第75話 菜々芽

 俺は少しの間、ぼうぜんとしていた。


 菜々芽と一緒に寝る……?

 そんなこと、もうずっとしてなかったのに。

 最後に一緒に寝たのって、いつだったっけ?

 確か菜々芽が10歳になってから別々にしたから――もう1年以上前だ。


 別々にしたばっかりのころは、いつも菜々芽がグズってたな。

 お兄ちゃんと一緒がいいよう、一緒に寝たいようって、何度も言ってた。

 本当は俺だって別に寝るのは寂しかったけど、やっぱり男と女なわけだし、菜々芽だって成長期を迎えるわけだし、どうしても言うことを聞くことはできなかった。

 あのときは根気よく、何度も理由を説明したんだよな。


 しばらくすると、菜々芽も泣くことなく1人で寝るようになった。

 だから菜々芽は、ちゃんと納得してくれたんだと思ってたのに。

 どうして今日になって、こんなことを言い出したのか。


「お願いお兄ちゃん。今日だけだから……ダメ?」


 菜々芽の顔は、とても不安そうだった。

 そうだよな。今日はいつもとは比べものにならないほど、いろいろな経験をしたわけだし、怖くなってもおかしくはない。……特別な日だ。


「わかった。こっち来い」

「うん、ありがと」


 菜々芽はちょこちょこ歩いてくると、俺のベッドに入ってきた。


「えへへ、あったかい。お兄ちゃんのぬくもりだあ」


 よかった。やっと菜々芽が笑った。

 俺は電気を消すと、菜々芽の隣に横たわった。


「おやすみ、菜々芽」

「ん……」


 菜々芽が、おやすみと言わない。

 それどころか、俺の腕にギュッとしがみついてきた。

 女性として育ち始めた体の感触が、容赦なく俺を刺激してくる。


「ちょっ、ちょっと待ってくれ……!」


「わかってる、こうするとお兄ちゃんを困らせちゃうって。でもごめんね、今日だけはどうしてもこうさせてほしいの」


「お、おい菜々芽、その……何かあったのか?」


「…………」


 いつもと雰囲気が違うのはあきらかだ。

 どちらかというと、声や表情はいつもよりすごくオトナっぽい。

 それなのに、態度は実年齢以下の子供のように甘えてくるのだから、俺のほうがたじたじになってしまった。


 しばらく黙っていた菜々芽だが、俺の胸に顔をうずめると、静かに話し始める。


「お兄ちゃんは、いつもあたしと一緒にいてくれた」


「うん、そうだな」


「いつもあたしのことを思ってくれてた」


「そりゃ……当然だろ」


「家の中なら、お兄ちゃんはいつもあたしのもの。でも今日は……シェリルお姉ちゃんと、リンお姉ちゃんがいる」


「え……?」


「そしてたぶんだけど、この生活はしばらく続くんだよね」


「……そうだな」


「わかってるよ。お兄ちゃんがあたしだけのものじゃないってことは。でも今だけでいい。今、あたしが寝るまでの時間は、あたしだけのお兄ちゃんでいて……」




 そっか、菜々芽は寂しかったんだな。

 確かに初対面のシェリルや久々に再会した花梨には気を使うこともあったし、菜々芽にそそぐ愛情がいつもよりも少なくなっていたのだろう。



「明日からは、みんなのお兄ちゃんでいていいから。だから……お願い」



 ごめんな、こんなことにも気づかないお兄ちゃんで。

 そしてありがとう、明日からはそれでもいいと言ってくれて。



「ああ、わかった。もっとくっついていいぞ」



 俺は菜々芽の頭を優しくなでてやった。

 くすぐったそうにしながらも、嬉しそうに菜々芽が笑う。



「すっごくいい匂い。お兄ちゃん、大好き……」



 すぐに菜々芽が、気持ちよさそうな寝息を立てる。

 俺も菜々芽のぬくもりを感じながら、眠りについていた。

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