第138話 俺、今、女子フリフリ中
呼びかけられた声に振り返ればそこにはアラサーというよりはもうちょっと歳をくった感じの男性が一人いるのを俺は見る。
「……あ、やっぱり稲田さん……初美さんでしたか」
ん? 初美って下の名前で呼んでくるってことは、やっぱり稲田先生の知り合い?
「最初気づかなかったのですが……素敵な親子が歩いていたので、初美さんももしかしてそんな歳になってるのかなって、頭にふと浮かんできて……よく見たら」
親子? 俺は横の片瀬セナをちらっと見る。
なんか悪い顔でニヤリ……。というか、『してやったり』みたいな顔してるぞこいつ。
で、そのセナは、俺と目が合うと軽くウィンクして、
「初見お姉さん……ママが駅にいたからもう行くね。送ってくれてありがとう!」
と、いつもは俺をお父さんと呼ぶ謎の幼女、片瀬セナは、元気いっぱいな感じで、俺——が入れ替わっている稲田先生——をお姉さんと呼ぶ。
そして、
「……はあ?」
俺が呆気にとられている間に、
「お姉さん! さようなら!」
一目散に駅の中に駆け込んで行ったのだった。
で——。
「あ……」
振り向けば、
「……」
沈黙してうつむいた男の人。
二人で残されて、何とも気まずい沈黙が間に生じる。
どうやら、この人、セナを稲田先生の娘——知り合いの親子にたまたま遭遇したの——だと思っていたようだ。
だが、それが勘違いだったのに気づいて、どう繕ってよいのか考えている雰囲気だ。
俺は……。
——誰なんだろこの人。
稲田先生の中身の俺——向ヶ丘勇としては、この男の人がいったい何者なのか知らず、ならば下手なことも言えないので、勘違いに対して何のフォローもできず、ただ相手が自主的に喋り出すのを待つことしかできない状態だ。
いや『あの子はセナちゃんと言って知り合いの娘で……』とか。当たり障りのない話を反応を見るのも良いかもしれないけど……。
でもなあ。
次の会話が続かなさそうだし。
そもそもだ……。
——会話を初めても良い人なんだろうか。
俺はそんな懸念にとらわれる。
この人は、稲田先生「を」知っている人なのは間違いないけれど、稲田先生「が」知っている人なんだろうか?
——ということだ。
ぱっと見は悪い人とは見えないけど、実は、稲田先生をつけ狙うストーカーだったらどうしよう? というのを俺は心配していた。
今も、偶然に会ったようなことを言っているけど、犯人の言うことは信用できないし。
——って犯人と決めつけるのもまた失礼なんだけど。
疑い始めると、男の気が弱そうでおどおどした様子も怪しく見えてくるから不思議だ。
「……?」
ただなあ、もしこの男の人がストーカーだったとしても……。
良く考えたら、ストーカーされるくらい好かれている人いるなら、それはそれで
——この人と先生をくっつけちゃえば良いわけだろ?
そしたら俺戻れるわけだろ?
先生との約束は、結婚を決めてくれたら元に戻るだ。
ストーカーでも何でも、、今のアラサー生活から脱出できるわけだろ?
なら……。
決めちゃいなよ先生!
この人に決めちゃいなよ。
思い切って、結婚しちゃいなよ!
「……?」
——いやいや。
勝手に見ず知らずの人をストーカーだと決めつけて……。
あまつさえ、先生を結婚させちゃえとは俺適当過ぎだろ——俺。
もちろん知らない人のことはうかつには判断できないけど、やっぱりだな人のことを知るにはちゃんとその人のことを見てだな……。
というわけで、俺は、この知らない男の人をじっと観察してみるのだが……。
「……?」
なんかこの人……。
正直……。
——パッとしない。
最初に言っとくけど、悪い人ややばい人じゃないような気はするよ。
実直そうで、優しそうで、真面目に人のこと考えて、気持ちがすごく伝わりそうで……。
——なら、良いじゃん!
……じゃなくて。
顔も、格好も、押しの弱そうな雰囲気も……何か毒にもならないが薬にもならない。人畜無害男子の典型例というか……。
良い友達で終わりそうな人の
選ばれる理由にかける人というか、いつも損をしていそうな人というか。
「……あの」
俺が、勝手な人物評をしながら無言でジロジロ睨んでいるのに耐えられなくなったのか、男の人は恐る恐るといった感じで声を出す。
「……あ、はい……」
俺も、たどたどしくそれに応じる。
すると、
「初美さん……稲田さんですよね」
「はい……」
「苗字変わってないのですよね……すみません馴れ馴れしく下の名前で呼んだりして……」
「いえ……」
そうか。この人、俺が幼女セナと一緒なの見て、——結婚して苗字変わってるかもと思ってしまったようだ。
だから下の名前で呼びかけたのか。
結構気使う人なのか。
というよりも……。
何とも、小心者っぽい雰囲気が全身から溢れ出しているが。
なら、
「……すみません、僕が声なんかかけちゃて……忙しいところ」
「いえ……」
よく声かけれたなこの人。
「……」
「……?」
というか、
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……」
会話が続かねえ。
どうしようか、この状態。
駅前で妙齢男女がつったって黙ってる変な状態。
通報……はされないと思うけど、奇異な目であたりから見られ始めてるよな。
特に男の方。
「……あ」
「はい?」
「……」
「……?」
「……その」
「はい……」
中腰で俯き加減でボソボソと喋ってる様子は挙動不審者といわれてもしょうがないレベルで、発言はさっぱり要を得ない。そして、それを聞く俺の方も、どう答えて良いかわからず、出かけた声が喉から上にいかず……、きっと顔も引きつっているのだろうな。
うん。
まずいな。
このままだと……。
世界の終わりまで……。
——このままだぞ。
別に今日は忙しくないというか、単に教師生活一週間に疲れた体を休めることしか考えていないが、さすがに路上に一日立ち尽くすほど暇じゃない。
——というか、そんな暇つぶしはいやだ。
なら……。
——ここは思い切って、こちらから、話を切り出そう。
俺は決意した。
どうも、相手の対応の様子からして、ものすごい親しい人じゃなさそうな感じがするし。『そろそろ、次の予定が』とかなんとか、適当に挨拶をして別れれば……。
この何とも、膠着した状況から逃げれるだろう。
俺はそう思ったのだった。
しかし、
「……あの、
「?」
何やら、向こうから話しかけてきた。
でも、
「交換……」
「?」
何が言いたいんだろう? 相変わらず、ぼそぼそと途切れ途切れに言葉を投げかっけられても、意味が……。
「……やってますでしょうか?」
——って、何となくわかるけど。
「
ということでしょ?
で、俺の言葉に首肯する男の人だが、
「アカウントを教えてもらえないでしょうか!」
「……!」
まあ、そうなるよな。
SNSとか言い出したら、そういうことだよな。
でもなあ、先生に許可受けずに勝手にそんなこと。
「だめでしょうか……僕なんか……ああ……」
——って!
いきなりガクッと
ちょっと渋ってる様子見せたらいきなり落ち込み過ぎだろこの人。
俺は慌てて取り繕うように、
「え……そうじゃなくて……」
「……教えてもらえる!」
うわ、今度はすぐ、顔をげて目をキラキラさせちゃって。
と、今度は期待させ過ぎちゃってるよ。
まずいよ。先生の許可をとらずに繋がって良いのかこの浮き沈み激しい人と……。
なので、
「……でもなくて、ということもないわけもなく……」
俺も自分で否定しているのか肯定しているのか良くわからなくなるような婉曲表現で結局否定して誤魔化そうとしたが、
「……ああ……」
て、また落ち込ませちゃってるよ。
この人、挙動不審のようで、意外と人の言葉追えてるな。
でも、これじゃ、きりがないというか……。
今度は、世界の終わりまでアカウント教えるのか教えないのかでグダグダと問答をつづけないといけなくなりそうで……。
ええい、ままよ!
「——しましょう!」
俺はスマホを出しながら言う。
「え?」
ヤケ気味の俺の勢いに驚いたのか、キョトンとした表情の男の人。
「交換したいんでしょ!」
「は……、はい」
「じゃあ、スマホ出して」
「え……、はい」
ズボンのポケットからなんかこの人の雰囲気に似合わない、ギャル系の人が持ってそうなでかめ端末が出てくる。流石にデコはしてないけれど……、なんてことはどうでもよくて!
「じゃあ、行きますよ!」
——ふりふり!
というわけで、俺は、突然会った先生の知り合いらしき男と、SNSで繋がったのだった。その時は、それがこの後どう言う結果に繋がるかも知らずに……。
*
「大丈夫だったのかな……」
俺は、SNSのフレになった瞬間に、顔を恥ずかしそうに真っ赤にして、慌てふためいて小走りで消えた男の人の背中を見送ったあと、嘆息しながらスマホの画面を見つめる。
これから事後報告で、良くわからない男の人にSNSの連絡先を教えてしまったことを稲田先生に伝えなくてはいけないのだが。
「はあ……」
その決心がなかなかつかない。
いや、いや。稲田先生はもっとバンバンとこう言うことして交友を広げないといけないと思うよ。だって、先生のSNSの連絡先に登録されている友達の数を見た時の俺の気持ちと言ったら。アラサーの今を逃して、アラフォー、アラフィフ。ついには独居老人として寂しく人生を終……。
——って、このままだとそれって俺の人生じゃん。
稲田先生と入れ替わった俺は先生の結婚相手見つけないと、戻れないわけで……。
なら、機会があれば男とどんどん連絡先を交換するくらいは!
「でもなあ……」
悪い人じゃなさそうだったが、なんか引っかかるとこあったんだよなあの
——中原武蔵。
本名で登録しているらしき、そのアカ名を見ながら俺は逡巡している。
——稲田先生に電話をするのを。
そうしたら——そうしてしまったら——なんだか開けてはいけない扉をあけてしまうのではないか、そんな思いがしてならないのだった。
しかし、やってしまったことはしょうがない。
過去は取り消すことはできない。
なら……。
「先生、実は今……中原さんという男の人と会って……」
俺は、意を決して、稲田先生のスマホに電話をかけて、知り合いらしき男の人とSNSで繋がったことを伝えようとしたのだが、
「え、武蔵くん? 彼に会ったの? どこで?」
なんか、電話の声は明るい。雰囲気的に、随分と親しそうな相手のように思える。
ん? もしかして、これ、SNSのフレくらい当然な相手?
——俺、怒られない?
失敗してなかった?
というか、これこのまま再開——結婚ゴールイン! まである相手ってことない?
なぜなら、
「……ああ、いいな。久しぶりに会いたかったな武蔵くん。でも連絡先わかったのか。それじゃそのうち会うこともできるかも……」
おお、先生の評価も悪くない人のようだな。
「……知り合いなんですか」
それは絶対そうだろうが、——問題はどんな知り合いなのかだ。
「そうね。大学時代クラスが一緒で……」
ん? これはもしかして!
「……私が……」
来た! これ!
「……好きだった人」
おお! やった!
俺は引き当てたぞ!
この
俺もアラサーから解放されました!
となる……と思いきや、
「でも……」
なんだか先生の言葉のトーンが少し落ちて、怪しい雲行きになり、
「でもね、武蔵くん……彼はね……」
次に決定的な一言が放たれるのだった。
「……もう結婚しているの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます