深愛なるエリーへ

第7章『深愛なるエリーへ 1』


 戦闘が終わり、戻ってきたエンデュミオンの格納庫は宇宙服を着た人達でごった返していた。

 アレックスは誘導に従って機体を格納庫に乗り入れると、ハッチを開いて下へと降りる。疲労が蓄積しているのか、床に降り立った途端よろめいてしまった。


「オイオイ、大丈夫かよ!?」


 こちらに気付いてやってきたデフが深刻な表情でアレックスの肩を支えた。同じく近付いてきたミランダも、気遣わしげに声をかける。


「一度医務室に行きましょう。診てもらったほうがいいです」

「そんな、いいって……大袈裟だよ二人とも。別に怪我してるわけじゃないんだから……」


 アレックスは頑なに丈夫を訴えたが、二人は強引にアレックスの手を引っ張って医務室へと向かおうとする。端からみるとそれは救急搬送というよりも半ば連行に近い。他のクルー達から奇異な目でみられているのを背中に感じつつも、アレックスは歯医者を嫌がる幼子のように呻く。


「ほ、本当に大丈夫だって! これくらい、少し休めばどうってことないから……」

「そんなに顔色悪くしてるのに、説得力ないですよ。それに体だけじゃなくて、先輩の心のほうも心配です」


 図星を突くようなミランダの言葉に、アレックスはつい口籠もってしまう。先刻の戦闘で敵将校に言われた恨み節の数々が、頭の中でリフレインする。



 ──この戦いを望んだのは、お前たちだろうに……ッ!


 ──こんなにも長く苦しい戦いの時代に、アガリが見えていたんだ……! それなのに、貴様らレジスタンス風情が渋とく抵抗運動なんぞを続けるから、戦火は未だに消えていないのではないのか……ッ!?


 ──貴様は、貴様たちはこの世界の平和を脅かすガン細胞だッ!!



 敵の方便だ、ということは理解している。現実の戦争において完全な勧善懲悪など存在するはずもなく、異なる正義の対立関係によって戦いは起こるのだということは初めからわかっていた。

 だが、いざ敵に現実を突きつけられると胸が痛んでしまう。理性ではわかっていてもなお、果たしてこんな戦いに慣れることができるのかという不安に呑み込まれそうになった。

 

「わかっているんだ。ただヒステリックに平和を訴えたところで、戦場で戦う兵士の心には響かない……行動で示さなきゃ意味がないんだって。たとえ非情に徹してでも、僕は争いを止めてみせる。この運命に向き合うって、決めたから……」

「ほらやっぱりな、


 不意をつくようなデフの苦笑する声に、アレックスはつい戸惑いの表情を浮かべた。言葉の意味を図りかねているアレックスを見るなり、デフは呆れた様子で続ける。


「なーにが“非情に徹する”だよバーロー。戦いに慣れるだとか、運命と向き合うとか、お前はハナからそんな器用な芸当ができる人間じゃあねぇだろうが。大体そんなキャラじゃないだろ? さっきの戦いでも相当堪えちまったみてぇだしよォー」

「そうですよ先輩。そんな気持ちで戦いを続けてたら、いつか神経をすり減らして壊れていくのが目に見えてますって。またギスギスした雰囲気になるの、私もうイヤですからね?」

「何でもかんでも一人で抱え込もうとしやがって。ちったぁ仲間に頼りやがれコノヤロー」

「全くです。何のために私たちがいると思ってるんですか」

「ご、ごめん……なさい……?」


 日頃からの不満を一斉に投げつけられたようで、アレックスは何だか申し訳ない気持ちになってしまう。そんなに自分勝手に振舞っていただろうか。


「そ、それで、僕は具体的に何をどう“わかってない”んだろうか……?」

「お前、ホント頭固いよなぁ……。まあ、お前らしいからいいけどよ」


 デフはため息を吐くと、アレックスと正面から向き合って堂々と告げる。


「いいか、“お前”は“お前自身”を全然わかっちゃいねぇ! お前は馬鹿みたいにお人好しで優しいヤツなんだ! そんなテメェが敵に平気で銃を向けられるようになるとか、一生ありえねぇんだよ!」

「それは褒めてるの……? 貶してるの……?」

「ベタ褒めしてんだよクソッ!!」


 今にも殴りかかろうとせん形相で、デフはアレックスの両肩をガシッと掴む。事情を知らない第三者から見れば同性愛者と誤解されかねない勢いだったが、デフは特に気にすることもなく続ける。


「けど、お前が自ら茨の道を進もうってんなら、俺たちもそれを止めるような野暮な真似はしねぇよ。いちいち敵の言葉を受け止めるなって言っても、どうせお前は聞かずに善意も悪意も見境なく背負っちまう。アレックス=マイヤーズってのは、そういう人間だからよ」

「なんか、馬鹿にされてるような……」

「ああ、馬鹿だね! それも筋金入りの大馬鹿だ! そんな大馬鹿野郎の語る夢を、俺も成し遂げたいと思っちまったんだよ!」


 デフはアレックスの肩から手を離すと、気恥ずかしそうにそっぽを向いた。ミランダに見守られる中、デフはもう一度アレックスに向き合うと、奥底の羞恥心や躊躇いを押し殺して堂々と告げる。


「アレックス、お前に俺の全部をやる。だからお前も、俺に全部を委ねやがれ」

「デフ……」

「疲れた時は仲間に甘えていい、泣きたい時は一緒に泣いてやる。だから安心しろよ、俺はずっとお前の側にいてやるから」


 デフの瞳には、真摯な煌めきが確かに宿っていた。互いに視線をかわしながら、しばらくの沈黙が流れる。


「……ぷくく、あははははは!」


 その沈黙を最初に破ったのは、あまりの可笑しさにこらえきれなかったミランダの、着飾らない笑い声だった。それを聞いてデフもつい先ほどの発言を思い出しては、顔を茹でたタコのように紅潮させてしまう。


「な、なに笑ってんだよ!」

「そりゃ……『お前に俺の全部をやる』って、なかなか出ないですよ?」

「ばっ、テメ……別にそんなつもりじゃねえっつの! 違うからな、アレックス!」

「う、うん……はは、はははは……!」


 とうとうアレックスまでも糸が切れたように笑い出してしまう。デフは咄嗟に咎めるような視線を送るも、その表情はどこか満更でもなさそうだった。

 ようやく笑いが収まると、アレックスは涙目を手で拭いつつもはにかんでみせる。


「君にそこまで言わせてしまったら、僕も男として応えないわけにはいかないな……。わかった、今はお言葉に甘えて休むことにする」

「おう、そうしとけ。月までもう少しだってのに、着く前にくたばっちまったらかっこ悪りぃしな。ホラ、肩貸すぜ」

「ありがとう、デフ。ミランダも」


 二人に身体を支えられながら、アレックスは彼らと共に医務室へと続いている通路を行く。気付けばつい先程まで重責がのしかかっていた心が、ほんの少しだけ軽くなっているような気がした。



 キョウマにいざなわれるがままに、ミドは月面にある『LOCAS.T.C.』本社の地下施設を訪れていた。

 階段を下ったそこに広がっていたのは、廃病院のような異質な空間だった。

 血と薬品の入れ混じったような香りが鼻腔をつつき、ミドは歩きながらつい咳き込んでしまう。前を行くキョウマは物怖じする素振りすら一切みせることなく、非常灯の緑がかった光だけが頼りの暗い通路をぐんぐんと進んでいった。


「さあ、この部屋だ。入りたまえ」


 促すキョウマに続いてミドは扉を潜る。

 室内に入った途端、まず視界に飛び込んできたのは部屋の中央に置かれた、鈍い光を放つ手術台。何かの計測器のような大型の機械。そして壁を覆い尽くすように並べられた、床から天井まで伸びる円柱型のガラスケースだった。


「何だよ、ここは……」


 何かの研究設備だということは直感でわかった。しかし、それがどういった目的で建てられた施設かまでは理解の及んでいない様子のミドに、キョウマは悪戯っぽい微笑みを浮かべて言う。


「あえて私の口から告げてしまってもいいが、それでは少しドラマチックさに欠けるな。君自身、こういう場所には見覚えがあるんじゃないのかい?」


 いつもの勿体ぶったような言動に呆れつつ、ミドはガラスケースの奥へと目を向けた。

 液体に満たされた容器。その中に、何か気持ちの悪い有機的なシルエットが浮かび上がっている。その正体を見極めた途端、ミドは胃からこみ上げるものを感じた。

 人間の子供。それも一人ではない。

 四肢の至る所にチューブを差し込まれた子供たちが、まるで魂をすり抜かれた人形のように目を見開いたまま漂っていた。そのおぞましい光景は、ミドの記憶を暴力的に刺激する。


「モルモットチルドレンの……製造プラント……?」

「アタリだ。ここらの水槽に入っているのは全て、人体実験の被検体として造り出された体細胞クローンたちさ」

「こんな施設が、なんで地下に……」


 ミドは嫌悪を漂わせて室内を見回す。

 これではまるで、9年前にコスモフリートの手によって壊滅させられる前の『ダーク・ガーデン』じゃないか。こんな研究施設が、なぜ月の『LOCAS.T.C.』本社の敷地内に存在している……?

 ただ増えていくばかりの疑問を募らせていると、キョウマは白衣を翻して部屋のさらに奥へと向かう。


「さあ、こっちだ。そこに君と逢わせたい者が待っている」

「誰なんだよ、そいつは……」

「見てからのお楽しみ、というやつだ」


 キョウマの白い背中を追って、ミドは箱形のエレベーターへと乗り込む。

 コンソールにキョウマのセキュリティカードがスキャンされると、エレベーターはゆっくりと下降を開始した。


(『ゲノメノン社』……かつては『LOCAS.T.C.』の傘下企業であり、遺伝子工学や生体科学の権威とも謳われていたほどの医療機器メーカー。その裏で、人知れずモルモットチルドレンを用いた実験は行われていた)


 下から迫り上がってくるような圧迫感を身に感じつつも、ミドは自分の知り得る情報を頭の中で整理していく。


(その人体実験用コロニーだった『ダーク・ガーデン』は9年前にコスモフリートの襲撃を受け壊滅。ゲノメノンも経営難に陥り、遂には倒産という最期を迎えたはずだ。ならば……)


 先ほど見たものを思い出した途端、整いかけていた心臓が再び不揃いなリズムを刻み始める。


(あの部屋にいたモルモットチルドレン達は一体なんだ? どうしてあんな設備がこんなところにある……)


 そう考えていた矢先、急に周囲から光が差し込み、ミドはエレベーターの壁面へと目をやる。

 ガラス張りの向こう側。そこに広がっていたのは、広大なドーム型の地下空間だった。無数のコンピュータが怪しく光を灯し、その一台一台に職員らしき白衣を着た人影が向き合っている。何かのオフィスだろうか。


 少なくとも普通の施設ではないことだけは確かだった。

 先ほど見たものと同じようなが幾つも並べられている。水族館さながらの規模ではあったが、その中に入っているのは当然ながら魚などではない。


「見ての通りさ、ここはモルモット・チルドレンの研究・実験を行っているセクション。そして、君のお母様にとっては所縁ゆかりの地でもある」


 淡々とキョウマが告げ、ミドはサングラスの奥の目を大きく見開いた。

 開いた口を震わせながら、喉の奥に引っかかった激情を吐き出す。


「なんでこんな……『LOCAS.T.C.』は、どうしてゲノメノンのやっていたような真似をしてやがるんだよ……!」


 すると、キョウマは少し驚いた様子でミドの顔を見た。まるで歯車が噛み合っていないような、不自然な空気が二人の間に生じる。


「おっと失礼、君は二つほど勘違いをしているようだね」

「は……?」


 その言葉にミドは少し辟易した表情になる。

 彼の懸念を肯定するように、キョウマは淡白な調子で続けた。


「一つ。君はどうやら9年前の時点でゲノメノンが潰えたと思い込んでいるようだが、それは誤った認識だ。ゲノメノンの研究は、水面下で


 告げられた真実を前に、ミドはつい閉口してしまう。

 ゲノメノンの実験場だったくだんの違法コロニー『ダーク・ガーデン』は、コスモフリートが証拠隠滅爆弾DOEボムを打ち込んだことによって、一切の痕跡を残さず焼き払われたはずだ。それでもなお、ゲノメノンの残党がまだ残っていたということだろうか。


「そして二つ。そうだな……では敢えて私は君にこう問いかけよう。コスモフリートの襲撃を受けて歴史の表舞台から姿を消したゲノメノンが、なぜこれだけの資材と研究費を集められ、なぜこの場所で、なぜこのようなプロジェクトを存続させることができているのだろうか? ……とね」

「それは……」


 どうやら答えに至った様子のミドを見て、キョウマは不敵に笑みをこぼす。

 ちょうどその時、エレベーターの到着を示す電子音が鳴った。


「さあ、降りようじゃないか」

「…………」


 ミドたちの前で分厚い鉄製の扉が開く。

 潜り抜けると、すぐ目の前に二つの人影が立っていた。

 一人はミドと同じか少し年上くらいの少年。黒く癖のある髪は無造作に伸び、飾り気のない白のカットソーを着ている。沈鬱な雰囲気を纏いながらも、野生動物のように鋭い眼光を放つオレンジの瞳が印象的だった。


 そしてもう一人。車椅子に乗ったその男には、四肢と呼ぶべき部位が存在していなかった。

 より正確には、何らかの怪我を負って切り落とされてしまったのだろう。肩や足の付け根には、替えたばかりと思わしき新品の包帯が巻かれていた。

 そのような痛々しい状態の手足とは相反して、胸や腹についた筋肉は着せられた病衣がはち切れんばかりに鍛え上げられていることがわかる。

 悪魔のように酷い形相。闇すらも飲み込むほどの真っ黒な瞳。

 “こいつは危険だ”と、ミドの本能が訴えていた。


「彼らが君に会わせたかった者たちだ。紹介しよう」


 キョウマは仲介を買って出るように歩み出る。


「彼の名はアフマド、そして車椅子に乗っているのがフロッグマンだ」

「フロッグ……マン……?」


 『まあ、どちらもコードネームなのだがね』とキョウマは冗談めかしく付け加えたが、混乱するミドの耳には全く聞こえていなかった。

 フロッグマン。

 約二ヶ月半前、『ダーク・ガーデン』を襲ったテロリスト。

 コロニー回転の静止サイレントという災厄を引き起こした元凶。


 その男が、なんでこんな場所にいる……?

 どうしてキョウマはこんな男と連んでいる……?


 その現実が何を意味しているのかさえもわからぬまま、ミドはまるで悪夢の中にいるような心地でその場に立ち尽くした。




「……よかったのか? 医務室に残らなくて」


 アレックスを艦内の医務室に預けた後、廊下に出たデフはミランダにそう問いかけた。

 訊かれたミランダは一瞬だけ双眸を見開いたが、すぐに愛想のいい微笑みを浮かべて答える。


「先輩も疲れていますし、出来る限りエリー先輩と一緒に居たいでしょう。二人の時間をお邪魔するほど私も野暮じゃありませんよ」

「そっか……そうだよな、やっぱりあの二人……、だよなぁ……」


 デフは前々──具体的にはだいたい火星をつ直前あたり──から密かに思っていたことを口に出すと、ミランダも同調して小さく頷く。ここ最近の忙しさもあって、なかなか話題に上げ辛かったアレックスとエリーの関係ではあるが、ミランダの反応から察するにどうやら暗黙のうちに認められていたようだ。


「……デフ先輩的にはどう思います?」

「俺に聞くなよ……まあ、イイんじゃねえか? 今のアイツには、そういう心の支えってヤツが必要だろうしさ」


 デフは至って素直な感想を述べてみたが、ミランダは肯定も否定もすることなく黙り込んでしまっている。彼女の胸中を何となく悟ったデフは、あえて面と向かって言葉を投げかけた。


「……お前こそどうなんだよ、ミランダ」

「私ですか?」


 訊かれたミランダはしばらく考える素振りを見せた後、事もなげな涼しい顔で答える。


「……デフ先輩と同じですよっ。アレックス先輩ってどこか危なっかしいところがありますし、エリー先輩について貰っていたほうがこっちも安心できるってやつですよねー」

「ハァ……アレックスもそうだったが、お前も大概甘え下手だよなぁ……」

「えっ?」


 やれやれ、とデフはため息混じりに首後ろをさする。予期せぬ反応にミランダは戸惑いを見せるが、デフからしてみれば彼女が虚勢を張っているのは火を見るよりも明らかだった。


「好きだったんだろ? アレックスのこと」

「………………」


 図星を指されたミランダは、顔をうつむかせたまま言葉を失ってしまっている。その無言の反応がまさしく答えを物語っていた。

 震える喉から声を絞り出すように、ミランダは誰に対しても隠していた心中を弱々しく吐き出す。


「あれ……おかしいな。笑おうとしてるのに、涙か止まんないです……。私もまだまだ女磨きが足りなかったかなぁ……」

「我慢しなくていいっつの。お前は十分、よくやってたよ」


 彼女の一途な頑張り、それを側から見ていたデフだからこそ言える労いの言葉だった。

 その一言がトリガーとなって、せきを切ったように様々な思いが溢れ出してしまい、ミランダは唐突にデフの大きな胸へとしがみついた。


「エリー先輩のことだって勿論大好きですし、尊敬だってしてます……でも、それでも私が、私が先輩の心の支えになってあげたかった……! あげたかったよぉ……」

「ミランダ……」

「うぅっ……うわあぁぁぁん」


 小さな肩を震わせ、子供のように泣きじゃくるミランダ。傷心の彼女に対してかける言葉の一つも思いつかないデフには、背中を叩いてなだめてやることくらいしかできなかった。

 ただ一つだけハッキリと言えることは、


(このタイミングじゃ、流石にの気持ちを伝えるのは無理だよなぁ……)


 どうやらデフは、またしても貧乏くじを引いてしまったらしい。

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