課長は美脚がお好みですか?

秋保千代子

ここから変わっていく。

「フラれたんです」

「そうですか」

「あたしがウザくなったらしいです」

「なるほど」

「納得するところですか!? 慰めてくれないんですか!?」

「橘さん。ちょっと自粛しましょうか」


 ばーろい、自粛なんかしてられるかー!!


 なんて思って生ビールをがばがば呑んでいたら、まっすぐ歩けなくなりました。

「会社の新年会だって分かっていましたか?」

「そのつもりです」

「つもりじゃ駄目です」

 見下ろしてくる視線が冷たい。

 申し訳ないですねー、鈴木課長。たまたま私の隣に立ってたばかりに、面倒をみてもらう羽目になっちゃって。

 道端にしゃがみ込んだまま、うっすらと目を開けると、丁寧に磨かれた革靴が見えた。黒いオーソドックスなビジネスシューズだ。そろりそろり視線を上げると、ピンストライプの入った紺のスラックス。黒のチェスターコート。銀縁の眼鏡。事務所にいる時と変わらないブスッとした表情。

 私、どうして、社内一無愛想なこの人に愚痴ってたんだろう?

 総務部で労務管理・福利厚生が担当の鈴木課長は、常に低テンション、人当たりが悪いことで有名だ。

 なんて思いながら、その人の視線を追う。下へ下へと向かう視線に。

「課長、もしかして、わたしの脚見てます」

「どうしてそんな質問に?」

「だって、足元を見ているみたいだから。ひょっとして課長は美脚がお好みですか?」

「……御大層な自信じゃないか」

「えー? だってわたしまだ若いし。課長、今年で35でしたよね?」

「橘」

 私を呼んで、課長は長いため息をついた。

「悪いけど、もう少し歩いて。通りまで出たら、タクシー拾うから」

「え?」

「職務上知りえた秘密で、おまえの住所はだいたい分かってる。西口の向こうだろう? 通勤経路はバスで合ってるよな?」

「はい」

 なんか口調が荒くなったよ?

 パチクリしているうちに、鈴木課長はぐいっと私の腕を掴んで引き上げた。

「ほら。歩く」

 引きずられるように進む。顔も無愛想というより不機嫌って感じになってきてる。

 タクシーの座席に座らせると、当然のように課長は一緒に乗り込んできた。夜の中を走るライトは私の家の方向へ。バス停の少し先で、課長はまた一緒に下りた。

「あの…… 鈴木課長?」

「家は? どっち?」

「え? そっちの角のマンションです」

 私が指し示す方に、また引きずられていく。だが、さすがにマンションの玄関まで来ると、課長は手を離した。

「おやすみなさい」

「はい。お疲れ様でした」

 くるりと背を向けられて、呆然とそれを見送った。



 次の日は、お説教からスタートしました。内容はもちろん、新年会でのご乱心についてです。

「羽目外して呑むくらい業務に不満があるんだったら、一応聞くけど」

「一応ですか!」

「うん。一応」

「じゃあ、喜んで。残業が多いってことですかね」

「最近の残業、橘自身がポカして長引いているってのがほとんどだよな?」

「残業のせいで 彼氏にフラれたんです、きっと」

「それは知らんなあ」

「知らん、なんて。全然聞いてくれてないじゃないですか」

「内容は把握した。そして、私のほうで何とかしてあげられる部分がなかったって返事している」

 机を挟んで対面したうちの営業課長、五十手前の出っ腹おじさんが頭を抱えた。

「なんていうか…… 仮にも3年目、自制できなかったのかい?」

「自制ですか」

「楽しむのは大事だけどさ。呑み方とか発言とか、そのへんに節度がないと、普段の仕事にも支障が出るぞ」

「発言?」

「おまえ、鈴木課長にとんでもないこと言っただろう?」

 なんだろう。何言ったっけ?

 瞬いていると、課長がますます屈みこんでいった。

「会社の管理職を変態扱いする奴がいるか!」

「ああ、脚フェチじゃなかったんですね」

「ど阿呆!」

 課長、机に突っ伏す寸前。

「大人って言っちゃいかんことは言わんのがルールなわけさ。さもなきゃ、同じこと言うにもさ、トゲが少ない単語を使うとかな。まぁ、早い話、空気読めってこった」

 さすがにもう笑えなくなって、私は頭をかいた。

「ってことで、もう少し自覚と集中力を持って仕事に取り組んでください。以上」

 言い切った課長は立ち上がり、私もならう。

「申し訳ございませんでした」

 下向きの視線で会議室を出る。事務制服のスカートにシミが残っているのを見つけて、ウンザリした。課長はすたすたとデスクに戻っていく。ずきずき痛むこめかみを抑えて、私は通路で立ち止まった。

「具合悪いんですか?」

 会議室の傍は総務部の一角。声をかけてくれたのは、そこの二年目の女の子で。

「うん…… 大丈夫」

 そう返事したのに。

「顔色が悪いですよ、橘さん」

 別方向からも声が飛んできた。女の子の向かいの席、鈴木課長だ。

「体調が悪いなら、無理しないでくださいね」

 銀縁眼鏡をかけ直してから、課長はまっすぐに見てくる。昨日の夜とは違う、無表情で。

 うう…… さすがに気まずい。

「大丈夫です」

 だから頑張ったよ。今日だけで、電話の取次ぎミスを5件やったけど。


 本当にうまくいかない。

 電話をかけてきたお客様の名前を間違えたり、取り次ぐ相手を間違えたり、お局に制服のシャツがはみ出ていると指摘されたりは序の口。電話を切った直後に話し方が横柄とクレームが入って、それがまさに私へのだったとか。冗談を言ったつもりだったのに、他部署の人を怒らせたりとか。

 課長の指摘どおり、どうも空気が読めていないらしいと気が付いた。きちんと見てると、私が何か言った後、ビミョウな顔をしている人がすごく多いような気がしてきた。

 へこんだ。


 金曜日。真っ直ぐ家に帰る気にもならなくて、改札近くのコーヒーショップへ。窓際の席に陣取って、ごろりとテーブルに頭を投げ出す。

 あー、もう、泣きたい。泣きたい。お酒呑みたい、騒ぎたい。

 年末までなら、ここで彼氏を呼べたのに。じゃあ学生時代の友人にメッセージ送ろうか、と悩んで止めた。最近返事は遅いし、既読スルーも多いから、今すぐ来てくれるとは思えなくて。

 頬を膨らませて改札に向かう人の流れを眺めていたら、見知った人を見つけました。

――鈴木課長。

 向こうも私に気づいたようで、眼鏡の奥の目が大きく見開かれるのが見えた。


 でも、その日はそれだけ。翌週になって。

「コーヒー、おいしかった?」

 とだけ聞かれた。

「そこそこでした」

「……あのチェーン店、高いのに」

「落ち込んでいる時に飲んでもダメなんです」

 私が言うと、字を書く手を止めて、鈴木課長は見つめてきた。それから何か言おうとして、黙ってしまった。

 なんだろう、何を言おうとしたんだろう? 今度は何がまずかったんだろう?

 じっと見返すと、課長の手が、指が見えた。ちょっと節くれだっている指。そういえばこの人、字が上手いんだよね、と今更ながら思った。



「請求書、先方に送っといて」

 はい、と営業マンに名刺を渡された。角っこがよれっとなった名刺だ。古いのか、この人の仕舞い方が悪かったのか。大丈夫だよねとぼんやり思いながら、預かる。

 その分を作っていたら、あ、と営業マンが叫んだ。

「橘さん、これもお願い」

「はーい」

 今度は真新しい名刺と請求書を渡される。それを見てぎょっとなった。

「ちょっと! 板野さん!」

 慌てて叫ぶと、営業マンが振り返る。

「これ! 請求書と預かった名刺の会社名、違いますけど!?」

「あ」

 私の向かいの主任はお茶を吹いた。

「橘がちょっと鋭くなったぞ」


 ちょっとだけ。ちょっとだけだけどね。


 その後は、久しぶりにいい気分。郵便物を今日だけで12個作ったけど、全部ちゃんと締まった自信がある。

 送り出しを頼むべく、総務部へ。

「お預かりします、橘さん」

「森ちゃん、よろしくね」

 はい、と笑って渡す。二年目の女の子の向かいは、今日も仏頂面の鈴木課長だ。

 ちらっと見ると、向こうもちらりと見てきた。

「郵便の宛名、手書きしたの?」

「しましたよ」

 訊かれて。昔、高校の先生に、私の字は丸過ぎて読みづらいって言われたなって思い出した。上手い人に言われるのはツライよ。

 なのに、鈴木課長は、「へえ」と言って笑っていた。


 その二日後。

 総務部二年目の子が、眉をハの字にしてやってきた。

「これ、橘さんが作られた郵便ですよね?」

「なにこれ!?」

 そっと差し出されたのは、例の角がよれた名刺に載ってた宛先の郵便物。

 ぺろん、と貼られた白い付箋には「宛所に訪ね当たりません」と書いてある。

「どういうこと?」

「郵便局さんで届けられなくて返ってきた分です。まずは書かれている住所が合ってるかどうかもあるんです。この会社さん、移転されていたりしませんか?」

 言われ、営業マンに詰め寄ると。

「あー…… 名刺、引き継ぎでもらった分だから今と住所違うかも。……そういえば! いつも言っている事務所、違う場所にあったわ!」

「早く言えよ!」

 落ち込んだ落ち込んだ落ち込んだ!

 大丈夫かなって思った時点で、もっと突っ込めば良かった。そんな暴れてたら。

「落ち込むのは理解するけどさ、橘」

 そうっと、うちの課長の声がした。

「板野も落ち込んでるんだから、もうちっと優しく言ってやれよ」


 全然鋭くなんかなってなかった。マシになってなんかいなかった。

 字は汚いし、相変わらず電話の聞き取り間違いは多いし。背中側のシャツははみ出てるし。暴言も止められないらしい。

 なんだろうなんだろう。なんでこんなに、上手くいかないんだろう。



 完全に手詰まりになった感じだった。だから。

「字、上手くなるために何かしたことあります?」

 エレベーターで一緒になった人に、訊いてみてしまった。

 相手――鈴木課長は、不機嫌な顔をより冷ややかにして見返してきた。

「字が上手くなるために?」

「例えば…… なんでしょうね? 思い浮かびません。だから、上手い人に聞いてみようと思ったんですけど」

 そう言ったら、ちょっとだけ頬が緩んだ。

 なに今の課長の顔! 可愛いんだけど!


 萌えさせただけで、ヒントはくれなかったけど!


 悔しいから、バレンタインチョコ売り場は華麗にスルーして、本屋に来た。

 分かりやすく、『三十日でうまくなるペン字』とか買っちゃおうかな。

 ムックコーナーの一角でうなっていたら、また目の端に鈴木課長が引っかかった。

 ぽかんと見向く。つけていたイヤホンを外していると、向こうも気が付いてくれて、寄ってきてくれた。

「感心です」

「ありがとうございます」

 にっと笑う。課長はまたちょっと頬を緩めた。

「小学生の頃に習字をやらされてたくらいだけどね、俺は」

「そうなんですか?」

「やってもいいことないって思っていたけど」

「すごく上手じゃないですか。羨ましいです」

「こき使われてはいるよな。社長に代筆頼まれることもあるし」

「本当ですか!?」

「公然の秘密で皆知っていると思ってたよ。一応、黙っとけよ」

「はい」

 ふふっと笑う。ああ、なんか、面白い。事務所と違って少し砕けた話し方をしてるから、本当に笑えてくる。

「どれがいいと思います?」

「こっちは? 字の練習だけでなく、郵便の宛名や社内メモの書き方の見本も載ってるって」

「ずい分実戦向きですね」

「ついでに敬語の練習とかできれば最高なのにな。森にも薦めてみようかな」

「森ちゃんにもですか? 彼女の字って見たことないなあ。練習必要そうなんですか?」

「字じゃなくて…… あいつも口が軽かったり言葉遣いが悪かったりするから。そういう勉強をしてもらいたいだけ」

 さすが。管理職は目の付け所が違いますなあ。ですが、忘れたい新年会の失態の場で、私も課長にとんでもないことを言ったんですけど。

 ひっそりと蒼くなる。そして、お薦めの本を買った。



 三十日、こつこつ、コツコツ。

 これが終わるころ、どうなっているんだろう。

 相変わらず、ケアレスミスはするけれど。うっかり発言も止まないけど。

 それでもそれでも。

 鏡の前でいつも襟を直すようにしてみたんだ。ウエストを測り直して、スカートを交換してもらったんだ。そっちはマシになったかなぁ?


「今年は桜が早いってさー」

 ただいま17時15分。伸びをしながら、向かいの主任が言う。

「木部さん、今、花見酒しか考えてないでしょ」

「失敬だな、板野。仕事中はちゃんと仕事のことを考えてんよ」

「じゃあ確認させてください、木部さん、板野さん。今日3日ですけど、末締めの請求書、全部切り終わってますか?」

「俺は終わった!」

「……すまん。私が終わってない」

 出っ腹課長の声に、みんなそろりと振り返った。

「今から切るから。……今日、送り出してもらっていい?」

――今更!?

 叫ぶのは耐えた。

 課唯一の事務担当――つまり私だ。私にみんなの視線が集まる。

「やります」


 それでちゃんと有言実行したもん。


 ビルの外に出たら真っ暗だった。

「最悪」

 ははっと笑う。でも、自分のミスで遅くなった時の惨めさとは違う。ちょっとした達成感。

 課長は缶コーヒーを持たせてくれました。

 ぽんっとタブを開ける。ぐびぐび飲む。

「ビールじゃあるまいに」

「美味しいですよ!」

 笑って振り返ったら、期待していた人がいた。

「褒めてください」

 言うと。鈴木課長は苦笑いを返してくれた。

「年末の頃は、会社辞めるかもなと心配してたんだけどな」

「そうなんですか?」

「だから見張ってたんじゃないか」

 ああ、それで。それで新年会の時に送りまでしてくれたんですか。人事担当、大変ですね。

 ヤダなぁ。仕事の理由で優しくしてくれてたなんて、切ないじゃん。

「今もですか?」

「今はたまたま出るタイミングが一緒になっただけだ」

「たまたまー。たまたまですかー」

「何をひがんでるんだ」

 私もよく分かりません。でもなんか口惜しいなー。何がって、何がって……

「なんでしょうね」

 もう一回笑う。笑ったついでに、目の端からぽろりと落ちたけど、一粒だけだから気にしない。

 鈴木課長も黙ってしまった。

 二人、路上に佇む。

「これじゃあ、別れ話のもつれた恋人同士みたいじゃないですか」

「そうやってフラれたか、もしかして」

「まさか。もっとひどいですよ。メールで別れるって送られてきて、そのまま着信拒否にされました」

「ひどい男だな」

「でしょう?」

「そうされるほど、お前もひどい女だったのかもだけどな」

「やっぱりそうだったんですかね?」

「暴言を吐く女なんかお断りだろ」

「……課長もそう思ってました?」

「今はそうでもないけど」

 ははっと笑われて、私は腰を折った。

「新年会ではすみませんでした」

「お気になさらず」

 銀縁眼鏡の向こう側の目はすっごい優しい。笑ってる。つられて笑ってしまった。

「三ヵ月経って、マシになりましたか?」

「頑張っているなと思ってるよ」

「認めてもらったって思っていいですか?」

「いいよ」

「……課長に褒められて、嬉しいのかなぁ?」

「自分で判断してください」

 笑って笑って、手を伸ばすと、指先をすくってくれた。

 温もりが伝わってくる。

 温かい。

 とても、とても、あたたかい。

 無愛想なんて嘘じゃないか。ちゃんと見ててくれる人じゃないか。

 ふと浮かんできた言葉に一瞬戸惑って、やっぱり声にした。

「もっとマシな女になるつもりなので、おつきあいください」

 今度はびっくりされたけど。


 ここから二人でゆっくりと歩き出した。

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課長は美脚がお好みですか? 秋保千代子 @chiyoko_aki

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