くちさけ 第二話


              *


 さっさと逃亡するつもりだったのに淳平がその店にバンを停めたのは腹の虫が鳴ったからだった。

 スナック『いずみ』は開店していたがカラコロと音の鳴るドアを開けると歩美だけが手持無沙汰な顔でカウンターの奥に立っていた。

「あれ、いずみママは?」

「彼氏と旅行」

 歩美はつまらなさそうに答える。

「ああ、あの――」

 こくりと頷く歩美を見ながら淳平はたまに見かける羽振りのいい老人の顔を思い浮かべた。

「それで歩美ちゃんが一人で店番を?」

「そうなの。わたし一人だと心細いから休業にしようって言ったのにもったいないからって。でもきょうはまだ誰も来ないんだ。淳さんが初めてよ。

 で、何飲みます?」

 頭の中でひらめくものがあり、淳平は歩美に顔を近づけた。

「店閉めて俺たちも旅行に行かないか」

「えっ? えー?」

「俺さ、さっき嫁と喧嘩して家出してきたんだよ」

 淳平は横の椅子に置いたバッグを指さし、「もちろんニ三日したら帰るつもりだけどさ、面白くないから温泉にでも行って息抜きしようと思ってたんだ」と笑った。人を殺した後によくこんなにすらすら嘘が出てくるもんだと自分でも感心しつつ、死体が見つかるのもニ三日の問題だろうと覚悟も決めた。それまで好きな娘と楽しめればいいと。

「うーん。でもなあ――どうしよ――」

「行こうよ。どうせ儲けになるほど客なんか来ないよ。なっ」

「ん、わかった。でも帰ってきたら一緒にママに謝ってね」

 歩美がペロッと舌を出す。

「わかってる。俺が無理に誘ったんだって謝るよ。そうそう土産もちゃんと買ってな」

「うふふ、そうと決まれば誰も来ないうちに早く店閉めなきゃ」

 腹ごしらえは後でもいいよなと思いながら、スイッチを切ってスタンド看板を引き入れている歩美の尻を淳平はじっと見ていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます