6-5 歓楽都市プタマラーザ その3

 ククリが「友だち」と称する隠密は、すぐに俺たちの前にあらわれた。

 連絡手段が「黄色いハンカチを高く掲げること」だったため、ククリが身重の身体であるにもかかわらず、いきなり隣家の屋根によじのぼろうとしたところを、黒い影が物陰から飛びだしてきて後ろから羽交はがめにしたのだ。


「――バカが! おまえは本当にクソだな。足を踏みはずしたら腹の子が死ぬだろ! だから、竿でも何でもくくりつけときゃ見える、て教えただろうが」

「ジン! もう来てくれたのかにゃ!? すごいにゃ、さすが隠密にゃ!」


 ククリが満面の笑みを浮かべて、黒ずくめの隠密に抱きつく。


「このボケ! 腹を圧迫するな! 何度も言ってるだろ。記憶力ゼロか」


 口汚く悪態をつきながらも、隠密は優しい手つきでククリの肩をそっと押しもどした。ククリはくるりときびすを返すと、俺たちに黒ずくめを紹介した。


「友だちのジンなのにゃ」

「友だちじゃねーよ! バーカ!」


 頭に黒いターバンをかぶり、口もとも黒い布で覆っているため、人相はほとんどわからない。しかも、吊りあがった目はひどい斜視で、正面から向きあっても視線が噛みあわず感情を読みとることをさらに難しくしていた。

 セシアとネネが小声でささやきあう。


「ククリさんを心配して、ずっと隠れて見まもっていたのでしょうか?」

「……けっこう良い人なのかも」


 黒ずくめの隠密はやぶにらみで明後日のほうを睨みつけながら、


ちげーよ! ボケ! オレはジン・ジャコウ。イシス団の諜報員として、おまえら勇者パーティーを監視してたんだよ! よりにもよってククリのとこなんかにしけこみやがって! 最ッ低だな! 妊婦相手にサカるなんてよ!」


 罵声を浴びせるジンに、決してやましいことはしていないと言いわけをする俺。横からククリが合いの手で「そうなのにゃ。ククリは勇者さまが相手なら、いっぱい、いーっぱい、サービスするつもりだったにゃ」「あ、おっぱいしか見せてないにゃ」とフォローになっていない弁護をするものだから、ジンの目つきはますます険悪になっていく。

 最後にはセシアとネネが「カガトどのは本日すでに7回は射精していますので、ククリどのに手を出す心配はないかと」「……ボクとセシアの胸で交互に……」と告白し、ジン・ジャコウは心底軽蔑したまなざしを俺に向けたのであった。


「でも、これでだいたいわかっただろ。猫人ケットの暮らしなんざ畜生同然さ。だから人間ノーマどもとは一戦交えるしか生きのびる道はない。オレたちイシス団と組んで血みどろになるのが嫌なら、とっととそこの王さまをイシス団に預けて、おまえら勇者ご一行様は王都に帰りな。あとはオレたちが人間ノーマどもを街から叩きだして、落ち着いたら魔王討伐でも何でも手伝ってやるからよ」


 砂の降り積もった悪路を音もなく近づいてきて、ユズハの腕をつかもうとする。


「おい、待て」


 制止しようとした俺の目の前に鈍く光る肉切り包丁があらわれ、流れるような所作で頸動脈に当てられる。という寸前で、俺の肘が包丁の柄をかちあげ、柔道の大外刈りの要領でジンの胸ぐらをねじりあげて足払いをかけた。


「こいつ!」

「勇者を舐めるなよ」


 勢いのままいっしょに路地へと倒れこみ、起きあがろうとしたところでジンの胸に置いた手が妙に柔らかな感触に遭遇。調査のために念入りに揉みしだく。


「おまえ、女だったのか」

「わりーかよ。て、いつまで触ってるんじゃ、この色ボケ!」


 腹に蹴りを打ちこまれて、俺は数歩後ろによろめいた。


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『 ジン・ジャコウ 』

プタマラーザ南部を根城とする盗賊団「イシス団」の諜報員。

【種 族】 半猫人ハーフケット

【クラス】 アサシン

【称 号】 復讐者

【レベル】 15(D級)

【愛憎度】 ★/★/★/★/-/-/- (C級 勇者は死ね)

【装 備】 隠し包丁(D級)

      闇夜のチェインメイル(D級) アヌビスのターバン(D級)

      サソリの靴(D級)

【スキル】 短剣(D級) 弓(E級) 投擲(D級)

      格闘(E級)

      索敵(C級) 開錠(D級) 罠(D級) 追跡(C級)

      交渉(E級) サバイバル(C級) 猫会話(E級)

      隠密(C級) 乗馬(E級) 木登り(D級)

      料理(E級) 性技(D級)

      盗賊の心得こころえ(D級) 冷血の誓約(D級)

      性の奉仕(D級)

      人間ノーマ嫌い(C級) 猫人ケット嫌い(E級)

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 声はしゃがれていて、胸は薄く、忍び装束のようなだぶついた服を着ていたため、てっきり男かと勘違いしていた。語尾にお決まりの「にゃ」も無いから猫人ケットかどうかもわからなかったが、種族が半猫人ハーフケットということは半分は人間ノーマの血が混じっているということだろうか。


「じろじろ見んな! 気色悪い!」


 人間ノーマ猫人ケットの混血は人間からも猫人からも除け者にされるとククリは語っていた。ならば、半猫人ハーフケットであるこのジン・ジャコウが歩んだ人生も、称号の「復讐者」が暗示するとおり決して明るいものではなかったのだろう。ジンがククリを保護する理由もそのあたりにあるのかもしれない。半猫人ハーフケットの子を身籠り、自分の命に代えてでも守りとおそうとするククリに特別な感情を抱いたとしても不思議ではない。

 けれど、勇者である俺に向ける愛憎度は殺意をはらんだ黒星C級。ジンは陰鬱な斜視で俺たちを用心深く観察してから、


「王を渡さないということは、オレたちイシス団といっしょに戦う覚悟ができたということか? それとも、まさかレッドスコーピオンにくみすると」

「まずは団長のカズサと話がしたい。決断はそれからだ」


 黒いターバンがわずかに傾き、ジンは声を出さずに笑ったようだった。


「和平を説いても無駄だぞ。あの女はオレと同じ根っからの人間ノーマ嫌いだからな」

「勇者さまはすごいのにゃ。猫人ケット人間ノーマも、半猫人ハーフケットもいっしょに笑いあえる国をつくってくれるのにゃ」


 ククリの根拠のない楽観にジン・ジャコウは長く深い溜め息をついた。憎悪と殺意のこもったやぶにらみの瞳を空に向けて、


「明日の昼過ぎにイシス団の会合がある。プタマラーザから見て、北の砂丘にある廃棄された監視塔だ。一番暑さが厳しい時間だが、レッドスコーピオンも午睡シエスタで街の外まで出ることはなくなる」


 と独り言のようにつぶやいた。


「あいつらはここのところ猫人狩りが日課だからな。王さまが捕まらないようせいぜい目を離さないことだな」


 ジン・ジャコウはサッと身をひるがえすと、登場した時と同じような唐突さで建物の陰へと消えてしまった。



 ◇



「話はそれだけか」


 俺の「郵便ギルド」構想を聞き終えたイシス団の団長カズサ・カラカルは半目を開けて、そっけなく言い捨てた。


「夢物語にゃ。レッドスコーピオンにとって猫人ケットは商品。プタマラーザから外に出ようとすれば問答無用で監獄行きにゃ。あの高い壁の上と下では昼夜を問わず衛士が巡回し、唯一の出入り口には騎士団の一個小隊が常駐している」

「けれど、モノが動けば通行税をとる彼らにも利益があるわけで」


 なおも食いさがる俺に厳しい表情でかぶりを振る。


「あいつらが猫人ケットと利益を分けあうはずがないにゃ。レッドスコーピオンはきっと、自分たちがギルドの元締めになって猫人ケットをいま以上に搾取して儲けようとするだけにゃ。物資の輸送を猫人ケットにゆだねるなど夢想もしない。せいぜい工房で働かせる程度。われらの反乱を恐れているからにゃ」


 それまで「自立の基礎はイデオロギーではなく経済だ」という俺の演説を好意的に受けとめてくれていた他の団員たちも、カズサの反論を受けて視線が下へと落ちていく。やはり、それほどレッドスコーピオンと猫人ケットの溝は深いということだろう。時間をかけて信頼感を醸成して、というアプローチではイシス団の暴発を避けられそうにない。

 しかたなく俺は次善の策に切り替えることにした。


「では、こうしよう。俺たちは魔王討伐のため、どうしても火の精霊石を手に入れなければならない。火の精霊石をもつ火の精霊王、朱雀すざくはピラミッドに封じられている。そして、ピラミッドに入るためには砂嵐を鎮める『静寂しじまの笛』が必要だ」


 静寂しじまの笛という単語に、カズサの鋭くとがった耳がピクリと反応する。


静寂しじまの笛を知っているのか?」

猫人ケットの王がもっていた三種の神器のひとつだからにゃ」


 耳がピクピクと揺れ動いている。


を知っているなら教えてもらえないだろうか。静寂しじまの笛を手に入れることができれば、俺たち勇者パーティーは猫人ケットがプタマラーザを脱出するための手伝いをしよう。レッドスコーピオンの追撃も食い止めてみせる」

「吾らが望むのは逃亡ではなく、王国の復活にゃ」


 俺の提案をカズサが言下に切り捨てた。

 北の監視塔はかつてイシス団が北部にも勢力をはっていたとき、レッドスコーピオンが街の警戒のために築いた小型要塞とのこと。いまではレンガも崩れて容赦のない陽光と熱風が内部に吹きこみ、車座で議論を続けるイシス団の面々の額には玉のような汗が浮かんでいた。


「勇者として、俺は人間ノーマ猫人ケットも守りたい。戦う意思のない者まで巻きこむような戦いには反対だ」

「レッドスコーピオンの横暴を見過ごす人間ノーマはすべて同罪にゃ」

人間ノーマが皆、猫人ケットを搾取してきたわけじゃないだろう。このプタマラーザの仕組みは俺が責任をもって叩き壊す。だから、いまはまず別の場所に逃れて、王国を築くための資金稼ぎをしてほしい。俺は地底のガッダのガガーリン王や港町アザミの総督ココア・ベルゼブルとは懇意にしている。猫人たちが暮らしをたてる場所は提供できるはずだ」

「吾らはもう200年も待ったのだ! いまさら逃げだせなどとよくもそんな無責任なことが言えたものにゃ!!」


 カズサが拳を絨毯に叩きつけた。まわりのイシス団たちにも怒りが伝播し、周囲が殺気立っていく。だが、俺は怯むことなく身を乗りだし、さらに訴えかけた。


「すべての人間ノーマを敵に回せば、より多くの猫人ケットの血が流れることになる」

「覚悟の上にゃ!」

「イシス団だけじゃない。街にいるおおぜいの猫人ケットも、まだ自分で判断することもできない子どもの命もだ」


 精神を互いに削りあう、真剣なにらみあいが続く。

 イシス団の事情もわかる。だが、復讐の連鎖に終わりはない。まだ自分で決断することのできない幼子たちの運命まで暗い怒りに委ねてしまうことはできない。

 カズサ・カラカルは鋭い犬歯をギリッと鳴らして吠えた。


「娼婦や男娼として生きのびるくらいであれば、ここで死んだほうがましにゃ!」

「俺は娼婦や男娼以外の仕事をつくると言ってるんだ!」


 同時に立ちあがり、取っ組みあいになったところで、監視塔の入口で警護していた者が鋭い誰何の声を放ち、何名かが武器を抜き放った。騒然とする人垣を縫うようにして、するりと広間に転がりこんできた黒ずくめの男。いや、男ではない。やぶにらみの目をもつ凶相の隠密の名前はジン・ジャコウ。

 車座の中心まで進み、ジンが息を切らせたまま、しゃがれた声でうめいた。


「ククリが、ククリが猫人狩りに捕まった」


 カズサがジンの黒い服をつかみあげ、問答無用で殴りつける。


「いまは重要な会談中だ。そんなことくらいで場を乱すにゃ!」

「団長、お願いだ! あいつは腹に子どもがいるんだ! バカだから、底無しのバカだから、他の女がレッドスコーピオンにさらわれそうになったところで、身代わりになると自分から名乗り出て。ガキが泣いてるから、て。ククリが替わりになるから、その子のママは見逃してくれ、て。あのクソ野郎! お人好しにもほどがある!」

「知るか! ジン! この場から失せろ! レッドスコーピオンの動向を探るのがおまえの仕事にゃ! 猫人ケットは毎日誰かしら殺されてるにゃ! 誰であろうと見棄てて任務を遂行しろ!」

 

 ジンの吊りあがった斜視がすがるように俺をとらえたような気がした。

 うなずき、俺は立ちあがる。セシア、ネネ、ユズハ、スクルドも無言で従った。


「おい! まだ会談は終わってないにゃ!」

「おまえたちが猫人ケットを見棄てるというのなら、俺が勇者として猫人ケットを救いに行く」

「偽善にゃ! レッドスコーピオンを滅ぼせば災禍は止むのにゃ! だったら、いますぐ決起して、プタマラーザの街に攻めこめばいい!」

「喪われた命は戻らない」


 カズサがうなだれたまま、ドカッと腰をおろした。砂漠の熱風が乱れたターバンの青い布をたなびかせる。


「猫人狩りの行き先は、かつて猫人の王国ミャアジャムの王都があった場所、いまでは廃城ミャアマパレスと呼ばれているところにゃ。半年ほど前から、総督のシャフリヤール・アスモデスが王城部分を改装して別邸として住みついている」


 カズサの言葉を補足して、ジン・ジャコウが続けた。


「魔王との決戦から戻ったシャフリヤールは病死した妻の喪に服すると称して別邸に引きこもったまま、プタマラーザには顔を見せることもなくなった。怪しげな呪術にのめりこんでいるという噂もあったが、一月ほど前からレッドスコーピオンに命じて定期的に猫人ケットの女を運びこませるようになった。魔法の実験につかっているとも、魔王軍に生贄として捧げているとも言われているが、オレたち諜報員でも潜りこんで生きて帰ったやつはいない」


 俺は廃城ミャアマパレスの位置をおもいおこし、プタマラーザのさらに南に顔を向けた。カズサは薄い茶色の瞳に冷静さを取りもどすと、


静寂しじまの笛は廃城ミャアマパレスの宝物庫にあるはずにゃ。闇バザーの目玉商品として売りだされていたのを吾らが奪い、それを今度はシャフリヤールに奪われたというわけにゃ」

「教えてくれて感謝する。静寂しじまの笛を手に入れたら、約束どおり猫人ケットたちがプタマラーザを脱出する手伝いはしよう」


 カズサの顔が皮肉げに歪んだ。


「なに、礼には及ばんさ。勇者がシャフリヤール・アスモデスを殺せば、レッドスコーピオンとの関係は後戻りできなくなるにゃ。吾らにとってそのほうが都合がいいから教えただけにゃ。静寂しじまの笛もユズハ様もいずれは吾らの元へもらいうける」


 黒いターバンに黒い装束をまとったジン・ジャコウは、つまずきながらも俺たちのもとに駆け寄ってきて、


「廃城ミャアマパレスには通常の手段では近寄ることも難しい。だから、オレが手はずを整える。イシス団の支援者が潜伏していると密告すれば、すぐにレッドスコーピオンが来てミャアマパレス送りにしてくれるはずだ。人間ノーマだと疑われるから、猫人ケットに変装するための装束と耳は用意する」


 暗い目には陰鬱な炎が宿り、やぶにらみの目は仲間であるイシス団に対しても激しい憎悪を燃やしているように見えた。

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