05-09 懲罰布陣    

 突っ立つ寄奴きどの前で、椅子に掛けた劉牢之りゅうろうし将軍が眉間に手を当てていらっしゃる。周りにいる幹部どもも、寄奴と将軍とをおっかなびっくりでかわりがわりに眺めてる。

「――全く、貴様というやつは」

 盛大なため息とともに、将軍が寄奴を指さした。

「軍規違反を違反行動で罰してどうなる。ここにいる主簿たちが、今回の件でどれだけほうぼうを駆け回ったか、わかっているのか?」

「それについちゃあ、申し訳ねえです」

 しれっと言い切りゃ、またも将軍のため息が深くなる。

「貴様は貴重な戦力、いま失うわけにもいかん。が、相応の沙汰は下ると思え。もしくは、ここから先での戦功で塗り潰すか、だが」

 がたり、と椅子を鳴らし、立ち上がる。

「最前線には出られると思うなよ。貴様には会稽かいけい湾の北部沿岸、海塩かいえん城に回ってもらう。対岸より、会稽の五斗米道ごとべいどうが殲滅されるさまを見届けるがいい」

 将軍ァつかつかと寄奴に近付くと、胸のあたりに握り拳をどん、と押し付けてきた。その顔つきァ、あくまでいかめしい。

 その拳ン中から、ぽろり。

 くしゃくしゃの紙がこぼれ落ち、寄奴の裾に潜り込む。

 寄奴ァそいつを見ようとしたが、目だけで将軍に制される。

「話は、以上だ。速やかに自陣に戻り、配置につけ」

 よくわかんねェが、振り返りしなの送り目にゃ、確かな含みを感じた。

 拱手し、天幕を出る。

 ニヤニヤ顔の何無忌かむきが、待ち受けてた。

「将軍の怒鳴り声、外にも響いていたぞ。劉裕よ、将軍を怒らせることにかけては天下一だな」

「いらねえよ、そんな天下一」

 何無忌と並び、歩く。

 戦準備に、どいつもがてんやわんやになってる。五斗米道どもも一度ァ刃を交えた相手じゃあったが、陣内にゆるんだところァ見当たんねェ。

「どこになった?」

「会稽湾の北だってよ。ったく、端っこもいいとこじゃねえか」

 会稽のあたりァ入江ンなってて、その湾の南側を中心に、町が広がってる。船で暴れまわる五斗米道共にとっちゃ、たしかに本命ァ会稽だ。っが、その気になりゃ湾内のどこだって狙ってもこれる。海塩ってなそれほどでけェ城でもねェが、抜かれりゃその内陸のまちまちが改めて狙われちまう。そん中にゃ、こないだ解放したばっかの呉興ごこうの町だってある。

「好き勝手しておいて、何を今更……と、言いたいところだがな。おそらく、裏はあるぞ」

「裏?」

「ああ」

 ちらりと、あたりに目配せ。

「お前が斬った男、王道隆おうどうりゅうだがな。奴に対し、常々将軍は煮えきらない態度でいらっしゃった。俺自身、何度か奴の懲戒を上申していたのだが」

「へえ?」

 ありえんのァ、やつがやんごとないお歴々とつながってた――って辺りか。司馬元顕しばげんけんじゃねェことを祈るばかりだ。

「そいつをオレがぶった切った、か」

 ははっ、と何無忌が笑う。

「なるほど、将軍の体面にしてみれば、お前を怒らねばならんわけだよ」

「……前にも似たような目にあったぞ、くそ」

 襟からねじ込まれた、くしゃくしゃの紙がヤケにむず痒くなる。また、どうせろくなこたァ書かれちゃねェんだろう。

 何無忌や劉毅りゅうきのほか、主だったメンツの布陣を大まかに教えてもらい、何無忌と別れた。

 天幕の前にまで来たところで、人影から、すっと孫季高そんきこうが出てくる。

「おう、いいとこに来たな」

 天幕の中、詰めてた令史どもに小銭を握らせて外にやり、そんで孫季高に一杯を振る舞う。

「そういや、ガキが産まれたって? わりいな、送りもんも届けられてねえで」

 注がれる酒を受け止めながら、ぴく、って孫季高の盃が揺らいだ。

「……なんで知っとるんじゃ」

「知らねえ訳ねえだろ、これでお前についちゃ、結構気にかけてんだぜ」

 こともなげに寄奴が言うと、あの石像ヅラ、みるみる間に赤くなってきやがった。

 受け取ったぶんを、一気に飲み干す。そんですぐに、二杯目を突きつける。

 おっ、いけるね。

 寄奴ァウキウキしながら、孫季高に二杯目を注いでやった。一杯目と同じく、がぱっと飲み干す。

「ワシにゃ、縁のないもんだっち思っちょった」

 戸惑うみてェな、照れ隠しみてェな。

 初めて見る、孫季高のツラだ。

「わかるさ。こさえなきゃ、こさえてえって思うようなやつに会わなきゃ、気付けねえ」

 寄奴ァ三杯めを突きつける。

 しばしそいつを見たあと、孫季高ァ徳利を奪い取り、寄奴に突き返した。

崔老師さいろうし鎮悪郎ちんあくろうに、どれだけ遊ばれたと思う?」

「考えたくもねえな」

 ふ、と孫季高が笑う。

 注がれた一杯を、寄奴ァおんなじように、一気に飲み干す。

 懐に手を突っ込むと、例の紙切れを掴んだ。

 取り出し、孫季高の前で広げる。そこに記されてたんなァ、「謝龍驤妻及諸息奔于海塩」のわずか十一文字――謝琰しゃえん将軍の妻子が、海塩のほうに逃れた、とある。

「こりゃまた、なんとも」

 寄奴ァほくそ笑む。

 いわば、とびきりの上ネタだ。

 将軍が、わざわざ嘘をつく理由もねェ。表向きは僻地の守りってことにして、その裏じゃ行方不明みてェな扱いの謝琰将軍の妻子を救出。

 子どもたちだって、こっから先、すくすく育ちゃ謝安しゃあん様、謝琰将軍の跡をついで宮中で出世してくだろう。そんな家族を、危機から救い出せたら。

「季高」

 そう、寄奴が言うが早いか。

 孫季高ァ、腰に提げてた水筒を、頭っから引っ被った。残ったぶんァ、口に含む。

「悠長に酔っちょる場合でもなさそうじゃな。どら、先に周りを見といちゃろ」

 空の水筒を寄奴に投げ渡すと、すぐさま孫季高ァ天幕から抜け出した。

「あ、おい」

 まだなんにも言ってねェだろうが、そう言おうとした。っが、そんなん、相手無しでつぶやいても仕方ねェ。

 寄奴ァ苦笑ひとつ、頭を引っ掻いてから、いくぶんの考えをまとめる。

 グズグズァしてらんねェだろう。もしかしたら、もう見つかってるかもしんねェ。よしんばそんなことにでもなっちまや、下手すりゃかえって謝氏から恨まれることにだってなりかねねェ。

「なぁに、どうせ丁半だ」

 そいつァ己に向けて言ってきたのか、それともただの独り言か。

 大股で天幕を出ると、寄奴ァ急ぎ、虞丘進ぐきゅうしんのもとに向かった。

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