6.砂漠のオアシス プタマラーザ~ミャアザのピラミッド

6-1 イシス団と猫人の女王

 港町アザミから砂漠のオアシス「プタマラーザ」へと至る道は雲ひとつない蒼天のもと、白く照り輝いていた。道の左右にひろがる茶褐色の砂礫地帯には濃緑の葉をしげらせた灌木がぽつりぽつりと立ち、黄色く熟したオレンジが甘酸っぱい香りを振りまいている。

 軽快に馬車を引く2頭の牝馬ひんば、ミカエルとガブリエルがときおり首を横に突きだしてはパクリと近くの枝から実をもいで果汁を滴らせつつ咀嚼する。そして要らない皮だけをペッと吐きだして満足げにいななく姿は、この世界が魔王の侵攻を受けていることなど信じられないほど平和な情景であった。

 俺が御者台であくびを噛み殺していると、ガシャン、とおおきく馬車が揺れた。


「もう限界だにゃ!!」


 ミカエルが、フン、と鼻を鳴らし、何事もなかったように再び曳きはじめる。ここ数日の恒例行事となりつつあるユズハの暴発。俺も客室から響いてくるかしましい叫び声に片方の耳を押さえて、いつもの姿勢、見ざる言わざる聞かざるの三猿となった。

 

「このところ、毎日、毎日、毎日!」

「ユズハ、落ち着いてください」


 よく通るセシアの声。そこへうわずったユズハの声がかぶさる。


「昨日も! 一昨日も! その前も! 青龍祭でカガトのアレが元気になってから毎日毎日。もうアタシの堪忍袋の緒はズタズタにゃ! あんな声を出されたら、まともに眠れるはずないのにゃ!」


 ぐっ、と言葉に詰まるセシア。ここで俺が口を挟んだら、やぶ蛇もいいところだ。気配を消して、熟練タクシードライバーのように淡々と道を進むほかない。

 そんな俺を嘲笑あざわらうかのようにミカエルとガブリエルが、ペッ、とオレンジの皮を吐き捨てた。


「カガトどのは勇者として日々、人助けに奔走しているのです。一昨日はアザミの街での『深きもの』の残党狩り。昨日は『潮風のヨルン村』でシビレクラゲの大量発生に苦しむ村の人たちに解毒薬を届けてまわり、今日はこの『潮騒しおさいの街道』をふさいでいた『大岩ガマガエル』の討伐。昼間は八面はちめん六臂ろっぴの活躍をしてくれているのですから、夜くらいは甘えさせてあげないと。それに、カガトどのは性欲が特に強いようですから、欲求不満になって村の未亡人や若い娘さんに手を出されても問題ですし」

「……あの、えーと、昼間は、その、ボクが相手したり」

「え!? うえええ!? ネネ、それはどういうことですか!?」

「……だから……で……を……して」

「だって、夜はいっしょに。ほら、5回はしてるはずですよ!?」

「……朝になったら、もう元気」

「でも、誰かに見られたら、勇者がそんな」

「……ボクのローブをたくしあげて……を……で……さらに……なことも」

「は、破廉恥ですよ。さすがにそれは、ネネも怒らないと」

「……ごめん。ボクがくっつくから、カガトも辛抱できなくなって。

 ……セシアもいっしょに、どうかな?」

「そ、そ、外ではダメですよ。私は鎧ですし、簡単に脱いだり着けたりは」

「……馬車のなか」

「う。あの指づかいだと、どうしても声が」


 バン! と客車に据えつけられたテーブルを叩く音が響く。


「いい加減にするにゃ! ああ、目と鼻が効きすぎる猫人ケットさががうらめしいにゃ。カガトとネネが何をしてるかくらい、もうバレてるにゃ!

 前はアタシと同じセシアをおさえる側だったのに、海神を倒してからは昼も夜もカガトにべったりで。あんなにエッチなことまで進んでするように」

「……ボク、カガトといっしょにいると安心するんだ。父さんのこと、兄さんのこと、巨人ティターンのこと。ずっとひとりで抱えこんでいたことをいっしょに悩んでくれるから。もう、家族だとおもってる。セシアもユズハもスクルドも大切な家族。

 だから、ボク、カガトが望むならいつでも触ってほしいし、最後までしたいなら、ボクの全部をあげたいんだ」

「ネネが、ネネがこんなにいっぱいしゃべるんにゃんて!!」

「最後まで、というのは、い、いわゆる子どもをつくるところまでですか!?」


 手綱をにぎる俺の手がじっとりと汗ばんでいく。


「……セシア、大丈夫だよ。わかってる。最初はセシアでいいから」

「わ、私は、カガトどのを独り占めにするつもりはないですから。ネネが望むなら、あの、先にしても。私はアリシア姫を救いだしたら、という約束ですから。騎士は誓約を守る必要があって、も、もちろん、私がシタイとかではなくてですね、やはり神聖な行為は手順が重要で。あ、でも、子どもができてしまうと魔王討伐の旅には同行できなくなりますから、やっぱり、ネネもそういうことは時期を考えてですね」

「セシア姉さまの初めてはうちがもらうんや!」

「スクルドはややこしくなるから黙ってるにゃ!」

「せかやて、うちも婚約者のひとりやし。カガト兄ちゃんがセシア姉さまの純潔を奪うのを見過ごすくらいなら、身体をはってでも阻止せな。夜這いでもなんでも先に関係を結んでしまって、姉さまには手を出さんように因果を含めてやな」

「……だったら、やっぱりボクが先に」

「二人ともダメです!!」


 ――うにゃああああ!!

 ユズハの心の叫びが咆哮となって、俺の耳朶じたをビシバシと打つ。


「このパーティーのなかに、もはやアタシの味方はいないのにゃ! みんなカガトに汚染されてエッチなことに鈍感になりすぎているにゃ!

 ――クッ、このままだとアタシの存在感が薄くなる一方なのにゃ。カガトに肌を許さないせいで婚約者筆頭の地位が危うくなって、しまいには婚約解消されてしまうのかにゃ? い、嫌にゃ! それだけは嫌なのにゃ。魔王討伐のあかつきには、勇者の嫁としてアタシは贅沢三昧の生活をおくるのにゃ!」


 ドタバタと上下左右に揺れ動く馬車。


「だったら、ユズハ姉さまも素直に参戦したらええねん。カガト兄ちゃんの童貞争奪戦に。そしたら、セシア姉さまの純潔も守られやすくなるし」


 さらりと提案するスクルド・グレイフォース。12歳。

 グノスン師匠、本当にごめんなさい。手を出さないという誓いは固く守っていますが、教育環境は健全とはほど遠い状況です。

 御者台で小さく合掌する。


「……スクルド。駄目だよ。変なことをけしかけちゃ」

「そうですよ。ユズハは私と同じで、まだ結婚の条件が成就していないのです。それにネネだけでなくユズハまで誘惑したら、カガトどのはますます理想の勇者像から遠のいてしまいそうで」

「あ、当たり前にゃ! アタシは安い女じゃないからにゃ。カガトが『夢見るルビー』を差しだすまでは全部お預けにゃ。

 ――ふう、危なかったにゃ。変な雰囲気に押しきられるところだったにゃ。そうにゃ、猫人の幻の秘宝『夢見るルビー』がアタシの結婚条件だったにゃ。

 カガトのことは嫌いじゃにゃいけど、ああいうエッチなことをするには、お互いの気持ちを高めるためのステップが必要だとおもうのにゃ。たとえば贈り物をしてもらって、デートして、手を繋いで、初めての、き、キスとかしちゃったりして、それから綺麗な星空を2人で眺めて、宿に帰っていっしょにお風呂とか、あ、あう、想像するだけで、恥ずかしいにゃ!」

「ユズハ姉さま、なにげに乙女おとめやからなあ」

 

 最年少のスクルドの溜め息。

 客車で繰りひろげられる際どい嫁トークの間にも、カタ、カタ、とミカエルとガブリエルは安定した歩調で進み、いまや俺の眼前から白砂の道が途絶え、蒼天の頂きにたどり着いたかのように見わたすかぎりの「空」がひろがっていた。

 エッダの台地。港町アザミの南に位置し、周囲からせりあがった長大な丘陵地帯であり、これから向かう「うつくしの砂漠」へと気候が移り変わる結節点でもある。

 ここから道はやや下り坂となり、視界は一挙にひらけて地平線の彼方まで連なる黄金の砂丘となる。空気が乾燥しはじめて、空の青が色濃く、太陽の輝きは目に痛いほどに苛烈さを増していく。

 俺が陽光に目を細めていると、道の下方からラクダに乗った集団が駆けあがってくるのが視界に入ってきた。砂煙を巻きあげながら、相当な速度で近づいてくる。


「――みんな、戦闘の準備を」


 距離はまだあるが、車内の婚約者たちに声をかけると、御者台に聖剣エロスカリバーを置いていつでも迎撃できる態勢をとる。

 ラクダ隊はゆるやかに蛇行する一本道を駆けあがってきた。

 数は40騎程度。全員が騎乗していて、頭にターバンのような青い布を巻き、余った部分でそのまま口や鼻を覆うマスク替わりとしている。つまり、目だけが見える状態で人相はわからない。あと、特徴的なことがもうひとつ。全員が猫耳だ。頭に巻いたターバンから茶、黒、黄色、赤などの多彩な三角耳が飛びだしている。


「勇者カガトどのの一行とお見受けする」


 砂塵を従えたラクダの一団が俺たちの馬車の前で急停止した。

 道幅は狭くはないが、横4騎の縦列を整えた一団は俺たちの通り道を完全にふさいでいる。街道を逸れて砂礫地帯を駆けぬければ、スレイプニル種のミカエルとガブリエルならあるいは引き離すことも可能かもしれない。だが、それはこの一団が敵だと判明した場合の一手にとっておくことにしよう。

 ミカエルとガブリエルは下り坂で無理やり足を止められ、ブシッ、と不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「突然の誰何すいか不審ふしんを招いてしまったことを詫びよう。我々はイシス団。われは団長のカズサ・カラカルにゃ」


 言葉とは裏腹に悪びれる様子もなく、先頭の猫人がラクダから軽快に飛びおりる。鋭くとがった長い耳が特徴的な、いや、覆面でそれ以外の特徴がわからない女だ。

 カズサ・カラカルは色の薄い茶色の瞳を無遠慮に、馬車の客車部分に向けた。


「ここにユズハ・ケットシー様が同乗されているはずにゃ。不躾ぶしつけな願いで恐縮だが、ユズハ様を我々に返していただきたい」


 俺は御者台から滑りおりると、剣を携えてカズサの前に立った。

 正面から向かいあうと、彼女が俺に匹敵するほどの長身でわかることがわかる。


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『 カズサ・カラカル 』

プタマラーザ南部を根城とする盗賊団「イシス団」の団長。

【種 族】 猫人ケット

【クラス】 アサシン

【称 号】 王の守人もりびと

【レベル】 20(D級)

【愛憎度】 ☆/-/-/-/-/-/- (F級 ユズハ様を守ってくれた)

【装 備】 三日月みかづきのシャムシール(D級) 

      銀のチェインメイル(D級) イシスのターバン(D級)

      硬革の長靴(D級)

【スキル】 長剣(D級) 短剣(D級) 弓(D級) 投擲(D級)

      格闘(E級)

      索敵(C級) 開錠(D級) 罠(D級) 追跡(D級)

      交渉(E級) サバイバル(D級) 猫会話(F級)

      隠密(C級) 乗馬(E級) 木登り(D級)

      料理(E級) 性技(F級)

      盗賊の心得こころえ(D級) 冷血の誓約(D級)

      人間ノーマ嫌い(E級)

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 イシス団とは、メインシナリオ上でプタマラーザの領主府から討伐依頼を受ける猫人ケットの盗賊団の名である。もっとも、過去の周回では実際に遭遇することはなく、「猫人ケットの廃城ミャアマパレス」へと導くための設定上だけの存在という認識であった。ユズハの属していた盗賊団がオシリス団であるから、エジプト神話の夫婦神として何らかの関係があるのかもしれない。

 カズサの後ろに控えるラクダ隊が覆面からのぞく眼だけを光らせて油断なく腰の得物に手をかけている。「性愛の神エロース」の復活した俺ならば切り抜けられない数ではないが、無用の戦闘は避けたほうが賢明だろう。


「なぜ、と聞いてもいいか」


 いきなり馬車に突貫されないよう、ミカエルとガブリエルまでの射線をふさぐように前へと進み、カズサ・カラカルに問いかけた。

 客車が静かすぎるところから察するに、中ではいつでも飛びだせるよう武具防具をそろえて臨戦態勢をとっているのだろう。緊張感がにわかに高まっていく。

 イシス団の団長カズサは口を覆う青い布を引きおろし、切れ長の目に決意をたたえてキッパリと答えた。


「猫人の王国ミャアジャムを再興するためにゃ」


 猫人の王国ミャアジャム。設定の中にだけ登場する、遠い昔に滅びた猫人ケットたちの王国の名前。プタマラーザ関連のイベントではたびたび耳にしていた名前ではあるが、それとユズハがどういう関係があるのか。

 俺が沈黙で先をうながすと、カズサは息を継いで、


「ユズハ様は猫人の王国ミャアジャムの正当なる後継。我々が再興を目指す新生ミャアジャムの女王となっていただきたく、お迎えにあがったのです。

 国を無くし、安住の地もなく、200年の長きにわたって虐げられてきた幾百万の猫人のため、いまこそ、どうか我らの元にお戻りください!」


 最後は、馬車から身を乗りだしていたユズハに向かって叫んだ。

 

「ま、待つにゃ。そんな話が信じられるわけないにゃ。アタシは孤児みなしごにゃ。オシリス団の団長に拾われただけの、ただの捨て猫にゃ」


 転がり落ちるように馬車から飛びだし、砂礫の多い道にしゃがみこんで、ユズハがカズサを見あげる。


「ユズハ・ケットシー様。ケットシーは、ミャアジャムの王家の名です」


 ユズハが引きつった笑みを浮かべる。ピクピクと赤茶色の猫耳が震えている。


「団長が言ってたにゃ。孤児みなしごだから、名前なんて適当に付ければいいんだ、て。なら、一番有名なやつにしよう。滅びた猫人の王族の名前なんてはくがついていいだろう、て。だから、アタシの名前なんか適当にゃ」


 真剣な表情のままカズサは首を振った。


「オシリス団とイシス団は、共にミャアジャムの王家に仕える者の末裔が集まった組織です。盗賊に身をやつしても、いつか王国を再興するために王の血と王国の土地を護ってきたのですにゃ。

 オシリス団が王の血縁を護るためにあえてこの地を離れ、我らイシス団がいつか戻られる王のためにこの地に留まる。そうして今までずっと来たのですにゃ。我らは王家に絶対の忠誠を誓っております。王家の名を何のゆかりもない者に軽々しく付けたりはいたしません。これはオシリス団とイシス団の団長のみに伝わる王族を指し示す符合なのですにゃ」


 蒼ざめたユズハがふるふると震えた。


「違うにゃ。何かの間違いにゃ。アタシはただのユズハにゃ。

 ――ずっと疑問におもってた。他の子は盗賊の技術を学んで危ない仕事に就いていくのに、アタシだけがずっと団長のそばに置かれて。未熟だからだとおもってけど、オシリス団のみんなはいつもアタシに優しかったにゃ。おまえはオシリス団の切り札だ、て言ってくれたにゃ。いま考えれば、たしかに優しすぎたにゃ」


 カズサが膝をついて頭を垂れる。


「伝承のとおりですにゃ。猫人の王は怒りに我を忘れて民をないがしろにしたために大精霊たる朱雀の加護をうしない、その驕慢きょうまんいましめるため、三種の神器『夢見るルビー』を身体に埋めこまれ、自らの心をさらされることとなった」


 俺はうろたえるユズハを見て、それからカズサを見た。


「いま一度、伏してお願いいたします。

 ユズハ・ケットシー様、我らイシス団と共にこの地から猫人を虐げる人間どもを駆逐し、猫人の王国ミャアジャムを再興してくださいにゃ!」


 カズサに続いて、ラクダから降りた40人ほどの団員たちが一斉にユズハに向かってひれ伏した。

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