5-7 古戦場 その4

 蒼白な顔で杖を握りしめるネネに問うまでもない。これが自然災害でないとしたら、天を焦がし地を溶かすほどの炎をあやつる存在など俺はひとりしか知らない。


「ザザ・フェンリル」

 

 言葉にすると、ネネがビクッと顔をあげた。小刻みに震える華奢な身体が同意をあらわしている。ガッダからの帰り道、切通きりとおしでの邂逅かいこう。自分にむけられた兄の凍えるような殺意がよみがえり、不意にネネの瞳から涙がこぼれおちた。

 手の甲で濡れた頬をぬぐい、三角帽子のつばをギュッと引きおろす。

 俺は小声で、


「今日でなくてもいい。また機会は用意する」


 このまま立ち去ることを提案したが、ネネはかぶりを振って、震える指で宙に光の文字を書きつらねた。


『いま逃げたらボクはきっと後悔する。一度でも逃げたら、理由をつけてまた逃げたくなる。恐いけど。兄さんの声を聞くのがたまらなく恐ろしいけど、耳をふさいだままだと、いつまでたってもボクは不安定な自分から抜けだせないから。

 目をつむるといつだって、父さんと兄さんが真剣に議論を戦わせていた光景がまぶたの裏によみがえってくる。高度な魔導理論を整然と展開する父さんに対して、兄さんが奇想天外な切り口を見つけて論争を挑み、いつしか二人で新しい扉をあけている。そこから産まれた革新的な魔道具の数々。驚嘆する魔導院の教授たち。飽くなき知識を探求する二人はキラキラとしていて、幼いころからずっとボクの誇りだった。いつか自分もそこに加われるのじゃないかと夢見て、心の底からあこがれた。

 だけど、兄さんはある日、魔人に堕ちて姿を消して、次にあらわれたときにはあれほど慕っていた父さんを殺した。なぜあんな残酷な結末を迎えなければならなかったのか。どうして? どうして? どうして? 問いかけばかりが渦巻いて、ボクは涙を流すこともできなかった。このまま真実を知らなければ、ボクは父さんの死を悲しむことも、兄さんを憎むこともできないから』


 地平を溶かしたマグマはすでに光を失い、火柱も見えなくなっていた。


「……だから、ボクは行くよ」


 遠く、いまだ炎熱に景色が揺らぎ、白煙がたなびく彼方にむかって、ネネは黒いローブのすそをひるがして一歩を踏みだした。

 固い決意の表情に、あきらめた俺は肩をすくめると、


「なら、俺も約束を果たすまでだ。ネネは絶対に嫁にするから、ザザに奪わせたり、傷つけさせたりはしない。身も心もな」


 馬車に乗るようにうながすと、ネネが困ったように眉を寄せて、ピロリン♪ と音が鳴った。


「ほ、本当に行くのかにゃ? ザザっていうと、あの切通きりとおしにいた、おっかない魔人のことにゃ? あれはきっと魔将級か魔王級の魔物にゃ。いまのアタシたちでどうにかなる相手じゃないにゃ。もう少し準備してからのほうがいいんじゃないのかにゃ。

 ――ヤバいにゃ。あんな、いきなりあたり一面を溶岩に変えるような魔人と戦ったら、本当に殺されるかもしれないにゃ。あ、『光の守護』があるから本当には死なないけど、死ぬほど痛いのも嫌なのにゃ!」

「……ごめん。ユズハ」

「あ、違う。そうじゃなくて、ネネを責めてるわけでも、ひとりで行かせたいわけでもなくて」


 ユズハの赤茶色の耳が垂れさがり、尻尾がくるりと曲がってふとももに巻きつく。けれど、ものの数秒で顔をあげると、明るく笑った。


「うん。考えてもしかたないにゃ。仲間だからにゃ。一蓮托生。その理由だけで十分にゃ。オシリス団のみんなもそうだった。仲間の苦しみはアタシの苦しみ。仲間の喜びはアタシの喜びにゃ。アタシは逃げ足だけは早いからにゃ、もしもネネが危なくなったら抱えて逃げるだけにゃ。

 ――で、カガトを盾につかうにゃ。頑丈だから、きっとアタシたちが遠くに逃げきるまで耐えてくれるはずにゃ」

「そうやで、ネネ姉さま。回復役のうちもおるし。みんな昨日よりもレベルも上がって強くなってるし。きっと大丈夫や」

「……うん。ありがとう。ボクも弱いままじゃないところを見せるから」


 ユズハがネネの右手をとり、スクルドが左手を握って、いっしょに馬車の側面から踏み台に足をかけ、扉をひらいて乗りこんだ。

 なんだかんだいってもユズハは仲間想いで優しいし、スクルドも聡明でよく気がつく。言葉どおり、いざとなればユズハとスクルドにネネをゆだねて、俺が時間稼ぎのためにザザと対峙するまでのこと。

 

「無論、私に異存はありません。パーティーの盾としてカガトどのと共に戦います。背中は任せてください」

「守りに主眼を置いた聖騎士スタイルで頼む。

 あと、背中はあとでいいから、いまはここを任せたい」


 最後に馬車に乗りこもうとしたセシアに対して、御者台に腰かけた俺が自分の膝を軽くたたいた。

 すぐに意図を察したセシアが視線をはずし、羞恥に顔を赤くして、


「えーと、あの、外ですし、まだ明るいですよ」

「煉獄の魔人ザザ・フェンリルを相手にするわけだから、万全の準備が必要だ。またセシアに頼ることになってしまうが、どうかこのとおり」


 座ったまま頭を下げつづけると、


「はぁ。わかりました。でも、節度はわきまえてくださいね」


 根気負けして兜と鎧をはずし、俺のとなりに腰かける。ひとり分の座席しかない狭い御者台に二人並ぶのはさすがに窮屈で、俺は自分の装備をアイテムボックスに収納すると、セシアの腰に腕をまわして強引に膝の上に乗せた。


「お、重いですよ」

「絶妙な抱きごこちだ。きっとこれでザザにも勝てる」


 称号を「性愛の神エロース」に変更し、チェニックに黒いスパッツ姿となったセシアを後背から抱きしめると、うなじから頬へと唇をあて、愛撫に応じて振りかえったセシアと濃厚な口づけをかわした。

 前方のミカエルとガブリエルが、まったくけしからん、と言いたげに鼻息をブシュッと吹きだし、たずなの指示に逆らって首を左右に振った。俺が「今日の晩ごはんには特上のにんじんに加えてリンゴも用意するから」とささやくと、ようやく前に進みはじめ、車輪が小石を踏みつぶす振動が尻につたわってきた。


「ん、んあ! そんなに突きあげられると、声が」

「馬車の揺れだな。速度があがれば安定する気がする。たぶん」

「あ、服をめくるのは禁止です。だから、指をそこに入れるとダメですから!」

「しっかりと支えていないと振り落とされるかもしれないからな。こう、グリップを効かせて」

「み、見えちゃってるじゃないですか! ほら、もう!」


 左手でたずなを繰りつつ、右手でセシアの柔肉をもてあそび、いたずらざんまい。抗議を聞き流しながら適当なところでキスで口止めして、うやむやにしてしまう。

 光陰矢の如しとは本当らしい。愉しい時間はあっという間に過ぎて、不機嫌なミカエルとガブリエルの鼻息をBGMに黒スパッツの内側の攻防を繰りかえしていた俺とセシアの眼前に、灰色の油絵の具を塗りたくったような溶岩石の渦があらわれた。

 まだ周囲の空気は熱を帯び、白い煙がツンと鼻の奥を刺激する。この一帯が火柱があがりマグマが噴きだしていた中心地とみて間違いないだろう。あらゆる耐性が高いスレイプニル種とはいえ、ミカエルとガブリエルの足も自然と止まり、これ以上先に進むことは難しい。


「ほら、終点ですよ、カガトどの」

「ああ、至福の時間が名残惜しい」


 俺の腕からするりと抜けでたセシアが黒い地面に降りたち、服の乱れと息を整えつつ鎧と兜を手早く身につける。

 たずなを握りながらの愛撫は変わった趣向でそれはそれで興奮したが、視覚的な要素に乏しく、結局、性愛の神エロースによるレベルの上昇も25止まり。不安はよぎるが、ここまで来た以上は腹をくくるしかない。

 奇妙な渦をえがく火成岩の海原を足先でつつき、指で軽く触れて温度をたしかめてから踏みしめる。施工中のアスファルトのように柔らかいのだろうかと想像していたが、存外硬く、表面がなめらかな上に隆起が複雑なため、足をとられやすい。

 馬車から降りてきたネネ、ユズハ、スクルドにも足場の注意をうながしていると、


「おや、奇遇ですね。勇者ではありませんか。こんなところで再会するなんて、やはり、キリヒトとあなたはグランイマジニカに変革をもたらす存在として、運命の赤い糸で結ばれているのかもしれませんね」


 砂丘のような火成岩の小山のつらなりのかげから、赤い短髪のひょろりとした白衣が姿をあらわし、芝居がかった調子で腕を振りあげた。そのままこちらに飄々と歩いてくるかたわらには、灰色のスウェットシャツにフードをかぶったキリヒトの姿。


「しらじらしいんだよ、先生は。ずっと前から気づいてたんだから、さっさと襲って馬車ごとマグマに沈めてしまえばいいのにさ」

「キリヒト、君はもうすこし物語の筋立てというものを学んだほうがいい。起承転結が大事なのです。昨日の襲撃が『起』で、ここはまだ『承』の段階。アザミの街の『転』まではヒントを与えるくらいがちょうどいいのです」


 長い前髪を揺らして、「けッ!」とキリヒトが唾を吐いた。


「それに、ここで勇者を王宮に送りかえしていたら、大事なショウの上演時間に間に合わないかもしれないじゃないですか。観客のいない舞台ほどつまらないものはありません」

「こいつは観客じゃなくて、演者だろ? やられ役の」


 不敵に笑い、親指で首を掻っ切るジェスチャーをして俺を挑発する。

 ざりっ、とセシアが火成岩の渦に踏みこみ、飛燕マサムネを下段に構えた。


「だから、戦う気はありません」

「売られた喧嘩は買うつもりだけど?」 


 キリヒトの前に大柄なスケルトンウルフが飛びだしてきた。

 一触即発の雰囲気に、ザザ・フェンリルが一歩前に出て、


「はいはい、お互い手を出さないでくださいね。騒いだら罰を与えますよ。

 だいたい、キリヒトはまだ魔物を補充していないのだから満足に戦えるはずもないでしょう。私を当てにするのはやめてください。ただでさえ、龍穴から魔力をしぼりとるために魔法の大盤振るまいをしたばかりなのですから」


 薄っぺらい笑顔のまま、不穏なことを口にする。

 いまザザが語ったことが真実であれば、周囲一帯でアンデッドの復活が停止しているのも古戦場の魔力が枯渇したためということか。奪いとった魔力を何に使うのかと考えれば、キリヒトが魔物の軍団を再生するためというのが順当な答えだろう。

 俺の思考を読みとったらしく、ザザが丸眼鏡をくいっと指で持ちあげて、


「単純な魔物の増殖が『起』であるならば、さて、『転』は何を意味するのか。

 宿題ですよ。答えあわせはアザミの街で」

「先生! ヒントを出しすぎだって!」

「いいじゃないですか。キリヒトもカガトも私の大事な生徒ですから」


 俺がいつからこいつの生徒になったというのか。

 ザザのペースに巻きこまれている場合ではない、と声を張りあげようとしたとき、後ろからネネの叫び声が追い越していった。


「ザザ兄さん。答えて! なぜ父さんを殺したの!?」


 ザザは無反応のまま背をむけてヒラヒラと手を振り、


「では、勇者カガト。アザミで会いましょう」


 あくまでネネを無視して勝手に立ち去ろうとする。

 ここは追いすがってでも口を割らせるべきかと俺が逡巡している隙に、またしてもネネが杖を振りあげて、

 

「止まって! ボクを見て! ユズハ、お願い!」

「わかったにゃ!」


 横に飛びだしたユズハが、ザザとキリヒトの周囲八方位に何かを投げつけた。

 こぶし大の白い立方体が乾いた音をたてて岩肌にころがり、ザザの紅い瞳がわずかに見ひらかれる。キリヒトの前にはスケルトンウルフが我が身を挺して立ちふさがり、爆発物だった場合の衝撃に備えようと頭を低く、爪をたてて脚を踏んばる。

 ネネの口から高速の詠唱がつむがれる。


「我、魔の探究者たるネネ・ガンダウルフは、流転と調和を司る水の精霊と、変化と断絶を司る風の精霊に問う。

 四方を水とし、四方を風とし、四方に四方を重ねて、もって吹雪の牢獄となし、我、小世界をとざすこと叶うか。

 水を氷と化し、風を嵐と化し、汝、水の精霊と風の精霊の喜びをもって、小世界のすべてを凍てつかせよ! グレート・アイスプリズン!!」


 地面に落ちた立方体から霧氷が噴きあがり、渦巻く風があっという間に白い球体をかたちづくって、ザザ、キリヒト、スケルトンウルフを呑みこんだ。轟音と共に霧が氷のつぶてとなり、風が嵐となって、球体を白一色に塗りつぶし、氷雪が糸玉のように回転する。

 ぐらり、と魔力の大半を消耗したネネが杖を取り落としそうになる。


「……どう? ボクの複合属性魔法は」


 まるい牢獄のなかは雪山の猛吹雪の様相で、ザザの姿もキリヒトの姿もまったく見えない。ネネは不安な気持ちをまぎらわせるように宙に光の文字を浮かべた。


『複合属性は本来、二人以上の魔導士が魔法をかけあわせることによって発動する魔法。ボクはそれを魔道具を媒介にすることで単独で発現させたんだ。ユズハに投げてもらったのは、冷蔵庫にもつかわれている魔導回路。ただし、通常なら6カ月はもつところを、リミッターを解除して蓄えられていた魔力を一遍に引きだせるように改造した。

 暴走した魔導回路からあふれる冷気を風魔法で閉じこめるところが難しかったけど、ユズハがキレイな円に配置してくれたおかげで上手くいった』


 たしかに強力な魔法だが、果たして魔王に匹敵するザザ・フェンリルがこの程度の攻撃で無力化されるだろうか? いまだに動きがないのは罠か?

 俺の疑念をネネも共有しているらしく黒い三角帽子の下の額にはうっすらと汗がにじんでいる。そんな緊張を微塵も理解せず、退屈だと言いたげに白いドームのまわりをぶらぶら歩きまわっていたユズハが、


「魔導回路を投げて、こんなにキレイな円にしたのはアタシにゃ。もはや芸術の域に達したといっても過言ではないにゃ。そうにゃ。みんな、アタシをもっと褒めたたえてくれてもいいにゃ。

 ――セシアの二刀流に続いて、ネネまで新しい魔法をモノにするにゃんて! このままだとアタシの立場が危うくなるばかりなのにゃ。ムムム、このあたりでアタシも必殺技を身につけないとマズいかもしれないにゃ。やっぱり投擲を極めるのがいいのかにゃ?」

 

 小石を拾って、明後日の方向に投げつけた。


「――痛!」


 声をしたほうを全員が振りかえると、白いドームとは離れた場所の岩陰で頭を抱えてうずくまるキリヒトの姿。となりで立ちあがった赤髪のザザ・フェンリルがにこやかに手を振っている。


「いやあ、見つかってしまいましたね」

「先生、やっぱり、あいつら殺そうよ」


 悪態をつくキリヒトの頭をぐりぐりと押さえつけ、


「あの才能の欠片もなかったネネが『複合属性魔法』を使うとは。これも『結盟の腕輪』による勇者の『異常成長』特性の伝播なのでしょうか。じつに興味深いですね」

「兄さん! 答えて。父さんを殺した理由を」


 ザザがつまらないものでも見るようにネネを一瞥し、やれやれ、と首を振る。


「別に隠しだてをするほどの理由ではないけれど。愚かなお前に割く一秒が惜しい。

 だが、まあ、いいだろう。もしアザミで私の計画を止めることができれば答えてやる。じつにつまらない答えだとおもうがな」

「先生、さっきの吹雪のせいでホネタの骨が半分氷漬けになってる。ブラックヒールでも全快しない。早く治療を!」

「そうですね。そろそろ城に帰って、増やした魔物を聖魔結晶に封じる作業を進めなければいけませんしね。また徹夜ですか」

「待て!」


 龍王の剣を手に駆けだそうとする俺の眼前に青白い火柱が噴きあがった。


「我、真理の劫火ごうかに焼かれるザザ・フェンリルは、混沌の闇に問う。

 我、ここに常闇の扉を開き、影の道を歩むこと叶うか。

 我が前に千里の道あれど、我が影は曙光に延びて、彼の地にしるべを刻む。

 断絶の彼方に橋をかけよ! ブラックゲート!」


 豪炎の向こうで、ザザ、キリヒト、スケルトンウルフが大地に穿たれた影のごとき穴に沈みはじめた。いままでの周回で一度も見せたことのない魔法だが、様子からして転移魔法だろう。先ほどのネネの氷結魔法から難なく抜けだしていたのも、任意の場所に転移できるなら容易に説明がつく。


「勇者カガト、次に会うまで健やかに」


 手を振るザザの指先まで影に溶けさると、穴は泉に波紋をたてるように揺らぎ、かすかな黒い煙を残して霧散した。

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