07-13 桓玄の死    

 桓玄かんげんの首ァ、いきなり劉毅りゅうきらのもとにやってきた。

南郡なんぐんから船を出し、益州えきしゅうに落ち延びようとしていたところを捕らえました。動きを止めるために射掛けた矢が当たり、息子ともども死亡。そのため、首のみにて引返してまいりました。ご検分のほどを」

 箱から、大小一つずつの首が取り出される。

 桓玄の首ァ涼やかだった。口元に笑みさえ浮かべていやがる。対して息子にゃ痛みか苦しみ、あるいァ無念か。驚れェたぜ。人のツラってな、ああまでひしゃげちまうもんなんかってよ。

「確かに、桓玄だな。よく届けてくれた。毛拠もうきょ殿は、これで仇を取れたわけだな」

 言って劉毅ァ、かたわらの毛徳祖もうとくそに目を向ける。毛徳祖ァうなずくと、ぽろりと涙をこぼした。

 聞きゃ、毛徳祖ァ益州の長官、毛拠どのの甥ごだって言う。そのつてで、多くの親族ァ北府の高官だったそうだ――みんな、劉牢之りゅうろうし将軍と一緒に殺されちまったそうだが。

 桓玄の首をしまわせたあと、劉毅ァ南郡府をぐるっと囲む軍をやや退かせる。そのうえで、四方八方から矢文を射掛けさせた。文面ァもちろん「桓玄を討ち取った」、だ。

 ややあって城門が一斉に開き、兵どもがわらわらと、武器も防具も投げ捨てて出てくる。

「おい、なんか勢いつきすぎじゃねェか?」

 思わず、己ァ言う。

 ぴく、と劉毅の眉根が寄った。

「毛徳祖、趙蔡ちょうさい。それと丁旿ていご。五百ずつで、城の周りを回れ。桓謙かんけん共、どさくさに紛れて逃げる腹かもしれん」

 嫌な予感ってな当たっちまうもんで、城内の兵がことごとく出てきても、そこに桓謙や馮該ふうがいの姿ァなかった。そいつを聞き、劉毅ァわずかに怒気を浮かべたが、すぐに抑え込んだ。たァ言え、たったそれだけで、周りの奴らをビビらせるにゃ十分だったんだが。

「――まぁ、いい。過ぎたことだ。奴らが意趣返しに来るよりも前に、こちらの守りを整えておけばいい。それで、陛下は?」

「は、城内、貴賓室にてお寛ぎ頂いております」

「わかった、こちらから伺う。何無忌かむきにも来るよう伝えろ。陛下に謁見するのに、俺一人では格好がつかん」

 兵士が拱手し、投降兵の取りまとめに駆けずり回ってる何無忌のとこに飛んでく。

 皇帝陛下のもとに伺うのにゃ、何無忌を先頭にする。

 司馬休之しばきゅうしどのを旗印にしたっつっても、その決起のはじめんとこにいたんなァ寄奴きど、それと何無忌だ。戦功じゃ間違いなく劉毅のが上だろう、っが、今求められるんなァ、誰が旗を掲げたか、ってとこになる。

 と、劉毅が己を見た。

「丁旿。お前も来るか?」

「なんでだよ」

 ふ、と劉毅ァ笑い、やって来た何無忌と一緒に貴賓室に向かった。

 さて、鬼のいぬ間になんたらだ。己ァ意気込んで、南郡の酒家にでも――

「丁旿殿。南郡の残存兵力を再編成せねばならん。拙者と共に前庭までお越し願えぬか?」

 これだよ。

 振り返りゃ、そこにいたんなァ毛徳祖。

 ちくしょう、さっきまで号泣してた奴まで働かされてて、どうして己ひとり酒にしけこめるかってんだ。

 いまだ涙のあとを残したまんまで、毛徳祖ァ、笑う。

「将軍がおっしゃった通りだな」

「ぁん?」

「ぶっきらぼうそうでいて、その実人情にはとんと弱い。少しは振る舞いを見直さねば、いいように使われかねんぞ」

 己ァ舌打ちしてあさってのほうを向く。うっせえな、わかってんだ、んなこたァよ。でなきゃなんですき好んで寄奴の「腕」なんぞやってるもんかよ。

 渋々、みてェなよそおいで毛徳祖のあとにつく。

 途中で趙蔡、羊欣ようきんとも合流する。あわせて南郡府で元々働いてたんだろう文官たち。今ぱっと思い出せる限りでいや、郗僧施ちそうし范泰はんたいなんかがいたっけな。建康のお役人なんかと比べると、ちぃと服の色みが明るかったか。土地柄ってやつなのかね。

 前庭に居並ぶ兵どもに対して、たァ言え己のやるべきことなんざほとんどねェ。この辺のお仕事に毛徳祖と趙蔡はえれェ手慣れてたし、羊欣だってきびきびと人の塊を切り分けてってる。

 どうでもいいけど時々こっち見て「たまには丁旿殿のような無駄飯喰らいもいるが」とか振ってくんのやめてくんねェかね。つーか己ァサボりてェんじゃなくて、目立ちたくねェだけなんだよ。

 ややあって、劉毅と何無忌が顔を出してきた。

「編成は進んでいるか?」

 その後ろにゃ、やけにご立派なおべべのお方が、二人。うちひとりァ手押し車に乗せられ、うつろな目付きでへんなとこをボーッと眺めてた。

 陛下と、その弟ぎみ。司馬徳文しばとくぶん様だ。

 まさか、たァ思ったね。

 今上の陛下が知恵足らずだ、みてェな噂、この国で知らねェやつなんざいなかったろう。にしたって、そいつもちィとおつむが鈍ィ、くれェにしか思ってなかったはずだ。

 ところが、どうだ。己らの前に現れたんなァ、もうこう言うしかなかった。

 ――正真正銘、ってよ。

「帝より賜りたるお言葉を、臣、徳文が申し上げる」

 深く落ち着いた、あるいは枯れた、とでも言えそうな声。そいつを聞き、ほとんどの奴らァ己と同じことを思ったろう――なんで、弟ぎみが皇位を継がれなかったのか。

此度こたびちんの不明を以て、朝廷に擾乱じょうらんを引き起こし、あまつさえ逆臣桓玄の恣虐しいぎゃくを許し、皇阼こうそは傾いた。先帝らのびょうを祀る資格を失う失態は、あたら何事にたとえられるものでもない。だが、我が国に劉裕りゅうゆう殿を始めとした英傑が揃っていたことは幸いであった。そして、この南郡にまで駆けつけてくれた劉毅殿、何無忌殿には、さらなる多くの苦難が振り掛かったものと思う。しかしその甲斐あり賊軍は掃討され、元凶の首は見事挙げられた。失われかけた国の基は、こうして取り戻されたのである。この功績は、古今に比類なきものである、と言えよう。しかしながら、一度失われた信頼はここから取り戻してゆかねばならぬ。逆賊を討ち果たしおおせた英雄らよ、ことが落ち着き次第、そなたらには功績に応じた褒賞を授けよう。どうかこの先、よく朕を助け、共に新たなる太平の世を導かんことを望みたい」

 見事な口上を、まるでつっかえることもなく語ってのけられた弟ぎみに、気付きゃどいつもが拱手し、こうべを垂れてた――いや、どいつも、じゃねェな。肝心の陛下ァ、そいつをどう聞いてらしたんだか。

 つつましやかに、陛下奪還を祝う宴がなされる。

 出立の準備こそすぐに始まったが、これまで陛下の扱いがあんま良くなかったそうで、数日は休養を取ってから、ってことになった。

 周りがドタバタする中、何無忌やら己ァ、劉毅に呼び出しを受ける。

「この南郡は、いま少し落ち着かんだろう。俺はしばしここに残り、桓氏の残党を追う。陛下については、無忌よ。お前が責任もって建康に送り届けてくれ」

 卓上に散らばる紙やら竹簡やらを次から次にさばきながら、劉毅ァ言う。ったく、指揮だけじゃねェ、事務にも長けてらっしゃるんだからな。ものが違ェやな、うちの大将たァよ。

 ――旿。

 なんてのたまや、その大将からだ。

 ――一応聞いとくが、南郡に無忌を残さしとくわけにゃいかねえか?

 明らかに己に噛みつきてェふうじゃあったが、それどころでもねェ。たァ言え、己の答えァ「そんなん通るわきゃねェだろ」でしかねェんだが。

 寄奴にしてみりゃ、ここに劉毅を残すなんてな、先々に面倒の種を蒔くようなもんだ。

 おやじ殿が桓玄に殺されて、司馬休之しばきゅうし殿と北に逃れて。しかもその間に、寄奴の決起だ。もとァとんとん、むしろ劉毅寄りだった北府の名声ァ、いまや一気に寄奴に傾いてる。

 ただ、そん中に相変わらず劉毅を推す奴もいる。ここで下手に劉毅に西府とのつながりを持たれちまや、長江沿いをほぼまるっと握られちまうに等しい。そいつァ、どうしても避けたいとこじゃあった。

 っが、そこをどうにかするだけの力ァ寄奴にゃねェ。むしろ中央にしてみりゃ、寄奴にばっか力が集まんのこそ警戒してェとこだろう。

 だからこの件についちゃ、覆りようがねェ。

 数日して、何無忌を団長とし、陛下を建康にお連れする船団が編まれ、南郡を発った。


 しかし、驚れェたね。

 己りゃまさか、先生が同行してェ、なんて言い出すたァ思いもよらなかったよ。

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