第77話 俺、今、ドS女子

 なぜか、体入れ替わりに伴う倫理規定が緩くなった? 俺は、温泉から帰って来てから一度荷物を置きに戻ったテントの中で、ちょっと前の風呂での出来事を思い出すのだった。

 三日間もの野外活動の途中で、少しさっぱりしようと、パーティを一時抜けて行った温泉。そこで、今回だけは、どうしてかは知らないが、いつもなら服を脱ごうとした瞬間に飛ぶはずの意識が、風呂に入ってもいっこうになくならなかったのだった。

 なので、俺はそこで、動向の女子たちのあられもない姿を見……。


 ——いや、見てない!


 もしこれが、女子どもにバレたら、どんな報復をうけるのかわからない。

 だから、


 ——あ、いや。だから、見てない。見てないからね。

 ——まるで見てないとは言わないが。大事なところはね。

 ——見てても、見てないからね。絶対だからね。


 と、俺は、自分で自分に暗示をかける。


 ——そういうことにしよう。

 ——俺は見てなかった。良いね?


 っと、俺は自分で自分に言い聞かせる。 

 いや、まあ、まずはバレないと思うのだが……。

 そもそも、俺が体が女子と入れ替わってるなんて知ってるのは、喜多見美亜あいつ麻生百合ゆりちゃん下北沢花奈しもきたざわはな、……そして今度の萌さんだけだ。この人たちがあまり体入れ替わりのことを言いふらすなんて考えられないし、仮に話したところでそんあ突拍子もない話は信じてもらえないと思う。

 それに、入れ替わった女性本人様たちは、風呂に入る時とかには意識が飛ぶのを知ってるだろうから、今回も俺の意識はない。俺は何も見ていなかった思うだろう。

 だから俺がうっかり話さない限り、俺が女風呂でも意識を保っていて……その……あの秘密はバレないだろう。

 ……と思う。

 だが、厳重に隠しておいたほうが良い。風呂で今回だけはなぜか意識が飛ばなかったこと。

 隠すんだ。

 何よりも……。

 自分自身に隠すんだよ。

 ——調子に乗って、うかっり話してしまわないように。

 俺自身に、隠す。

 忘れるんだ。

 あの、みんなの、あられもない……。


 ——いやいや! 見てないからね。

 ——見ても、ちょっとだけだからね!

 ——大事なとこは、湯気や光で隠れるからね。


 俺の脳内動画がDVD化されたら分からないが、今のところ厳格な記憶放送コードにしたがって俺の頭の中ではみんなの大事なところは……。


「萌、どうかしたの?」


「……いえ、なんでもない」


 俺が脳内のBPOと本能との間の戦いを繰り広げていると、よし子さんが心配そうな顔で入り口から中を覗き込んでいた。いつまでもテントの中から出てこない俺を不思議に思ったのだろうか。

「ん? 温泉行ってからちょっとおかしいかな? 湯あたりでもした?」

 俺の、多分興奮してカッカと赤くなっている顔を見てよし子さんが言う。

「……違って、あれが……それで……」

「あれ?」

 俺は、いどろもどろに話しているうちに思い出してしまった、頭の中に蠢く桃色にまた精神汚染されはじめるが、


「……チェストオオオオオ!」


「…………⁉︎」


 突然気合いを入れて煩悩を心の剣で断ち切った俺の姿を見て、びっくりしてあとづさるよし子さん。

 よし、なんだか分からないうちに、勢いがこっちにきた今がチャンスだ。

「それよりもさっさと踊りに行こう! 思ったよりも温泉にいて時間使っちゃったから、もう夕方だよ」

 俺はテントから飛び出ると、

「……んん、ああ」

「さあ、行こう。今、行こう。すぐ、行こう!」

「……ええ、確かにもう行った方が良いけど」

「よし、よし子、よし行こう!」

 親父のダジャレのような韻を踏んだ言葉を、無意味に勢いよく言いながら、よし子さんの手を引っ張って、

「でも、萌。あんたやっぱり、何か変……」

「問答無用!」

「……って! 何?」

 さっきの風呂でみたよし子さんのすっぽんぽんの姿をどうしても思い出してしまって、頬を赤らめているに気づかれないように、俺は先になって歩き出すのだった。

 しかし……。


 歩き始めた途端の、

「あっ、萌さん。会場に出発ですか?」

 後ろからの声に振り向けば、

「その前に、こっちの、親切なお兄さんから差し入れ飲みませんか?」

 そこにいたのはペットボトルを胸に抱えて持った和泉珠琴、その後ろの生田緑。

 そして、


建人たけるさん! あんた、こんなとこまで追っかけて来て!」


 例の萌さんのストーカー従兄いとこがそこに立っていたのだった。

「「…………?」」

 よし子さんのえらい剣幕に、何なのか分からず、ポカンとするリア充二人。

 何なのかと、目線をよこす二人だが、俺は無視をして、ちょっと困った顔になっている従兄いとこを見る。

「あんた、なんなの! なんのつもりなの? 知ってるでしょ、歓迎されてないって。せっかくの楽しいパーティを台無しにする気?」

 その歓迎されていない男——建人たける

 萌さんの従兄いとこ。彼女の男性恐怖症的な今の状態の原因を作った男。

 本当の兄のように慕って信頼していた萌さんに、レイプ未遂をしてトラウマを作り出してしまった当の本人だ。

 ——でも、実は、それは誤解だと言うのが、当人からの弁である。

 電車で、中身が萌さんになってるとも知らず喜多見美亜あいつとあいつが中にいる俺——向ケ丘勇に接触して来た時に、その説明をしたということである。

 ふざけてやったんだ。本気じゃなかった。でも、マジで反応されてカッときて、そのあとつい勢いで押し倒してしまい、さらに誤解されて……。

 まあ、信用ならない抗弁と言えば抗弁だが、正直、俺は本心では、この男の話を信じてやっても良いと思ってる。

 彼の行動は、迂闊ではあったと思う。もう大人になりかけの中学校の二人で密室でそんなおふざけをするとどうとられるか? 少なくとも仲の良い兄弟ようだった二人の関係を壊したくなかったとすれば、それはあまりに軽率な行動だった。

 それに、本人の『ふざけて』と言う言葉を信じるにしても、彼の本当に萌さんを襲ってしまいたいような欲望がまるでなかったとも思えない。兄妹のような関係といっても、結婚だってできる従兄いとこという間柄だ。男としてそんな気持ちがまるでなかったとも考えられない。

 しかし、彼は一線を超えないでいるだけの理性は持っていたのだと俺は思うのだった。彼は、踏みとどまっていたのだと思うのだった。

 それは、——なんで、俺が、なんでそう思うかと言うと、

「よし子ちゃん。ちょっと黙ってて」

「……?」

「このどさんぴんには私が言うわ……」

「……えっ…どさんぴんって……萌……そんな死語っていうか……言葉」

 萌さんらしからぬ荒っぽい言葉遣いにびっくりした様子のよし子さん。

「ずっと言おうと思ってたんだ。この男には。いいかげんにして欲しいって」

 俺は興奮して男言葉になるも構わずに続ける。

「萌……」

「何? 『萌』って? 呼び捨て? 私達ってそんな関係だったけ?」

「……」

「そうだよね。仲よかったわよね。昔は。兄弟みたいに。でも今は他人だよな」

「……まってくれ」

兄妹きょうだいだったら、襲おうなんてしないよな! 他人だからできるんだよなそんなこと」

「…………」

「なんで黙るんだ。いせいのよさそうなのは見かけだけか? そうだよな。ずっとストーカーするだけで、謝ることもできないで、付きまとってただけだもんな」


 ——クズ、バカ、間抜け、おたんこなす。


 ——変態、色魔、エロ男、ケダモノ。


 ——人でなし、ろくでなし、ゲス、外道。


「…………くっ」

 俺の途切れない罵倒に、萌さんの従兄いとこは言い返せずに苦虫を噛み潰したかのような苦渋に満ちた表情で耐え、

「バカ、バカ、バーカ!」

「…………」

「バカ、バカ、バーカ!」

「…………む」

 一気呵成に畳み掛けるとい言うか語彙が切れて幼稚な悪口しか言えなくなった俺に何も反論せずにじっと耐える従兄いとこ

 そうだ。この人は、これくらい耐えるはずだ。そのぐらいの思いで、ここまでついて来たはずだ。それを俺は確かめる。

 その様子を萌さんに見せる。それで、彼の本心を明らかにする。

 萌さんの、悪態を耐えても、関係を直したいのか。

 きっとそう思っている彼の様子を萌さんに理解させる。

 その為に、俺は心を鬼にして罵倒を続ける。これが俺が喜多見美亜あいつといっしょに事前に練った作戦の「一つ」だった。

 でも、

「バカ、バカ、バーカ!」

「…………」

 あれ?

「バカ、バカ、バーカ!」

「…………」

 あれれ?

「バカ、バカ、バーカ!」

「…………」

 なんか俺、こうやって相手を嬲って罵るの少し楽しくなって来たような?

 気のせいじゃなきゃ従兄いとこもどことなく、顔が苦しみながらも表情に快感っぽい様子が浮かんで来たような?

 これって……?

 Sと……M?

 ——ってこと?

 俺は、今、どS女子?

 なんだか、当初の目的を忘れ、俺は、悪口を言うことに喜びを覚えて来てしまっているような……?

 そして、従兄いとこの方も、それにまんざらでもないような?

 あれ? これってまずいかも? 単に、二人のいままでの関係——拒否と懇願——それを強化してしまっているだけなのかも?

 実は、この二人はこの関係のまま、ずっと過ごして来た。

 俺は、そんなことを思いあたった。

 萌さんが拒否してでもついてくる従兄いとこ。それが、今二人の間に成立する最低限の関係。この関係を保つことだけが、二人の唯一の繋がりであった。幼き日の楽しい記憶をつなぎとめる、たった一つの方法であった。

 ——のかな?

 俺は、過度の悪口で二人の今の関係を揺るがすことで、両方の本心を見てやろうと思ったのだけど、——これじゃその関係を強固にしているだけ?

 失敗した?

 失敗した、失敗した……?

 俺は、そんなことを思いながらも、ますます悪口を言う自分とそれに屈服する従兄いとこの様子に陶酔しきって、やめることができなまま、

「バカ、バカ、バーカ!」

「…………」

「バカ、バカ、バーカ!」

「…………」

「バカ、バカ、バーカ!」

「…………」

 

 罵倒をいつまでもやめられないでいたのだった。


 だが、


「——まって!」


「「…………?」」

 俺らの間に入って叫んだのは喜多見美亜——萌さん。

 そして、


 ——バチッ!


 ほっぺたを思いっきり平手で打たれ、


「ルー君はそこまで言われるひとじゃない!」


 俺は、


「…………」


 あっけにとられてその場に固まり、ほっぺを抑えながら立ち尽くすのであった。

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