第52話 俺、今、女子告発者

 ——卑怯。


 俺の言葉に顔を少し緊張させるお姉様がた二人だった。

 が、反論する様子も、不服そうな雰囲気も無い。

 たぶん自覚がある。

 ——自分たちが卑怯だって。

 俺はそう思った。

 マンガを描く作業はなんにもしてないのに、下北沢花奈とずっと一緒にいる——代々木公子、赤坂律。それは——俺が最初そう思ってしまったように——はたから見たら卑怯に見える。

 今は実質、下北沢花奈の一人サークルと言っても良い、「斉藤フラメンコ」に寄生する、たちの悪い大人。自分たちがそんな風に見えると、お姉様がたには自覚があるに違いないのだった。

 だが、実際は……。

 ——俺はもう知っていた。

 金銭目的でも、虚栄心を満たす目的でも無く、——この三人でなくなったら、「斉藤フラメンコ」は消える。それを知るから、お姉様がた下北沢花奈から離れずにいるのであることを。

 しかし、下北沢花奈に卑怯と言われてしまうと?

 きっと、お姉様がたは、自分たちのやってることはベストではないものの、気持ちはわかってくれていると思っていただろう相手からそれを言われ……。

 二人は、ひどくびっくりした表情を、顔に浮かべていた。

 でも、

「卑怯……?」

 もっと動揺しているのは、下北沢花奈。喜多見美亜あいつの体の中にいる、ステルス女子は、いつも隠している本当の感情を、少しだけ扱いの慣れない他人の顔に出してしまったようだった。

 俺も、喜多見美亜あいつもよく知るその表情は、

公子きみさんも、りつさんも……?」

 ひどく焦っているときに、かえって落ち着いた風に顔の感情が消える——その状態であって、

「だってそうだよね。マンガは僕にばかり描かせて、——この頃はストーリーの相談にさえ乗ってくれなくて、横で酒飲んでいるだけで……」

 俺はそのステルスがはがれかけた下北沢花奈の本当を、さらにこの場に引き摺り出そうとして言うのだった。

 すると、

「ぼ……いえ、花奈はそんな風に思ってない」

 ステルス女子下北沢花奈にしては、少し強い調子で言う反論。

「へえ、あなたは……僕の気持ちが——僕より分かるって言いたいの? なぜ?」

「そ……それは……」

 なんで、そんなことを言うのか? 俺が今、自分——下北沢花奈の体に入っている。——入れ替わっていることは、その体交換の相手である俺——向ヶ丘勇は、良くわかっているだろうに。そんなことを思っているだろう下北沢花奈は、訴えるような目で俺を睨みながらも、反論が思い浮かずにしどろもどろになるが、

「——まあ、他人から客観的に見た方が分かることってあるよね」

 俺にだけ見るように、片目でこっそりウィンクしながらあいつが言う。

 その助け舟に、思わず飛び乗って、

「……あ。はい」

 そういえば、と言ったような顔になって慌てて同意の首肯をする下北沢花奈。

 それに、首肯を返しながら、

「君が——下北沢花奈は——そうでは無いと思うなら、……それをみんなに語ってみたらどうだい?」

 喜多見美亜あいつは、ちょっと煽るような感じで言う。

「そ、そうだね……客観的に見て……」

 あわてて乗ったのが泥舟なのでは? とか? なんとなく、嫌な予感があるようだが、もう他に何も思いつかないようなのでそのまま喜多見美亜あいつの舟に乗り続ける下北沢花奈。

 別の体から自分を見る。それも中身の入れ替わってしまった自分。あくまでも外見から、行動や結果から作られた、戯画的な自分を見てもらう。——いや、見せつける。

 それが、昨日、朝、多摩川べりでの作戦会議で、俺たちのだした結論であったが、その策に、今、彼女はまんまとハマったのだった。

「ぼ……花奈は、二人にとても感謝している——はず」

 でも、まだ客観とは言えない自分の主観を語る下北沢花奈。

 そんなのに、俺は簡単に同意などしない。

「なぜ、君は、そんな確信が持てるの? 代々木さんも赤坂さんも、二人とも、もうマンガ描かないで、いつも、僕の周りで、酒飲んでだべってるだけだよ」

 もちろん、「そうではない」ことを、俺は、今ではもう知っている。お姉様がた二人も、下北沢花奈も、——互いにわかりあってるからこそ、あの状態になっているのだった。ただ絡んでいるだけに見える二人も、それが——せめてもの、彼女らのできることだから、ああなっているわけで……。

 そんな、——事実を知りながらも、俺は、下北沢花奈に向かって「下北沢花奈」として反論する。

「君が、思うのは勝手だけど、なんで僕が感謝しなければならないの? 今の二人に」

「二人がいなければ、あなた……下北沢花奈は同人作家としてデビューできなかった。きっと一人で、こそこそとマンガをかいているだけで、誰かに見せる勇気も、そもそも作品を完成させる気力もでないまま、なにもできないままでいた」

「確かに、それは、そうかもと思うけど。世話になったのは、もう随分と前の話じゃないかな? 今の二人は、僕が作品をつくるのに何か役に立つことをしてくれる訳じゃ無く……」


「——違う!」


 言葉を遮って、喜多見美亜の口を大きく開き、声を限界まで張り上げて下北沢花奈は叫ぶ。

「……今も……二人とも……」

 自分の声の大きさに、自分自身で驚いてしまったのか、ちょっと焦った感じで、おそるおそる、言葉を続ける下北沢花奈。

「とても大事な……」

「……そう? でも外から見たらそう見えない?」

 彼女の必死な表情を見て、ちょっと罪の意識を感じながらも、俺は、さらに煽るように言う。

 それに、

「——違う」

「違う? 僕ではない君がなんで、僕の心知ってるの? 自分の方が正しいと思うの?」

「それは……」

 下北沢花奈は、一瞬口ごもり、苦渋の表情を浮かべながら言う。

「そんな花奈なんて……花奈では——あり得ないから」

「なるほど……今の僕は僕じゃない。——君はそう言いたいんだよね」

 一瞬、体が入れ替わった事実そのままを伝えているだけのように聞こえる俺の言葉。

 しかし、俺を見て、しっかりと首肯する下北沢花奈の目は、その言葉の本当の意味に気づいているようだった。

「そう。でも……」

「——でも?」

「ぼ……下北沢花奈は卑怯——それは正解だ」

 下北沢花奈でない下北沢花奈がそこにいるのは、下北沢花奈の中身が俺になっているだけでなく、——体が入れ替わる前から、下北沢花奈の中に下北沢花奈でないものが入り込んでいるからなことを、彼女は知ったのだった。

「へえ——? どんな風に」

 ならば、彼女の会話にあとはそのまま、自然に彼女の行き着くところに会話を進めるだけでよい。俺は言った。

「僕が卑怯なところ——聞いて見たいな」

「……うん」

 すると、かすかに頷くと下北沢花奈——喜多見美亜の体は、俺の方にぐっと近づいて、

「そのためには僕が僕でなければならい……」

 そう言うと、自分——俺の入った体を抱きしめると、唇を強く押し付けるのだった。


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