03-05 ムロン・チュイ 

「ひとつ! 非道な鮮卑せんぴを殺し!」

 ――ひとぉつ、非道な鮮卑を殺し!

「二つ! 不埒な氐賊ていぞくを斬る!」

 ――ふたぁつ、不埒な氐賊を斬る!

「三つ、三胡を伐ちては払い!」

 ――みぃっつ、三胡を伐ちては払い!

「四つ、四海に金徳満たす!」

 ――よぉっつ、四海に金徳満たす!

「アイ・イェー! アイ・イェー!」

 ――アイ・イェー! アイ・イェー!

「アイ・イェー! アイ・イェー!」

 ――アイ・イェー! アイ・イェー!


 ったく、今でもあの船漕ぎ歌、歌えちまわ。

 にしたって五行説ってなよくわかんねェな。かんが火、が土、しんが金、とか言われても、まァ覚えりゃいいだけの話だが「なんで?」が埋まる気ァしねェ。

 寿春じゅしゅんから淮水わいすいを渡る船に乗ったとき、先生、オレがやけに張り切ってんの見て笑ってたよな。

 あれな、今だから言えっけどよ。

 見えねェ振りしたかったんだよ。寄奴きどのこと。

 後ろから、横からムロン・チュイに揺さぶられまくって、手下どもはどんどん殺されて。そんな中でも寄奴ァ諦めねェでいた。

 いくら己が強く漕いだとこで、船足が目に見えて速くなるわきゃアねェ。それでも、少しでも早く着きたかったし、万が一なんざ考えたくもなかった。だから、ありゃヤケになってたようなもんだ。

 まァ、そのお陰で西府の奴らに受け容れてもらえたんだから、悪い事ばっかでもなかったな。


 岩陰に潜み、震える手をさする。もう、ろくに動ける奴なんざ寄奴を除きゃ孟龍符もうりゅうふくれェのもんだ。つっても、動ける奴そのものがロクにいなかったけどな。

「大将、やべぇのが来たぞ」

「あ?」

「ムロン・チュイだ。ちくしょう、ここに来て親分が来やがった」

「そうかよ、逆に運が巡ってきたじゃねえか」

「は? 何言ってんだ」

「親玉だろ? 獲りゃこっちの勝ちだ」

「――なるほどな、そりゃいいや」

 笑う孟龍符にも力ァねェ。

 ボロボロの刀を握ってみる。痺れがある。もう、ろくに振れやしねェだろう。一匹鮮卑を斬っただけですっぽ抜けちまいそうな勢いだ。なら、その一発を、どう親玉に向けるか。

 そう思いながら、覚悟を掻き集める。

 と、

「敬服すべき晋の勇士よ、戦は終わった! 貴公らの勝ちだ!」

 轟くその声にゃ、僅かにだが聞き覚えがあった。

 だがあの手の声ァ、一回聞きゃ十分でもある。

 ムロン・チュイ。鮮卑の、親玉。

 背中に寒気を覚えながらも、寄奴ァ叫び返す。

「今更そんなんで釣られっかよ! なんなら手前の首落として、本当に仕舞いにしてやろうか!」

「戯れるな、勇士よ! 先遣より、淮水を渡る船影の報を受けた! 我らは、晋将劉牢之りゅうろうしを討ち果せなんだ!」

 孟龍符を、虞丘進ぐきゅうしんを見る。

 もう、こっちゃ隊の体なんざなしちゃねェ。今更寄奴のこと騙して殺したって、血錆が増えるだけだ。それに、あん頃の寄奴ァ龍譲りゅうじょう仮節かせつたァ言え、大した首の値でもねェ。

 ズタボロの剣を、胸甲を外す。劉牢之将軍からあずかってた銀環だけをもって、両手を挙げ、岩陰から、出る。

 居並ぶ、ムロン・チュイの手勢たち。真ん中にチュイがいる。その隣にゃチュイそっくりの若武者。二人を、ゴンズ・ウロとユン・ミァが守ってる。特にゴンズ・ウロァいかにも無念、みてェなツラしてやがった。そりゃな、嬉々としていちばん狩ってくれやがったのがアイツだ。

「ウロより聞いている。我はムロン・チュイと言う。勇士よ、貴公が劉裕りゅうゆうか」

「ああ」

「まずは敵ながら見事、と言わせてもらおう。かちであるにも拘わらず、貴公には多くのともがらを奪われ、また足並みを鈍らされた。日ごとにウロの苛立ちが募りゆくを見るは、ある意味では愉快でもあったぞ」

「あんたのことは苛立たせらんなかったか、そりゃ残念だ」

 いつ鮮卑どもが襲い掛かってきたとこでおかしかねェ。そんな中にあっても、寄奴の憎まれ口が止まるこたァねェ。実際鮮卑どもン中にゃ色めき立つ奴もあった。

 と、ウロがガハハ、と笑う。

「全く! この期に及んでも貴様はそれか! いっそ潔いな!」

 そう言うと、何やら重そうな包みを寄奴に投げて寄越した。

 当たり前だが、受け取りゃしねェ。避けると、どさり、と地面に落ちた包みがほどけた。中にあったのァ、衣類やら包帯やら。

「何人、生き延びた?」

 チュイが聞いてくる。

「七人。うち二人はもう、ろくろく動けやしねえ」

「ならばその二人は此方で預かろう。療養の後、晋への返還を約束する」

 次いで、チュイの前に水や酒、食料やらが運び出される。

「我ら鮮卑は、強者を尊ぶ。戦は終わった。ならば貴公は、尊ぶべき隣人である。貴公と交わす酒はさぞ美味かろうが、間もなく晋軍が押し寄せるを考えれば、いたずらに酔いに興じるわけにも行かぬ」

 チュイを見る。

 その面ァ厳めしくはあったが、そう鋭でェ訳でもねェ。何より、目だ。そこに、少なくとも殺意は窺えねェ。

 寄奴ァ、振り返る。

「龍符! 二人、連れてこれるか!」

「おうよ!」

 岩陰から、同じく武器防具を外した龍符が現れる。その両腕に、なんとか息の残ってるボロ雑巾二つを抱えてる。

 ゴンズ・ウロが手を挙げると、四人の鮮卑が出てきた。二人ずつが布を広げて孟龍符から怪我人を受け取ると、揺らさねェよう、丁寧に軍の中に運び込んでいく。

「貴様にも随分苛立たされたぞ、小僧。名を聞いておこうか」

「そりゃドウモ。オリャ孟龍符、ってんだ。次会ったら殺してやっからよ」

「その威勢のみ、買っておくぞ」

 しばしにらみ合うと、にやり、とゴンズ・ウロが笑った。孟龍符も似たような顔したんだろう。迷わずゴンズ・ウロに背中を見せ、劉裕の一歩後ろに立つ。さんざ殺し合った奴に、よくもまァ。本当、どんな肝っ玉だよ。

「時に、劉裕」

「あん?」

「我が元で、働かぬか?」

 突然の申し出に、孟龍符だけじゃねェ。鮮卑どもまでが驚いてた。

「我が元には、常に強者が要る。貴公ほどの強者、そうは居らぬ。中原の争乱は、更なる混迷の様相を呈しよう。江南こうなんの田舎は、貴公の武にはいささか狭かろう」

 鮮卑どもがざわついてる。

 そりゃそうだ。つい今しがたまで奴らのお仲間を殺しまくってた奴を、よりにもよって、親玉が引き込もうってんだ。

 ゴンズ・ウロはまたしても爆笑し、ユン・ミァは見るからにふて腐れていやがる。

「へぇ、そりゃありがてえ」

 寄奴の返しァ、あくまで平静としたモンだった。

「ただよ、王さま。悪りいが、この遠征で分かったことがある。己にゃあ、どうにも淮北わいほくの酒は合わねえ。今だって、すぐにでも京口けいこうの酒が飲みたくて仕方ねえんだ」

「所望とあらば、取り寄せようぞ」

「こんな寒みいところで飲んでも白けるだけだ。増して、あんたのねぐら、ここよかもっと寒みいんだろ?」

 仲良しこよしみてェに話しちゃいるが、交わしてるやりとりァ結局ンとこ、降参しろ、するかよ莫迦バカ、に尽きる。

 表向きヘラヘラと返す寄奴に、ようやくムロン・チュイが苦笑を浮かべた。

「そうか、ならば仕方あるまい、貴公とはやはり戦わねばならぬのだな」

 そう、ムロン・チュイが言い終わるか否か。

 隣の若武者が、ど派手な舌打ちをした。

 瞬きする暇も、ロクにあったモンじゃねェ。背中から弩を引っ張り出すや否や、寄奴に向けて、撃ってきやがった。

 たァ言えそいつの動き、寄奴も読んじゃいた。顔の高さに手を上げると、素手で矢を受ける。

 掌はあっさり貫いたが、それまでだ。

「へぇ、抜きしなでこめかみか。悪くねぇ腕だ」

 痛みは、もちろんあった。怒りもある。だがそれよりも寄奴があらわにしたのは、興味、だった。

 このいちびりに、孟龍符が動こうとする。が、

「構うな、龍符!」

 その動きを止めんのァ、他でもねェ。寄奴だった。思いも掛けねェ所からの声に、さすがの孟龍符も戸惑いが隠せねェ。

「けどよ、大将」

「けどもゲボもねえ。せっかく拾った命だ、こんなんで台無しにすんじゃねえよ」

 淝水で、トゥバ・ギの軍に囲まれたときのことを思い出す。あん時は敵味方入り乱れる戦場で、だからこそ何無忌が助けに来てくれた。だがこの場にゃ、味方なんぞいやしねェ。いくら暴れてみようが、それなりに鮮卑殺した後、あっちゅう間に血祭りだろう。

「済まぬな、勇士よ。我が統制の行き届かぬこと、許して欲しい」

「本当だぜ王さま、ちゃんとしつけといてくれよ」

 よく言うぜ、寄奴ァ内心じゃそう思ってた。

 ムロン・チュイの隣にいた若武者、ムロン・ジア。二人があーのこーの話してる間に、みるみる殺気を脹らましていやがった。そいつに気付かねェムロン・チュイでもなかったろう。

 ムロン・チュイが手を挙げると、鮮卑どもが次々に馬首を返した。

 最後に一人、チュイだけになってから、呟く。

淝水ひすいは、我らの戦場と思っていた。ところが蓋を開ければ、トゥバ・ギが暴れ、貴公が吼えた。あまつさえ貴公の名は、天王の口にすら上る始末だ。これも、天の巡りというものかな」

 寄奴に聞かせるつもりも、そうはなかったんだろう。目線は飽くまで寄奴にゃ向かず、天。

「さてな、己にゃあ難しいこた分かんねえよ。だが、近頃気付いたことがある」

「ほう?」

「仮に天なんてモンがいんなら、たぶんそいつあ、とんでもねえ性悪だ」

 寄奴に噛みついてきた龍のことを思い起こす。

 龍ァこれまでも沢山の王さまを呑んできた。好き放題しちゃ、飽きると、去る。どんだけの王さまが道半ばで果ててきたことか。

 つっても、ムロン・チュイにゃとんと見当もつかねェ話だろう。だから寄奴を見るムロン・チュイは、何言ってんだコイツは、みてェな感じだった。

 だが、やがて、吹き出す。

「――そうか、性悪、ときたか」

 くっく、と身を震わせる。

 なかなか王さまがついて来ねェことにじれたのか、ユン・ミァが引き返してきた。「王!」って呼ぶその声は、まるでだだっ子を叱るオヤジみてェだ。

 笑いの止まらねぇムロン・チュイだったが、ようやく動き出す。

「礼を言う、面白き考え方だ。ならば劉裕、我もまた、しばし性悪相手に暴れてみることとしよう」


 コイツが寄奴とムロン・チュイとの、ただ一度っきりの出会いだ。

 天はどこまでも高く、青い。

 だが寄奴らにゃ、たちまち別の敵が襲い掛かってくる。

 ――気が抜けたことで、これまでァなんとか抑え込めてた傷の痛みどもが、一斉に悲鳴を上げやがったんだ。

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