06-05 寄託      

 建康けんこうの少し南、姑孰こじゅくに陣取った劉牢之りゅうろうし将軍の軍ァ、どいつもが土埃にまみれ、疲労も隠しきれねェでいた。会稽かいけいでの五斗米道ごとべいどうとの戦いが落ち着くよりも前に、桓玄かんげんの東下だ。とてもじゃねェが、息つく間なんてあったもんじゃなかったろう。

 劉牢之将軍の天幕に呼び立てられてみりゃ、奥に将軍と、それから何無忌かむき劉毅りゅうきがいた。

「来たか、暴れ馬」

 目を薄らがせながら、何無忌ァ言う。隣の劉毅ァ、眉間にシワを寄せたまま、ただ押し黙ってた。

京口けいこうは?」

 劉牢之将軍の言葉に、寄奴ァ拱手する。

「守ってきました。袁山松えんさんしょう将軍が殺されちまいましたが」

「山松か……」

 いちど将軍ァ、天井を見上げられた。

「道理で、手応えが薄かったわけだ。奴ら、会稽を落としてすぐにこちらに向かっていたのだな。ずいぶんと大胆なことをしてくれる」

 大きく一息、そっからまた前を向く。

「劉裕よ。貴様の命令違反についての沙汰は追って下す。今はそれよりも、この先のことだ」

 そう仰ると、将軍ァ一本の竹簡を片手に持ち、ばらっとほどいた。ぱっと見でも、みっちりと文字が踊ってんのがわかる。

「それは?」

「命令書だ。司馬元顕よりのな。この姑孰に布陣し、長江を下らんとする桓玄を迎撃、撃滅せよ、と」

「やるんですか?」

 本来なら、聞くまでもねェはずのこと。っが、つい聞かずにおれなかった。

 そこでいきなり、劉毅が竹簡をぶった切る。

 かちゃり、竹簡が地面に落ちた。

 その上に、将軍が残りを落とす。

「――本気ですか?」

「無論よ」

 劉毅を、何無忌を見る。

 もう、この話ァ飲み込んだ、みてェなツラになってる。

「筋からすりゃ、逆らう意味なんざねえでしょう。何だったら、己が桓玄の首取ってみせますよ」

「それは心強いな。だが、」

 劉毅、何無忌が抜刀する。

 その切っ先ァ、寄奴に向く。

「ならば、今度こそ斬らねばならん」

 ふたりを見回したあと、寄奴ァ佩いてた刀を解き、落としてから、両手を上げた。

「わかりました、今度ぁ従いますよ。ただ、理由くれえはお教えいただけるんで?」

 劉毅ァまるで顔つきも変えず、何無忌ァややほっとした顔つきで、剣をしまう。

 将軍が、寄奴を手招きする。

 劉毅と何無忌、ふたりの間を抜け、目の前に立つ。

 すると劉牢之将軍ァ立ち上がり――寄奴を、抱きしめた。

「無忌よりは、聞いているな? こやつは我が息子。毅のようには取り立ててやれなんだが、それにも腐らず、よく働いてくれていた。毅については、言うまでもあるまい。早きより戦場に立ち、我輩を大いに助けてくれた。ともに我が自慢すべき息子らである」

「はあ」

 話が見えねェ。それが、どうして抱きしめられることにつながんだか。

「そして、劉裕。彭城ほうじょうの劉裕よ。我が同郷、同姓の暁雄よ。貴様にはほとほと手を焼かされてばかりであったが、我輩が押し付けた無理を次々とこなし、育ちゆく貴様を見届けるは、新たなる息子を得たかのような思いであった」

「!」

 思いがけないお言葉に、寄奴ァ脳天を揺さぶられる。

 ――だが、どういうことだ。

 そいつァまるで、遺言みてェじゃねェか。

「お戯れはよしてください、将軍。そうおっしゃって頂けるほど、大それたもんじゃねえです」

 ふ、と、将軍が笑われたのを感じる。

 将軍が身を引く。

「ここで戯れても仕方があるまい。聞いたままだ、息子よ。貴様にもまた、毅、無忌と共に、この北府ほくふ軍をよく率いてほしい」

 二人を見る。

 劉毅の顔付きゃ、相変わらず変わらねェ。そのぶん、何無忌が今にも泣きそうなツラになってやがった。

「この戦は、我らの敗北だ」

 っが、口を開いたんなァ、劉毅。

「ここ姑孰に到るまでに、将軍と俺たちで幾度もの仮想戦を行った。勝ち目は、ないわけでもない。だが、」

 一度言葉を切ると、寄奴を見る。

「――トゥバ・ギと、ヤオ・チャン」

 劉毅ァ、うなずく。

「我々が戦うべきは、あくまで中原に闊歩する胡族たち。だというのに、ここで国内で兵力を削りあえば、むざむざ奴らの侵攻を許すことにもなりかねん」

 置かれた状況から選んだんが、降伏。そいつが将軍のお言葉、何無忌の沈鬱なツラにつながるわけだ。

 なら、考えられるんなァ、ひとつ。

 降伏のあと、北府の首がすげ替えられる。実際に血まみれになるかどうかァ、桓玄の腹次第だが。

「これで我輩は王恭おうきょう、司馬元顕を切ることになる。晴れて二反の将だ。ともなれば呂布りょふの如く、三反まで狙いたいものよな」

「し、将軍! そんな――」

「毅、無忌。そして、裕よ」

 詰め寄ろうとした何無忌を、鋭でェ語気の将軍が食い止められる。

「我らはいま、存亡のさなかにある。その中にあり、本来ならば情なぞ優先してもおれぬ。にも拘らず、幕下にて後事を託さん、と願うに足る将器の持ち主が、皆ともがらであったことを、せめて寿ことほぎたく思う」

 寄奴ァ、そこで初めて出会う。

 劉牢之将軍の、将軍の仮面をお外しになった、素朴な笑顔に。

 寄奴ァ鼻の奥に、つん、ってきたのを噛み潰した。

 それからわざとらしく、盛大に舌打ちする。

「戦いも前から、もう負けたあとの話なんてよ。こんなん他の奴らが聞いたら、どう思いますかね」

 拱手する。バチンって音がするくれェに、強く。

「言っときますが、己りゃ踏み台にしますからね、こいつらのこと。後で恨まんでくださいよ」

 にやりとする劉毅と、苦笑する何無忌と。

 将軍ァ、盛大にお笑いになった。目の端にうっすら涙が浮かんでらっしゃったんにゃ、どいつもが気付かねェ振りをした。


 桓玄を迎撃に出たはずの北府軍が、あろうことか奴らと合流し、ともに建康けんこう城に押し寄せてきやがんだ。そのありさまを、司馬元顕ァいってェどんな気持ちで見届けたんだろうな。

 もはや、戦いなんぞ起こらねェ。あっちゅう間に混成軍に取り囲まれ、司馬元顕をはじめとした、皇帝周りのクソどもァ殺し尽くされた。

 スッキリした玉座周りァ、のきなみ西府の幹部どもに占められる。

 このあと、劉牢之将軍ァ、昇進された。

 征、鎮、安、平と連なる位階の四方将軍のうち、いっちゃん高けェ位に。ただし、守る場所ァ北じゃねェ、東だ。征東将軍。会稽かいけいあたりを守る役。しかも、手塩にかけて育てた京口の兵らは連れてくな、って言われたそうだ。

 そっから間もなく、京口に知らせが走る。いわく「劉牢之以下諸将は此度の叙任を不服とし、反乱を企てた。この乱は桓玄大将軍が未然に察知、鎮圧。劉牢之以下、旧北府の諸将は、国家反逆罪により処刑された」。


 ――面白れェ冗談だよな?

 反逆者が、将軍を反逆者として裁きやがったんだ。

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