第11話スフレ(後編)
「――ありがとう。さあ、そうと決まったら、早く柊君のところに戻らなくっちゃ。――と、あら?」
顔を上げて微笑んだ瞬間、ぽろりと、何かがテーブルの上に落ちた。
その何かは、楕円形で平たく、鮮やかな赤い色に
「ガーネットの鱗ですね。すごく綺麗です」
「鱗……?」
「ええ。お客様の気持ちの動きが、形になったもの。当店では、この鱗をお代としていただいています」
「それ……渡したらどうなるの? 私の感じた感情は、なかったことになっちゃうわけ?」
「いいえ。その経験は、お客様のもの。それを私が奪うことはできません」
「――そう。なら、いいわ。その……鱗? それは、お代としてお支払いする」
「毎度ありがとうございます」
「スフレ、とっても美味しかったわ。ごちそうさま。――私の気持ちも、しぼまないように祈っていて」
「はい。お客様の想い、うまく伝わるようにお祈り申し上げます。ご来店、ありがとうございました。どうぞ、有意義な人生を」
***
「――朱里さん。あの」
「へっ!? あ、ああ……。もう戻ってきてたの」
気がつけば、柊君の運転する社用車の助手席に乗っていた。
あっと言う間の場面転換だったので、思わず声をあげてしまう。
「戻ってきた……? いえ、会社まではまだしばらくかかりますよ」
「あ、ええ。そうよね。何でもないわ」
慌てて取り繕った。
とはいえ……。
狭い車内。
柊君が隣にいて、彼の声を聞いているという状態に、急に彼を意識してしまう。
だめよ。なるべく平静を装って……。
でも、せっかく一緒にいる機会。
さあ、勇気を振り絞って、膨らんだ気持ちをお皿にのせよう。
あのスフレのように、想いをいっぱいに抱き込んで。
「あ――」
「あの、それで、朱里さん。お話が、あるんですけど」
「――へ?」
いざ喋ろう、と口を開いたところで、カウンターのように柊君から言葉が帰ってきて、私は肩透かしをくらう。
「話? うん、いいわよ。何?」
出鼻をくじかれた気分だったけれど、他ならぬ柊君の話だ。ちゃんと聞いてあげなくちゃ。
「あの……」
と、思ったのに、柊君は口を開いたり閉じたりしながら、一向に話そうとしない。
「何よ。口ごもるのは営業にとって厳禁って言ったでしょ? はっきりしなさい」
(! しまった!)
言ってから、後悔する。またいつものように、きつい口調になってしまった。
こんなつもりじゃなかったのに……。
これじゃ、全然変わってないじゃない。ほんとに、何で私は――。
「わ、わかりました。朱里さん、僕と……」
どうしようと、なんとかフォローする言葉を探す私の耳に、
「この商談が上手くいったら、僕と、食事に行ってもらえませんか」
柊君の焦ったような台詞が聞こえた。
(え――?)
驚きすぎて、私は沈黙してしまう。
「そ、その。朱里さんと、何度か一緒に仕事をしてきて、いつも、かっこいい先輩だなって思ってました。それで、仕事の話だけじゃなくて、もっといろんな話を、朱里さんとしてみたいなって、そう、思って……」
運転している柊君には、私の表情は見えていない。
だから、私の沈黙を否定ととらえたのか、喋るその声が、どんどん小さくなっていく。
ついには、柊君も言葉を止めてしまった。
車内に、気まずい沈黙が落ちる。
「……す、すいません。急に変なこと言って」
「――気に入らないわね」
そう言うと、柊君は明らかにしょんぼりと肩を落とした。
「……。やっぱり、駄目ですよね」
「商談が上手くいったら、っていうのは、気に入らないわ」
「えっ?」
信号が赤になり、停車したことで、目を丸くして、柊君がこちらを見る。
やっぱりかわいいなあ。
私は感情の溢れるまま、優しく笑って、言った。
「商談の結果なんて待たずに、近いうちに飲みにでも行きましょうよ。とっておきのお店、紹介するわ」
柊君は、しばらくぽかんとした後、頬を染めて笑った。
「はいっ!」
数ヵ月後、先輩後輩より一歩進んだ関係になった私たちは、この時のことを振り返る。
「あの時僕を誘ってくれた朱里先輩の笑顔、最高に可愛かったですよ」
「なっ……!」
そんな風に私が赤面するのは、もう少し後のお話。
***
「よお、お嬢ちゃん――じゃねえな、シュガー。順調にやってるみてーじゃねーか」
「蛇さん! こんにちは」
お客様が帰られた後、ひょっこりと、蛇さんが顔を出しました。
「んー。そういや、俺様もいつまでも蛇呼ばわりってのもなんだな。シュガー、俺様のことは、ウロって呼んでくれや」
「ウロ……さん?」
「そ。それが俺様の名前だ。んじゃ改めて、よろしくなー。今日の稼ぎはどうよ?」
「へ……ウロさん。稼ぎって……その言い方、なんか悪い人みたいですね……」
「人聞きの悪いこと言うなよ。俺様は善良なる一般蛇だぜ」
「い、一般蛇……。ま、まあ、とりあえず、今日はこの1枚です」
「お、美味そーじゃねーか。なんか甘酸っぱい青春の匂いがするぜー。ししっ。まあ、人間いくつになったって、青春しちゃいけねーって理由はねーよなー」
ぱくりと。
いつものごとく、丸呑みです。
「こちそーさん。で? シュガー。今日は、何をお求めだ?」
尋ねるウロさんに、私はにこやかに宣言しました。
「バターをお願いします!」
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