5-21 海神ダゴン その2

 まぶたの奥でチカチカと光が明滅している。意識が朦朧として思考がまとまらない。頭に霞みがかかり、獣にでもなってしまったかのように簡単な単語すら浮かんでこない。目を見開いているつもりで何も見えず、しかたなく手足の感触をもとめて身じろぎしていると、指先が柔らかな何かをとらえた。触覚だけを頼りにこの心地よいものをひたすらモニュモニュと揉みしだしていると、


「……だ、ダメやて。ここやとみんながおるし、ほ、本気やったら、あとでいくらでも、あ、あぅン! て、後にせえ言うてるやろ!」


 頭を叩かれた衝撃でようやく神経回路がつながったらしく、おぼろげながら周囲の様子が視界にはいってきた。ついでに痛覚もよみがえったようで激烈な痛みが肺腑から全身へと伝わり、脳を揺さぶられる衝撃に記憶がフラッシュバックのように目まぐるしく再生されていく。

 そうだ。俺は海神ダゴンの極太ウォータージェットの直撃を受けて死にかけた、いや、本当に一度死んで「光の守護」の力で肉体の時間を巻きもどされたのだ。そして王宮に強制送還されるはずが、頼みの綱の「光の守護」まで破壊され、ネネと人魚たちが乗るノーチラス号もろとも海神ダゴンに丸呑みにされた。

 あわてて左右を確認しようとして、まったく首が動かず、


「みんな、無事か!?」

「その姿勢で言われても、なあ」

 

 器用にも逆さまに座った状態のゲイレルルがツッコミを入れてくる。

 ???

 いや、逆さまなのは俺のほうだ。意識がよりはっきりとし、平衡感覚も戻ってくるにつれ、ようやく自分の不様ぶざまな姿を認識できるようになった。客観的に見れば上下逆転しているのは俺のほうで、頭を床に押しつけた状態でM字開脚のポーズをとっている。しかも、股間はエッフェル塔もかくやというほど堂々と佇立し、ズボンを引き裂かんばかりの怒張っぷりだ。

 たしかにこの格好のまま他のみんなを心配しても、苦笑されるのがオチだろう。だが、起きあがろうにも他の人魚たちと互いの手足がこんがらがって自由に身動きすることができない。さらしにふんどしという際どい恰好の少女たちとツイスターゲームに興じるのは正直なところ悪い気はしないものの、このままでは「性愛の神エロース」の効果で限界まで膨張したナニがいつ暴走するかわからない。ふんどしの防御力は紙のようにもろく、軽く腰をひねっただけで、俺の聖剣がやすやすと乙女たちの純潔を散らしかねないのだ。

 右手の指先には、ゲイレルルの熟れたスイカのように張りつめたおっぱい。すでに揉みしだきまくった結果、さらしはゆるみ、薄い桜色の突端まで開帳されている。日に焼けて浅黒くなった肌に白さの際立つ乳輪。視界が覚醒した結果、理性を総動員して指を握りこもうとするものの快楽には抗しきれず、指先が勝手にロックオンした突端を執拗に追尾している。


「ん、ん! あ、そんな乱暴にされたら、うち、て、ホンマ、いい加減にせえや! うちはそんな雑にもてあそばれるほど安うないわ! 本気やったら、まずうちの仲間を全員無事に竜宮城まで連れ帰って、乙姫さまに仁義を切りな! そしたら、うちも覚悟を決めてカガトの気のすむまで相手したる。子どもも何人だって産んだるから」


 ぺシッ、と俺の甲を叩き、赤い顔をしたゲイレルルが他の人魚たちと絡みあった手足を解きほぐして立ちあがる。


「おまえたちもいつまで遊んでるんや。さっさとここから脱出する方法を捜すで」


 「押忍おす」と応えて、ひとり、また、ひとりとツイスターゲームから抜けだしていく人魚たち。どうやらダゴンに呑みこまれて船体がぐるぐると天地も分からなくなるほど回転した結果、甲板の端の狭いスペースに全員まとめて鮨詰すしづめ状態で折り重なってしまったらしい。なごり惜しくはあるが、俺もどうにか人間ジャングルジムから抜けだし、カラフルな特攻服の隙間に挟まった黒ローブを見つけてネネを掘りおこした。


「ネネ、ほら、しっかりしてくれ」


 肩を揺すってみるが、睫毛をピクピクと震わせるばかりでまぶたは開かない。HPもMPもMAX状態であるから命に別状はないのだろうが、「気絶」をあらわすステータス表示が出ているので、ここはやはり王子の口づけで目覚めさせるしかないか。

 俺が念入りに舌の運動をはじめていると、


「……ん、んん、あれ? カガト? ボクたち生きてるの?」


 うっすらと目を瞬いたネネが周囲を見まわした。

 俺たちがいるのはノーチラス号の鈍色にびいろの甲板の上。潜水するための外壁がドーム状に船の上半分を覆い、天頂部につけられた帯状の光源が寿命間近の蛍光灯のように明滅し、互いの顔がかろうじて判別できるほどの薄明を提供していた。

 まだ赤い髪が乱れたままのゲイレルルが船体中央の船室入口に設置された潜望鏡を覗きこみ、「外壁、解除!」の指示を出す。

 グイーン、という機械的な振動と共に船体を覆っていた滑らかな曲線の外壁が中央から割れてゆっくりと下がっていく。天頂部にあった帯状の光源は、外壁の先端部分に付いているらしく外壁といっしょに下まで降りてきてそのまま舷縁ふなべりとして甲板をぐるりと取りかこんだ。

 光源が足もとをほんのりと照らし、オシャレなバーのような雰囲気となる。


「サーチライト、点灯!」


 ゲイレルルの再度の号令がとどろき、ノーチラス号の船首にあるイッカクの角のよな衝角しょうかくの脇に設置された2つのライトがまばゆく輝く光を前方に照射した。さざなみたつ水面みなもに光が乱反射し、ライトの二重になった青白い輪っかが、遠く、ぬらぬらとした赤黒い壁面を浮かびあがらせた。

 薄暗くてよく良く見えないものの、天井までの高さは100メートル以上。広さは片側の肉壁しか視認できないからkmキロメートル単位だろう。サーチライトに照らされた壁はでこぼことした曲線のいかにも生物の胃の中という風合いだった。


「まんま、怪物の腹の中やな。さすがに超硬度のアダマンタイト製のノーチラス号までは消化しきれんみたいで助かったけど」


 まわりの水面にはクジラのような巨大な骨と腐肉が浮かんでいる。他にもディープ・シーの残骸らしい黒焦げになった木片も漂っているが、生きている魚が跳ねとぶということはない。吐きもどしたときの酸っぱい臭いが周囲にたちこめ、人魚といえども、この胃酸の充満した死の海に飛びこむのは無謀というものだろう。

 ―――ゴゴゴゴゴゴゴ!

 重低音の海鳴りが響き、ノーチラス号の船体がおおきく波打つ。ゲイレルルが即座に視線を左右にはしらせ、わずかな空気の揺らぎをとらえて、


「船が流されとる! 微速後退や!」


 筋骨隆々たる硬波こうは四天王のひとりが、船首に設置された操舵輪そうだりん脇のレバーを引きあげた。


「ノーチラス号! 微速後退!」


 穏やかだった波が徐々に激しさを増して、轟々と逆巻きはじめる。うなる奔流の先には巨大な渦。ここが胃だとしたら、次に行き着く先は腸だろう。


「ノーチラス号なら潜水してあそこから出られるかもしれん。けど、それは最後の賭けや。圧壊する危険もある」


 短時間で海鳴りはおさまり、水の流れも止まった。再び空洞に静寂が訪れ、肉壁の向こうから、ザザ、ザザ、と遠い波の音がかすかに聞こえてきた。


「……いまはどのあたりかな。このままダゴンがアザミに着いたら」


 ネネが不安げにささやくと、ゲイレルルが船首の操舵輪に近寄り、丸いハンドルの根もとにさげてあった懐中時計を取りあげた。


「怪物に遭遇してからまださほど時間は経ってへん。速度が変わってないと仮定したら、アザミまで2時間はあるんとちゃうか」


 さすがに船長をやっているだけあって、航行速度の計算は速い。ネネは俺を振りかえり、眉根を寄せた。


「……セシアたちは無事かな」


 俺はネネの三角帽子の上からポンポンと撫でると、


「大丈夫だ。いまはまだ街の人たちを高台に避難させるために駆けずりまわっているだろうが、もし高波が近づくようなら、見張り役のユズハがきっと安全な場所までのルートを誘導してくれる」

「……うん、そうだね。ユズハは目も耳もいいし、機転が利くから」

「それよりも俺たちだな。複合魔法の爆破でもダメージが無いような怪物をどうやって倒せばいいのか。おまけに俺たちは腹の中だ」


 ダゴンのステータス表示はS級(魔神級)だった。魔神級の魔物など俺は真ボスであるカオスドラゴンしか知らない。魔王マーラやザザですらA級(魔王級)なのだ。光の守護が打ち砕かれた攻撃力から推察すると、海神ダゴンはカオスドラゴンすら凌駕している可能性が高い。真ボス以上の敵キャラなど存在しないと高をくくって攻略方法も見定めずに挑戦したのがやはり無謀だったのか。だが、世界はもはや俺の知っているグランイマジニカからはおおきく逸脱してしまっている。諦めて次周という選択肢もない以上、攻めるしかないのだ。

 俺は不安に押しつぶされそうになる雰囲気を打破するため、あえて自信たっぷりに断言した。


「だが、逆にこれは千載一遇のチャンスかもしれない。真正面から戦って勝てない怪物に対して、腹の中から攻撃するというのは、古今東西の英雄が勝利をつかみとってきた常套手段だからな!」

 

 もちろん虚勢だが、場を暗くして良いことはひとつもない。いまできることを愚直にやり尽くすだけ。


「うん! そうだね。ボクも絵本で読んだことがある」

「俺の元いた世界でも一寸法師というのがいる。無事に外に出れたら、ネネの知っている話と俺の知っている話を比べてみよう」

「……異界の物語。カガトとするの、ちょっと愉しみ」


 ネネがはにかんだ笑顔を浮かべるのを見て、俺は確信した。

 俺はまだ「勇者」なのだ、と。勇者とは勇気を持ち、ひとに勇気を与える存在のこと。俺は勇者として最期までまわりに勇気を振りまき、諦め悪く、率先して足掻きつづけなければならない。

 さっそくゲイレルルに頼んで、ノーチラス号を肉壁に寄せてもらった。手で触れられるほどの距離に接近してじっくりと観察すると、粘性のある体液に覆われた肉壁には血管らしき青いすじが網目状にはしり、その1本1本がドクドクと脈打っている。理科の解剖実験で蛙の腹をひらいた感じだろうか。淡く輝く舷縁から半身を乗りだして、試みに龍王の剣で突いてみることにした。


「えい!」


 サクッと意外なほど抵抗なく剣がはいる。引き抜くと、傷口から青い血がにじみだしてきて、これはイケるかもしれないと俺が頬をゆるめたのもつかの間、すぐに傷口が白いあぶくで埋まり、なにごともなかったかのように元の赤黒い肉壁に修復されてしまった。さすがは超回復スキルの親玉といったところか。

 剣ではらちがあかない。もっと巨大なもの、そう、たとえば、


「ノーチラス号の衝角攻撃を試してみたい」


 俺の提案にゲイレルルがすぐに反応する。

 いったん船を後退させると、「最大船速!!」の掛け声とともに魔力炉がうなりをあげて、船体後方の噴射口から盛大な水しぶきがはじけとんだ。


「総員! 衝撃に備えや!!」


 ズビュッ! と気持ちの悪い音をたてて、巨大な衝角しょうかくが肉壁に突き刺さる。槍の穂先のような先端が埋没し、わずかずつではあるがアダマンタイト製の軸がねじりこまれていく。

 ――グゴゴゴゴゴオオオオ!!

 空洞全体が震えて水面が波打ち、ノーチラス号がおおきく左右に揺れた。

 

「よっしゃ!! もっとや! ありったけのパワーで押せえ!!」


 キーン、と耳鳴りするくらいのモーター音をあげて、衝角は深々と突き刺さり、ついにノーチラス号の船首までが肉壁にぶつかった。青黒い血がドクドクと流れ落ち、近くの水面が蒼黒く染まっていく。


「このまま突き破ったるで!」


 だが、快進撃はそこまでだった。船首で魔力炉のレバーを操作していた硬波こうは四天王が悲鳴をあげる。


「ね、姉さん! 壁が、せりあがってきます!!」


 指さす先には、脈動しながら船を這いのぼってくる赤黒い肉塊の姿。傷口から吐き出される白いあぶくが衝角と肉壁を癒着させ、ありあまる回復力がノーチラス号をも壁に取りこもうと船体を先端から覆いはじめていた。


「――ファイアーボール!」


 ネネの魔法によっても俺の斬撃やゲイレルルたち人魚の集団攻撃によっても、肉壁はいったんは退くもののすぐに修復されて支配範囲を徐々に拡げていく。攻撃を苛烈にすればするほど肉塊が飛び散り、小さな欠片からでも増殖するから手に負えない。

 ノーチラス号の船体の前半分が肉壁に取りこまれたところで、


「攻撃、止め!!」


 ゲイレルルが手で制し、苦渋の表情を浮かべた。


「逆効果や。叩けば叩くほど、こっちが動けんようなる」


 攻撃の手を止めると肉壁の増殖も止まり、他の部分の壁と同じように脈打ちつつもそれ以上の侵攻はなくなった。


「どないせいっちゅうんや!」


 ゲイレルルが甲板を蹴り、疲労困憊の人魚たちが座りこむ。

 正攻法はついえた。こうなれば残された手段はひとつしかない。股間のものばかりに頼るのは避けたかったのだが、事態を打開するためにはやむを得ない。そうこれは最後の手段なのだから。


「ネネ、頼みがある」


 もともと察しが良いネネは俺の熱を帯びた視線にカッと頬を赤らめて三角帽子を目深まぶかにかぶった。


「……だ、ダメだよ。ここには他の人たちもいるし」


 もじもじとしている仕草も可愛いが、他に手段がない以上、拝み倒すしかない。ネネは俺が「性的興奮を得ることで力が増す」ことを知っている。こうなれば奥の手を使うしかないことも理解しているだろうが、衆目監視の中で行為に及ぶのはやはり相当な抵抗感があるのだろう。

 しかし、船室への入口も肉壁で塞がれている以上、隠れてイチャイチャできる場所はない。この甲板上で堂々と愛の営みを実行するしか方法がないのだ。

 「最後まではしない!」「いや、そういう問題じゃないから」と押し問答をしている俺たちをゲイレルルが不審な目で、


「なんや、こそこそして。この状況を打破できる起死回生の一手があるなら、出し惜しみするんは無しやで。うちら全員の命がかかってるんやからな」


 俺が勇者の特異体質として「性愛の神エロース」のことをかいつまんで話すと、ゲイレルルはネネにも事情を確認し、しばし黙考したあと力強くうなずいた。


「わかった。にわかには信じられん話やけど、他に手がないなら、仕方しゃあないな。乙姫さまから預かった妹分たちをこんなとこで死なせるわけにはいかへん。

 その、えーとな、他に方法がないんやたっら、うちが相手したるわ」


 バサッと勢いよく特攻服を脱ぎ捨てた。

 

「だ、ダメ!!」


 ネネが飛びだしてきて、ゲイレルルのおおきな胸の前に立ちふさがる。


「……カガトはボクの婚約者だから。ボクが相手をする」

「いいのか?」


 ネネはコクリとうなずいた。


「ザザから助けてもらったとき、もう覚悟は決めてたから。父さんの死の真相もわかった。カガトは約束を守ってくれたから、ボクも約束を果たすよ」


 黒いローブの裾を両手でゆっくりとたくしあげ、三角帽子といっしょに甲板にストンと投げ落とすと、水の羽衣だけを身につけたネネが上目遣いに見つめてきた。

 指先が動いて空中に光る文字が浮かぶ。


『ボク、魔導院の黒ローブは替えをアイテムボックスに入れてあったんだけど、下着はリュックに入れたままで。さっきの戦闘で下着を破られて、だから、いつもはこうじゃないから。でも、カガトはきっとこういうほうが好きでしょ? 最後まではしてあげられないけど。他は何をしてもいいから』


 シースルーのネグリジェのような水の羽衣の下に、ネネの白く輝く裸身がある。

 震えながら俺の鎧姿に身を重ねてきたネネが、


「……ボクは2番目でいいから。カガトの初めてはセシアにあげてね。でも、ボクは長命の巨人ティターンだから。カガトの最後はボクにちょうだい」


 蚊の鳴くような小声でつぶやくのを聞いて、俺はゴクリと咽喉のどを鳴らした。

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