祭り囃子が消えるまで

椛の字

祭り囃子が消えるまで

『そうだ、京都に来なさい!』


 そんなふざけたメールが姉から届いたのは、中学一年の夏休みが始まってすぐのことだった。当時、年の離れた姉は京都の大学に行っており、お盆と正月くらいしか帰省しなかった。


 気まぐれのお誘いに両親も悪のりとしか思えないような手際を発揮したせいで、気ままな夏休みはいきなり出鼻をくじかれることになったのである。


 とはいえ、行くと決まれば楽しみにしないはずがなかった。共働きで都合のつかなかった両親の目もなく、一人で特急電車と新幹線を乗り継いだ三時間は一三歳の僕にとっては大冒険だった。新幹線の喫煙席に間違えて乗ってしまったのも、今ではいい思い出だ。


 だが、本当の思い出は古ぼけた木とお香のにおいが漂う千年京においてきてしまったように思える。


「そんなわけで、祭囃子を吹いて」

「どんなわけだよ」


 思わず素直な言葉が飛び出してしまった。京都駅で迎えに来てくれた姉ちゃんと合流して、さて案内してくれるのは金閣寺か清水寺かと期待していたら、市バスと地下鉄を使ってどんどん郊外につれていかれ、たどり着いたのは、いかにもそういうモノが出そうなボロ神社だった。参拝順路も拝観料もなく、ただ長いだけの石段を上ったところにある境内も、広いこと以外に特筆することもない。嬉しいのは周囲を林に囲まれているおかげか少し涼しいことくらいだ。


 観光名所でないことは一目瞭然で、境内には叫び散らす蝉と僕ら以外誰もいない。観光気分で頭をいっぱいにしていた僕は、こんなへんぴなところにつれてきた姉に唇をとがらせるしかなった。

「だから言ったじゃん。お姉ちゃんの勉強のためだって」


 僕がへそを曲げているのがわかっている姉は、言い聞かせるように声を低くした。


 姉は民俗学とかいう学問を専攻している。なにをやっているのか僕にはあまりぴんとこなかったが、社会と国語を組み合わせたようなものだと教えてくれた。それで、研究のためにこの寂れた神社を調べていたら、お祭りでお囃子をできる子供がいなくなって久しいという話を聞きつけた、ということらしい。

「できないなら教えればいいじゃないか」

「そうは思うんだけど、今の子供って存外忙しいのよね。あんた、暇でしょ?」


 そういわれればグウの音も出ない。中学受験もしなければ高校受験もまだまだ遠く、現に京都まで遊びに来れるくらい暇なのだ。


 ごねる僕と根気よく説得する姉の不毛な言い争いが続けられてしばらくすると、社殿の方から二人の男性が歩いてきた。片方は着流しに白髪の老人で、もう片方は顔の角張った初老のおじさんだった。二人を見つけた姉はつり上げつつあったまなじりをあわてて戻し頭を下げた。


「こ、こんにちは宮司さん、常会長さん」

「やぁ、しばらくだね。そちらが言っていた弟くんか」


 着流しの老人がアゴをなでながら相好を崩す。どうやらそっちが宮司さんのようだ。


「今年は笛の吹ける子供が来てくれて助かるよ。毎年カセットじゃどうも味気なくていかん」

「俺が子供の頃はみんな吹けたんだがなぁ」


 角張った顔のおじさんが嘆息するように言う。なら大人がやればいいのに、と喉元まで出掛かったが、子供がやると決まっている地域もあるので飲み込んだ。僕の家が氏子をしている神社がまさにそれで、氏神祭の為に子供は和楽器の扱いを学ぶ。だから、僕も少しなら笛が吹けるというわけだ。


 僕を見て満足げな表情の大人二人を前に、今年の誕生日で二十歳になる姉ちゃんは、バツが悪そうに両手の指を背中で絡ませる。昔、二人で悪戯をはたらいて怒られるときと変わらない仕草だった。


「それがですね……」

「はい。よろしくお願いします」


 言い掛かけた姉ちゃんをそう遮ると、彼女は目を白黒とさせて僕を見た。


 やる気になったわけじゃないし、観光気分をぶちこわしにしてくれた姉ちゃんに言いたいことも沢山あるが、僕が引き受けなければこの二人もがっかりする。そういうのはちょっと嫌だっただけだ。


「よし、じゃあ笛とってくるから待ってな」

「ワシも楽譜を探してこないとなぁ」

「あ、わたしも手伝います!」


 喜色を露わにして社殿の方に戻っていくのを、姉ちゃんが追いかける。そのとき、ちらっと僕の方を向いて「サンキュ」と口を動かしたのが見えたが、僕は知らん顔をした。


 別に、姉ちゃんの顔に泥を塗るのが嫌だったからではないんだし。



 

 その後、子供用の少し短い篠笛を受け取って軽く手ほどきを受けた僕は、社殿裏の礎に腰かけて練習をしていた。祭は明々後日からで、僕の出番は夜祭の一幕だけらしい。この神社では、大人の演奏する曲と子供の演奏する曲があるそうだが、年を経るごとに演奏者が減って、最近では大人の方ですらほとんどテープに頼っているらしい。そんな状況だからこそ、子供の演目を少しでもできるのは意味のあることだという。


 笛を寝かせ歌口に唇を置いて静かに息を吹き込むと、間延びした高音が木々の隙間を縫って響く。リコーダーとかと違って、和楽器は音を出すだけで一苦労だ。そこから指使いやら音階を成立させるとなると、もう二苦労ばかり追加される。


「うまく出ないなぁ」


 数年ぶりに取った笛は、小さかった頃に使ったのとかなり勝手が違う。譜面自体は子供用だから簡単なのだけど、目的の音をちゃんと出すのが難しい。


 そうして悪戦苦闘すること一時間弱。やっと大体の音を出せ、メロディーが作れるようになったころだった。


「きれいな音だね」


 自分の出す音にだけ集中してきた僕は、それを最初人の声だと思えなかった。


 ワンテンポ遅れて顔をあげると、木々の間から短髪の女の子がこっちを見ていた。ハーフパンツとTシャツからは日焼けした手足が伸びていた。


「なんだ、子供いるじゃん」

「え?」

「あ、いやなんでもないよ。いつからそこにいたの?」


 やっと曲になってきたここ数分ならまだいいけど、音出しのときから聴かれていたら格好悪い……。


「ついさっきからだよ。その笛、吹けるなんてすごいね」

「きみは、吹けないの?」

「むかしやってみたんだけど、まったく音でなくてやめちゃったんだ」


 やめちゃったんだ、って、少こっちはそのしわ寄せを食っているのだ。ムッと来て立ちあがると、その子の身長は僕より少し高いくらいで、顔の高さは同じくらいだった。


 目線が近くなって、女の子がかわいらしい顔つきをしていることに気づき、怒りは一瞬で溶けていった。


「どうしたの?」


 首をかしげる仕草に我に帰る。


「えあ、なんでもないよ」

「へんなの」


 控えめに笑うのにつられて僕も頬が緩んでしまった。


 それからいろんな話をした。その子は近くの市から近所の親戚の家に遊びに来ていて、散歩の最中にこの音を聴きつけて来たらしい。どっちにしろ、音出しに悪戦苦闘していたのは聴かれてしまっていたようだ。


 なにより驚いたのは、彼女が僕と同じ十三歳だということだった。身長が高い=年長というイメージがあった僕には中々に衝撃だった。


 僕も、遠くから来たことや笛の練習をしている理由を話すと、彼女は「いいなー」とか「すごいなー」とか目を輝かせて聞いてくれた。


「きみも吹いてみる?」

「でも、昔だめだったから……」

「教えてあげるよ。僕が吹けるんだから、すぐにできるようになるよ」


 そう気軽に言うと、彼女は唸りながらこくびを傾げる。


 申し出の目的は、また会う理由が欲しかったからだ。断られたらどうしよう、って冷や冷やしているのを作り笑いで隠す。


「うん、いいよ。たしかおじさんちに笛があったから、明日持ってくるね!」


 よっし、と内心でガッツポーズをきめ、今度は内心からあふれ出すままに笑顔が浮かんだ。






 その日の夕飯は市内に戻ってファミレスに入った。姉ちゃんも僕にやっかいごとを押しつけた負い目があるのか、一番高いステーキを注文してもにこにことOKしてくれた。


「ねぇ、もう友達ができたって?」


 分厚いステーキと山盛りのご飯を片づけて一息ついていると、ドリンクバーから飲み物をとってきながら姉ちゃんが訊いてきた。


「どうして知ってるの?」

「宮司さんがね。社殿裏で女の子と遊んでるのを見たって。お姉ちゃんもお祭りのお手伝いしてるからあんまりかまってられないけど、大丈夫?」

「うん、別に寂しくないよ。あの子もいい子だし」


 答えながら、僕はコーラを一口含む。炭酸の泡が弾けて、舌をしびれさせた。


「その子、かわいい?」

「ん、かわいいと思うよ。僕は髪の長い子の方が好きだけど」


 姉相手に隠すことでもないので素直に言うと、七つも年の離れた長姉は「そっか」と満足げに頷いた。





 次の日、昼頃に神社に着くと、あの子はすでに社殿の裏で僕を待っていてくれた。


「おそいっ」

「ごめんごめん」


 開口一番に怒られ、ハムスターのように頬を膨らませる姿は昨日よりずっと幼く見えた。態度が砕けてくると印象も変わって、同い年と実感できる。


「笛、持ってきた?」

「うん」


 そうして肩に掛けた鞄から風呂敷で包んだ棒を取り出すと、ゆっくりと包みをはがしていく。現れたのは、黒く光沢のある塗料で塗られた、いかにも高そうな篠笛だった。


「そんな高そうなの、いいの? 持ってきて」

「おじさんはもう傷だらけだからいいって。家に帰ればもっといろんなの売ってるんだけど、おじさんちにはこれくらいしかないんだって」

「売ってるって、笛屋さんなの?」

「ううん、ふうりんやさん」


 さっぱり会話がかみ合わない。笛を売っているのと風鈴屋にどんな関係があるのかも疑問だ。


「じゃ、教えてよ! ちゃんと音でるかなぁ」


 だが、それを追求する間もなく練習をせがまれて、結局はあやふやにしてしまった。僕もそんなことより、この子に笛を教えたかったのだ。


 結論からいって、音が鳴らせるようになるまで一時間かかった。篠笛の吹き方にはコツがあって、ただ息を吹き込むだけではただ空気の抜ける音ばかり生まれてしまう。肝心なのは

吹き込むというよりは、歌口を軽くなでるように息を吐くことだ。


 できたできたとはしゃぐ彼女に「よかったね」と一言かけて、僕も自分の練習に取りかかることにした。


 楽譜を出して地面に直置きしてのぞき込む。前髪が揺れて邪魔になるのかき分けていると、それを見て不思議そうに訊いてきた。


「ねぇ、前髪、邪魔なら切っちゃえば?」

「そうなんだけど、僕は髪の毛、長い方がいいんだ」


 そう答えると、彼女はますます声に怪訝さを含めた。


「私は短い方が好きかな。邪魔になるし」

「だろうね。でも、伸ばしてもかわいいと思うよ」


 それとなく自分の希望を混ぜてみたが、確かに活発な格好が好きそうなので長髪にはしないだろう。


 そんな風に自己完結して改めて顔を見ると、日焼けした頬を少しだけ赤くしてもみあげをいじっていた。


「か、考えとくっ」

「ありがと」


 どういう風の吹き回しかはわからなかったが、僕の提案はお気に召してくれたらしい。でも、この子の髪が伸びきった姿を見ることはできないことは、そのときの僕にもわかっていたことだった。


 一抹の寂しさをごまかすように、力強く笛を鳴らす。軽快なリズムをわざと早めに演奏するのを、彼女は日の暮れるまで楽しそうに聴いてくれた。





 祭の前日は嵐のようで、気がついたときには終わっていた。境内はつい先日まで閑散としていたのが嘘のように準備の人であふれ、僕も姉ちゃんも本番のリハーサルやその他の手伝いに動員されて練習もそれほどできなかったし、社殿裏であの子と会ってもほとんど話すこともできなかった。それでも、一緒に夜祭りを歩く約束を取り付けられたのは京都に来てから二度目のラッキーだった。


 しかし次の日、夕方になってもあの子は社殿裏に姿を見せなかった。西の空は赤くなりはじめ、スピーカーからフライング気味の祭囃子が流れ始めると、表の境内には少しずつ人が集まり始めていた。だが、そこに親しんだショートヘアを見つけることはできなかった。


 正直言えば、中学生にもなると一人夜祭りで騒ぐのは恥ずかしいし、心躍るモノでもなくなっていた。なんどもリピートされる祭囃子の調子が急かすのは、ただあの子と回るということに浮かれていた心だけだ。


 結局、日が暮れきって提灯の灯りがオレンジ色に境内を照らす頃になっても、彼女は姿を見せなかった。


 演目も近くなってきたので、僕もあきらめて夜祭りに出ることにした。きっと急用でもできたんだ。


 境内へでると、昨日の準備さえ比較にならない数の人がひしめいていた。中でも僕より明らかに年下の子供が多くて、お父さんに手を引かれたり友達同士でグループになったりしながら笑いあっている


「本当に誰も吹けないのかな?」


 そんな疑問を抱えながら屋台を梯子して、姉ちゃんからもらった小遣いで焼きそばや串焼きを買ってみたが、いつものお祭りで食べるときのおいしさはなかった。リンゴ飴ならぬイチゴ飴も珍しくて買ってみたが甘いだけで、社殿に戻ることにした。あそこなら姉ちゃんがいる。


 響く笑い声と祭囃子から逃げるように早足に歩いていると、ござの上に商品を並べただけのアクセサリーの露店を見かけてふらりと寄ってみた。


 特にそういうモノに興味があったわけではないけど、思うところもあって、貝殻のついた髪留めと、なにを祈願しているのかよくわからないお守りを買った。別々に袋に入れてもらって姉ちゃんから借りていた時計を見ると、もうすぐ自分の出番の時間だった。


 少し小走りになって人を縫って社殿に向かうとき、半ズボンのポケットから、お守りに結わえられた鈴が袋の中で、チリン、と音を鳴らすのが聞こえた。


 社殿の舞台袖に着くとすぐに上着を舞台衣装のはっぴに着替え手になじんだ篠笛を手に取った。


 舞台では僕の前の演目、地元のおじさんたちの祭囃子が演奏されていた。曲調はスピーカーから流されているモノのどれとも違い、しかもみんな専業の演奏者ではないのだから音の揃いも微妙におかしかった。でも、これから吹く曲よりはずっと高音はよく延びるし和太鼓のテンポも軽快で、なにより楽しそうだった。人が動くだけで生まれる活気に当てられるように、僕も竹の笛を少しだけ強く握りしめた。

「緊張してるの?」


 そんな僕を見て、姉ちゃんが気楽に話しかけてきた。僕と同じはっぴを着ていた。僕が吹く笛以外の楽器はやむなく大人が代演することになったけど、普通に子供用のはっぴを着られるこの姉なら年齢詐称も余裕だろう。


「ちょっとだけ、怖いかも」

「まぁ、あの子も見てるんだしね」


 ムッと蛇口を閉めるように言葉が出なくなった。


「あの子は、来てないよ」


 やっとのことで絞り出すと、姉ちゃんは首を傾げた。


「約束、してたんじゃないの?」

「今日は、来れないってさ」


 つく意味のない嘘をついた理由は判然としなかった。行き場のない悔しさのような気持ちを奥歯でかみ殺す。


「そっか。残念ね」


 この姉ちゃんはダメダメだけど、僕の嘘に気づけないほど抜けてない。でも、気づかないフリをしてくれたのはとても嬉しかった。


 舞台上の演奏は終盤にさしかかり、もう少しで出番になる。その前に、とポケットにいれていた袋の一つを差し出した。貝殻の方。


「その、ありがとう。姉ちゃんが誘ってくれなかったら、あの子に会えなかったから……」


 それだけは、舞台に上る前に言っておきたかった。


 夜祭りも本番の演奏をあの子に聴いてもらえないのは寂しいけど、きっと明日にはまた社殿裏で会える。


 それを受け取った姉ちゃんは、なにを思ったのか、思いっきり抱きついてきた。


「ちょっ!」

「ううん、姉ちゃんの方こそありがとうね、本当にありがとうね」

「わかったから離れて離れて!」


 この年になって頬ずりまでされたら恥ずかしいなんてもんじゃない。じたばた暴れてやっとのこと引きはがすと、子供みたいに笑ってもう一回「ありがとう」と言った。


「まったく……」


 悪い気はしないのだけど、やっぱり恥ずかしくてたまらない。きっとこの姉の中で、僕の成長は小学生で止まっているに違いない。


 前の演奏が最後の一節にさしかかり、あとは少しの休憩時間を挟んで僕の番だ。恥ずかしかったけど気合いは入った気がして、相棒の篠笛を見、凍り付いた。


 歌口の部分が、割れていた。


「姉ちゃん、これ……」


 真っ青になった僕と対照的に悦に入っている姉ちゃんに笛を向ける。


 姉ちゃんも石になった。


「もしかして、さっきのせい……!?」

「もしかしなくてもそうだよ! このダメ姉貴!」


 半泣きで怒鳴りつけると、姉ちゃんも「ちょっと予備の笛借りてくる」と大慌てで走っていた。舞台がちょうど終わり、まばらな拍手が舞台袖にも響いた。


 あと三分ばかりで僕の出番だ。まったく、大事なとこでへまをやらかす癖は、大学でも矯正してくれなかったらしい。


「まったく」


 嘆息していてもできることはなく、時間は過ぎていく。


 スピーカーの祭囃子がボリュームを上げたように感じて、そわそわと舞台袖の入り口をにらみつけた、そのときだった。


 待ちぼうけを食わしたあの子が、立っていた。最初に会ったときと同じハーフパンツとTシャツを見て、僕は走りだしていた。いつもの活発そうな目が伏せられていることにも気づけず。


「なんで夕方こなかったんだよ? 用事でもあったの?」

「うん……」

「じゃあそう教えてよ」

「うん……」

「ご、ごめん。怒ってはいないんだ」


 静かなのは負い目を感じているからだと思ってあわてて弁解するが、彼女はただうつむいて片手を差し出した。


 そこには、黒い光沢で塗られたあの篠笛が握られていた。


「あげる」

「え?」

「あげる!」


 わけがわからず受け取ると、彼女はステップを踏んであとずさった。僕の手が届かないところに出てしまったことに、急に不安を感じた。


「バイバイ」


 最後に、その子は最初に会ったときと同じ笑顔を浮かべて踵を返してしまった。


「あ、待って!」

「あ、ちょっとどこ行くの!」


 僕も追いかけようと走りだそうとした背中を、戻ってきた姉ちゃんが引きとめられた。その足を止めた一瞬で、あの子の背中はもう見えなくなっていた。


 代えの笛を持ってきた姉ちゃんは、僕の持っているものを見て首をかしげた。


「あれ、その笛?」

「……なんでも、ないよ」


 ただそうだけ返して、僕も舞台へと歩き出す。握りしめたのは、あの子の渡してくれた篠笛で。


「もう始まるよね。行こうよ」


 明日も会える。後ろ髪を引くあの子の背中を、自分への嘘でうち消して。


 スピーカーの祭囃子は、また聞こえなくなっていた。


 演目は大成功だった。少なくとも記憶の上では、なにかミスらしいミスはしなかったし、お祭りに来ていたお年寄りの中には、懐かしい音楽が聞けたと手放しで喜んでくれた。だけど、その人だかりの中にあの子を見つけることはついぞ出来なかった。


 翌日もあきらめ悪く社殿裏へと行ってみたが、目当てのあの子はやはり来なかった。心のどこかでそうなることを予測していたあの日の自分は、社殿に自己満足的ないたずらを残して、そして帰省する姉と共に京都を離れるまで二度とそこを訪れることはなかった。


 翌年の夏休みに再び京都を訪れ姉と共に神社にも挨拶に行ったが、やはりあのショートヘアを見つけることはできず、次の年は高校受験や姉の就職活動があって京都の地を踏むことはできなかった。“僕”だった一人称が“俺”に変わったのもその間だった。


 いま、俺は京都の高校に通っている。高校生からの一人暮らしというわがままも、きっかいな教育方針を掲げる両親は素直に飲んでくれ、結局は地元に腰を据えた姉と入れ替わりで京都に居を構えたのが一年と少し前。


 そして去年の夏、一年ぶりにあのお祭りに顔を出したが、宮司さんは一身上の都合で役職を退いてしまっていたし、角ばった顔の常会長のおじさんも不慮の事故で亡くなっていた。一番の目的だった人物は、その年も手掛かりすらつかめなかった。


 そして今年も、俺を知る人のいなくなった境内に、祭囃子が響く季節がやってきた。




「遅い!」


 汗だくで駆けつけた俺をその少女は一喝した。まだ昼の熱気が残る中を全力疾走してきた俺に抗議の気力は残っておらず、ひとまず「ごめんごめん」と謝った。


 心のこもっていない謝罪だったが、少女は背中まであるロングヘアを揺らして頷いた。


 そして二人で歩幅を合わせて歩きだす。今年もあの神社のお祭りに向かっているのだが、こうして誰かと一緒なのは姉以外では初めてだ。


 別に恋人でもなんでもない高校のクラスメイトだ。ただの、と付けるには親密度が高めだが、それも特筆するほどの要因ではない。


 今年もフライング気味の祭囃子が、風に混じって俺たちの元まで聞こえ始めていた。


「それにしても、よくこのお祭り知ってたね」

「いろいろあったんだよ」


 最初は例年通りに一人で来る予定だったのだが、うっかり口を滑らせたところ彼女もこのお祭り知っていて、一緒に行こう、と決定されるまで約一分。拒否権なし。


 どうせ行くなら浴衣でも着てくればよかったのに、二人揃って私服姿だ。


「いろいろ、ねぇ」


 そう言ってちょっとばかりの好奇と強い嗜虐心の光が瞳に宿るのを見て、慌ててなにか別の話題を探した。


「あれ? 今日は髪留めしてるんだ」


 すると「よく気づいたね」と上機嫌で後ろ髪を揺らす。ゴムに結ばれた二つの鈴が掠れた声で囁いた。


「元々は別々だったんだけど、この鈴がお気に入りで、髪留めにしちゃったんだ。もうよっぽど強く揺らさないと鳴らないんだけどね。ほら」


 そう言って二度ジャンプする。一回目は長い髪がふわりと浮いただけだったけど、二回目はちゃんと響いた。


 チリン、と懐かしい音色が聞こえた気がして、心臓が一瞬止まった。


 まさか、な。


「さて、どこから回ろうかな?」

「慌てなくても、お祭りは始まったばかりだよ」


 そう、結論を急ぐことはない。祭囃子が消えるまで、まだまだ時間はあるのだから。

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祭り囃子が消えるまで 椛の字 @Kabataki

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