07-10 徐羨之と蔡廓
「全てを、いまこの場で進言するわけには参りませぬ! しかしながら、いずれにせよこれ以上の遅滞は許されぬのです! 各々の任に就かれておられたお歴々に当たられましては、やらぬ理由をあげつらう前に、そろそろ腰をお上げいただきたい!」
蔡廓が持ち出した書類ァ、滞った国政そのもの。そこに載る責任者をひっくり返しゃ、当然あの場で居並んでた奴らのほとんどが記されてたことになる。
あとで聞いたが、どうせ宮廷って言う膿だらけの場に突っ込んでかなきゃいけねェってんなら、せめてどんくれェの量なのかがわかりゃ、まだ覚悟もできる、ってことだった。
「さ、蔡廓殿、さすがにその量は……」
上座のお貴族さまが、露骨に青ざめながら言う。おーおー、たぶん書面上にゃごまんとそのお名前が載っちまってんだろうな。同情ァしねェがよ。
「どなたがこれらをお貯めになったのです! われわれ官吏は、これら本来なすべき仕事を後回しとし、お上の朝令暮改に振り回されて参ったのです! 申し上げておきますが、これで全てではございませんぞ! 尚書部には――」
「あ、
ほっときゃどこまでも突っ走りかねねェ、そう悟ったんだろう。突然穆之が声を上げる。
「はっ、はひゃいっ!?」
蔡廓にしちゃ、話の腰をぶち折られちまった形だ。すげェ形相で、穆之らを睨みつけてきた。
「これ、見てよ! お宝の山だ! すいません蔡廓さん、見せてもらっていいですか?」
「あ、うむ……?」
返事なんぞ、まともに聞いてたかどうか。
穆之らァ早速一本を取り、広げ、徐羨之と一緒に見る。
「はぁ、こんな情報拾えようないし、というかここまで整理するのも大変ですよね……」
いっぽうの蔡廓ァ、噛み付こうとした的を盛大に外され、だが、ただじゃ起きねェ。穆之らが手に取った巻物を見て、問を投げかける。
「その方ら、黄籍と白籍との税収の差違についていかに考える」
穆之ァ応えようとして、顔を上げた。
が、そこに、徐羨之が割り込む。
「是正せねば、大きな事業は起こせません。ただそのためには、是正を通せる発言力が要る。民戸および地方盛族の所有労働力の把握と、朝廷の発言力の伸長を両軸で進めます。最も進めねばならないことであり、だからこそ実現を視野に入れた準備周旋は膨大になるかと思います」
その手にゃ、穆之が手にしたやつたァ別の巻物があった。そこに記されてる題ァ「太元十年白籍民簿及当世白籍民考」。ひらたく言や、二十年くれェ前の流民の名簿に基づいて、いまの流民がどんな感じになってんのかの報告、ってなるか。
ようはどこまでもズラズラ数字が並んで、ぱっと見にゃ、いや、じっくり見たとこで、何が書かれてんのかさっぱりわかんねェ代物だ。
蔡廓のツラから怒気が引き、代わって出てきたんなァ、まるで、挑みかかろうとでもしようかって代物だった。
「では、その両軸をいかに揃える?」
「前者はこの書にある方針を推し進めることで叶いましょう。後者につきましては、折しも好機が訪れた、と申すべきかと思われます。逆賊桓玄を打ち払いたる武威が、いま、ここにございますれば」
徐羨之が言うと、室内の目線ァ、ずわっと
あまりにも出来過ぎな流れだ。
思わず寄奴ァ、穆之を見た。
穆之ァ小さく首を振る――ってこた、徐羨之ひとりでの仕掛け。
おいおい、さっきの今までビクついてたんなァどいつだよ。場が場じゃなかったら、爆笑してェとこじゃあった。
「そなた、名を伺っても?」
そいつを受けて、ようやく我に返ったみてェだ。またしてもあわあわしながら土下座する。ごがん、ってド派手な音がする。
「と、ととと
噛むんかい。
たァ言え、さんざ蔡廓が冷やしきった場でのこった。そいつを笑えるやつなんざいねェ。
「おい、やらかしてくれんじゃねえか!」
寄奴以外にゃ、な。
ばん、と割と派手な音でもって徐羨之の背中を叩く。それからいちど、ゆっくりと、場を見渡す。
こういったときの顔つきが、いちばんそいつの素がむき出しになるってもんだ。なんで、寄奴ァ穆之にこっそりと言う。
「
「ああ。何人か張っとく?」
「頼むぜ。あの感じなら、すぐボロ出してくる」
王愉ァ、そのツラに緊張と、憎々しげな思いが浮かんでた。ちょうどいい、名族さまに対しても容赦しねェとこを見せつけるんにゃ、手頃な標的だ。
「まあ、そんな訳ですよ。ここでうだうだしてるくれえなら、己りゃとっとと蔡廓どのの建議を伺いてえ。で、どうせ式典どうこうの話ゃ己らにゃわかんねえ。その辺はお任せしときてえ。お互い、やれることやりましょうや」
司馬休之どのァため息をひとつついたあと、寄奴に言う。
「では、後ほど蔡廓との協議の結果を取りまとめ、こちらに報告するようにせよ」
で、今度ァ蔡廓のほうに。
「協議に必要な人物は、他に誰が求められようか?」
「恐れながら、
「よろしい。合わせて別室にて、早速協議に入られるがよろしかろう」
司馬休之どのァ、席をお立ちになる。
「また、お歴々にて協議に同席したいとお考えであれば、席をお移しくださっても構わぬ。お国の立て直しは喫緊のこと。陛下をつつがなくお迎えするためにも、少しでも多くのお知恵を頂戴したく思う」
蔡廓ァ、ぼそっと「要らんがな」って呟く。その言葉が伝わったのか、上座のお歴々ァろくすっぽ顔を上げられもしねェ。
呆れるっかねェ、どんだけ蔡廓に弱み握られてやがんだ。
すぐさま立ち上がるんなァ穆之、それと蔡廓。徐羨之ァそいつに泡食って従う。寄奴ァ最後に立ち上がり、司馬休之どのに拱手する。苦笑いを浮かべながらも、司馬休止どのァ拱手を返してこられた。
会堂を出て、穆之らのほうを向く。
と、奴らが足止めを食らってやがった。
「どうしたよ?」
「兄貴に客人だよ」
穆之ァなんとか笑顔を保っちゃいたが、ありありと緊張してやがったのがわかる。その視線を追った先にゃ――いるはずのねェ面が、あった。
いや、頭じゃわかってる。そいつァもうとっくに死んでる。そこに立ってんなァ、ちょっと見りゃ、そいつよかずっと若けェ。
わかっちゃいたんだ。だが、それでもぎょっとせざるを得ねェ。
寄奴のツラを見るなり拱手してくるしぐさァ、気味が悪りィほど、親父にそっくりでいやがった。
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