第80話 俺、今、女子朝行中
さてさて、今度は、なんだかえらくめんどくさそうな家の子と入れ替わってしまった俺であった。
まったく、女帝——
いや、想像しろと言うの方が無理かもしれない。
朝から木刀で素振りで気合を入れて、冷たい井戸水を浴びる。こんなのアニメとかで、ヒロインの家が何か怪しげな剣術の流派の家系とかいうのでしか見たことない。
こんなこと……。
——現実にやってる人がいるとは!
俺は、こんなレアな境遇の家庭の子と入れ替わってしまった引きの強さを、諦念をもって関心してしまうのだった。
入れ替わるならさ、せめてもっとゆるい人生歩んでる子と入れ替わることはできないのだろうか。
俺がいままで入れ替わった女子といったらさ……。
パーティピーポー——経堂萌夏、人気同人作家——下北沢花奈、冤罪を押し付けられたていた女子——麻生百合、そして
誰もが、個性的で、わけありの人生で、正直入れ替わるたびに俺はハラハラの毎日を過ごしていた。まあ、喜多見家の生活はだいぶ慣れて来たとはいえ、あの健康バカの命令に従って過度なジョグングやらダイエットやらを繰り返す毎日は、ゆるく、かつゆるく、適当に人生を過ごしたい俺の人生の目指すところからは大きくずれてしまっていると言わざるをえない。
ああ、どうせ入れ替わるなら、ゆるくダラダラした高校生活を送っている女子に、俺ははなりたい。
雨にも負けて、風にも負けて、雪にも夏の暑さはには部屋に引きこもって、意外と丈夫なからだでも無理はさせず、慾はなく 決して怒らず いつも静かに笑っている、そしてみんなにでくのぼーと呼ばれ、褒められもせず苦にもされず、そういう女子にわたしはなりたい。
いや、もちろん、自分の体に戻って、もとのでくのぼー生活を満喫するのが一番いいのだけど。他の女子との入れ替わりはなんだかんだで元に戻ってくれたのだけど、
学校の廊下でぶつかってキスをしたら入れ替わったのだから、もう一度キスをすれば戻るのかと思って何度キスをしても変化がない。一度、入れ替わった時のシチュエーションを再現すれば良いのではと、夜の学校に忍び込んでぶつかってキスをするまでやったけど、それでもダメ。
正直、このままいくらやっていてもダメそうだから、俺はもう無策でキスするのはやめようかと
で、
ああ、話がずいぶん脱線したね。
いくら、入れ替わるならもっとゆるい家庭にと思っても、——入れ替わってしまったものはしょうがない。俺は、女帝——生田緑が、元に戻ろうと思ってくれるまでは、この家の子供としてこんな毎朝の修行みたいなことを続けなければならないのだった。
実は、別に剣術とか他の何かの武道とかの家元とかいうわけでもない生田家であるが、どうやら毎朝毎朝、日ののぼる前の朝っぱらにそんなことをして、それから学校に来ていた生田緑なのだった。
確かに、あの爺さんは剣道の高段者で、クラスの女帝——生田緑も、小学校とかは剣道部に入っていたりしたみたいだが、別に生田家は武道で身を立てているわけではない。
でもまあ、爺さんは未だ剣道の稽古を続けているみたいだから、朝にこんな鍛錬を行うのもまだわかるが、生田緑は剣道は中学校でやめてしまっていて今、朝に素振りをしなければならない理由などはなく……。
というわけで、朝の修行は単に精神の鍛錬——いや鍛錬の一つ、なのであった。
実際、夏休みの今は早朝の鍛錬の他に、多摩川から帰って来た朝食後、また別の修行が始まる。
朝の素振りをした板間に行く俺——生田緑であった。
そして戸が開け放たれ、庭の向こうに見える空、その下に連なる山々——ああ、その中から飛び出ている、あれは富士山だな——を望みながら正座。
心を無にして瞑想の時間である。
しかし、まあ、なんだな。こんなこと意味あるのか?
そんなことを俺は思わざるをえない。
いったいこの爺さんは娘をどこ向かわせようとしているのだろうか?
実は一人っ子である生田緑を、直系の跡取りとして恥ずかしくないように鍛えているということなのだろうが、この現代、もっとよいやり方がいくらでも……、
「緑! 心が乱れとる! カーツ!」
——痛っ!
肩に走る激痛。
俺が雑念を持ったのをあっさり感知されたのか、
うん、昨日は叩かれたあとにもまだ心が落ち着かず、そのあと三回パコーンってやられた。今日も、正直無の境地には程遠く、このあとの二、三発は覚悟したのだが、
「……どうにもこのところ落ち着き無いようじゃな……まあ、今日心乱れるのはわかるが……」
ん、爺さん今日はなんだか優しいな。
まあ、今日、このあと「すること」を思えば、少しは心乱れてもしょうがないかと思ってくれているのだろうが、
「じゃが……そんな時こそ心平静にしてこその生田の子じゃ……」
あっ、やっぱりね。
「——カーツ!」
俺は、パコーンと大きな音とともに肩に走る痛みに、もう勘弁してくれ! とここに来てまだ三日目にして、何度唱えたかわからないその言葉を、また心の中でポツリとつぶやくのであった。
*
ところで——。
娘にこんな古色蒼然とした修行をさせている生田家。それは、こりゃ、どうみても普通の家じゃないなと思わせる雰囲気が、あちらこちらに漂っている一家であるが、——その通り。まさしく名士と呼ぶに値するごつい歴史を持つ一族であった。
江戸時代はある殿様の家臣として使える、もともとは源氏の出と言われる由緒正しい家系であったのだが、明治維新で周りの武士が没落する中、起死回生で始めた紡績の事業が大成功。その勢いで政界にも進出。
その後はもうトントン拍子。
財力と政治力が合わさって、何個も会社を作っては成功させ、政治でも一族に議員を何人も出す。あの爺さんも実は衆議院議員をやってたというから驚きだが、もっとすごいのは実は生田緑の親。
爺さんの地盤を引き継いだ父親は、同じく政治家の娘である母親と結婚してから、そっちの一族の支援もうけて、三十代前半ですでに参議院議員。若手議員の中での評価のみならず、そのバイタリティと実行力から、日本の国政を支える男として古参の政治家たちからも期待される次代のホープとして獅子奮迅の活躍をしていたという。
「けど、私が五歳の時死んじゃった。お母さんも一緒。出張から帰ったお父さんを迎えに行った車に乗っていたお母さんごと、交通事故で……」
いつもクールな女帝——生田緑——は、入れ替わった
そうして、この不幸な事故により、直系の跡取りが今は生田緑しかいなくなった生田家。魑魅魍魎
生田緑の父親の他は、親族がだいたい財界や学会に散った現状では、親を継ぐものとして、期待されるのは——生田緑その人しかいなかったのであった。
そして、彼女が今後政界に入るために重要なあることが今日このあとに行われる。
俺は、それに、女帝の代わりに参加しなければならない。
うん。
それは、まあ、いろんな胡乱で冗長な説明をされたけど……。
まあ、単純に言って。
どこからどうみても。
それは——見合いなのであった。
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