4-15 狭間の世界 その2
遠近感のない真っ白な空間。
距離感も上下の区別すらなく、気がつけば、俺はただただ白いだけの世界にひとり立っていた。
セシアは? ネネは? ユズハは? みんなはどこに?
リクの隠れ里から脱出し、ついさきほどまでいっしょにいたはずなのに。「光の守護」が発動した形跡もない。いったい何が起きたのか。
「――心配しなくても大丈夫だよ」
背後からの声に振りむくと、リクの剣、リクの盾、リクの鎧の勇者3点セットに身を包んだリク少年が立っていた。
「ここは、そうだね、グランイマジニカの根っこの部分。いや、一番てっぺんかな。世界の裏側の真理の姿。
はじめまして、じゃないけど、こう名乗るのは、はじめてだよね。
僕は勇者リク。はじまりの勇者さ」
正直、驚きはしなかった。初めからそんな設定じゃないかとおもっていたから。
ヒント係のリク少年はグランイマジニカの有象無象に精通しすぎていた。ゲーム世界のご都合主義と割りきってみても、やはり他の住人たちとは違う生活感のなさというか、嘘っぽさというか、ふわふわとした虚構をずっとかかえていた。
「リクの隠し里」という存在自体あやふやだが、リク少年自身も目の前にいるのに本当はそこにいないような、少年の姿をしているけれど本当は別の何かのような。つまり、想像していたとおりなのだろう。
「君はこの世界の神さまなのか?」
素直な感想を口にすると、黒髪の少年は、にへへへ、と常と変わらぬ屈託のない笑顔でこたえた。
「僕が神さまなら、カガトお兄さんも神さまだよ。だって、この世界にはもう、お兄さんが半分くらい溶けだしているからね」
ぞわり、と肌があわだつ。俺はこの感覚を知っている。自分と周囲の境界が曖昧となり、「俺」という輪郭がぼやけて溶けだしていくような戦慄。身体が無数の細かな「字」の集合体となり、その「字」を色鮮やかな魚たちがついばんでいく記憶。夢か、前の世界か、グランイマジニカのどこかの周回か。
白い空間にうずくまる俺の頭上から、勇者リクの軽やかな笑い声が響いた。
「思い出せない? まあ、無理もないか。周回のはざまで肉体はつくりなおされちゃってるからね。僕たちが何なのか。この世界が何なのか。ちょっと長くなるけど、僕の話を聞いてくれたら、すこしは思い出すかもしれないよ。先輩勇者から後輩勇者へのささやかな贈りものかな。
世界の選択をただ黙って見てるほど、僕は冷淡にはなれないからさ」
顔をあげると、目が合った。リク少年の星のない夜空のような深く黒い瞳。ずいぶんと大人びている。というより、老いて人生に
リクは絵本を子どもに読み聞かせるように、ゆったりとした口調でこのグランイマジニカの成り立ちについて語りはじめた。
「お兄さんがもともと住んでいた世界のほかにも世界と呼ばれるものは、夜空にまたたく星のように無数にあるんだ。このグランイマジニカもそのひとつ。だから、どちらかが本当で、どちらかが嘘ということもない。お兄さんが来るよりずっと前、僕がこのグランイマジニカに迷いこんだとき、ここはまだ生まれたばかりの世界、ちょうどいまみたいに真っ白な、なんにもない世界だった。
世界にあるのは僕だけ。だから、グランイマジニカに流れついた僕は、最初、夢の中にいるんだとおもってたんだ。夢の中でこれが夢だと気づいている夢。でも、どうしても覚めない夢。だんだんと真っ白な世界が怖くなった僕は最初に色彩を願った」
リクの言葉が終わらないうちに七色の虹が白い世界にかかった。
「ね。すこしワクワクするでしょ。夢の世界を僕のイメージどおりにできるなんて。だから次は、空と大地と海をつくった。テレビでしか見たことのないような景色だって頭に思い浮かべれば、ポンッと目の前に出てくるんだもの。花も草も木も、太陽も月も星も。僕が知っているかぎりの魚を海に泳がせて、空には無数の鳥をはばたかせて。動物も人もつくったよ。
どんどん出来あがっていく世界に僕は興奮した。もっともっと面白い世界にしようとおもった。どうせなら僕の大好きなゲームみたいな世界にしてやろう、てね。だって、本当の世界がどうなっているのかなんて詳しく知らなかったし、大人のやっていることはよくわからないし。ゲームならいっぱい遊んでたから。お城もダンジョンも、魔物も王さまも村人も、どんどんアイディアが湧いてきた。そのうち、どうせなら僕が勇者になって、自分のつくった世界で冒険したいと考えるようになって、実行した。冒険しながら、もっといろんな街や村、武器や防具やアイテム、魔法もつくった。何度も魔王を倒して、そのたびに最初からやり直して。
楽しかった。自分の想像のままに世界をつくるのはとっても楽しかった。そうして飽きるまで世界をつくって、冒険して。僕はやっと、どうやったって元の世界には帰れないことに気がついたんだ。それだけじゃない。自分がどこから来たのか、お母さんの名前も、お父さんの名前も思い出せなくなっていた。
それでもね、僕はその後も何度も勇者として世界を救ったんだ。元の世界に帰る方法があるんじゃないかと探しつづけて。でも、帰れなかった。ずっとずっと繰りかえすうちに僕は本当の自分の姿も思い出せなくなって、気がつくと、僕の知らない誰かが世界を救うのを見ているだけの幽霊みたいな存在になっちゃったんだ。
わかるかな。
この世界の本当の神さまは僕じゃなかった。
本当の神さまは、ただこの世界を大きくしたいだけの『何か』だったんだ。そう。このグランイマジニカで『アーカイヴ』と呼ばれているもの。それがたぶん、この世界の本当の神さま。
アーカイヴはこの世界を大きくするために、僕たちみたいな他の世界からの漂流物から記憶や感情をすこしずつ奪い、自分の一部に取りこんでいたんだ。僕は溶かされてアーカイブの端に連なり、ようやくそのことがわかった」
勇者リクが寂しげにほほ笑む。
「いまの僕は全知無能のアーカイヴの一部。ただ見ているだけの存在。いろんなものが、いろんな世界から流れてくるのをずっと見てきた。
空はより高く。海はより広く。大地はより豊かに。
勇者役になった人は1周か2周したら、だいたい自我をなくして溶けていっちゃった。ほんのちょっと、人や魔物や何かを複雑にして。たまにこだわりが異常に強くて、お兄さんや僕みたいに繰りかえし勇者役をする人たちがいて、そういう人はたいてい完全に世界に吸収されるまで10周近く繰りかえすんだけど、最後に自分のこだわりを世界に溶かしこむ権利のようなものを与えられるんだ。アーカイヴに気に入られたのかもしれないね。
もう元の名前も姿も意識も全部溶けてしまって、僕みたいに人格の欠片すらも残っていないから、仮に『勇者ああああ』『勇者いいいい』『勇者うううう』『勇者ええええ』『勇者おおおお』とつけておくね。
『勇者ああああ』は冒険に仲間を連れていくことができる『仲間システム』をつくった。僕のときにはまだひとりで冒険してたんだけどね。
極度の寂しがりやだった勇者ああああは冒険の仲間になってくれる人をさがして10周以上繰りかえした。消えさるとき、自分の理想の仲間を世界に描き、それ以降、最初の王宮で仲間を選べるようになったんだ。
『勇者いいいい』は魔王討伐という本編以外にも寄り道できる『サブシナリオシステム』を生みだした。勇者いいいいは本さえあれば生きていける本の虫で、いろんな物語が頭に詰まっていたから、冒険しているとき、ここにこんな話があると面白いな、もしかしたら前の話の伏線かも、と空想しつづけて、ついに溶けさるときに頭のなかの物語がサブシナリオとしてばらまかれたんだ。
ちなみに『リクの隠れ里』も勇者いいいいが遺してくれたものだよ。実体のなかった僕はサブシナリオに乗っかってこの身体を手に入れることができた。この里から外に出ることはできないけど、こうして勇者と話ができて、本当に、勇者いいいいには感謝しているんだ。
『勇者うううう』のこだわりは『称号システム』になった。勇者ううううは、えーと、中二病?という病気で、二つ名とか
『勇者ええええ』は『聖魔結晶システム』。魔物愛が強すぎる勇者ええええは魔物を捕まえて仲間にするのが夢だった。なかなか魔物にとどめをささないからいつも死んでばかりいたけど、めげずに『ゲットだぜ』て叫びながら魔物に抱きついていってたよ。
聖魔結晶を投げつけると魔物が吸いこまれる仕様になったのもたぶん、勇者ええええの遺志が世界に反映された結果だろうね。勇者ああああの『仲間システム』とうまく融合できずに、魔物を仲間にして戦わせる夢までは実現しなかったけど。
『勇者おおおお』は『周回システム』を完成させた。とにかくケチだった勇者おおおおは、せっかく手に入れたアイテムが新しく周回をはじめるたびに無くなってしまうことに激怒して、あの手この手でアイテムをどうにか引き継ごうと試行錯誤を繰りかえしてた。結局、願いが叶ったのは自分が世界に同化した後だったけど。このシステムにはお兄さんもだいぶ助けられたんじゃないかな。
ここまでの改変でだいたいいまのグランイマジニカができあがって、しばらくは新たな要素をつけくわえる勇者はあらわれなかった。アーカイヴも満足していたのかもしれないね。ある意味、完成された世界になったわけだから。
だけどそこに、お兄さんが登場したというわけさ」
緊張にゴクリとのどが鳴る。勇者リクは軽くうなずくと、
「お兄さんは停滞していたこの時空の中で、元の世界に帰ろうともがきつづけた。何周も何周もして、30周もしたのは僕以来だとおもうけど、結局、元の世界へ帰りたいと願うばかりで、他の名もない勇者たちと同じように、新しいシステムを生みだすこともなく消えようとしていた。
アーカイヴはもう『次の勇者』を見定めていた。僕もその一部だから、次の勇者候補がこのグランイマジニカへ近づいてくるのがわかった。あとは現勇者であるお兄さんの
でも、最後の最後で、お兄さんは奇跡を起こしたんだ。この世界そのものであり、姿かたちのないアーカイヴに自分の半分を分け与え、アーカイヴに愛を刻んだ。いままでの世界を根本から創り変える『愛憎度システム』をねじこみ、おまけに世界に同化することも拒絶して、しぶとく次の周回の勇者役になってしまった」
リクの言葉に導かれるようにして、記憶の深奥から30周目と31周目の狭間の白い空間が泡のようにたちのぼってくる。身体が「文字」の集合体となって魚についばまれる不思議な光景。文字の魚の群れはもうひとりの俺へと変貌をとげ、本物の俺を吸収しようとした。だが、妄想力を爆発させた俺は、自分の分身たる文字の集合体に美少女の姿を投影し、力のかぎり抱擁した。
勇者リクの黒い瞳は深みを増し、声音は変わらないのに言葉の響きはどんどん重厚になっていく。
「アーカイヴという真理が変質し、その影たる聖王と魔王の戦いもこれまでの周回とは異なるものとなった。お兄さんが導入した『愛憎度システム』はアップデートによって『
正直なところ、この世界がこれからどうなっていくのか、もうアーカイヴにもわからないんじゃないかな。お兄さんが『形』を与えた結果、全知無能から遠のきつつあるし。もうひとつの不確定要素、『次の勇者』もなぜか世界を変革する力をもって、この世界のシステムを侵食しつつあるしね」
「次の勇者」という言葉に俺がピクリと反応すると、勇者リクは真剣な表情で、
「ようやく本題にはいれるね。お兄さんをここに連れてきたのは『次の勇者』について警告するためだったんだ。本当ならこの周回で主役になるはずだった『次の勇者』はお兄さんが無理やり勇者役にしがみついた結果、魔物側の配役を与えられた。だからなのか、それとも、元からの性格なのか、グランイマジニカに災いを為そうとしている。魔物以外のすべてのプレイヤーを、勇者であるお兄さんも、リンカーン王国の人々も、他の種族も、この世界すべてを滅ぼすことを目標に動いているようなんだ。
お兄さんの『愛』が勝つか、次の勇者の『憎しみ』が勝つか。お兄さんの愛が世界を覆えば、子孫が延々とつながり、周回という世界の
どちらがアーカイヴにとっての正解なのか。どちらがグランイマジニカにとって幸福なのかは僕にもわからないけど。僕はこの世界のはじまりの勇者だから、僕がまもった人々が魔物に蹂躙されるのを見たくはないんだ。
だから、アーカイヴの一部になってしまった僕だけど、わずかに残るリクの部分でお兄さんを応援するよ」
勇者リクが小さな手をさしだした。
「握手しよう」
俺がその手をつかむと、左手に宿る
「かつての勇者たちが示した真の勇気をここに繋ぐ」
勇者リクから青い光がほとばしり、真っ白な空間に浮かんだ深紅の魔石の内側に虹色のきらめきが生まれた。
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『 勇気の結晶 』
伝説の勇者の力が宿った聖魔結晶。
あらゆる魔物を封印する力を持つ。
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「僕にできるのはこれくらいだけど。この狭間の世界からいつも見守っているよ。
僕は信じているから。お兄さんが次の勇者との戦いに勝って、『愛』でグランイマジニカのみんなを笑顔にしてくれることを!」
空間全体が発光し、圧倒的な光量に俺はおもわず目をつむった。
一瞬、遠のきかける意識。だが、
「――危なかったにゃ。間一髪にゃ。あとすこし脱出が遅れていたら、出てこれなかったかもしれないのにゃ」
「よかった。カガトどのも無事ですね!」
目をあけると、握られた手の感触がセシアのものに変わっていた。
胡蝶の夢のごとき俺と勇者リクとの密かな
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