第30話 叔母、襲来




 一時間ほど保健室で休憩して、久能シオンは帰路についた。


 校内にはほとんど人がいなくなり、日が落ちて街灯がつき始めている。

 クラスメイトたちも全員帰っており、シオンは一人で電子認証の校門をくぐる。背後で守衛が門を閉めているのを見るに、どうやらシオンが最後の生徒だったらしい。


 校門を出てすぐのところで、声をかけられた。


「おーい。シオンくんじゃない!」


 声をかけてきたのは、スーツ姿の五十代くらいの女性だった。


 目が痛いほどの真っ赤な車のそばに立つ彼女は、シオンの姿を見かけた途端、花が咲いたように満面に笑みを浮かべた。

 相応に歳を取ってはいるが、笑顔が可愛らしい女性である。ブンブンと子供っぽく手を振って、シオンに向けて自分の存在をアピールしている。


 見知った人だったので、すぐにシオンは彼女のそばに近寄る。


「叔母さん、こんにちは」

「やっほー。ちょっとぶりだね。今帰り?」

「はい。叔母さんの方は、どうしたんですか、こんなところで」


 久我汐音しおね

 アヤネの母親であり、シオンにとって叔母に当たる人物だった。


 シオンの返答に、彼女は嬉しそうに胸を張りながら、学園の校舎を指差して言う。


「あの子を待ってるのよ。今日は仕事早めに抜けられたから、送っていこうかと思って。ねえ、アヤが今、どこにいるか知ってる?」

「いえ、今日は直接会っていなくて……連絡はしました?」

「メールなら一時間くらい前に送ったんだけど、返信がないのよね。シオンくんが帰りってことは、そろそろかな」


 言いながら、彼女は手持ち無沙汰そうに、携帯端末を開いてみせる。

 すると、ちょうどいいタイミングでメールが来たのか、バイブレーションがなり始めた。


「お、噂をすれば、と」


 メールを開いた汐音は、その文面を見て硬直する。


「どうしたんですか?」

「……あのガキ、後で覚えておきなさいよ」


 さっきまで花のような笑顔だったのがウソのように、彼女の表情は怒りで歪む。ドスの利いた声は、とても人に聞かせられたものではなかった。


 相変わらず、感情表現の豊かな人だった。


 送られてきたメールの文面を見せてもらうと、『残念。もう帰ってる。迎えとかいらない』という内容だった。

 証拠とでも言うように、夕日が差し込む病室の写真まで送ってきているのだから徹底している。あえてメールをシカトして帰った可能性が高い。


 母も相変わらずなら娘も相変わらずだと、シオンは苦笑いする。


「はぁ。ま、いっか」


 ひとしきり怨嗟の言葉を吐いた後、あっさりと気を取り直して、彼女はシオンに向き直る。


「ねえ、シオンくん。代わりに送ってあげよっか?」

「え、でも……」

「良いの良いの。今一人暮らしだったよね。下宿どこだっけ? なんならご飯でも食べてく? ごちそうするわよ」


 汐音の勢いに押されるまま、シオンは車に連れ込まれる。


 車を発進させながら、彼女は楽しそうに言う。


「こうしてシオンくんを車に乗せるのは久しぶりだね。昔は、アヤと一緒に、後ろでワイワイ騒いでたっけ。なんだか懐かしいなぁ」

「いつの話をしているんですか……。そういえば、前と車が違いますね。買い替えたんですか?」

「そうそう。昇進祝いでね、旦那から貰ったの。かっこいいでしょー。アヤに聞いたら、『派手すぎ』って言われてショックだったんだ」

「はは、そうでしたか」


 シオンも内心では派手だなと思っていたが、口にしないでおこうと思った。

 当たり障りのない雑談をしながら、車は道を走る。


「そういえば、最近姉さんはどう? ちゃんと連絡よこしてる? 生活費とかもらってる?」

「相変わらず、山ごもり中です。ちょっと前に集会の案内がうちに届いたんで、まあ元気だと思いますよ。生活費は父から毎月振り込まれるので心配ないですが、父も何をしているのか。こないだは、インドネシアから葉書が届きました」

「んー、姉さんも義兄さんも相変わらずか」


 困ったように汐音は苦笑いを浮かべる。


 シオンの両親の放蕩ぶりは、今に始まったことではない。

 自由気ままに仕事を転々とする父は、収入こそ一定を維持しているが、滅多に家に帰らなかった。それに嫌気がさして家を出た母は、なんと出家して新興宗教の信者になった。

 そんな環境だったので、シオンはよく、叔母の汐音に預けられていた。


 シオンが神童として脚光を浴びた時には、両親が擦り寄ってきた時期もあったが、今では最低限の扶養の義務を果たすだけで、めったに顔を合わせなくなった。


「今に始まったことじゃないけど、困ったものねぇ。いくら君が、経済的に自立していると言っても、まだ未成年なのにね。もしなんかあったら、おばさんにちゃんと言うのよ?」

「いつもご迷惑をおかけして、すいません」

「良いのよ良いのよ。むしろ、私の方こそ、いつもアヤの着替えとか届けさせちゃって、迷惑かけてるんだから。お互い様だって。……あ、そういえば!」


 話にアヤネの名前が出たところで、汐音が嬉しそうに言った。


「聞いたわよ。君たち、凄い頑張ってるんだってね」


 顔を前に向けたまま、感慨深そうに汐音は言う。


「ユースカップだっけ? その校内予選を勝ち進んでいるんでしょ。二人共、一次予選を突破したって聞いて、びっくりしちゃった。ちょっと前までは再起不能になったのに、ホントすごいね」

「アヤはともかく、僕はいっぱいいっぱいですよ。過大評価で、申し訳ないくらいです」

「なーに言ってんの。過大な評価なんて、されるだけの理由がなきゃ、されないっての」


 シオンの消極的な言葉を、汐音はあっさりと笑い飛ばす。豪快で気持ちのいい言葉だった。


 昔からシオンは、彼女のそんな言葉に励まされてきた。


「ほんとに、君たちは頑張ってるよ」


 汐音は慈しむように目を細めて、しみじみと言う。


「四年前の一件以来、二人共ふさぎ込んじゃったから、一時はどうなるかとも思ったけどね。でも、シオンくんは自分から学校に通いはじめたし、アヤだって真面目に通うようになった。そして、そこで結果を出そうと頑張っている。それが純粋に、嬉しいし、偉いなって思うよ」


 その言葉には、ただ純粋な喜びが見えた。

 シオンとアヤネが神童と呼ばれてもてはやされた時も、汐音は同じように、ただ嬉しそうに褒めてくれていた。


 きっと彼女にとっては、神童時代の活躍も、今の活躍も、どちらも同じものなのだ。

 ただ、二人が頑張っている。それだけで、彼女にとっては嬉しいのだろう。


 神童時代も、周囲がシオンとアヤネを利用する大人たちばかりだった中、汐音だけは、最初から最後までサポートに当たってくれていた。彼女の助けがなければ、再起不能となった後、社会復帰することはできなかっただろう。


 何かと気負いすぎるシオンに対して、その都度言葉をかけてくれる汐音の存在は、実の母親よりも母親らしかった。


 本当に、感謝してもしきれない。


 そう思ったところで、心の中を読まれたかのように、同じ言葉を言われた。


「シオンくんには、感謝してもしきれないよ」

「……え?」

「君がいなかったら、アヤはきっと、潰れてたと思うんだよね」


 唐突に、汐音は遠い目をして言う。


「あの子はほら、あんな感じだからさ。昔から、一人でなんでもできたし、出来たからこそ、他人と関わることができなかったんだ。そんなあの子にとって、張り合ってくれる同年代の子供が居たってのは、それだけで幸福だと思うんだ」


 久我アヤネは孤独だった。

 それは、母親の目から見ても、明確だった。


 神童と呼ぶにしても、出来すぎた知性。

 しかし、その異常な知能に対して、彼女の精神は、年相応の子供でしかなかった。

 あまりにも特出した才能は、他者理解の機会を彼女から奪った。きっとアヤネには、周囲の人間が、できの悪い人形のようにしか見えなかっただろう。


 そんな彼女に、同じ目線で付き合ってくれる存在がいた事は、この上ない幸福だったはずだ。


「君と遊ぶようになって、あの子は随分変わったわ。まあ、その結果が神童だなんて大それたものだったのは、さすがにびっくりしたけどね」


 苦笑を漏らしながら、汐音は続ける。


「まったく、うちの旦那やお義父さんもそうだけど、周りが騒ぎ過ぎなのよね。君たちはただ、やりたいことをやって、一生懸命に遊んでただけなのにね」

「……その節は、ご迷惑をおかけしました」

「馬鹿ねぇ。そこは、昔の自分に照れるところでしょ。子供が謝ることじゃありません。子供の行動に責任を持つのは、大人の役目なんだから。……いやまあ、あんまり責任、取れなかったけどね。そういう意味では、謝るのは私達の方か」


 クスクス、と笑いながら、汐音は楽しそうに目を細める。


「でも、君がいなかったら、アヤはそんな子供じみたこと、一生経験すること無かったでしょうね。あの子が子供でいられたのは、君という存在がいたからだよ。きっとアヤは、君に出会えて、すごく救われたと思うよ」

「そんなの……」


 汐音の言葉に、シオンは思わず、口をはさむ。


「それを言うなら、救われたのは……」


 自分の方だ、と。

 そう言いかけて、思わず口をつぐんでしまった。


 唐突に、シオンの携帯端末がバイブレーションを行ったのだ。

 それとともに、端末内で電子化していたミラが、切羽詰ったような声でシオンを呼んだ。


「シオン! 大変、トゥーちゃんが!」

「……どうしたんだ。ミラ」


 あまりの剣幕に、思わずシオンはデバイスを手に取る。

 画面内では、ミラがオロオロと慌てて、一つのメールを指し示していた。


 そこに、横から汐音が、興味深そうに顔を覗かせてくる。


「へぇ、それが君のバディなんだ。あら、可愛い子じゃない」

「……叔母さん、危ないんで、前向いててくださいよ」

「大丈夫、すぐ止めるから。それで? なんかその子、焦ってるみたいだけど」


 すぐに路肩に駐車をした汐音は、ミラに先を促す。


「これ! 今トゥーちゃんから届いたの! なんか、ノキちゃんが危ないことしてるみたい!」


 ミラが指し示すメールを、シオンはすぐに開いてみる。




『差出人:草上ノキア

 トゥルクです。

 お嬢様のデバイスから、無断でメールを送っています。ご容赦ください。

 今から、お嬢様は久我アヤネさんを襲撃しようとしています。その過程で、あまり褒められない手段を使っています。はっきり言って、幾つかは法に触れています。

 襲撃の理由については頑なに口を閉ざしているのですが、ある程度察することができます。

 わたくしでは、お嬢様を止められません。

 虫がいい話なのは承知ですが、どうか、お嬢様を助けてください』




「―――っ」


 添付されているファイルには、学園周辺の地図マップが入っていた。幾つかのポイントがマークされていて、その中の一点に、大きな赤丸が付いている。

 学校の裏手から、川沿いを歩いて病院まで帰るルート。一番遠回りで、人通りの少ない道を歩くことになる場所だ。


 草上ノキアが、久我アヤネを襲撃するという。


 しかし先程、アヤネは、病院に帰り着いたというメールを汐音に送っていたはずだ。となると、ノキアがやろうとしていることは、空振りに終わるのではないだろうか。


 そこまで考えたところで、隣にいた汐音が、小さく舌打ちをした。


「私としたことが、確認を怠ってたわ。この画像、夏の画像じゃない……」

「へ?」


 見ると、汐音はついさっき、アヤネから送られてきたメールの画像を見ていた。そこには、夕方の病室が映っている。夕日が差した、病室が――

 今は十一月。

 日が落ちるのは早い。

 どんなに早く帰ったとしても、今日のアヤネの試合が終わったのが五時過ぎという時点で、その画像を撮るのは不可能になる。


「GPSは……やっぱり途切れてるか。これじゃあ、電源切ってるのか、結界で阻まれてるのか、判断がつかないわね。うーん、やっぱり心配だし、直接行くべきか」

「心配、ですか」


 少しだけ意外に思いながら、シオンはそうつぶやく。

 しかし、シオンが思っていたのと、汐音の心配は違うものだった。


「草上ノキアって子のことよ。そのメールの文面も気になるけど、何より、あのアヤにケンカを売って、相手が無事で済むと思う?」

「…………」


 思わない。

 二度とやられないよう、徹底的に叩きのめすのがアヤネのスタンスだ。

 それを考えると、ノキアの行動は暴挙としか言いようがない。


「というわけで、行くわよ。その間に、その草上って子のこと、教えてくれる? 法に触れるとか不穏なことも書いてあるし、職業柄、無視できないしね」

「………はい」


 メールを見られたのはまずかったかな、と思いながら、シオンは発進する車に身を委ねた。




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