第88話 俺、今、女子コミケ中(一日目)

 そしてコミケ開催! となるが俺が手伝うことになる斎藤フラメンコのブースが出るのが二日目なので、一日目は客としてお台場にやってきた俺たちだった。

 俺「たち」ということは、俺一人ではないということだが、

「想像以上に暑かったわね」

「言ったとおりだっただろ」

 もちろんこんなところに付き合ってやって来る物好きは——喜多見美亜あいつ。昼過ぎ会場ビックサイトを後にしてお台場の海岸を歩く俺たちであった。午前中から昼過ぎまででざっと目当てのブースを回って、昼飯をどうするかなと言うあたりで喜多見美亜あいつがもう限界ぽかったのでそのまま今日は終わりにすることにして、コンビニでかった弁当を持って海辺で涼む俺たちであった。

「ああ、あそこから比べたら——天国」

「いや、あっちが天国だろ」

「はあ?」

「神や天使だらけの場所は天国と言うしかないだろ、たとえそこが地獄の釜のなかでもね」

「なによ神や天使って……ああ」

 神絵師や二次元の天使たちね。

「そういうのは天国といわないでしょ……でも」

 そう言われればそういうものかと思い直したような表情になるあいつ。まあ今小脇に抱えてるカバンの中身を思いかえしてしまえば、俺の言葉も否定できないでいるようだ。

 しかし、それに突っ込むような無粋はやめといて、——今年もコミケは本当に暑かった。会場に入る長蛇の列で、熱中症になる以前に灼熱の太陽に照らされて焼け死ぬのではと思わせてからの、殺人的混雑も伴って蒸し暑い会場内でHPをガリガリと削られる極悪コンボ攻撃。

 さあ嫁たちに会うんだとテンションをあげて、アドレナリンやもっとやばそうな物質をガンガン分泌して戦場ビックサイトに入るからなんとか耐えられるものの、これが学校の授業の環境だったりしたら、一瞬で死人になっている自信がある。

 今年も、いつもどうりにいつものごとく過酷な夏コミであった。

「よくあんなのに毎回来る気になるわね」

 だから、なコミケ初体験者から出るのは、やはりそんな言葉であった。

「正直来てから少し後悔するけどな——といっても中学後半から行き始めてまだ数回だけど」

「まあ、数回でも信じられないけどね」

「そうか? というか、お前も会場じゃ結構ノリノリだったじゃないか?」

「……それは、まあせっかくきたんだから楽しまなきゃ……って思うじゃない」

「そうか?」

「そうよ……」

 と、ちょっと弱気な感じでオタ化した自分を否定する喜多見美亜あいつであったが、——まあいいや。(元)リア充女子さまのプライド的になかなか認められないややこしい感情もあるのだろうとそれ以上は突っ込むことはしない俺であった。今は、なんと言うか、無意味に言い合いをしてギスギスするよりも、この安楽な状況でぼうっとしたい。

 国際展示場前駅から、少し歩いてテレビ局とかがあるお台場の中心まで移動して砂浜で木陰を見つけてベンチに座っている俺たちだった。

 コミケが天国なのか地獄なのかの定義問題ははともかくとして、光る海を見ながらほっと一息をつく、それはさっきまでの環境から比べたらほんと天国のようだと表現したくなるのは間違いはない。

 海から来る涼しい風に吹かれているうちに、汗も次第に乾き、海をゆっくりと漂うウィンドサーフィンの様子や水面からぴょんぴょんと飛び跳ねる魚の様子なんかを見ていると、なんだかそのなんでもない光景が微妙に心地よく、次第に気持ちは朦朧として……。

「——っと」

 思わず寝落ちしてしまいそうになっていた俺であった。

 というか気づくといつの間にか三十分くらい経っているけど、俺もしかして本当に寝てた?

「寝てないよね?」

「何が?」

 尋ねた相手も虚脱してほぼ寝ていたみたいな状態だったが、

「いや、なんでもない。それより明日——」

 俺は話を変えて、このまま本気で寝てしまう前に、そろそろ相談しなきゃなって思ってる例の件を切り出す。

「大丈夫だったの?」

 すると、

「何が……ってちゃんとおぼっちゃん呼び出せたかって——こと?」

「そう」

 秋葉で相談したイケメンをお台場に呼び出す計画がうまく言ったか気にしていた様子の喜多見美亜あいつがちょっと心配そうに首肯する。

「そりゃ『お台場で会いましょう』ってしか言ってないからね。向こうに断る理由もないし。家と家の話だから、よっぽどの用事じゃないとこっちを優先するだろうから——来るよ」

「でも、来るなら、それはそれとして大丈夫かな?」

「何が……って、おぼっちゃんがコミケにつれこんでか?」

「そう」

 昨日まではノリノリでコミケで見合い破断計画を支持していたが、今日初めてコミケに参加して、これほどまでとは思わずに一気に不安になった喜多見美亜あいつであった。

 でも、

「女帝が何しても良いって言ってたからな」

 俺はその女帝の口で淡々と答える。

「そりゃそうだけど、ものには限度ってもんがあるでしょ。政治問題になったりしない?」

「政治? ああ、政治家一家の問題だが」

 確かに、政治家の家庭同士の話なのでこじれたら政治問題って言うのかもしれないが、

「まあ、もう決めたんだから、今更やめるって言ったって……」

「緑がゆるしてくれないか……」

 意見の一致をみる俺たちであった。

 となれば、あとは議論をする必要もなく、二人とも無言で海の波を眺め、ぼんやりとただ時間を過ごす。午後、日の光が最高潮のこの時間、一度涼し木陰に居場所を決めてしまうと、そこから動く気はもうしない。

 明日の打ち合わせって言ったって、集合時間とか、そのあと俺が連れ回すから臨機応変に適当にサポートしてくれとか、明日は近くに住む喜多見家の親戚の法事に重なって現地に来れない女帝(イン・ザ・喜多見美亜)への連絡を頼むとか、そんなくらいを話すと、それ以上は何も思いつかない。

 だって、夏の陽気って、人の頭をボンクラにしちゃうよね。

 暑さに、なんかこうやってぼうっとすること以外はどうでも良いような気がして来て、ただ、ぼんやりと過ごす夏の一日。いや、午前はそれどころじゃない喧騒の中にいたわけだが、そんなこともいつの間にか忘れてしまうようなゆっくりとした時間。

 まあ、とはいえ、明日のことを考えればいろいろ不安にならないでもない。俺は、好意を持ってくれてる相手の気持ちを明日は拒絶するのだ。なんか後ろめたいと言うか、憂鬱な感じがしてしまうが。

 俺は今、女帝——生田緑の体の中にいて、その体の本当の持ち主の当人がそうしろと言うのだから仕方ない。

 まあ、ここでボケた頭でこれ以上いろいろ考えてもよいアイディアも出てこなさそうだし、あとは夜に風呂入って落ち着いて寝る前にでも少し考えるか。と思えば、

「そろそろ帰るか」

 俺は立ち上がりながら言うのだった。

「えっ? もう」

 すると一緒にたちあがりながら言う喜多見美亜あいつ

「もう……って十分休んだだろ。もう十分にお台場の海は十分に堪能したから、もう余計な体力は使わずに明日に備えてゆっくり休もう」

「それは、そうだけど……」

 まだ物足りなさそうな顔の喜多見美亜あいつ。ああ、(元)リア充さまとしては、こんな観光スポットに来てコミケと海見るだけで帰るなんてありえないのかもしれないけどな。そんなことをしても無駄に疲れるだけだ。

 観覧車乗ったり、大型商業施設で買い物したり、アミューズメントスポットやいろんな展示施設、他にはガンダム見にいったり、天然温泉入ったり……。

 いや、最後の二つは行きたいな——じゃなくて!

 そんな浮ついたリア充たちの中にいたら、明日俺が見せなければいけない野生のオタクの牙がにぶってしまう。それに、これ以上海辺にいたら体が弛緩しすぎて身動きできなくなりそうだし。ここらを頃合いにそろそろ帰るべきだと俺は思うのだった。

 とはいえ、

「まあ、そろそろ帰る頃合いなのは同意するけど。せっかく来たんだから少しこの辺散歩してから帰らない?」

 まあ、そのくらいなら。

 俺が同意の首肯すると、

「この先何あるのか見て見たかったんだ」

 喜多見美亜あいつの後について歩き出す俺。

 お台場の海岸の先、ちょっとした出島みたいになっているところに俺たちは向かう。

 家族連れやカップルが歩く、林の中の遊歩道を抜け、階段を登り四角いくぼみの下ではコミケ流れなのか何やら撮影会みたいなのをしているコスプレイヤーの人たちを横目に、その先は海という場所まで歩く。

「何これ大砲?」

「そりゃお台場って、砲台の場所って意味だからな」

「え、そうなの」

「ペリーが黒船で再来訪するとき迎え撃つために江戸幕府が設置した海を埋め立てた人口の島がお台場の元だよ。もちろん今のこの広大な埋立地はもっと近代になってからされたものだけどな」

「へえ、海に砲台作るなんて江戸時代の人もやるもんだね」

「いや、江戸時代は土木工事の技術は結構進んでいたようだぞ。日比谷のあたりも元は海だったのを江戸時代に埋め立てて陸地にしたんだし」

「へえ。あのあたり海だったの? じゃあその先の銀座とかも海だったんだ」

「いや、銀座から東京駅のあたりまでは海に細く伸びた陸地だったらしい。氷河期に海面が低くなってた時に削り取られた谷が日比谷のあたりで、山の部分が日本橋から銀座のあたりで、海面が高くなって波に削られた山の残りがその江戸時代の海に細く伸びた陸地だったらしい。だから地盤も丈夫で、関東大震災の時は銀座の被害は軽微であったという話だ……って聞いてるか?」

「ふーん……」

 なんだか、良くわかってなさそうな目つきの喜多見美亜あいつ

「まあ、なんか良くわからないけど、そんなどうでも良いこと相変わらず良く知ってるわねあんた」

「まあ、なんかきになるとなんでも調べてしまうだよな」

「そうか。やっぱり、あんたは全方位でオタクなんだね」

「そう言われればそうだが……」

「あっ、別に悪いことだって言ってるわけじゃないよ……っていうかいなって思うよ」

「良い?」

「そんな風に自分の興味のままに人生を行きていけるってこと……」

 そう言った瞬間、喜多見美亜あいつの目に浮かんだ、自省するようなちょっと寂しげな光。俺がその意味を捉えかねているうちに、

「まあ、いいや。やっぱり、今日はもう帰ろうか。やっぱり、緑の体相手じゃデートって気分にならないし」

「……へ?」

 もっと俺が意味を取りかねるような発言をしたあいつは、悪戯っぽく笑みを浮かべるとくるりと回って後ろを向くと、そのまま歩き出して行く。


 ——デート?

 ——そりゃ、そういう意味に取れないこともないけど。

 ——まさかね?


「あれ?」


 俺が当惑して、考え込み、立ち止まってルいるうちにあっという間に先に言ってしまった喜多見美亜あいつ。なんだか、後ろから見たその背中はずいぶんんと浮かれて楽しそうに見えたのは気のせいではないよなと思いながら、慌ててそれを追いかける俺なのであった。



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