第134話 俺、今、女子授業準備中

 昼休み。

 俺がいるのは進路指導室だった。

 目の前の面談用テーブルの向こう側にいるのは喜多見美亜。——もちろんその体の中にいるのは稲田初美先生だ。

 で、ここ、進路指導室——生徒たちの間の通称は説教部屋——にいるのは先生と俺の二人だけ。進路相談というていをとって、稲田先生(心)が、稲田先生(体)のもとにやってきていたというわけだった。

 それって、隣のクラスの担任に喜多見美亜あいつが面談に来ているということになるが、今回初めて知ったのだが、稲田先生は学年の副進路指導担当やってるので、別に相談にきても不自然じゃないようだ。

 なので、学校で、二人きりで話す機会を作るためにこうやって昼にこの部屋に閉じこもっているのだが……。


「先生、どうですかね……女子高生も結構大変じゃないですか?」

「え?」

 意外な言葉を言われて虚をつかれたって顔をしてるぞ。

「……リア充生活って気を使うじゃないですか」

「ああ、美亜ちゃんたちのグループの放課後の活動とか? のこと?」

「そうそう。チャラい男子と合コンしたり、女どうしでどっちがイケてるかマウントとり合いとか? 制服の着こなしのファッションチェックとか、……髪型が決まってるかとか」

 ほんと、どうでも良いようなことばかりな。

 俺は、あんなリア充グループの中に入ることになって、地味目アラサー女子の稲田先生はたいそう大変なんだろうと、その苦労をおもんばかりながら言う。

「ああ……そう……ね」

 ん? 先生反応薄いな。

 俺はリア充様と入れ替わってしまってから、気の休まる暇が無かったというのに。

 先生も、疲れすぎちゃって、話すのも嫌なくらいなのかな?

 ——と思ったが、

「確かに美亜ちゃんたちの生活は大変ですね。高校生に……しては……。ふっ。」

 なんだか、今、少し、鼻で笑われたような気がした。

「どうですか? 私の生活楽しいですか?」

 そして、逆に、質問で返され、

「あっ!」

 先生の今の態度の意味を知る。

 俺は、先生に入れ替わってからのこの数日のことを思い返す。

 学校で、廊下でぶつかってキスをして入れ替わって……。

 その後の三十路間近の大人女子の生活。

 学校では、初めて知る本当の仕事の厳しさ。 

 仕事が終わった後の大人のギラギラとした合コン。……というか婚活。

 深夜には先生のお母様からの説教。

「……高校生ってやっぱりまだまだ子供ですね……大人からすると……これなら私でも男子を手玉取れるかも……」

 はい。そうでした。

 喜多見美亜あいつのリアルなど、アラサー女子のリアルに比べればどうということないお遊びに見えてしまうのかもしれない。

 いくら地味目で奥手、人見知り気味の稲田先生といっても、十年以上の人生経験違いを持ってしたら、高校生男子など赤子の手を捻るように……、

「ああ、どうしようかな……っちゃおうかな……」

「……?」

 なんか、気のせいでなければ、聞き取れないくらいの小声でつぶやいた先生の言葉は、カ行のものであったような。『くっ』と……。

 まさか真面目な稲田先生に限って、そんなことはないと思う。

 さすがに、軽い冗談だと思うが。

 ——なんか目がトロンとしてて妖しい感じなんだよな。

 まさかとは、思うが、

「ああ、友達の貞操気にするのはわかるけど……」

 ——やっぱりそうかよ!

 ……って、本気ではないとは思うが、

「でも、それなら、早くね? わかってるよね?」

 俺を脅して言うその言葉の凄みは満点。

 この時だけは——この先生、人を殺せるね。

 つまりは、そんなくらいの危機感をもって任務を遂行しろ……。

 早く結婚相手を見つけろってことだよな。

 でも、——この数日で、先生が置かれている辛い状況やプレッシャーは良くわかったけど、流石にこれは他力本願すぎじゃないか?

「……何か? 文句でも? 嫌なら、私のお母さんに、娘に早く結婚するように説教する電話をかけてほしいと、教え子の一人が善意の長距離電話をするのだけど……」

「そ……それだけはご勘弁を!」

 俺は、昨夜の、いつ先生の母親から電話がかかってくるのかとビクビクして過ごした夜のことを思い出して、背中にすっと寒気が走るのを感じる。

 手のひらには、一瞬でじっとりと汗をかいて、喉はカラカラで……。

「それより、午後の授業の件ですが……」

 俺はともかく、話題をそらそうと、そもそもの今日の昼休みのミーティングの目的、この後の午後の先生の受け持つ授業のやり方についてに話をふる。

「ああ、そうね。本当は、どうやって、向ヶ丘くんが私を結婚させるつもりなのか具体的なプランを聞きたかったところだけど……、昼休み終わっちゃうわね、可愛い生徒たちに迷惑かけれないし」

 というわけで、俺は、先生から今日の午後のふたコマ分の授業のアンチョコをもらい、中身の解説を受け始める。


 しかし……。


 そもそも高校の受業を、俺がやるのには無理がある。

 大して出来が良いわけでも俺が、稲田先生と入れ替わったからといってもいきなり知識も経験も増えるわけじゃないからね。

 先生が作ったという資料アンチョコもらっていて、そのとおりに話せば良いって言われてはいるものの、本当に授業内容を理解しているわけじゃないから、生徒の反応は良くない。やっぱり、心が入ってない言葉って、聞いてたらわかるよね。

 だから、今日は先生と相談して、アンチョコの解説をしてもらうことになったのだった。

 一日二日なら、まだ、先生調子悪いのかなで済むが、このまま俺が即席高校教師を続けたなら明らかに不審がられる。

 ——不審がられるだけならまだ良いが、生徒から苦情が出始めたり、学年主任に怒られたりしたら?

 学年主任って、数学の尻手先生だよな。めちゃくちゃ怖いんだよなあの人。

 俺は、尻手先生の授業では、目立たぬように、目をつけられないように。当たらぬ神にたたりなし。先生の注目を受けないようにひっそりと過ごしている。

 石になり、空気になり、気配を消す。

 いつも、目立ちたいオーラを出しまくっているせいで、いうも問題を当てられ、頻繁に雷を食らっているバカな生徒を嘲笑っていたものだ。

 ——それって、キョロ充の和泉珠琴いずみたまきのことだがな。

 って、まあ、それはおいといて……。

 ともかく、俺、今、アラサー女教師稲田初美いなだはつみ

 生徒に教育して立派な大人になってもらう責任ある師であるのだ。

 鬼の尻手に怒られるどうこうでなく、俺には、前途要望な若者たちに向けてしっかりした授業をする責任というものがある!


 のだが……。


「ああ、ちょっと今日の内容の授業はまだ無理ね……やっぱり昼休みだけじゃ難しいから放課後も時間を取るとして……今日は小テストでごまかしましょ」


 やはり大人の責任というのは重く、俺ごときに簡単に持ちきれるようなものではないのであった。


 俺は、授業の半ばで『今日は抜き打ちテスト』と告げた時の同級生たちの阿鼻叫喚の姿を眺めながら……、正直、みんなが狼狽えるのがちょっと面白いなとか思ってしまいながらも、——こんな手は何度も使えない!


 さて、明日から、どうするかな。


 婚活に加え、仕事という大人の責任も背負い込んで、こんなの、さっぱりこなせる気がしない……。途方にくれる俺なのであった。

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