第8章『乖離のミランダ 2』

 火星の地表から約1万3000キロの高度に位置する静止衛星軌道。そこに、20隻以上ものアークビショップ級からなるU3Fの艦隊が浮かんでいた。

 宇宙戦艦として製造されたこの船は、当然ながら重力下での運用などは前提とされておらず、大気圏突入能力も持ち合わせていない。その為、DSW部隊を地上へと送り込む為の降下用エントリーグライダー──スペースシャトルの底部と翼だけを切り取ったような形状をしている──が格納庫内に幾つも配備されていた。

 ヴラッドはコンドルフ・エクスターナルをグライダーの上に固定する作業を終えると、コックピットの中で出撃命令が下るのをじっと待ち構える。しばらくすると居心地の悪い沈黙に耐え兼ねたのか、同部隊の青年パイロットが秘匿回線越しに雑談を持ちかけてきた。


《よう、吸血鬼。いやぁ凄かったぜ、さっきの戦闘。大層な二つ名は伊達じゃなかったってわけだ》

「……気安くその名を口にするな。俺とて好き好んでそう呼ばれているわけではない」

《ハッ、なるほど。物騒な異名の正体はただの渾名だったってわけかい》


 青年のけらけらと笑う声は鬱陶しくもあったが、不思議と悪い気はしなかった。ただでさえ囚人という身分であるにも関わらず、アーノルドの権限によって特例的にDSWのパイロットを任されているヴラッドは、敵のみならず味方からも恐れられているような人物である。だからこそ、偏見や軽蔑もなく接してくるこのようなタイプの人間は非常に珍しく、ほんの気紛れで会話くらいなら付き合ってやっても良いだろう、と思ったまでのことだ。


《お前はどう思う? 今回の作戦》

「何がだ?」

《これから俺たちの降下する地点は、本拠地のマリネリス峡谷じゃなくてパヴォニスの基地だろう? 速攻でかたをつけるのなら、マリネリスを叩いた方が手っ取り早ぇよ》

「マリネリス要塞には対空迎撃用の砲台が無数に設置されているし、降りたところで撃ち落とされるのがオチだ。それに、パヴォニスは火星唯一のマスドライバーを所有している基地でもある。勝率を確実に上げる為にも、まずはこれを制圧することが先決だと思うが」


 大局における戦争とは大抵の場合、物量の差が勝敗を分かつ絶対条件となるものだ。要は個人や部隊の戦闘技能などよりも“どれだけ戦場に物資を送り続けることができるか”の方がよほど重要視されるべきことであり、補給物資を地上から宇宙に打ち上げるためのマスドライバー施設を優先的に目標とするのは、理に適っているといえるだろう。


《果たしてそうかねぇ……? 奴らインデペンデンス・ステイトの本領はゲリラ戦だろ。下手に戦闘を長期化させりゃ、分が悪くなるのはこっちだと思うがな》


 青年の意見もまた一理あるというのも確かであった。

 “火星解放戦線”当時、U3Fよりも物量で圧倒的に劣っていたインデペンデンス・ステイトは、地形を熟知した巧みなゲリラ戦術によってその戦力差を覆したのである。出鱈目な話ではあるが、そんな相手に対してセオリー通りの戦法で挑むのは少しばかり危険ではないだろうか。彼の主張は、つまりそういうことである。


「そんな些細なことなど、俺の力でどうにでもなる」

《おっ、言うねぇ》


 青年は冗談めかしく鼻で笑ってみせたが、直後に改まった口調で意味有り気に呟く。


《だがよ、これはお前自身の“戦術”の話じゃなく、“戦略”の話だぜ。なんか妙だとは思わねえか》

「何が言いたい」

《いくら増援がこっちに向かって来てるからって、たった20隻分ぽっちしかないこの戦力で降下作戦なんて始めるかフツー》


 その違和感については、ヴラッドも薄々感づいていたことではあった。

 仮にも一大国家級の戦力を有するインデペンデンス・ステイトとの決戦だというにも関わらず、現状の戦力では些か不十分過ぎる気がしないでもない。いくら先行部隊の自分たちが斬り込み役を任されているからといって、本格的な侵攻を開始するのは本隊が到着してからでも遅くはないだろう。


「第一陣の俺たちが、陽動の囮にされているとでも?」

《少なくとも、俺はその線を疑ってるがね。そこでどうだい旦那、頃合いを見て俺と一緒にズラがるってのは》

「なるほど、貴様が言わんとしていたのはそういうことか……」


 作戦の全貌を知らされぬまま、囮として散々戦わされた挙句に切り捨てられるというのは、軍ではよくある話だ。

 確かに上官の命令に忠実であるというのは軍人の義務でもあるのだが、だからといって“戦って死ね”と命令されてしまえば、末端の兵士としてはたまったものではないだろう。

 だが、ヴラッドにとってそのようなことは眼中にない、些細な問題であった。


「世迷言を……実にくだらん。上の人間がどのような策を講じていようと、俺のやるべきことは変わらない。ただ敵をほふり、屍をべるだけだ……」


 自分自身の喉元へと杭を打ち込むように、ヴラッドは口先を釣り上げさせながら言う。

 例え陰謀の渦に自分が巻き込まれているのだとしても、彼には関係のないことであった。“ヴラッド=デザイア”の名を与えられたその日から、“英雄”になる為の道をひたすら進み続けると決めている。

 これまで奪ってきた多くの人々からゆるされるためにも、自分は“吸血鬼”であり続けなければならないのだから……。


《ン、そう言うなら別にいいけどよ。俺にはお前さんが、なんか無理してるように見えるのは気のせいかねぇ》

「何だと……?」


 まるでこちらの胸の内を見透かされたような鋭い言葉に、ヴラッドは思わず動揺してしまう。

 『無理をしている』だと?

 そんなはずはない。人としての情など、とうの昔に捨て去っているというのに。


「おい、それはどういう……」

《おっと、話の続きは後回しだ。そろそろ降下作戦の開始だそうだぜ》


 青年に言われてしまい、ヴラッドは止む無く秘匿回線による会話を中断させる。

 格納庫のハッチが開け放たれ、眼下には赤く焼けた惑星が延々と広がっていた。きっとこの大地の上にも多くの人々が暮らし、笑いあっていることだろう。


 これまで懸命に生きてきた命。これから無慈悲に吹き飛ばされる命。

 自分が、その引き金を引く。


「ククク……クハハハ……」


 血液を循環する黒い衝動に駆られ、ヴラッドはコックピットの中でひとわらう。

 この麻薬のような狂気がやがて全身を満たせば、どれだけの破壊を繰り返そうが愉悦と感じられるようになれる。自分は“吸血鬼”であると言い聞かせることで、何処までも強く残酷非道自分でいられるのだ。

 迷いなど、絶対に有りはしない。


《進路クリア。全機、降下開始して下さい》

「ヴラッド=デザイア。コンドルフ・エクスターナル、でる……ッ!!」


 オペレーターからの出撃命令が下ると、まるで心の奥底にある感情から目を背けるように、ヴラッドはエントリーグライダーにまたがる愛機を押し出した。

 

「突入角度調整。自動姿勢制御オン。BSCニュートラルへ……」


 重力に引かれ落下していくコンドルフは、断熱圧縮より次第にグライダーの下端を灼熱させていく。その間にもヴラッドの視線はサブモニターの数値群に注力され、指は休む間も無くコンソールを弾き叩いていた。

 どうにか安定した突入姿勢を取ることに成功し、ヴラッドは僅かに口元を綻ばせる。これであとは大気層に突入した際に生じる空力加熱もグライダーが耐えてくれるため、逆噴射をかけて減速することさえ怠らなければ燃え尽きることなく地上へ降りることができるはずだ。


 しかし、


《ぐあああああああああああっ!!》

「──ッ!」


 味方機からの声にならない断末魔が響いた。ヴラッドはすぐに斜め後ろを振り向く。同じく降下中であったソリッドが、地上からの迎撃用レーザーの砲撃に撃ち貫かれ、盛大に燃え散っていくのが見えた。

 吹き飛ばされたソリッドの破片が、コンドルフを追い越し物凄い速度で落下していく。異常加熱により先端をオレンジ色に輝かせ、やがて流星となって虚空へと消えた。


 一歩間違えれば、自分もああなってしまうかもしれない。


「クハハハッ……! それでいい、いずれ英雄となるであろう俺を祭り上げるにお誂えの舞台ではないか……ッ!!」


 死と隣り合わせの戦場。ヴラッドにとって、そこへ赴くのは本望であった。

 続けさまに2度、3度と起こる爆破を背中越しに感じながらも、しかし振り向くことはなくエントリーグライダーの操縦にのみ意識を集中させる。

 先程まで赤い惑星の表面に散りばめられた細かい粒のようだった雲も、今は濃い霧のように周囲の視界を遮っている。既にここはもう宇宙空間などではなく、重力と大気が存在する火星の遥か上空だった。

 現在の高度は約500キロメートル。それまで球体の表面でしかなかった大地も、大まかな地形を把握できるまでには迫ってきている。そしてすぐ真下でDSW部隊を展開させながら構えているのは、自分達の制圧目標でもあるパヴォニス基地……そして、火星住民にとって生命線でもあるマスドライバーだ。


 やがて基地施設の広がる山頂が眼前にまで差し迫る。それでもコンドルフは減速をかけることなく、猛スピードで斜面へと突っ込んでいく。基地に配備されたギム・デュバルの射撃をグライダーで受け止めつつも、ヴラッドは衝突の寸前で思いっきりフットペダルを蹴り込んだ。


「グライダー、分離パージだ! 避けんと当たるぞォ……ッ!」


 彼の雄叫びと共に、グライダーとの接続を解いたコンドルフが頭上へと跳び上がる。騎乗者を失ったエントリーグライダーはそのまま一機のギム・デュバルへと突っ込んでいき、衝突。機体は瞬く間に爆散した。

 あまりにも唐突な奇襲戦法を受けてたじろいでしまっているギム・デュバルの編隊に対し、続けざまに二度、三度とショットガンを放つ。反応の遅れたギム・デュバルらは次々に装甲を散弾で撃ち貫かれていき、燃え盛る炎へと飲まれていった。


「クハハッ! まるで狩りハンティングだな……!」


 業火の如き爆発を背に、コンドルフが山頂へと着地する。周囲を見回すと、どうやら他の味方機たちも続々と着陸している様子だった。


(なに、マスドライバーを破壊するわけではないさ。あれは元々、U3Fこちら側の所有物なのだからな……)


 レーダーに敵機の機影を見つけ、ヴラッドは機体を振り向かせる。コンドルフの鋭い双眸に睨まれたギム・デュバルたちは、搭乗者の恐怖からか思わずたじろいでしまっていた。


(ただ、障害となる敵DSWは一機たりとも残さず斬り殺し、撃ち滅ぼしてやるまで……。そうとも、これは俺から貴様たちへと与えし──)


 機体に膝を曲げさせ、脚を踏ん張らせる。


「──裁きだッ!」


 刹那、コンドルフは弾けるように眼前のギム・デュバル部隊へと飛びかかった。

 “エクスターナル”へと生まれ変わったことにより弾丸の如き速さを得た緋色の軌跡は、なんと一瞬で敵機との距離を詰めてしまった。ギム・デュバルへとコンドルフ脚部のラプターネイルによる蹴りが叩き込まれ、腰部を爪で挟み込んでねじり切る。さらに引き撃ちに徹しようとした敵機には実体剣“スパーダ”を投げ付けて串刺し、無謀にもヘッジホッグを抜いて向かってくる愚かな敵たちに対しては、2対もの“クアットロ・ギロティーナ”が繰り出す斬撃をお見舞いしてやった。



──『街で人を殺せば罪となるが、戦場では殺した数だけ英雄になれる』……ねぇ。あの囚人のガキ、本当にそんな戯言を信じてるのかね?


──まさか、ただ殺す口実が欲しいだけだろう。奴はどう見たって快楽殺人者だ。要するに、異常なんだよ。



 先ほど投擲したスパーダを再び引き抜き、群がる敵機を通り魔のように斬り伏せていたその時、ふとヴラッドは過去に浴びせられた陰口を思い出していた。


(快楽殺人者、戦闘狂、吸血鬼……だと……?)


 左右から挟み撃ちを仕掛けてきた2機のギム・デュバルを両側のギロッティーナで掴み止め、フルスイングで他の敵機へと投げ飛ばす。連鎖的に起こる爆発の光が、ヴラッドの歪に裂かれた口元を赤く照らした。


(……ああ、そうさ。俺は今、たのしくて仕方ないィ……ッ!)


 上唇を舌でなぞる。身体中の血液を駆け巡るような闘争本能の昂りが、彼をそうさせていた。


「さあ、もっと臓物を晒せェ……! 肉塊も体液も、全て飛び散らせろォ……!」


 まるでオーケストラを支配する指揮者のタクトのようにスパーダを振るい、目に映った標的を片っ端から切り捨ててまわる。赤紫色の残光を引くコンドルフの瞳は、まさしく血肉に飢えた猛獣。

 否、悪魔のそれであった。


「貴様ら雑兵は、ただ俺自身の愉悦を満たす為だけに命を刈り取られるのさ……! そう、俺は──」


 残された最後の一機は、コンドルフの猛攻に恐怖を感じたのか、こちらに背を向けて逃げ出してしまった。しかし、コンドルフは即座に正面へと回り込むと、左手に握る剣を頭上へと振り上げた。


「──“ヴラッド=デザイア”だ」


 冷たく重い刃が振り下ろされ、ギム・デュバルを両断する。コックピットのある胸部を裂かれたギム・デュバルはそのまま膝をつくと、力なくその場に倒れた。


《敵基地司令部の投降を確認。制圧作戦は成功です》

《……だ、そうだ。生きてるかい、旦那》


 オペレーターの事務的な報告に続いて、出撃前に言葉を交わした青年パイロットの声がスピーカーから発せられる。

 我に返ったヴラッドは全天周囲モニターを見渡す。コンドルフに薙ぎ払われた幾多ものDSWの亡骸が、そこら中に朽ち果てていた。

 それらは装甲の隙間から炎を燃え上がらせ、空を黒煙で濁していく。まるで搭乗者の怨念が込められているかのような光景を目の当たりにし、ヴラッドは思わず身慄いした。


「……生きているさ、俺を誰だと思っている」


 先ほどの青年からの通信に対し、ヴラッドは言葉を返す。

 その名を口にするのは、今日は2度目だった。



《全員とも揃ったな。オーケイ、じゃあ改めて作戦を説明する》


 静寂と深い闇に包まれる夜の火星の空に、一機の輸送機が飛ぶ。その格納庫に佇むDSWの中で、コックピットシートに座すミランダはスピーカーから流れる小隊長マークの声に注意深く耳を傾けていた。


《現在、パヴォニス山頂にあるマスドライバー基地が、降下してきたU3Fの部隊から攻撃を受け、そして制圧されちまった》


 話を聞きつつ、ミランダはサブモニターに映されたマップに目をやる。

 目的地でもあるパヴォニス山は、火星の赤道近辺にある標高約21000メートルもの巨大な死火山だ。ここもマリネリスやクリュセと同様、テラフォーミングの一環により人口の手が加えられ、今は宇宙との架け橋となるマスドライバーが設けられている。


《遺憾だが、上はパヴォニス基地を一旦放棄すると決定した。そこで俺たちの目標は、友軍の撤退を遠距離から支援すること……つまり、安全圏までのエスコート役を任されたってわけだな》


 要は、自分たちの頑張り次第で友軍部隊の命運が左右されるということだ。逆に言えば、作戦の失敗はそのまま味方の死へと直結してしまう。背負った責任の重さに尋常ではないプレッシャーを感じ取ってしまい、ミランダは思わず息を飲んだ。


《怖いか?》

「あっ、いえ……少し」


 ミランダが通信を返すと、マークは基地にいた時となんら変わりのない砕けた調子で笑ってみせる。


《まっ、気負うのもほどほどにな。たった今“フォックスおれたち”に求められているのは味方の命を尊ぶことじゃあねえ。ただマシーンのように敵を射抜くこと、それだけに徹していればいい。どうだ、そう考えると、ちったぁ楽だろ?》

「機械のように……ですか。なるほど、参考になります」


 それは、狙撃手にとって最大の資質であるともいえた。数十キロ単位での狙撃というものは、いわば糸を針穴に通すような繊細な作業である。動揺や無鉄砲さがそのまま照準にも影響してしまうため、機械のように無心を保てというマークの言葉は納得に値するものであった。


《プクク……グッハッハッハ!!》

「……? 何かおかしいこと言いました?」


 予想していなかった反応に、ミランダはつい怪訝そうな表情を浮かべてしまう。ようやくスピーカーを裂くような品のない笑いが治ると、マークはどこか嬉しそうに応えた。


《はーっ、悪い悪ィ。お嬢ちゃんが相変わらずタフだなぁと思ってよ。初陣とはいえ、その調子なら心配なさそうだ》

「タフですか、私」

《そりゃあな。“機械のように心を切り離して撃て”なんて言葉にするのは簡単だが、新兵でいきなりそれを実行できるのはお前さんくらいのもんさ。なあ、ロマリオ?》

《全くです。これほどの逸材が敵側に回らなくて本当によかったですよ》


 会話を振られたロマリオは、何とも感慨深そうな穏やかな口調で言う。すると、それを台無しにするかのごとくマークが続いた。


《まっ、まだ磨かれてない原石だけどな。そこでどうだい、この作戦が終わったら俺と手取り足取り……》

「はぁ……マークさんも男磨きが足りなさ過ぎですね……。プレイボーイ気取りとか、かなり見っともないですよ」

《なっ……! おいこらミランダ、これでも一応俺はお前の隊ちょ……》

《私も同意見ですね。隊長は女性の扱いをもっと心得るべきだ》

《完敗だな、隊長》

《てめぇらなぁ……ちったぁ上官を敬いやがれっ!》


 ジキルやロマリオといった長い付き合いの戦友にまで揚げ足を取られてしまい、しかしマークは満更でもなさそうにわざとらしく語気を荒げる。

 司令部のオペレーターからの通信が入ったのは、ちょうどその時だった。


《まもなく輸送機は作戦領域に到着します。フォックス小隊の各機は、直ちに降下の準備をしてください》

《だ、そうだ。輸送機を降りた後、各狙撃ポイントまではそれぞれ徒歩で向かってもらう事となる。野郎ども、準備はいいな?》

フォックス2ジキル機、いつでもいけるぜ》

フォックス3ロマリオ機、問題ありません》

《野郎じゃないですけど……フォックス4ミランダ機、いけます》

《よし……全機、発進準備だ。慣性制御を怠るなよ?》


 輸送機後部にある格納庫のハッチが開け放たれる。夜はすでに更けきっており、辺り一面を暗闇と静けさが支配していた。

 昼間は赤いはずの地面も今は青く染まり、生身の人間なら震え上がってしまいそうな冷たい風が吹き付けている。暖房の効いたDSWの操縦席にいなければ、もしかしたら凍え死んでいたかもしれない。


(そうだ、戦場ここで私の命を守ってくれるのは、この機体だけなんだ。そして、この機体を操れるのは私だけ……)


 ミランダはパイロットスーツ越しの細い手で操縦桿を握り、ゆっくりと瞳を閉じる。

 瞼の裏に映るのは、出撃前に淡い恋を告げた少年の姿だった。


(もう、守られるだけの私じゃない。だから、私は──)


 胸の奥にある熱い感情を自ら切り離すように、ミランダはそっと指先を引き金に添える。硬く冷たい感触が、不思議と彼女を冷静でいさせてくれた。


《全機、降下開始!》


 マークの掛け声と共に、これまで格納庫に膝をつけていた“ISM-87 フーリーウェイ”が順々に外へと放たれていく。フォックス3ことロマリオ機の射出も終わり、次はいよいよミランダの番だった。

 覚悟を決め、再び瞼を上げる。


「4号機、出撃します!」


 刹那、背中から猛烈なGがグッと襲いかかってきた。彼女の乗るフーリーウェイが床面のリニアカタパルトを伝って、格納庫後部のハッチへと後ろ向きのまま押し出されたのだ。

 空中に投げ放たれる形となったフーリーウェイの中で、それでもミランダは冷静さを微塵も損なわずに、手元のボタンを決められた順番で弾いていく。


 次の瞬間、コマンドを受け付けたフーリーウェイの全身が大きくうごめき始めた。

 まずは胴体部中心にある軸が縦に半回転し、次いで前腕部のスリットからはひづめのような形状をしたパーツがせり出てくる。逆関節の脚部も同様に変形し始め、股関節は大きく横に展開し、臀部にあった“フォックステイル・スナイパーカノン”の巨大な砲身は股下へと移行していく。

 かくして人型から大きく逸脱した銀色のDSWは、を踏ん張ってパヴォニス山頂付近の荒れた大地へと降り立った。

 その姿はまさに、体毛の代わりに装甲を纏った四足獣。狙撃戦特化機体として開発されたフーリーウェイだけが持つ、重力下高速移動形態への変形機構だった。


(──私は、道化にだって成り果ててやる……)


 人の姿であることを解き、獣の姿へと戻った美しき狐は、銀の疾風はやてとなって地を蹴り夜闇を駆け抜けていった。

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