第8章『深愛なるエリーへ 2』
迎撃部隊を退けた同盟軍艦隊は現在、月軌道に向けてフルスピードで航路を突き進んでいた。
すでに彼らの目的地であるLOCAS.T.C.の本拠地『アリスタルコス・ドーム』は目前にまで迫っている。来たるべき決戦の
「
「はい! ありがとうございました、キムさん!」
すれ違いざまに整備士のキム=ベッキムへと感謝の言葉を述べると、アレックスは床を蹴って愛機の元へと急ぐ。
キムが自信ありげに語っていたように、数日前の戦闘で損傷していた箇所はすっかり
おそらく整備班は連日徹夜続きだったことだろう。職人たちが流した汗水の多さに、アレックスは心からの賛辞を抱いた。
「アレックス!」
ハンガーで佇むピージオンのコックピットへ乗り込もうとしていたアレックスは、背後からの声に振り返る。非戦闘員用のスペーススーツを着込んだエリー=キュル=ペッパーが、何やら慌てた様子でこちらへ向かってきていた。
「エリー、どうしたの?」
「携帯用の応急セットを持ってきたの! ……っと」
アレックスは飛び込んできたエリーの豊満な体を受け止める。自然とエリーはアレックスの胸に顔を埋める形となり、恥ずかしそうに顔を赤らめながら身を離した。
「えっと、救急箱ならコックピットに備え付けのがあるけど……」
「機体を降りている時に空気漏れでも起こしたら危ないでしょ。ほら、念のために持っておいて!」
有無を言わさない様子で応急テープなどが入ったポーチを押し付けられ、アレックスはそれを渋々受け取る。もちろん怪我をするつもりは毛頭ないが、次の作戦内容が内容な以上、受け取りを拒むわけにもいかなかった。
月面にある『LOCAS.T.C.』本社施設への強行揚陸、及び施設内に囚われているルーカス=ツェッペリンJr.の保護。それが同盟軍の兵士たちに課せられたミッションだった。
施設を外側から破壊するわけにもいかないため、ルーカスの身柄を救出するにはパイロットが機体を降りて直接乗り込むしかない。そして侵入すれば高確率で白兵戦の発生が予想されるため、アレックスもまた握りたくもない拳銃をわざわざコックピットへ持ち込む羽目になっていた。
「もどかしいね……」
「エリー……?」
悔しげにうつむくエリーを見て、アレックスは心配そうに顔を覗き込む。
そこにいつもの覇気はなく、今にも儚く消えてしまいそうな少女の顔がそこにはあった。
「私にできることは、アレックスやみんなが帰ってくる場所を守ることくらい。それが私にとっての“大切な役割”だってこともわかってるつもりよ。……そのつもりなのだけど、戦いから帰ってくるのを待つことしかできないと思うと、やっぱり胸が痛くて……」
エリーがそのように葛藤するのも無理はなかった。
彼女は今、多くの女性がそうであるように、愛する者を戦場に送り出さねばならない瞬間に立ち会っている。やりようのない不安と悲しみが、エリーの潤んだ瞳を揺さぶっていた。
「……ごめん。心配をかけて」
「ううん、アレックスが謝ることじゃないわ。私のほうこそゴメンね、出撃前にこんなことを言っても困らせちゃうだけだよね」
「いや、困らせるのは僕のほうだ。だから、先に謝らせて欲しい」
「アレックス……きゃっ!?」
急にアレックスがエリーを抱きすくめ、二人の体が慣性のままに宙を浮く。痛いほどの力でアレックスに抱きしめられ、エリーは上昇の止まらない自らの体温に火傷しそうになった。
「ちょ……ア、アレックス! 人に見られてるからぁ……っ」
「僕は不器用で口下手だから、言葉で君の痛みを取り除くなんて真似はできそうになくてさ。僕が帰ってくるまで、君には痛みをずっと背負わせてしまうことになる……そのことを謝りたくて」
「アレックス……」
自分で言うようにとても不器用で、けれども生真面目で真っ直ぐなアレックスのひたむきさに、エリーはつい微笑をこぼす。彼の一途さはエリーにとって嬉しくもあり、同時に胸を締め付けた。
「だから、エリー……痛っ」
チクリと刺すような痛みにアレックスが少しだけ顔を歪める。公衆の面前で抱きつかれたお返しだと言わんばかりに、エリーがいたずらに彼の髪の毛を一本だけ引き抜いたのだ。
「もう、バカね。そんなことで謝らなくたっていいのに」
「いや、しかしだな……これは僕たちにとって大事な話であって……」
「こう見えても私のほうがお姉さんなのよ? 心配されなくたって大丈夫よ」
「お姉さんって……僕より誕生日がちょっとはやいだけじゃないか」
「背だって私のほうが高いわ」
「うっ……」
痛いところを突かれたアレックスはつい閉口してしまう。顔をうつむかせている彼の頬に、エリーの手が優しく触れた。
「大丈夫よ。あなたと同じ痛みを、私も背負う……背負えるから」
「エリー……」
「だから、約束だけは絶対に守ってね」
「……ああ、わかってる」
エリーの手を握り返し、アレックスは安心させるように微笑みをたたえて応えた。
“約束”。それは二人がこれまでに幾度となく交わしたものであり、今となっては言葉を介さずとも確かめ合うことができる。
──必ず生きて帰ってくるよ。
優しい瞳でエリーに一時的な別れを告げると、アレックスは身を返してピージオン・ドミネーターのコックピットへと滑り込んだ。
《パイロットの搭乗を確認。チェック……おはようございます、“アレックス=マイヤーズ”》
すると程なくして、エラーズが電子合成音の声を発した。
《出撃までまだしばらく時間があります。今のうちにキスを済ませておかなくてよいのですか?》
「っ……!?」
微塵も予期していなかった言葉をエラーズに投げかけられ、アレックスは驚きで肩をぶるっと震わせる。
聞き間違いでなければ、エラーズは今“キス”と言ったのか……?
「キスって……な、何を言ってるんだ、エラーズ」
《キスとは
「それはわかってる! なぜそれを、寄りにも寄って君に、言われなきゃいけないのかと言ってるんだ……!」
《貴方は先ほどまで、当機の目の前でエリー=キュル=ペッパーと抱擁を交わしていました。記録映像も残っていますが、閲覧しますか?》
「おまっ……まさか、見ていたのか……!?」
『はい、録画もバッチリです』とでも言わんばかりに、正面のディスプレイに機体カメラの捉えた映像がポップアップされる。
搭乗者支援AIユニットの思わぬ
「……いやいや、いやいやいや。機体の周辺状況を記録していたことはともかくとして、パイロットを茶化すようなAIがいるかっ!」
《冗談を言ったつもりはありません。“キス”を推奨しているだけです》
「はぁっ!?」
《出撃前の兵士は、異性との粘膜接触をはかることで士気を高めることができると言われています。これは統計に基づいた信頼できるデータです。……AIである私には理解しがたい行為ですが》
エラーズはいかにも合理的かつ論理的っぽく主張を繰り広げているが、つまりは搭乗者の恋愛事情へ首を突っ込んでいることに他ならない。一介のマシンインターフェイスとは思えない語彙の数々に、アレックスは呆れるあまり開いた口がしばらく塞がらなかった。
《アレックス=マイヤーズ。これはあくまで推測ですが、貴方はエリー=キュル=ペッパーとの粘膜接触を一度も経験していないのではないでしょうか》
「なんでわかった……じゃない、なぜそう言い切れる」
《両者の心拍数・体温などのメンタルコンディションから逆算した結果です。ご希望であれば、詳細な分析結果を提示しますが》
「結構だ。……あと、さっきの記録映像も削除しておけ。早急にだ」
《最終確認……》
「くどいぞ」
アレックスに念を押され、エラーズは一言も喋らずに記録データの消去を始めた。その様子がまるで大人に叱られて拗ねる子供のように見えて、すぐにアレックスは首を横に振って思考をかき消す。
エラーズのあのような行動も驚きだったが、それ以上にエラーズへの認識が改まりつつある自分に心底驚いていた。
そうしてエラーズとの素っ頓狂なやり取りを切り上げたちょうどその時、本作戦の指揮を務めるオミクロンからの回線が一斉に開かれた。
《オミクロンよりDSW機動部隊の各員へ、改めて作戦の内容を説明する》
彼の発言に同期するように、サブモニター上に月面の状況を映した3Dマッピングが弾き出される。即座に情報を頭に叩き込みながら、アレックスはオミクロンの言葉に耳を傾けた。
《すでに同盟軍の別働隊が月軌道へと到達し、クーデター派の艦隊と交戦中だ。その隙に本艦は別のルートから“アリスタルコス・ドーム”へと接近し、奇襲を仕掛ける》
作戦の目的はあくまでルーカスの救出及び“マスター・ピース・プログラム”にかけられたプロテクトの解除であり、敵部隊の殲滅ではない。だからこそ高速で動ける“エンデュミオン”をひそかに単独行動させる陽動作戦は、古典的でありながらも理に適っており、この上ない有効打であると言えた。
《さらにDSW隊は出撃後、強襲部隊と揚陸部隊の二手に分かれて行動してもらう。強襲部隊が敵を引きつけている間にピージオンで敵基地のレーダーを無力化、あとは死角となるコースから本社施設へと侵入を行う》
陽動の、さらに陽動。それがオミクロンの立案した作戦の全貌だった。
強襲部隊が奇襲を仕掛けて敵の注意を引きつけている隙に、ピージオンを始めとしたDSW部隊が第二の奇襲をかける。ピージオンに備えられた電子戦装備には、そんな一見無茶な作戦を可能とするだけの
《なお、本作戦には私もDSWで出撃する。現場での指揮に対応できるよう、全機データリンクをオンにするのを忘れないでくれ》
そう。スピーカーの奥から発せられるオミクロンの声は、“エンデュミオン”のブリッジから送信されているわけではない。アレックスは全天周囲モニター越しに、格納庫の最奥に佇む見慣れない機体の姿を拝む。
“ISM-90 ノイン・ヌル”。火星の大地を彷彿とさせる紅蓮で全身を染め上げた、オミクロンの専用機だった。
搭乗者の仮面と同じく、髑髏をモチーフとした銀色の頭部。逆三角形のマッシヴな上半身。その下に取り付けられたスカート型の下半身には、なんと人間でいう脚部に該当する部位が存在していなかった。
《厳しい作戦になるだろうということは重々承知している。それでも、我々に勝ち取れる未来はもうすぐそこにまで迫っているのだ。どうか最後まで私に、未来を掴む力を貸して欲しい。では、諸君らの健闘と生還を祈る――》
指導者としての激励を最後に、オミクロンの通信はそこで終了する。次いでオペレーターからの出撃命令が下り、機体を固定するハンガーがゆっくりとカタパルトへと運ばれ始めた。
《まもなく作戦領域に到着するっス! マイヤーズ君、よろしく頼むっスよ!》
「聞いたなエラーズ。僕たちも出るぞ……!」
《了解。システムモードを6に移行、出力ミリタリーレベルへ上昇を確認》
カタパルトのハッチが開き、月面の上空で幾つもの爆発が起こっているのがみえる。
命を燃やすその輝きが、ピージオンの真珠色に彩られた装甲と、そして黄金の女神像を
《リニアカタパルト射出準備完了。行けます》
「アレックス=マイヤーズ。ピージオン・ドミネーター、出ます……!」
決意を込めてアレックスは告げ、ドミネーターウイングとリングブースターを背負ったピージオンが“エンデュミオン”から飛び出す。次いで後続のDSWも続々とカタパルトデッキから出撃していき、白い鳥を追うようにスラスターの尾を引いて
*
「父上!」
甲高い少女の声とともに、玉座室のドアが勢いよく開け放たれる。
警備の制止を振り払ってずかずかと部屋に入ってきたのは、ツェッペリン家次女のクラウヴィアだった。彼女はドレスの長い裾を床に引きずりながら、玉座に座る男の前へと立つ。
「何用だ、クラウヴィア。申してみよ」
彼女の父──プレジデント=ツェッペリンは、猫を可愛がるような柔和な笑みを浮かべて迎えた。
死の商人と揶揄される男であっても、愛娘に対する情愛は本物であり、その表情にも敵意は一切含まれていない。ともすれば二面性とも取れるような釈然としたその態度は、かえって真面目な対話を望んでいるクラウヴィアの神経を逆撫でた。
「先日のクーデター“オペレーション・ワルプルギス”によってU3Fはもはや秩序としての機能を失い、内戦を誘発させる結果となりました。父上は一体、何をなさるおつもりなのですか……!?」
しかし、彼女とは対照的に訊ねられたプレジデントは呆れたように目を細めた。
「お前が気にするようなことではなかろう」
「
「ほう……? 我輩の振るう采配が目に余ると、そう断じるのだな?」
敢えてプレッシャーを与えるように、プレジデントは椅子から上半身を乗り出して脅しかける。蛇に睨まれたようにクラウヴィアは一瞬だけ身震いしたが、しかし臆することなく自らの意志を告げる。
「そのように、受け取って頂いて構いません……!」
クラウヴィアからすれば、決死の覚悟が宿った発言だった。王座に座るこの男へと物申すということはそれだけで不敬な行為とされ、実娘であるクラウヴィアでさえも喉元が詰まるような思いをしてようやく口に出すことが出来ているくらいなのだ。
「フフフ……ハッハッハッハ」
だが、そんな彼女の予想に反してプレジデントは豪快に高笑いを上げる。心なしか、彼は娘の成長を見届ける父親のように穏やかな表情を浮かべているようだった。
「王たる我輩を前にしても物怖じせぬその胆力……マリーネの胎盤より受け継いだのは、その麗しき美貌だけではなかったということだな」
「なにを……今は母上の話をしているのではない! 人の王たる貴方の在り方について異議を唱えているのです……!」
すると、プレジデントは玉座から重い腰を上げてクラウヴィアの眼前に立つ。威圧的なまでの覇気を放つ巨漢の瞳が、今にも尻込みしそうになっている少女を冷たく見据えていた。
「クラウヴィアよ、我輩は王であって先導者ではない。ただ蹂躙し、享受し、支配する……それが我が王道にして覇道だ」
「貴方は……自らが暴君であると、認めるというのですか!?」
「左様。そしてそれを成り立たせているのは、純然たる我の“力”だ。強剛にして性豪、この世の財を極めた我輩こそが
惜しげもなく堂々と言い放つプレジデントを前に、クラウヴィアは戦慄を覚える。彼女にとって父親であるこの男は自らの傲慢さを認め、その上で己をどこまでも貫き通そうとしているのだ。
「そこまで父上がこの世界を欲する理由はなんなのです……! それを手にいれた後で、貴方はそれをどうなさるおつもりなのですか……!?」
真意を見極めるべく、クラウヴィアは再び問いかける。
これほどまで支配に対して貪欲になれるこの男には、きっと相応の動機があるはずだ。それを知ることができれば、この蛮行にも目を瞑ってやることができるかもしれない、そう思ったのだ。
だがプレジデントの次に続いた答えは、クラウヴィアの想像していた幾つかの言葉とはどれとも異なっていた。
「我輩が世界を欲しているのではない。もとより世界は我輩の掌中に収まるべき宿運なのだよ、クラウヴィア」
「は……?」
「起源の人類が口にしたとされる
あまりにも愚かしく、どこまでもエゴイスティックな解答だった。この男と同じ血が自分にも半分だけ流れていると思うと、それだけでクラウヴィアは呪わしい気持ちになってしまう。
……いや、それは父親だけではない。違う腹から産まれた兄弟たちに対しても同様だ。こんなにも血で汚れた玉座のために競い争わねばならないなど、どうかしている。正気ではないと思えた。
そんな家柄にいつまでも縛られ続けている自身が、何よりも許せなかった。
「……出て行ってやる」
クラウヴィアは押し殺したように呟いた刹那、なんと長いドレスの裾を掴んでは乱暴に破り裂いた。千切られたスカートの布が宙に舞い、素足を曝け出したクラウヴィアはプレジデントに背を向けて走り出す。その潤んだ瞳からは、熱い涙が溢れ出していた。
「何がツェッペリンだ! こんな家に頼らなくても、私は自分の力で名を上げてやる!」
「姫様、どうか落ち着いて……!」
「うるさい! どけ! 味方が……U3Fの仲間が戦っているのだ! こんなところで指を咥えて見ていろというのかッ!? そんなの……私は嫌だッ!!」
すかさず付き人が制止に入ったが、クラウヴィアはそれを振り払ってそそくさと部屋の外へ走り去ってしまった。
すると、入れ違いで玉座室へとやってきたキョウマが、肩をすくめてプレジデントへと尋ねる。
「おや、親子喧嘩ですか。
「家出なんぞ、あのくらいの年頃ではよくあることだ。しばらくすれば懲りて戻ってくるだろうよ」
子を谷底に突き落とす獅子のような、険しい形相でプレジデントは語る。それを聞いてキョウマは何かを言おうとしたが、結局は何も言うことはなく意地の悪い笑みを浮かべるだけに留まった。
(あの箱入り娘の姫様が、果たして無事に戻ってこれるのか……見ものだねぇ)
そう胸中で呟くキョウマの手に握られているタブレット端末。
画面上には、同盟軍の奇襲部隊がこちらに接近しつつあるという旨が綴られており──それはこの『アリスタルコス・ドーム』が、間もなく戦場になるということを暗喩していた。
PEAXION-ピージオン- 東雲メメ @sinonome716
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