第31話 色めく世界に、凍えた死の化粧を


 大洪水の爪痕は、凄まじいものがあった。


 半壊した霊子庭園の様子を、草上ノキアは建物の屋上から、冷え切った目で見下ろしていた。


 大地がえぐれ、民家が横倒しに崩壊し、瓦礫が散乱して、見るも無残に水浸しになっている。現実で同じことをやれば、きっと何千人という死者を出す大災害となっただろう。


 そんな光景を前に、ノキアはボソリとつぶやく。


「……これで壊れるほど、やわな霊子体じゃないよね」


 それは確信に近い言葉だった。


 襲撃の舞台に霊子庭園を選んだのは、単純にやりすぎても大丈夫なようにだ。

 現実世界では、魔法など使わなくても、刃物で刺せば簡単に大怪我を負わせてしまう。加減を間違えれば、あっさりと死んでしまうのが現実だ。

 しかし、霊子体相手ならば、相手を殺さずに、精神だけをなぶり続けることができる。


 そのために、ノキアは出来る限り、アヤネの霊子体を頑丈に作っていた。


 霊子庭園では、基本的に霊子体の情報は本人が作ることになる。しかし、毎回一から設定を行うのは手間なので、学園などの施設では、事前に身体情報を登録しておくことが多い。ノキアはそこから久我アヤネのデータを盗み出し、利用していた。


 肉体との同調比率や、痛覚情報を最大限にまで引き上げた、違法設定。

 この仮想の異次元においても、死の危険を覚えるように、霊子体の設定をした。


 けれど、本当に殺しはしない。

 あくまで、ノキアの目的は別にある。


「限界まで相手をしてもらうよ……アヤネさん」


 ノキアは身の丈ほどの杖型デバイス『アルスマグナ』を構えて、組み立て途中だった魔法式を完成させる。


 本来は六工程だが、条件が整っているので一工程を省略する。

 体中から大量の魔力がデバイスに吸収されて、起動の言葉とともに、周囲へと拡散されていく。



「『止まれフリーズ』『固まれフリージング』『凍てつけフローズド』――『大寒波よコールドウェイブ』『氷河を築けスプレッドグレイシャー』」



 先程の大洪水のお陰で、街中が水浸しになっている。

 条件が整った場所に向けて、ノキアは広範囲に冷気を振りまいた。



「――『色めく世界に、凍えた死の化粧をデッドエンド・アイスエイジ』」



 瞬間的に、空間のすべてが氷に覆われた。

 真っ白に凍りついた世界は、生命の息吹を欠片も感じさせない死の世界だった。


 強力な冷気によって、空気すらも凍りつき、パラパラと氷の破片が作られては落ちていく。ノキアがいる屋上ですらそうなのだから、水浸しになっていた地面では、もっと酷いだろう。


 大規模な魔法行使により、ノキアは息を切らせながら膝をつく。


 七工程と六工程という、一人の魔法士が使える限界の魔法を連続で使用したのだ。そこそこの魔力量を持つノキアだが、事前準備も合わせてかなりの魔力を使ったため、とうとう魔力が枯渇してしまった。


 ヨロヨロとその場で膝をつきながら、ノキアは懐から小石ほどの大きさの結晶を取り出す。


 それは、自然界で生成された、魔力結晶である。

 固形化したマナが、長い年月をかけて劣化したものであり、人体に取り込んでも良い程度に濃度が薄れている。

 その生成条件的に、一つ一つがかなり高価な代物でもある。


 ノキアはそれを二つほど口に含み、魔力を補給する。

 自身以外の魔力なので大量の摂取は身体への負担は大きいが、即席の回復手段としてはオーソドックスなものだ。


 魔力を回復させたノキアは、すぐに防寒魔法を使って、体温を一定に保つ。自身の氷魔法で凍えたとなっては、笑い話にもならない。

 心は凍らせたままでも、身体は活動しなければいけない。


 彼女は立ち上がりながら、もう一度建物の下を見下ろす。


(不気味なほど反応がない。……本当に、やられたの? まさか、あの神童が?)


 これだけの手を尽くせば、大抵の魔法士ならば完封できるだろうが、相手はあの神童である。やりすぎてもやり過ぎではないと、ノキアは思っていた。


 けれど、実際に、久我アヤネは沈黙を保っている。


(霊子体の設定的に、頭と胴体だけでも残っていれば、消滅はないようにしている。事前に登録してるアヤネさんの魔力反応もまだあるし、となると、本当に動けなくなったと見るのが正しいか。……そりゃあ、コレだけやれば、普通なら動けないよね)


 まだわずかに、相手が息を潜めている可能性を念頭に置きつつ、ノキアは慎重に建物から飛び降りる。

 重力魔法を使って氷の世界に降り立ったノキアは、周囲を覆う冷気の白いもやを払いながら、アヤネの魔力反応を辿って歩く。



 久我アヤネは、氷漬けになっていた。



 民家の支柱に背を預けるようにして、神童と呼ばれた少女は、真っ白に凍りついていた。

 側には無残にも砕け散った車椅子が落ちており、彼女を支えるものは何もない。


 身動きも取れず、意識も当然失っているはずだ。

 今、彼女が霊子庭園に存在しているのは、制作者であるノキアが、無理やりリンクをつなぎとめているからに過ぎない。


 このまま、彼女をこの霊子庭園につなぎとどめ続ければ、久我アヤネという少女は、現実世界に戻ることは一生できないだろう。

 無論、霊子庭園を維持するための魔力供給は必須なため、それは現実的な話ではない。


(でも――なら、できないことはないか)


 ノキアは近くの氷の出っ張りに腰をかけながら、アヤネの目の前に座り込む。


 できるだけ長い時間、この霊子庭園にアヤネを閉じ込めることが、ノキアの目的だった。

 仮に途中で離脱を許したとしても、その時には大量の魔力を消費し、更には精神的にもダメージを受けた状態で現実に戻らなければいけなくなる。そうなればきっと、アヤネは試合どころではなくなるだろう。


 久我アヤネと久能シオンの試合は、明後日だ。

 本来ならば明日襲撃するのが一番良かったのだが、一試合でも、アヤネに試合をさせたくなかった。久我アヤネ、ユースカップに出場する可能性を、一つでも減らすのがノキアの目的でもあった。


(物理的に拘束するのでもいいし、なんなら魔力を枯渇させるだけでも良い。とにかくアヤネさんが試合に出られなければいい。そうすれば――シオンくんは、馬鹿なことをしないで済む)


 シオンはアヤネと戦いたがっていた。

 そのために、命の危険すらも犯そうとしている。


 一度やると言った以上、シオンを止めるのは難しい。あの頑固者は、理由さえあれば命なんて簡単に賭けられる少年だ。

 なら、その理由の方をなくすしかない。


(案外あっさりと拘束できたのは良かった。あとは、ファントムの飛燕の方か)


 今はトゥルクが戦っているが、飛燕は不気味なファントムだ。

 ステータス的には大したことがないのに、ステータス以上のパフォーマンスを発揮して、数々のファントムと渡り合ってきている。

 普通に考えれば、ハイランクのトゥルクが負ける相手ではないのだが、万に一つということもある。


 最悪の場合、戦闘を引き伸ばすだけでも、バディからの魔力供給の限界が来れば、飛燕は消滅するはずだ。アヤネを無力化した今、トゥルクへと加勢をした方が良いかもしれない。


 離れた場所で建物が崩壊する音が聞こえる。

 きっと、トゥルクと飛燕が戦っているのだ。


 持ち込んだ携帯デバイスを見る限り、トゥルクの方に大きなダメージはない。優勢と見ていいだろう。なら、あと一歩だ。


 あと少しで、目的を果たせる。


(……ほんと、馬鹿なことをしてるな、私)


 自嘲気味に、ノキアは薄っすらと笑みを浮かべる。


 かつて、これほどまでに全力を尽くしたことは、そう多くない。

 あの天知ノリトと戦った時だって、全力を尽くせたとは言い難い。あの時は、無我夢中ではあったが、それだけだった。本当に目的を果たすために、考え抜いたわけではない。


 ノキアは今回、久我アヤネを妨害するという目的のために、ありとあらゆる手段を用いていた。

 おそらく全てが終わった後、ノキアは何らかの罰を受けるだろう。もしかしたら、これからの人生を棒に振る可能性もある。


 そうした明らかな違法を行っていながら、ノキアが得るものは何もない。


 シオンのためと言いながら、ノキアのこの行動を、シオンは絶対に喜ばないだろう。むしろ、このことを知れば、彼は怒りを見せる可能性すらある。

 あの冷静な少年は、怒ったら怖いのだ。

 できれば、怒らせたくなんかない。



 ――きっと自分は、久能シオンに嫌われるだろう。

 それが分かっていながら、それでもノキアは、やらずにいられなかった。



(馬鹿なのはわかってる。本当は嫌われたくなんてないし、なんだったら、シオンくんの協力だってしてあげたい。でも――)


 凍りついていた感情に火がつく。


 湧き上がってくる感情を自覚しながら、ノキアは、氷漬けになったアヤネの姿を、ちらりと睨む。



 その感情の名は嫉妬だ。


 いつだったか、アヤネのことをどう思っているのかと、シオンに聞いたことがある。

 その時は、『そういう関係ではない』とはっきり否定された。けれど、ノキアはその言葉を、額面通りに信じることはできなかった。


 確かに、恋人同士ではなかったのだろう。


 けれど、シオンの様子や、アヤネの態度を見ていて、ノキアははっきりとわかった。

 分かってしまった。



 二人は相棒であり、ライバルであり――

 そして――家族だった。



(これなら、恋人だった方がマシだ。

 色恋だけのつながりなら、精算されればそれで終わりだ。でも、もっと深い絆でつながっているのなら、割って入る隙なんてあるはずがない)


 シオンはアヤネのためならなんだってするだろうし、反対に、アヤネもシオンのためなら何だってするだろう。そこに、ノキアが介入できる隙はない。


 それが、頭に血が上るほど悔しかった。


(これで全部終わりだ。シオンくんには嫌われるだろうけど、彼は無茶をしないで済む。それだけで、私としては十分だ)


 そう自分に言い聞かせながら、彼女はそっと目を閉じる。


 ふと、脳裏に幻想が浮かんだ。





 シオンと楽しく歩いた、日曜日のデートを思い出す。


 あの後、二人は何事もなく、シオンの家にたどり着いた。初めて招待された彼氏の家にドギマギしながら、ノキアは必死で虚勢を保つのだ。そして、出されたカレーを二人で食べて、他愛もない会話をして、二人の時間を過ごす。


 ちょっとだけいいムードになるけど、シオンはああいう人だから、前言の通り何も変なことをしてこない。そのことがちょっとだけ不満だけど、でもそんなシオンに、ノキアは安心したりもするのだ。


 名残惜しさを覚えながら、夜の道を送ってもらう。


 いたずら心で、冗談交じりに誘惑をしてみるけれども、堅物なシオンはぶっきらぼうにそれを拒否する。それが分かっているから、安心して自分は彼に心を預けることができる。


 期待と不安混じりの軽口を叩き合って、ぎこちないながらも、笑い合う。


 そして、ノキアは提案するのだ。

 この大好きな彼に、そう――


 名前を、呼んでほしいと。






 ――もう、そんな関係には戻れないだろう。


 鼻の奥がツンとするのを感じながら、目尻に浮かんだ涙を乱暴に拭う。


 後悔は済ませた。

 これは自分のわがままで、他人の不幸の上に成り立つ自己満足だ。だから、相応の罰を受ける覚悟はできている。


 感情を凍らせる。

 目的を果たすのに、感傷はいらない。

 この世界に施した死の化粧のように、冷たく、凍えるような白い理性で、自分のやるべきことを、淡々と為そう。

 さあ、あと少しだ――



 杖型デバイスを手に持ちながら、ノキアは気持ちを切り替えて、身を翻そうとした。


 その時だった。


「え……!?」


 


 ノキアが自身に付与している防寒魔法は、もちろん氷への耐性も組み込まれている。この氷に覆われた死の世界において、ノキアだけは凍りつくこともなく、凍えることもない。自由に行動することを許されているはずだった。


 それなのに、彼女の足元は凍りついて、地面に固定されている。


 更に問題なのは、その氷が、じわじわとせり上がってきているところだ。


 すでに膝下まで、白い氷で覆われかけている。もはや足首の感覚がなくなってしまっている。このままでは、そう時間をかけずに、全身が凍りつくだろう。


「……ッ。『ボックス1・キュア』『イント・ライフ』『ループ』!」


 元の状態に戻そうと、ノキアは回復魔法を起動する。

 しかし、回復する端から塗り替えるように、氷の膜がせり上がってくる。まるで、こちらの抵抗をまるごと飲み込まんばかりの威力に、目を見張ってしまう。


(これは、物理魔法じゃない……概念属性、か!)


 それに気づいて、慌ててアヤネへと視線を向けたときだった。




「……やっと、こっちに敵意を向けてくれたわね」





 氷が溶けかけたアヤネが、民家の支柱に背を預けたまま、悠然とした表情でこちらを見つめていた。





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