9  伐燕

09-01 下邳      

「おい劉裕りゅうゆうてめえ! 待ちくたびれたんだよ、いい加減雑魚狩りにゃ飽き飽きだ!」

 出会いしなでうざ絡みなんだからな。手前ェだってそれなりの将軍さまになったってェのに、ここまで変わんねェと、もう笑うっかねェ。

「雑魚? 手前にとってか、手下どもにとってか?」

 その返しァ想定してなかったか、諸葛長民しょかつちょうみんァわずかにぽかんとしたが、すぐさま半目で睨みつけてくる。

「ふざけんな、なんで俺がいちいち動かにゃなんねえんだ」

 そいつを聞き、寄奴きどァいよいよ爆笑だ。

 トゥバ・ギの凶報を聞き、寄奴ァ一も二もなく北に駆け上った。

 いつぞやにゃムロン・チュイに盛大にケツをえぐり取られた道のり、むずつくモンもねェわけじゃねェ。っが、いまの寄奴に求められてんなァ、速さだ。手前ェのあれこれについちゃ噛み潰し、兵どもが潰れねェだけの最速で、諸葛長民が詰める町、下邳かひにまでたどり着いた。

 諸葛長民の後ろにゃ、ずいぶんと生傷を増やしてやがる孟龍符もうりゅうふ。その顔つきァ、ややむくれちまってもいる。

「おう、龍符。どうよ、長民の差配は」

「正直しんでえよ。こっちが行きてえとこで止められ、止まりてえとこで走らされ、だ。おかげで鬱憤溜まりっぱなしでしょうがねえ」

「おいおい!」諸葛長民ァだいぶん大げさに首を振った。

「勘弁してくれよ、そのぶんのエサはやったろ? お前の隊に挙げさせた首級、それなりじゃねえか?」

「ちっげぇーから! 要らねえんだよ、飼われた豚はよ!」

 今にも食いかかろうって勢いの孟龍符だが、たァ言えそいつで揺らぐ諸葛長民でもねェ。ニヤニヤしながら、どでんと構えてやがる。

 そいつを見て、寄奴ァ、ため息。

「わかった。龍符、だいぶへこまされたみてえだな」

「なっ!? 違えよ、長民の野郎が……」

「で、長民。お前、龍符を納得させらんなかったんだな?」

「っ!?」

 ほっときゃどんどんと熱くなってきかねねェ場に、寄奴ァ冷水をぶちまけた。

 そりゃそうだ、それまでニヤついてた諸葛長民のツラからすら、いきなり余裕がなくなる。あんまりにも劇的すぎたせいで、今にも暴れだしかねねェ孟龍符ですら、立ち止まっちまった。

「お前、道済どうさいと同じノリで龍符使ったろ。言ったよな? やり方考えろ、ってよ。別に仲良くしろ、たぁ言わねえさ。だがな、そのへんの扱い間違って殺された連中、知らねえわけじゃねえよな?」

 声を荒らげることなく、淡々と、諸葛長民に突き付ける。

「待ってくれよ、じゃ孟龍符の野郎が俺を殺しても仕方ねえってのか?」

「そうじゃねえよ、よく殺されずに済んだなお前、って話だ。ま、いざそうなっちまったら龍符も殺すがな」

 しれっと言い切る寄奴に、兵どもァビビり返る。ただ、当の諸葛長民と孟龍符ァしれっとしたもんだ。

「で、龍符。それはそれとして、長民の戦い方で、損害はどうだった?」

 寄奴に水を向けられっと、孟龍符ァしかめっ面になる。

「――出なかったさ。全然な。楽にもほどがあらぁ」

「だろうな。癪だが、そうなるだろうさ。お前をぶっこんで敵陣グシャグシャにすんのも必要だが、そいつぁいざってときの一手だ。同じ殺すなら、こっちが殺されねえに越したこたねえ」

 言って寄奴ァ、ぱん! って手を叩く。

「前置きゃここまでだ。穆之ぼくし!」

「はいはい」

 寄奴のでけェ背中、その向こうから、ひょいと穆之が顔を出す。お世辞にも似合わねェ甲冑姿、しかも軍に合わせて、なんざろくろく味わったこともねェぶん、ありありと疲労がツラに出てやがる。

「え? お前が出てくるなんて淝水ひすい以来じゃねえか?」

 諸葛長民にそうからかわれると、「桓玄かんげんのときだって出たよ」ってぼやきつつ、ぐるりと見渡す。

「えーと、まずは下邳の皆さん。ここまでムロンをよく追い払ってくれました。おかげでこっちにはたんまりとお礼に上がる理由ができた。奴らがどういう相手にちょっかい出してきたのか、身をもって教えてやりましょう」

 寄奴たァ違い、気の抜けきった口上。ただ、ちらっと寄奴を睨んじゃきた。ムダに兵たちをピリつかせやがって、ってわけだ。

 確かに穆之の様子を見て、何人かがようやく呼吸を思い出した、みてェなツラになってた。もっとも行き過ぎて、穆之に対する侮りにまでなっちまってる奴も見かけたが。

「ぶっちゃけ、まだ準備は整いきってないです。けど、皆さんも知ってるかと思いますが、ムロンのさらに北で、トゥバの王が殺されました。事態そのものは早々と嫡子が収拾をつけましたが、とは言えそうすぐに以前の動きを取り戻すことはかなわないでしょう。なので、軍をねじ込みます。我々に求められるのは、一つ。速さです」

 穆之の声色が、にわかに強まる。

「トゥバの体制が整い切らないうちにムロンを落とし、守りを固める。それがなせれば、洛陽らくよう、はてには長安ちょうあんを奪還する日は大きく近付きましょう」

 そこで、大きく息を吸う。

「その栄誉ある先駆けには、栄誉に見合った褒賞もまた、約束されます」

 うおォおん、って辺りが湧く。そう来なくちゃだ、竹帛に名前なんぞ載ったとこでおまんまなんぞ食えるわけじゃねェ――そんな気持ちでいたんだろうな。

 その様子を見届け、穆之ァ引く。寄奴だって心得たもんだ、肩の荷を下ろせた、みたくほっとしてやがる穆之の背中を、盛大にひっぱたく。

「聞いたか、お前ら! お前らは己が引っ張ってやる! っが、そのためにゃ手綱がいる! 穆之こそが手綱だ! 己の背中を見失いかけたら、穆之を見ろ! 食らいついてくる限り、見捨てやしねえ!」

 恨みがましく睨みつけてくる穆之をシカトし、寄奴ァ盛大に兵どもを煽る。アホみてェな熱気の中、諸葛長民が穆之と肩を組もうとしたが、すげなく振られた。


「はぁ、俺が建康けんこう!? どういうこったよ!」

 寄奴の天幕ン中にゃ、ムロン攻めのために集められた将軍どもが居並ぶ。穆之や孟龍符のほか、虞丘進ぐきゅうしんやら王仲徳おうちゅうとく向靖しょうせい蒯恩かいおん孫季高そんきこうみてェな古株に加えて、新顔の胡藩こはんやら徐逵之じょきしなんかもいる。

 そいつらに囲まれて吠えたんなァ、諸葛長民だ。その隣にゃ、ひとりの鮮卑せんぴ将がやや戸惑ったツラでいる。

「おい劉裕、もいっぺん言ってみろ! ここまで下邳を守ってきたんなぁ、どいつだ?」

「お前だな。感謝してる」

「知らねえよ、そんなんはよ! ならムロンぶちのめすんだって、俺だろうがよ! どんだけ奴らにナメられたと思ってんだ!」

「繰り返させるな。お前は建康だ」

 寄奴ァ容赦なく、諸葛長民の言い分を潰す。憤懣やるかたねェ感じの諸葛長民じゃあったが、たァ言え、さすがに食って掛かりゃしねェ。

 全くゆらぎもしねェ寄奴のツラをしばらく睨むと、どっかとその場であぐらをかく。

「そうかよ。なら、聞かせてもらえんだろうな? この俺様をハブろうってワケをよ」

 上と、下とでのにらみ合い。

 どいつもが口も挟めねェでいる中――や、穆之の野郎ァのんびり書簡類とにらめっこしてやがったっけな――、寄奴ァ大股で、二歩、三歩。諸葛長民の真ん前、いやさ、真上にまで迫る。

「ハブんじゃねえよ、逆だ。この戦い、手前なしじゃ、詰むんだ」

 そいつを言うと、寄奴もどっか、とあぐらをかく。そうなりゃ諸葛長民と、正面と正面だ。

「いいか。己が北に出てる間に、五斗米道どもが動く。そうなりゃ、建康ぁどうなる?」

 ぴく、と諸葛長民の眉尻が揺れた。

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