くちさけ 第三話


              *


「わたしが一緒なの、奥さんにばれたらまた喧嘩になるんじゃないの」

「大丈夫だよ。そのために遠くの温泉に決めたんだから。帰りは途中で降ろすよ。ばらばらで帰れば誰もわからないって」

「だといいけど。

 で、本当にわたしが決めちゃっていいの?」

 スマホで宿の検索をしていた歩美は運転席の淳平に顔を向けた。

 もうすぐ夜が明ける時間帯だがまだまだ空は暗かった。夜通し運転を続けている淳平の目の下に隈ができているのがナビの照らす光でもはっきりとわかる。

「うん、いいよ。どこかいい宿空いてるかな? 予約できたらいいね?」

「平日だからわりと空いてるみたい。当日予約でも十分いけるわ」

 歩美はネットで予約を終えると、あくびをした。

「眠ってもいいよ。俺に付き合わなくったって」

「いいの。淳さんが運転してくれてるのにわたしだけ眠れない」

「優しいな歩美ちゃんは。うちの嫁なんてさ、後部座席でいびきかいて寝てるよ。着くまでまったく起きないんだから」

「結婚すればわたしだってきっとそうなるよ」

 そう言ったのは勘違いされないためだったが、「俺は歩美ちゃんが嫁なら許せる」と淳平は目尻を下げた。

 淳平のことは嫌いなタイプではなかったが妻帯者だ。この男との幸福を求めるならばいろいろと困難が生じるだろう。それを乗り越えてまでも一緒になりたいとは思わなかった。

 でも――

 歩美は窓ガラスに映る街路灯に浮かんだ自分の顔を眺めながら心の中でため息をついた。

 カップルが別々の部屋を頼むなんておかしいだろうと、さっき二人部屋を一つ予約した。自分の意志で決めたことだが他意はない。

 だが淳平は何と思うだろう。

 同室にしたのだから肉体関係を了承したと思うに決まっている。いや、ついてきた時点でそう思われているかもしれない。

 勢いで来ちゃったけど、やっぱ来なきゃよかった。

 歩美は淳平に悟られないよう深く静かに息を吐いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます