09-09 黒緑      

 胡藩こはんが持ってきた鳥に、あたりの奴らがざわつく。なにせ、色が色だ。カラスに始まり、黒い鳥なんざ凶兆に他ならねェ。そんなのを、敢えて持ってくる。

「藩。笑わしに来てくれたのか? 気が利くな」

 口ぶりたァまったく裏腹な、寄奴きどの言葉。ぎちり、って拳も握り込む。周りの奴らが、ややのけぞり気味になる。

「あー、まぁ、吉報かね。で、こいつぁその前祝いだ。どうだい、この色? 鮮やかなもんだろ?」

 どいつが見ても、真っ黒。

 辺りにゃ「勘弁してくれ……」みてェな空気が漂い始めた。いつ寄奴がブチ切れて暴れまわってもおかしかねェ、そんな感じだ。

 だからこそ、なんだろな。

 いきなり胡藩ァ、芝居がかった仕草で寄奴に拝礼してきやがる。

「俺りゃこう聞いてる。北を司るは玄武げんぶ、その色は黒。東を司るは青龍せいりゅう、その色は青。で、この鳥が青みがかった黒。ってこた北北東、鮮卑せんぴどもの故郷の色ってことになる。そいつがわざわざ、この陣に飛び込んできてくれたんだぜ?」

 口ぶりこそあけすけだが、ようは鮮卑ども、つまり「ムロンども」がこっちに降伏してくる兆し、ってことだ。

 そいつに気付き、寄奴ァややあって大笑いすると、近習に言いつけ、早速胡藩が持ってきた鳥を調理するように命じた。

「そこまでやるんだ、よっぽど面白れぇ報せを持ってきたみてえだな」

「あぁ。つってもまぁ、城攻めは相変わらずなんだがな。俺らが引っ込もうとするときに、こっちを煽ってきた奴がいんだよ。この城を落としたきゃ、張綱ちょうこうでも引き連れてこい、ってな」

「張綱? 本当にそう言ったのか?」

「あぁ。面白ぇ偶然じゃねえか?」

 胡藩ァにやりとすると、話はそんだけだ、とばかりに立ち去ろうとする。なんで寄奴ァ呼び止めると、傍らにあった袋いっぱいの金子を胡藩に向けて投げよこした。

「この手の手柄、あとに引っ張ると釣り上げられそうだからな。悪ぃが戦時中だ、買い叩かせてもらうぜ」

「毎度。まぁ正確な値段についちゃ、また相談させてくれ」

 寄奴が渋ィツラを示すのをきっちり見届けてから、胡藩ァ退ってった。

 それから寄奴ァ顎髭をしゃくると、すぐさま立ち上がる。そんで張綱を繋いである陣幕の方にまで出向く。

 繋ぐっつったって、ある程度長さに余裕がある綱を左手首に引っ掛けてるだけだ。その気になりゃすぐ逃げ出せる程度の代物でしかねェ。

 で、その立場にあり、奴がやってたんなァ、著述。

「精が出るじゃねえか」

「斯様な境遇であると、却って気が散らぬものですな。面白きものです」

 喋りながらも、その手ァ止まらねェ。すでに傍らにゃうず高く木簡が積まれてた。

「見てもいいか?」

「お気になさらず。虜囚りょしゅうのものは主将のものでありましょう」

 広げてみて、内容をざっと眺め回す。文字が大半だが、中にゃその文字を解説するための絵なんかも交えられてた。

墨家ぼっかか」

「その呼ばれ方は、粗雑にも思われますが」

「悪いな、色々雑なもんでよ」

 そこで、初めて張綱の筆が止まる。

 卓を押しのけ、寄奴に向け、平伏してきた。

「翻せば、我が業の肝要をお見抜き頂けておられる、ということでもございますな。いかにも、古くは墨子ぼくしよりの教えを受け、春秋しゅんじゅう堆積たいせきに埋もれ来たものの末裔。よもや斯様な戦地にて、我が業を存じておられるお方に巡り会おうとは」

「知ってるだけだ、そう詳しかねえぜ」

「十分にございます。我らが祖の名をここで聞けた、それのみでも過分なる僥倖なれば」

 墨家。

 まさか、生き延びてるたァな。

 その興りゃ戦国の昔、おおよそ孔子こうしなんかとおんなじ頃だって言う。

 はじめこそ儒の教えを学んでったが、いつしかその教えに疑問を覚え、手前ェなりの体系を築き上げ、ひとときゃそれこそ儒に張ろうか、ってくれェの勢力すら持ちかけた。

 っが、何くれとなくまつりごとに絡む儒と違い、墨家ァあくまで人と人、で物事を見ようとした。そのぶんまつりごととの相性ァ悪く、そんなんだから徐々に儒にすり潰されてき、いまとなっちゃ「そんなんがあったらしい」で聞かれんのが関の山だ。

 まさか、あれだけふてぶてしい態度でいた張綱のやつが、こうも豹変しちまうなんてな。

 幾分驚かずにもいられなかったが、たァ言えこうなってくれりゃ、話も早えェだろう。

「ムロンの奴らが、城を抜きたきゃお前を連れてこい、って言ったらしい」

「さもありなん。広固こうこの守りを組み立てたりますは、私にございますれば」

「そうか。なら聞くが、手前自身に挑んでみる、ってのにゃ心躍る口か?」

 寄奴がそう言うと、張綱ァ顔を上げてきた。そこに浮かぶんなァ、――敢えて言や、失望、あたりだったか。

「ご冗談を。あの程度で完成と思われては心外にございます。あと一年、私にお役目を任じて頂けましたら、更に強固な守りとしてみせましたものを」

 そいつを聞き、寄奴ァ得心した。

 わかった。この野郎、手前ェの仕事にしか興味ねェ奴だ。

 だってェのに、仕事もそこそこに、ヤオ・ホンのもとに使者として飛ばされちまった、ってわけか。なるほど、そりゃ捨て鉢にもなろうってもんだ。

 ぐい、と寄奴ァ身を乗り出す。

「わかった。なら手伝え、広固落とすのをよ。その後になら、いくらでも続きをやらせてやる。どうだ?」

 寄奴のせりふに、やや張綱ァあっけにとられたみてェだった。

 たァ言えそいつァ、駆け引きとすら呼ぶまでもねェ。どんな鯛だって、エサにさえ飢えてりゃさして釣るのにも苦労しねェ、そんだけの話だ。

 張綱ァにやりと笑うと、寄奴に改めて拱手してみせた。


 張綱の手が加わった攻城具らァ、何よりもムロンからの妨害を潰すのにどえれェ成果を挙げた。曰く、「妨げようのない手立てを取り、初めて攻め手である」ってことらしい。

 広固にたどり着いた初日、寄奴らがぶち当たったんなァ、奴らがひとたび狙いをつけりゃ、あっちゅう間に火矢で焼き尽くされちまう、ってことだった。だからうかつにでけェ道具も使えなかった。

 っが、その手立てを仕込んだんなぁ、ほかでもねェ、張綱だ。なら、どうやりゃそいつを邪魔できるかも、発案の段階でもう考えてたって言う。

 おつむの回る奴らってな、どうしてこう恐えェんかね。聞きゃ、「いま通用する攻め手が重要であり、それで守り手を削ぐが第一。ただし守り手が対応をせぬはずもない。ならばこちらはその対応がいかなるものかを先んじて検討する。と言うよりも、守り手がいかなる対応を取るかを推測しやすくできるよう、敢えて攻め手にわかりやすい穴を設けておく」んだそうだ。何だそれ、って思ったね。性悪にもほどがある。

 っが、寄奴にしたってそいつを無邪気に楽しんでもいらんねェ。

 広陵こうりょうで、徐道覆じょどうふく将軍が消えた。そいつが語るんなァ、もう盧循ろじゅんが動き出してる、ってこと。もう寄奴ァ、すっかり盧循に対して後手に回っちまってる。

 寄奴と穆之ぼくしとで打ち合わせといたことがある。そいつァ広固を落とすまで、決して南の凶報を伝えねェでおくこと。なんなら、伝えようとしたやつを殺すのも厭わねェ、くれェの勢いでだ。

 そんかし、広固から広陵、京口けいこうに至るまでの道のりにゃ、最低限の人数でギリギリ南下できるだけの備えを用意させといた。いざとなりゃ、最速で寄奴だけでも建康けんこうに戻れるように。

 もちろん寄奴としちゃ、そんな備えになんぞ手を付けずに済めば――って、思っちゃいたんだがな。

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