできる罪滅ぼしなのではないかと。


やっとのことで見つけた“彼女”のために、その命の歯車は、漸く動き出したのである――。




「――っ、ぁ……」


荒い息と僅かに漏れる声に目を覚ました。

いつの間にか寝ていたレネクスは、ぼーっとする頭を僅かに振り、眠気眼で周りを見回す。


すると、――白い羽が、目に入った。


「――?」


レネクスはその羽を目で追っていく。

すると、真っ白な翼が見えた。

それは、天使の翼――。

穢れを知らない、純白の翼だ。


しかし、その持ち主は天使ではなかった。


「お前……」


――人間だ。


フェリシアの背から翼が生えている。

寝る前まではなかったはずのものだ。


「っ……レネ、クス」


苦しげに名を呼ぶフェリシアは小さく縮こまり、その体は痛みに震えていた。


「おい、どうした。何があった」


「わ、かんない、けど……、いつもの、ことだから……大丈夫……」


月の光に照らされた翼は光を発し、どこか神秘的なものを感じさせた。

しかしその翼は、一つしかない。


片割れがないのだ。


「どこが痛む。……ここか?」


「いっ――」


翼のない背に触れると、フェリシアの体がビクッと震えた。


レネクスはフェリシアの服をまくり、あらわになった肌に触れる。


「っ――」


再び震えたフェリシアの体。

そこにあった“それ”に、レネクスは思わず黙り込んだ。


「…………」


白い肌に刻まれた大きな傷跡。

その残酷さに言葉が出なかった。


――それは、まるで翼をもぎ取られたかのような傷。


抉るようにとられたのか、刃物のようなものに切られた跡もあった。


「見ない、で……。そこは、生まれつきの傷なの。……醜いから、見ないで」


人間であるはずのフェリシアがなぜ天使の翼を持っているのか。

それは定かではなかったが、それが“罪”に値するものであることは、その傷跡でわかった。


その傷跡には、魔法の痕跡があったからだ。


天界の者が使う、魔法の痕跡。


罪人の意味を示す、赤い文字――“Peccatumペッカートゥム sanguisサングィス【罪なる血】”が記されている。

その文字が赤く光を発しながら、彼女に痛みを与えているようだった。


「…………」


「レネクス……?」


レネクスはじっとそれを見つめると、その跡をそっとなぞった。

上書きをするように、そこに魔力を込めていく。


「あぁっ――!!」


瞬間、フェリシアの体に激痛が走ったのがわかった。

彼女の体が仰け反り、痛みに声を殺す。


レネクスは自身の魔力によって、痛みの根源となっている天使の魔法を抑えていった。


天使の魔法はその痛みを“罰”と称し、彼女に苦痛を与えていた。

それはフェリシアがこの世に生を受けてからずっと、続けられていたらしい。

彼女にとって呪いとも言えるその魔法の術式は、とても手の込んだものだった。

相当な上級者がかけたのか――。

そんなことを考えながら、レネクスは魔法の術式を解いていく。

しかし、天使と悪魔という異種の魔法のために完全に消すことはできない。

が、上書きをすることで、抑えることはできる。


レネクスはフェリシアの体を背後から抱きしめ、彼女の口に自身の空いている手をやった。


「俺の手に噛み付け。そのままじゃ歯が欠けるぞ」


気が遠くなるほどの痛みの中、フェリシアはレネクスの言葉通りに噛み付く。


それを見たあと、レネクスは最後とばかりに彼女の傷口から体内へ送る自身の魔力をグッと強め、一気に術式を組み替えていった。


フェリシアのもがき苦しむ声が響く。

フェリシアの噛み付く強さも増し、その強さにレネクスの手から血が滲んだ。


そんな彼女をいたわる様に、首筋に優しく口付けるレネクス。


「もうすぐだ……」


彼がそう呟くと、傷に刻まれていた文字が光を失っていった。


やがてその文字は霞んでいき、薄くなったその上に黒い花びらの刺青のようなものが刻まれた。

フェリシアにかけられた天使の魔法をレネクスのものにすることができた証だ。

レネクスのかけた呪いともいえるこの魔法。


それは――。


「……大丈夫か」


「ん……」


レネクスの問いかけに答えたフェリシア。

やっと痛みから解放された彼女は力なく、そのまま気を失うように眠りに落ちた。



フェリシアを再びベッドに横たわらせる。



「っ……」


フッと力を抜いた瞬間、彼の体に痛みが走った。


レネクスが天使の魔法の代わりにフェリシアにかけた魔法。

それは、彼女の痛みを自身にも与え、そして移す魔法だ。


しかしそれは、切っても切り離せない関係になるということ。


悪魔にとって、人間とその関係になるということほど、自身を殺すことはない。


人間は悪魔の生命力ともなるべき存在だ。

消して初めて力を得るというのに、その魔法をかけてしまえばかけた人間を守らざるを得なくなる。


悪魔にとっての、“呪い”ということだ。


しかし、レネクスからしたらそれはどうでもいいことだった。

彼は元々フェリシアを守るつもりでいる。

今更形として残っても、彼に支障はないのだ。


それに人間にとっての痛みは、悪魔の体にしたらそれほどの強さではない。

我慢するのは容易なことだった。


――月が雲によって隠れていく。

その光が消えていくにつれ、レネクスの痛みも和らいでいった。


原因が月であることに気づいたとき、今日の月が満月であることにも気づく。


もしかしたら月の満ち欠けも痛みに関係するのかもしれない。


そんなことを思っていると、フェリシアの頬に涙が伝っているのが目に入った。


レネクスは徐にその涙を拭う。


その時ふと、彼女が床で寝れない理由の答えに気づいた。


「……天使様も、随分残酷なことをしやがる」


そんなレネクスの呟きは、静かな部屋の中に消えていった――……




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