チャーリーの背中

第1章『チャーリーの背中 1』

「──ラッド。起きてください、ヴラッド」


 耳元で誰かが自分の名前を呼んでいる。

 その声にヴラッドは暗い悪夢の底から浮かび上がると、重い瞼をゆっくりと開いた。

 霞む視界に二つ人影が映る。覆っていたもやが徐々に晴れていき、軍服を着た中年将校と囚人服の少女が横に立っていることをようやく認識することができた。


「アー……ノルド……。ここ……は……?」

「安心してください、我々の母艦ですよ」


 軍服姿の男性のほう──アーノルド=ルドウィックが落ち着いた笑みで言う。周囲を見回すと、確かにここはアークビショップ級の治療室だった。ヴラッドの体は医療用カプセルの中に寝かせられており、外界とはガラスを隔てて隔離されている。


「おっと、今はどうか安静を心がけていてくださいね。あなたは18時間も宇宙を漂流し続けて、軽い酸素欠乏症にかかっているのですから。スペーススーツの酸素残量もとっくに底をついていましたし、生きていることが奇跡的なくらいです」


 言われ、これまで曖昧だった記憶が段々と蘇ってくる。

 ヴラッドは“ファントマイル”を駆り、宿敵チャーリー=ベフロワとの死闘を繰り広げた。結果的にギム・デュバルの撃墜には成功したものの、それ自体がチャーリーの仕向けた囮であり、コックピットに入り込まれた挙句ヴラッドは宇宙へと放り出されてしまったのだ。


 そこから先の記憶は、とにかく恐怖と絶望の色で塗りつぶされている。

 延々と広がる深淵を見つめながら、無重力帯の海をただ流されていく感覚。そこに一切の救いはなく、あるのは虚無にも似た冷たさのみ。あの時のことを思い出すだけで、全身が震え出す。

 怖い、怖い、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ、コワイ……。


「あぁ……ああああ……ッ!!」

「落ち着くのです、ヴラッド」


 気遣わしげなアーノルドの声に、ヴラッドはどうにか我を取り戻す。荒い息を整えながら呆然としていたそのとき、こちらを憐れむように見ていた少女と目が合った。


「貴様は……?」


 問いかけると、少女の代わりにアーノルドが応える。


「ああ、あなたを救助したミリア=マイヤーズ准尉です。彼女が見つけていなければ、君は今ごろ宇宙の藻屑となっていたところですよ」


 つまりヴラッドはこのミリアという少女のおかげで、幸運にも命を拾うことができたらしい。


「そうか、それは面倒をかけたな……」

「礼には及ばないわ。あなたを見つけられたのだって、ただ運が良かっただけだもの」


 そう言い放ったミリアの首には、ヴラッドと同様に爆弾付き首輪が嵌められていた。おそらく彼女もまた、アーノルドから“力”を授かった者の一人なのだろう、とヴラッドはおおよその事情を察する。互いにへと向ける眼差しは、同情にも似た慈悲深さがどことなく宿っていた。


「さて、ヴラッド=デザイア中尉」


 アーノルドはわざとらしく咳払いをすると、改まってヴラッドへと話し始める。


「病み上がりのところ申し訳ありませんが、君に転属命令がかかっていましてね」

「転属だと? それは何処へ……」

「隣の艦ですよ。貴官には火星行きの艦隊と行動を共にし、作戦に参加していただきます」


 “火星”という単語を聞き、ヴラッドは眉根を僅かに寄せる。

 それはすなわち、U3Fが以前から企てていた“火星圏侵攻作戦”にヴラッドも戦力として投入されるということだ。


「ク……クハハハ……」


 ファントマイルを敵に奪われてしまったヴラッドの、事実上の最前線への左遷。しかし彼はそれを理解した上で、身体の底から込み上げてくる確かな悦びを感じていた。


「つまり、俺はより多くの敵兵を殺せる舞台ステージに立てるというわけだ……」

「ン……まあ、そう受け取ってもらっても構いませんがね。出発は明朝の05;00、それまでに機体の搬入作業を……って、聞こえていませんね」


 苦笑するアーノルドの顔も、もはやヴラッドの赤い眼には映っていない。彼の意識は、自分にこれほどまでの恐怖を味わわせた仇にのみ執着していた。


「火星か。そこでならば、間違いなく貴様ともまた巡り会えるだろう……。再会の時を楽しみにしているぞ……ククク、クハハハハハハハハハッ!!」


 壊れたおもちゃのように、ヴラッドが嗤う。

 その様は明らかに正常ではない。宇宙漂流という恐怖体験により荒んでしまった精神が、彼の不安定さに拍車をかけているのだ。


 罪を償うために吸血鬼と成り果てた少年は、もはや血を求める理由すらも忘れてしまっていた。





 前を歩くアーノルドの背を追いながら、自身もそれに続いて艦内の廊下を移動していく。その間にもミリアは、この男をどのような手段・タイミングで“切り捨てる”かということにのみ思考を注力させていた。

 今でこそ彼の部下として扱われてはいるものの、別に心から忠誠を誓っているわけではない。こうして“力”が手に入った以上、頃合いを見て彼との縁も断ち切ってしまおうと考えていた。


「私を殺そうと思うのは勝手ですが、私の敵に回るのはあまり得策ではありませんよ。ミリアちゃん」

「………………」

 だが、どうやらこの男には腹のうちなどとっくに看破されていたようだ。そればかりか、いずれこちらが手を切る前提で語りかけてきた。

 これでは完全にアーノルドの術中にはめられているようだ。ミリアは嫌悪感を抱くも、しかし表情には出さずにアーノルドへと問いかける。


「“いま”っていうのはどういう意味。まるで後にチャンスが訪れるとでも言いたげだけど……」

「ああ、それについてもお話ししておく必要がありますね。少々お時間をいただくことになりますがよろしいですか?」

「私に拒否権なんてないんでしょ。構わないわ」


 ミリアの素っ気ない返事にアーノルドはほくそ笑むと、歩く足を止めて身をかえす。横の船窓からは、ちょうど格納庫の全体が見渡せる場所だった。

 その最奥に佇む機体──頭部に女神像をかたどった黒いDSWに目をやりながら、アーノルドはミリアに話し始める。


「本艦はこれより、火星ではなく“月”へと向かいます。これから執り行われるの、供物くもつを届けるためにね」





 戦場から生還したDSWたちの収容が完了し、作戦は無事に終了した──はずだった。

 すでに戦闘態勢が解かれた後にも関わらず、格納庫ではスペーススーツを着込んだ整備班の人間達が慌ただしく駆け回っている。彼らの注意を集めているのは、船員達にとって見慣れぬマリンブルーの機体──“ファントマイル”だ。


「冷却装置の強制稼働、急いで! ……ああ!? 外部から無理矢理にでも作動させろって言ってんだよ!」


 アルテッラの怒号が冴え渡る。彼女の指示で動くのはインデペンデンス・ステイトとコスモフリート、その両方の人員だ。双方のメカニックらは所属に関係なく、一丸となってこの“動力炉の暴走によるオーバーヒート”という緊急事態の収束にあたっていた。


「ナナキ隊長!」

「サクラか!? 危険だ、念のため格納庫から離れていたまえ!」


 ナナキは咎めたが、それでもサクラは聞かずにこちらへと詰め寄ってくる。彼女にとっては意中の相手が危機に瀕しているようなものであるため、ナナキは心中を察してそれ以上制するようなことはしなかった。


「チャーリーの姿が何処にも見当たらないんです! まさか……」

「ああ、あいつはまだファントマイルの中だ。どうやら機体のシステムがダウンしてしまっているらしく、内側からコックピットが開かないようなのだ……」

「そんな……チャーリー……!」


 サクラは顔面を蒼白させながらファントマイルを仰ぐ。いくら耐熱性のあるパイロットスーツを着ているとはいえ、コックピット内の温度はおそらく100℃を超えている。これ以上事態が長引いてしまえば、チャーリーの身体が保たないだろう。

 それだけではない。もしこのままリアクタの臨界を止めることができなければ、戦艦ごと巻き込んでしまうほどの爆発が起こりかねないのだ。


「なんで、こんな事に……」

「おそらく連中も、まだリアクタが不完全な状態で実戦に投入したのだろう。そのしわ寄せが私達にまで及ぶことになるとは、皮肉なものだがな」


 如何にこのファントマイルという機体が不安定な代物であるかは、外見からでも十分に伺い知ることができた。このDSWは“ホロウ・ブラスト”発射直後の急激な温度上昇を防ぐためだけに、全身に冷却装置を積んでいるような機体だ。過剰なエネルギーによる発熱問題を解決できなかった開発者の、苦肉の策と言ってもいいだろう。


「り、リアクタの暴走が原因なら、緊急停止させればいいんじゃ……」


 サクラは藁にもすがる思いで呟くが、ナナキは首を横に振る。


「いや……反物質の生成と対消滅の循環で成り立っている“アンチマター・リアクタ”は、一度停止させると再稼働できなくなる可能性が極めて高い。熱を逃がすには、外から徹底的に冷やす他にないだろう」

「そんなこと言ったって……」


 リアクタの爆発に巻き込まれてしまえば元も子もない。サクラはそう言いかけたが、寸前で言い淀んだ。

 もしこのままリアクタを停止させてしまえば、せっかく手に入ったファントマイルは二度と起動できなくなってしまうかもしれない。そうなってしまえば、この機体に命を散らされた小隊員たちの犠牲までもが無駄になってしまうのだ。


(でも、別にこの機体が使えなくなったっていいんじゃ……)


 そもそも自分たちの目的は、アンチマター・リアクタ搭載機であるファントマイルを、U3Fの手に渡らせないことであった。結果として奪取することに成功したとはいえ、当初は目的成功のためであれば、機体を破壊することも視野に入れていたはずである。


 だが、現状はどうだ。

 インデペンデンス・ステイトは自軍にて研究、ないし運用するために、リアクタの安全確保に躍起になっている。それでは、U3Fのやっていることと変わらない。凶器を手にする者が入れ替わるだけだ。

 それが軍属として当然の行動であることは、無論サクラにもわかっている。自軍の勝利に貢献する為ならば、戦力の増強にも進んで取り掛かるべきだ。


 しかし……あのモーティマーをして『人類の手にあまる力』と言わしめたほどの松明たいまつを、果たして手にしてしまってもよいのだろうか。


 珍しく頭を悩ませていたサクラであったが、目の前の事態の変化によってその思考は中断された。システムダウンを起こしていたファントマイルを再起動させることに成功し、各部の放熱板や冷却装置が駆動し始めたのである。


「よし! コックピットハッチ、強制解放だ……ッ!」


 キム=ベッキムの合図と共に、機体腹部のハッチが外部操作によって開け放たれた。コックピット内に充満していた蒸気が溢れ、救護班の何人かが搭乗席へと駆け付ける。中から引き上げられた搭乗者──チャーリー=ベフロワは手際よくストレッチャーに乗せられると、すぐさま治療室へと向けて運び出された。


 すれ違う瞬間、サクラはチャーリーの顔を覗く。

 ヘルメットを脱がされた彼の顔色は沸騰したように紅潮しており、全身からも滝のように汗を流していた。辛うじて呼吸はしているようだが、それでもこのままでは危ない状態だろう。


(チャーリー……。お願いだから、死なないで……)


 格納庫の出口へと消えていく担架を見届けながら、サクラは張り裂けそうな胸に手を当てた。



 アンチマター・リアクタ搭載機“ファントマイル”の強奪作戦を無事に成功させたルビゴンゾーラ級戦艦“アルゴス”は現在、インデペンデンス・ステイトの本拠地である火星に向けて航路を進んでいた。

 火星近辺の宙域はインデペンデンス・ステイトの縄張りテリトリーということもあって敵艦隊と遭遇するようなことはなく、乗組員たちは束の間の休息を得ている。

 だが、心の傷はそう簡単に癒えるものではない。ましてや父親と妹を同時に失ったともなれば、その深い悲しみを拭い去ることは難しいだろう。

 それでも、どうにかして彼を元気付けてあげたい。そのような淡い想いを抱いて少年の部屋を訪れたのは、彼を慕う後輩のミランダ=ミラーだった。


「先輩、起きてますか? 昼食を持ってきましたけど……」


 インターホンに呼びかける。が、ドアの向こうから返事はない。

 前回の戦闘が終わってからというもの、彼はずっとこのような調子だった。

 昼夜問わず部屋に引きこもっており、食事に誘っても一切顔を出してくれない。そのような居た堪れない状態の彼に対し、ミランダら友人たちがどう接すればいいのかわからなくなってしまっているのも、また事実であった。


 大切に思われているからこそ、仲間たちから腫れ物に触れるように扱われ、その結果として少年はより孤立していってしまう。こんな悪循環は、もう終わりにしたかった。

 ミランダは覚悟を決めると、『入りますよ』とだけ伝えて目の前のドアを開く。幸いにも、ロックはかけられていなかった。


(友達なら、慰めてあげられないのかもしれない。でも、それ以上なら……)


 勇気を持って、部屋へと一歩を踏み込む。室内は照明が一切点けられておらず、暗闇の中で亡霊のようにうずくまる影があった。


「みんな心配してますよ、先輩」


 背後で自動ドアが閉じる音を聞きつつ、ミランダは部屋の明かりを点ける。彼女に呼ばれた少年──アレックス=マイヤーズは、やつれきった顔をゆっくりと上げた。


「ミランダ……」


 そのサファイア色の瞳はひどく虚ろで、以前のような力強さを秘めた光は宿っていない。触れれば崩れてしまいそうな儚ささえあったが、ミランダは脚の震えをどうにか堪えて言葉を紡ぐ。


「モーティマーさんが言ってました。『後ろを振り返ってもいい。でも、歩みは止めるな』って。先輩は、いつまで立ち止まっているつもりですか」


 ミランダ自身、あまりにも酷な言葉を浴びせているものだと思った。

 だが、こうでも言わなければ、アレックスは塞ぎ込んだままになってしまう。それでは彼自身の為にも、ミリアの為にもならないのだ。


「なにが、『歩みは止めるな』だ。僕の気も知らないで、偉そうに……」


 アレックスの拒絶が胸に突き刺さる。それでもミランダは、彼に喝を入れる為に歩み寄っていく。同情する心と口を徹底的に切り離して、現実と向き合わせようとした。


「偉そうなのはそっちです。自分の信念を貫いていた勇敢な先輩は何処に行っちゃったんですか。モーティマーさんだって、それは望んでいな……」

「うるさいんだよッ!」


 アレックスの叫びが、ミランダの声を掻き消した。


「君も父さんも……俺に勝手な理想を押し付けるなッ! 『歩みは止めるな』だと……? なら、間違いだとわかりきっているこの道を進み続けろっていうのかよ! それで何になる……? 今更なにかをしたところで、父さんの命やミリアの壊れた心は、もう……戻ってこないじゃないか……!」


 彼の主張に対して、ミランダは何も言い返すことができなかった。それと同時に、今までの自分の発言を後悔してしまう。

 ミランダはモーティマーやミリアの犠牲を無駄にしない為にも、アレックスを立ち直らせようとした。だが、どうやら彼にとっては禁句だったらしい。


 アレックス=マイヤーズは非暴力を美徳とし、戦場でも不殺を貫いてきた少年だ。たとえそれが歪な願いだったとしても、根底にあるのは優しさである。

 そんな良心を持った彼だからこそ、自分の信念によって生じてしまった責任を受け止め、打ち拉がれてしまっているのだ。

 もはや今の彼に『この道を進み続けろ』とも、『引き返してもいい』などと言うことさえもできない。そのような権利はミランダにも、そして当のアレックス自身にもなかった。


「せんぱ……」

「帰ってくれないか。悪いけど、今は誰とも話したくない……」


 そう言って、アレックスはこちらに背を向けてしまう。

 肩越しに覗く彼の表情は、ひどく寂しげに見えた。


 ──もし、自分がこのまま彼の背中に抱きついてしまえば、彼の悲しみも受け止めてあげることができるのではないか。


 女としての性が一瞬、ミランダをつき動かそうとした。

 が、そうはせずに踏みとどまってしまう。

 それは気恥ずかしさからでもあったが、それ以上に、意中の相手に対して何もしてやれない自分を悔やんだからだった。

 きっと彼を愛撫で奮い立たせる資格など、今の自分にはないのだろう。


「……ご飯、ここに置いときますからね」


 それだけ言い残して、ミランダは踵を返した。





 かくして、メギドの炎と神の器をのせた方舟は、多くの傷痕やわだかまりを抱えたまま、デブリの海を突き進んでいく。

 そして数日間に渡る航海の後、彼らはようやく辿り着いた。


 赤き大地が広がる人類第二の故郷、太陽系第四惑星“火星”へ──。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る